自分に課せられた生を生き抜くには、自分の死についての考察が必要である。僕はこの種の考察はかなりやってきたので、そろそろ恐らくは唐突に訪れてくる己れの死に至るまでは、どのような辛苦にも抗って、抗い抜いて生き抜いてやろうと思っている。勿論、この種の覚悟は言うまでもなく、生きることにただ意味もなくしがみつくことではない。だからこそ、もしも唐突な死が訪れて来ようと、むしろその死は引き受ける覚悟も同時にしておかなくてはならない、と思っている。簡単に言うと、いつ、どのような状況下において死んでもいいし、もしも生き残るならば、その生を思う存分生き抜いてやろうではないか、という想いである。だからどっちに転んでも、僕には怖いものなど存在しない。いずれにせよ、要らぬ恐怖心は、生きる勇気を奪う。そんな感情を抱いたとしてもよいことなど何もないのである。To be or not to be? という問いかけの中で、いずれの方向に転んでも、勇気を失ってはならない。生きる勇気も、死ぬ勇気においても。
思想的に大切なことは、生も死も決して美化しないことだ。生を美化すると安っぽいヒューマニズムに陥るし、死を美化すると簡単にあの世の存在を想定してしまったり、死の儀式にこだわったりする。三島由紀夫の割腹自殺なんて醜悪そのものだ。元来割腹自殺なんて、醜い死ざまだ、と僕は思う。自分の腹を割けば、腹わたは飛び出してくるだろうし、介錯をしてもらえば自分の体から首が吹っ飛ぶわけで、首のない死体など美しいはずがない。ミケランジェロの彫刻の美しさが、何を意味しているのかを考えればすぐに諒解できるはずである。不幸にして五体満足に生を授からなかった人も、その不幸を生き抜くことで生の美しさが滲み出てくるのである。ただし、生も死も必要以上に美化してはならない、と僕は思う。三島の死の美学も川端の美的世界も、行き着く果ては、醜悪な首なし死体に過ぎなかったし、凡庸なガス自殺でしかなかったことは誰も否定しないだろう。近くて分かりやすいところでは、「美しい国、日本」と言ってのけた安倍前首相が、如何に醜い一国の指導者としての幕切れに終わったかを考えれば容易に分かることだ。あれなどは世界の恥である。一国の指導者が暗殺されて指導者としての役割を唐突に断ち切られるということは歴史上有り余るほどにその例を知らされてきただろう。が、安倍前首相の、あの幕引きは史上最悪のそれであった、と思う。歴史にも例がないだろう。ともあれ、どのような分野であれ、安易に美的な言葉を多用する輩は信じられない。美という思想は思想そのものの飛躍をもたらす元凶だ、と僕は思っているのである。
美しく生きることなどあり得ないし、美しく死ぬこともあり得ない。粘って、粘り抜いて、抗い抜いて生きること、あるいは死ぬこと。それがいまの僕の目論見である。ただ誤解なく。死に抗うというのは、病魔と闘うなどという現代医学のアホくさい考え方ではない。何で助かりもしない手術など、医者の言うなりになって何度もメスを入れさせる? 粘り抜いて死を迎えるというのは、死の瞬間まで自分の生と死の狭間で抗うことである。助かりもしない手術で医者の腕を上げさせることではない。
○推薦図書「アンテナ」 田口ランディ著。新潮文庫。心と身体、生と性を繋ぐ力に溢れた作品です。この作者の素敵なところは、生を決して美化しないことです。それでいて、胸をうつ作品世界を突きつけてきます。どうぞ。
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美しく生きることなどあり得ないし、美しく死ぬこともあり得ない。粘って、粘り抜いて、抗い抜いて生きること、あるいは死ぬこと。それがいまの僕の目論見である。ただ誤解なく。死に抗うというのは、病魔と闘うなどという現代医学のアホくさい考え方ではない。何で助かりもしない手術など、医者の言うなりになって何度もメスを入れさせる? 粘り抜いて死を迎えるというのは、死の瞬間まで自分の生と死の狭間で抗うことである。助かりもしない手術で医者の腕を上げさせることではない。
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