僕が最も忌み嫌っていたもの、それが感傷主義である。誰かのおセンチな昔話を聞かされると、自分の思い出したくもない過去が蘇ってくる。嘔吐感に似た嫌味な感覚が自分を被い尽くす。それが堪らなく嫌だったのだ。この場でたくさんの自分の過去の、その時々の群像を書いてきた。しかし、それを美化したり、過去を懐かしんだりした覚えはなかった、と思う。あるとすれば、過去に対する苦渋の感覚と取り戻しようのない後悔と、少しの切なさだ。たぶんそれ以外の感情を表出してはいない、と確信している。おそらくは、センチメンタリズムを忌避してきたのは、自己の過去を必要以上に美化してしまうかも知れぬ、という恐れからである。裡なるセンチメンタリズムを如何にして排除するか? これがいつも自分の中に在る葛藤だった、と思う。
しかし、自分を過去への郷愁へと誘う可能性は、僕の周りに確かに在った。それが僕にとっての音楽の存在だ。たぶん僕などは無骨な人間の代表格だろうと、いままで僕のブログを読んでくださった殆どの方々は思っていらしゃるだろうが、僕と音楽との関わりは意外に深いのである。音楽の僕のエリアは、クラシックからジャズ、ロック、ニュー・ミュージック(これはもう死語かも知れない)、フォークソング、演歌まで広がっている。ともかく音楽のすばらしさは筆舌に尽くしがたい。僕がクラシックに近づいたのは、たぶんストレス性の網膜剥離をやって、レーザーで網膜に開いた二つの穴を焼いて塞いだことが遠因となって、目を開けていられなくなったことがある。30代の半ばのことだ。光が眩しくて、字を読むと気分が悪くなって嘔吐してしまう。本も読めない数カ月があった。仕事をこなすのがやっとのことだった。そんなとき、僕はクラシックの魔力にとりつかれた。名盤という名盤は全て聞いた。当時住んでいた八幡市の図書館はクラシックの名盤の宝庫だった。そのコレクションはすばらしかった。このまま目が見えなくなっても何とか生きていけそうな気がした。その中でやはり僕はなぜかピアノ曲にどうしようもなく魅きつけられた。レコードからテープに録音しながらあらゆるクラシックの音楽を夢中で聞いた。いつかここでも紹介したが、僕を最初にビアノ曲の虜にしたのは、カナダのピアニストのグレン・グールドだ。まるで空を舞うような響きが僕を捉えて離さなかった。あるいはバッハの無伴奏チェロ組曲は、天の高みから地の底まで僕を導いた。クラシックのことを書けばキリがないが、ともあれ、クラシック音楽のコレクションはテープにすると500本は下らないだろう。ジャズも気分を高揚させてくれた大切な音楽だった。ロックには絶望に生の色彩を与えるほどの威力があった。ここまでは僕の裡なるセンチメンタリズムとは無縁の存在だ。が、その他のジャンルはダメだった。聴けば、赤提灯で安酒を煽っている気分になる。おセンチの固まりになってしまう。だからずっと避けていた。音楽そのものから逃げていた。ひたすら読書した。自分の思想を何らかの形にしたい、と心から望んでいたからである。
年末の紅白歌合戦という、もう古びた、価値のなくなった番組をフト読書の骨休みに観たとき、徳永英明が歌っていた。感傷主義の権化のような甘い歌声と楽器の奏でる音の饗宴が、どうしようもなく僕を捉えて離さなかった。あまりにも有名な歌手だそうだが、僕は初めて徳永の歌をこの耳で聴くことになった。正直、釘付けになった。徳永の歌声は、まるで少女のようでもあり、男臭くもあり、音階は限りなく広かった。バックに流れているピアノの旋律と徳永の歌声とは調和というようなものではなかった。それは剥がそうとすれば血が噴き出すような皮膚のように体に貼りついて離れないような不可分の要素となって、流れ来るのだった。悪くない! と僕は思った。悪くない、と思ったのは、センチメンタリズムそのものが僕の裡に流れるように徳永の歌声と伴に入り込んできたからだ。学校を追放されてまる8年が経つ。8年間僕は音楽を避けてきた。特に僕の感傷を誘うような音は意識して忌避してきた。自分の思想に穴があくように感じたからだ。しかし、思想に穴が開いたからと言って、それが何だというのか? 穴だらけの思想しか綴れないのであれば、それこそが僕自身の思想そのものではなかろうか? 徳永の、空を駆けめぐるような歌声に僕は否応なく説得されてしまう。徳永の歌声にセンチメンタリズムが透けて見えるのと同様に、たとえ自分の思想が穴だらけのそれであろうと、それが自分の紡ぎだした考え方なのであれば、それでいいではないか、といまは思う。徳永英明には、人の心を剥き出しにしてしまう力がある、と僕は思う。それがおセンチそのものであったら、おセンチにこそ力が潜んでいる証拠である。悪くない、と思う。
○推薦CDです。「BEAUTIFUL BALLADE」 徳永英明。センチメンタリズムの行列のようなアルバムです。しかし、これだけ聴く人を飽きさせないおセンチならば凄い、と思います。読書に疲れた方はぜひどうぞ。
しかし、自分を過去への郷愁へと誘う可能性は、僕の周りに確かに在った。それが僕にとっての音楽の存在だ。たぶん僕などは無骨な人間の代表格だろうと、いままで僕のブログを読んでくださった殆どの方々は思っていらしゃるだろうが、僕と音楽との関わりは意外に深いのである。音楽の僕のエリアは、クラシックからジャズ、ロック、ニュー・ミュージック(これはもう死語かも知れない)、フォークソング、演歌まで広がっている。ともかく音楽のすばらしさは筆舌に尽くしがたい。僕がクラシックに近づいたのは、たぶんストレス性の網膜剥離をやって、レーザーで網膜に開いた二つの穴を焼いて塞いだことが遠因となって、目を開けていられなくなったことがある。30代の半ばのことだ。光が眩しくて、字を読むと気分が悪くなって嘔吐してしまう。本も読めない数カ月があった。仕事をこなすのがやっとのことだった。そんなとき、僕はクラシックの魔力にとりつかれた。名盤という名盤は全て聞いた。当時住んでいた八幡市の図書館はクラシックの名盤の宝庫だった。そのコレクションはすばらしかった。このまま目が見えなくなっても何とか生きていけそうな気がした。その中でやはり僕はなぜかピアノ曲にどうしようもなく魅きつけられた。レコードからテープに録音しながらあらゆるクラシックの音楽を夢中で聞いた。いつかここでも紹介したが、僕を最初にビアノ曲の虜にしたのは、カナダのピアニストのグレン・グールドだ。まるで空を舞うような響きが僕を捉えて離さなかった。あるいはバッハの無伴奏チェロ組曲は、天の高みから地の底まで僕を導いた。クラシックのことを書けばキリがないが、ともあれ、クラシック音楽のコレクションはテープにすると500本は下らないだろう。ジャズも気分を高揚させてくれた大切な音楽だった。ロックには絶望に生の色彩を与えるほどの威力があった。ここまでは僕の裡なるセンチメンタリズムとは無縁の存在だ。が、その他のジャンルはダメだった。聴けば、赤提灯で安酒を煽っている気分になる。おセンチの固まりになってしまう。だからずっと避けていた。音楽そのものから逃げていた。ひたすら読書した。自分の思想を何らかの形にしたい、と心から望んでいたからである。
年末の紅白歌合戦という、もう古びた、価値のなくなった番組をフト読書の骨休みに観たとき、徳永英明が歌っていた。感傷主義の権化のような甘い歌声と楽器の奏でる音の饗宴が、どうしようもなく僕を捉えて離さなかった。あまりにも有名な歌手だそうだが、僕は初めて徳永の歌をこの耳で聴くことになった。正直、釘付けになった。徳永の歌声は、まるで少女のようでもあり、男臭くもあり、音階は限りなく広かった。バックに流れているピアノの旋律と徳永の歌声とは調和というようなものではなかった。それは剥がそうとすれば血が噴き出すような皮膚のように体に貼りついて離れないような不可分の要素となって、流れ来るのだった。悪くない! と僕は思った。悪くない、と思ったのは、センチメンタリズムそのものが僕の裡に流れるように徳永の歌声と伴に入り込んできたからだ。学校を追放されてまる8年が経つ。8年間僕は音楽を避けてきた。特に僕の感傷を誘うような音は意識して忌避してきた。自分の思想に穴があくように感じたからだ。しかし、思想に穴が開いたからと言って、それが何だというのか? 穴だらけの思想しか綴れないのであれば、それこそが僕自身の思想そのものではなかろうか? 徳永の、空を駆けめぐるような歌声に僕は否応なく説得されてしまう。徳永の歌声にセンチメンタリズムが透けて見えるのと同様に、たとえ自分の思想が穴だらけのそれであろうと、それが自分の紡ぎだした考え方なのであれば、それでいいではないか、といまは思う。徳永英明には、人の心を剥き出しにしてしまう力がある、と僕は思う。それがおセンチそのものであったら、おセンチにこそ力が潜んでいる証拠である。悪くない、と思う。
○推薦CDです。「BEAUTIFUL BALLADE」 徳永英明。センチメンタリズムの行列のようなアルバムです。しかし、これだけ聴く人を飽きさせないおセンチならば凄い、と思います。読書に疲れた方はぜひどうぞ。