○この歳にして、自分探し
秋葉原に行く直前の僕は、70年代安保闘争という時代に翻弄された、どうしようもないバカな男でしかなかったわけで、時代の潮流を視野に入れながらも、なすべきことはしっかりとなした友人たちもいたのである。いや、むしろ、僕が尊敬に値すると感じていた友人たちはすべからく、自治のない大学など解体すべきだ、という空気(そう、空気だけであって、解体すべき大学の実態などまるで分かっていなかったし、すでに大学に入っていた人々の、大学教育におけるマスプロ的な風潮を打破する、という程度のものだったのではなかったか、と今にして思う。)に何ほどかの違和感を感じてもいたし、なすべき勉学を徐々に取り戻していった。彼らは時代の潮流に翻弄された時間を取り戻すだけの粘りがあったし、その粘りを支えるだけの頭のよさも兼ね備えていたのである。
長い間、僕は僕の親友たちのことを思想の変節を疑問なく受け入れてしまう、自分勝手で、節操のないヘナチョコ野郎たちだと罵倒して憚らなかった。しかし、自分が罵声を浴びせかければかけるほど、元の位置に立ち戻るだけの勇気も、それに伴うつらさ、学力を取り戻すだけの力量もない自分のことを心の奥底で嫌悪していたのある。正直に告白するが、僕は、彼らのことが羨ましかったのである。それとともに、彼らには到底及ばない自己の意気地のなさ、意気地のなさを虚勢を張ることでしか誤魔化す術がなかったことに懊悩していたのである。地の底に落ちた人間が、唯一誤魔化し得る手段とは、地に落ちたことを自己欺瞞という衣で覆い隠すことでしかない。大学受験を放棄した、と言い張ったのは、その実、友人たちとかつて争ったはずの大学などには到底入ることが出来ない憂さを晴らしていた結末に過ぎない。要するに、僕は地に落ち、地に落ちた、まさにその次元から立ち上がることも出来ず、地の底の暗闇の中に、逃げ出したのである。こういう卑怯な行為を、精神の彷徨などとは言わない。単なる逃避の過程で、後悔と自己卑下との狭間で性懲りもなく愚にもつかないことばかりを考えていただけのことなのである。他者に胸を張って語れる内実など、当時の僕にはまるでなかった、と思う。
紆余曲折を経て、一年遅れで大学に入ったのはよかったが、高校時代の友人たちとは明らかに差が出る結果になった。当然のことだろう。もし、僕がかつての傲慢で、虚偽的な自己表出から自由になれていたとしたら、僕の大学生活は金銭的な苦しさは伴ったにせよ、つまらぬ虚勢を張る必要などまったくなかったのである。僕は中身のない文学青年、あるいは哲学知らずの哲学青年という装いを演じ、その過程で屈託のない豊穣な精神を持った友人たちと、ついに心を通わせることが出来なかった。勿論、当時の僕は彼らと心を通わせているつもりではいた。が、心のどこかで、自分は彼らとは違う、という傲岸さが見え隠れしていたのだろう。結末はどうか?当然、僕は心を通わせる友人たちを失った。自分が招いた結末だ。受け入れるしかないのだろう。言い訳はしない。僕がすべて悪い。この歳になって友情を、あるいは愛情を十全に感得出来ない状況下に生きざるを得ないこの僕を、懲りずに支えてくれる数少ない人々には、心から感謝したい、と心底思う。年が明ければ、僕をとりまく環境は激変する。しかし、この大きな変化を僕は人生最後のターニングポイントとして位置づける。大切に毎日を生きる覚悟でいる。やがて訪れる死を怖れることはない。が、決して自分の死を肯定的に見ることだけはやめようと思う。死はあくまで自己の死であるが、大切な人生の同伴者に多大な影響を与えることには自覚的でなければならない。遅まきながら、生の再スタートである。素直に喜びとしたい。
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃
秋葉原に行く直前の僕は、70年代安保闘争という時代に翻弄された、どうしようもないバカな男でしかなかったわけで、時代の潮流を視野に入れながらも、なすべきことはしっかりとなした友人たちもいたのである。いや、むしろ、僕が尊敬に値すると感じていた友人たちはすべからく、自治のない大学など解体すべきだ、という空気(そう、空気だけであって、解体すべき大学の実態などまるで分かっていなかったし、すでに大学に入っていた人々の、大学教育におけるマスプロ的な風潮を打破する、という程度のものだったのではなかったか、と今にして思う。)に何ほどかの違和感を感じてもいたし、なすべき勉学を徐々に取り戻していった。彼らは時代の潮流に翻弄された時間を取り戻すだけの粘りがあったし、その粘りを支えるだけの頭のよさも兼ね備えていたのである。
長い間、僕は僕の親友たちのことを思想の変節を疑問なく受け入れてしまう、自分勝手で、節操のないヘナチョコ野郎たちだと罵倒して憚らなかった。しかし、自分が罵声を浴びせかければかけるほど、元の位置に立ち戻るだけの勇気も、それに伴うつらさ、学力を取り戻すだけの力量もない自分のことを心の奥底で嫌悪していたのある。正直に告白するが、僕は、彼らのことが羨ましかったのである。それとともに、彼らには到底及ばない自己の意気地のなさ、意気地のなさを虚勢を張ることでしか誤魔化す術がなかったことに懊悩していたのである。地の底に落ちた人間が、唯一誤魔化し得る手段とは、地に落ちたことを自己欺瞞という衣で覆い隠すことでしかない。大学受験を放棄した、と言い張ったのは、その実、友人たちとかつて争ったはずの大学などには到底入ることが出来ない憂さを晴らしていた結末に過ぎない。要するに、僕は地に落ち、地に落ちた、まさにその次元から立ち上がることも出来ず、地の底の暗闇の中に、逃げ出したのである。こういう卑怯な行為を、精神の彷徨などとは言わない。単なる逃避の過程で、後悔と自己卑下との狭間で性懲りもなく愚にもつかないことばかりを考えていただけのことなのである。他者に胸を張って語れる内実など、当時の僕にはまるでなかった、と思う。
紆余曲折を経て、一年遅れで大学に入ったのはよかったが、高校時代の友人たちとは明らかに差が出る結果になった。当然のことだろう。もし、僕がかつての傲慢で、虚偽的な自己表出から自由になれていたとしたら、僕の大学生活は金銭的な苦しさは伴ったにせよ、つまらぬ虚勢を張る必要などまったくなかったのである。僕は中身のない文学青年、あるいは哲学知らずの哲学青年という装いを演じ、その過程で屈託のない豊穣な精神を持った友人たちと、ついに心を通わせることが出来なかった。勿論、当時の僕は彼らと心を通わせているつもりではいた。が、心のどこかで、自分は彼らとは違う、という傲岸さが見え隠れしていたのだろう。結末はどうか?当然、僕は心を通わせる友人たちを失った。自分が招いた結末だ。受け入れるしかないのだろう。言い訳はしない。僕がすべて悪い。この歳になって友情を、あるいは愛情を十全に感得出来ない状況下に生きざるを得ないこの僕を、懲りずに支えてくれる数少ない人々には、心から感謝したい、と心底思う。年が明ければ、僕をとりまく環境は激変する。しかし、この大きな変化を僕は人生最後のターニングポイントとして位置づける。大切に毎日を生きる覚悟でいる。やがて訪れる死を怖れることはない。が、決して自分の死を肯定的に見ることだけはやめようと思う。死はあくまで自己の死であるが、大切な人生の同伴者に多大な影響を与えることには自覚的でなければならない。遅まきながら、生の再スタートである。素直に喜びとしたい。
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃