ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

○雑感その8

2010-12-26 11:28:49 | Weblog
○雑感その8
 年末を迎えようとする頃に、「孤独死」というテーマで新聞記事の特集が組まれることが多くなった。都会の独り暮らしの老人が、誰にみとられるでもなく、日常生活の延長線上で、古びたアパートや公団住宅で、そのまま息をひきとり、死後長い間誰にも発見されないまま朽ち果てていく躯そのものを、「孤独」の象徴であるかのような報道の仕方をするのである。報道の姿勢としては、独りぼっちで逝った老人の躯が何を物語るのかを、死から遡って、死者の孤独な生きざまを追跡するというスタイルである。生きている人間からすると、この種の死の様相は確かに何ほどかの悲惨なイメージを想起させはする。しかし、人間の、幸不幸という観点をさしはさむと、どうも僕には、こういう死に方が必ずしも孤独で悲惨なそれとは思えないのである。
 この種の「孤独死」のイメージと対極にあるのは、たぶん大勢の家族にみとられて死を迎えるような人々の生き方なのだろうと思う。かつては、僕も確実にこちら側にいて、家族にみとられながらの死を迎えるはずの人間だったと思う。無論、いまの生き方の延長線上には、前記した「孤独死」の側にいる自分の、現在よりもさらに年老いた自分の姿がある。ならば、僕は果たしていま、孤独でわびしい暮らしをしているのだろうか?と自問してみるが、どうもそうは思えない。先行き不安でないか、と問われれば、客観的には、とても不安な短い未来が待ち受けているとは思う。しかし、このようなファクターを組み入れてみても、やはりいまの生き方はどう考えても必然であったとしか思えないし、いまの生き方、近い将来に訪れる孤独死とやらも含めて引き受けることにやぶさかではない自分がいるのである。
 典型的な核家族。女房がいて、息子が二人に、土地付き一戸建て住宅。仕事は地味だが、おとなしくしてさえいれば、リストラに遭う不遇もないし、収入も現在殆どの労働者の賃下げがまかり通っている中でも、そういうことにはならず、かなりの蓄財と退職するときに受け取る大枚の退職金と、年金で楽しい?老後?が待ち受けていたはずだったのである。そういう環境を棄てることになった経緯は何度も書いたので、略するが、果たして僕には生活の心配のなかった23年間は、どうにもこうにも辛抱し切れない退屈感と常に向き合っていなければ、退屈という毒牙で、とっくの昔にガンか何かでこの世の人間ではなかった気がしないでもない。四季折々の集まりに女房の実家に車で家族ともども伺うしきたりであった。これがまた、僕には耐えられる限界値を超えていたのである。そらぞらしい家族交流、目の前には食べ切れぬほどの料理。酒をがぶ飲みするようにあおる義父は、とりわけ僕の嫌悪の対象だった。酒飲みで、自慢話ばかりするような輩は、他人ならば、ぶちのめしているはずだ。公立の教師なのに、教頭、校長に一刻も早くなりたいがために、偉いさんの家に義母と盆暮れの届け物を持っては、彼らの自宅に行く。日曜日ともなれば、その手の輩たちとのゴルフ。まるで中小企業の経営者だ。中小企業の経営者ならば、銭儲けという割り切りもあるが、このおっさんは教師だ。校長になり上がってからも、自分は大阪市で一番年若き校長になったことを自慢げに語る。酒がすすむと、地区の、あるいは在日の子どもたちを蔑んで憚らない。何より嫌だったのは、そんなアホウな害虫みたいなおっさんの話を聞きながら、ヘラヘラと笑っている自分だった。帰りの車の中では、当然のことだが、ひどく機嫌が悪かった。女房との精神的な距離感は、年を経るごとに遠ざかっていった。今日は紙面の関係で書かないが、自分の縁戚もひどいものだったと思う。
 あたりまえのことだが、23年にして教師をやめたら、自分の評価はガタ落ちだった。離婚はあたりまえの前提事項だった。家族解体。呆気なかったね。その後、心理カウンセラーという仕事に行き着いて、2冊本を出した時点で、別れた女房はどうでもよかったが、二人の息子に本を送ろうとしても、住所すら知らせずに離別したので、致し方なく丁寧な手紙を添えて、女房の実家に送った。息子二人分だから、たった4冊の本だったが、かつての義父から電話があり、偉そうな声で、こんなものを送られても困る。第一、置いておく場所もないとくる。かつての義母の死別した夫の死亡保険金で買ったご大層に大きな家だ。そこに入り込んだに過ぎないおっさんに言われる筋合いのない言葉だと思ったが、邪魔ならば、棄ててくださって結構だ、と言うしかなかった。孤独というならば、家族ごっこ、親戚ごっこを無理矢理やっているときの心境こそが、その名にふさわしい、といまだに思う。
 さて、いまは、賑やかしくはない生活である。しかし、そういう生活を決して孤独とは思ってはいない。ささやかな蓄えで、異国を彷徨い、どこかの地の果てで客死しても構いはしない。人はそれを孤独死と呼ぶのかも知れないが、僕にとっては、それは孤独死でもなんでもなく、自然な死でしかない。死した後の躯のあと始末をしていただく人には申し訳ないことだ。しかし、たぶん、僕をも含めて、冒頭の孤独死を遂げた人々が、生きている人間からすると、誰にみとられることもなく逝った躯から想起するような孤独感の只中で、自己の死を迎えたのかどうか?たぶん、そうではなかろうと思うのである。

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長野安晃