ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

○民主主義思想が、人間が行き着いた最高の制度なのだろうか?

2010-03-14 21:54:10 | Weblog
○民主主義思想が、人間が行き着いた最高の制度なのだろうか?

 NHKが久々に大ヒット大河ドラマの「龍馬伝」の放映を毎週楽しみに観ているが、土佐藩の厳しい身分制度の中から、坂本龍馬というあの時代を超越した卓抜な交渉者が生まれ出たのは、歴史上の輝かしい果実ではなかろうか。このドラマを観て以来、本格的に幕末・明治維新という時代を見直すことになったが、やはり、坂本龍馬とは、名実ともに革命家である。歴史に残る革命家たちの中でも優れた功績と、日本人がすでに喪失した人間的な優しさを合わせ持った魅力ある人物なのだろうと思う。昔から坂本龍馬は、日本人にとっての人気者として日本の歴史を飾るにふさわしい人物として描かれ続けてきたが、果たして、彼の裡なる革命家としての気質を見抜いている人がどれほどいるものやら。国も民族的気質もまるで違うので、ずいぶんと唐突に聞こえるかも知れないが、僕には、坂本龍馬とチェ・ゲバラがとてもよく似た気質をもった人物であったように思われてならないのである。彼ら二人は、決して留まるところを持ち得なかった。だからこそ、彼らの革命思想は、広がりのある思想ゆえに無限大に拡大していくのが必然の姿だったと思われる。

 人間なんて、凡庸なものだから、こういう才能を怖れるのである。二人が、ともに若くして命を落とさざるを得なかったのも、凡庸な人間の気質から成り立っている社会から常に逸脱する思想性ゆえに、バカげた人間たちに命を奪われてしまう。幕末・明治維新の明治革命の只中で、命を落とした人間はたくさんいたけれども、坂本龍馬の死こそ惜しまれる。時代も状況も異なるが、チェ・ゲバラの死こそが惜しまれる。

 世は民主主義社会である。文字通りに機能していれば、誰もが身分に関わりなく物が言える世界であるはずだ。しかし、この現代において、果たして個としての人間が、坂本龍馬やチェ・ゲバラのごとくに、自由闊達な言動をなし得ているか?答えはノーだろう。小賢しい浅知恵が世を席巻している。彼らこそが世の中の勝ち組だと、なに憚ることなく、世の価値観の指標と化している衆愚の時代、これが現代だ。マスコミ操作で、世論はいかようにも変えることが出来る。自分の頭で物を考え、自分の頭で学ぶべきことを模索し、自分の頭で、行動する人間がいったい、どれほどこの世界に存在するのだろうか?

 さて、こんな毒を吐き散らす僕という存在は、世の中に如何なる影響も与え得ない凡庸そのものとしての人間に過ぎない。たぶん、これくらいの義憤を感じ取っている人々は結構いるのだろうが、それならば、余計に現代はつまらない時代だとも言える。こんなのは、去りゆく人間の戯言か?

京都カウンセリングルーム       長野安晃


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