ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

自己憐憫という難物

2006-12-15 00:10:02 | Weblog
人は心が弱って落ち込むと、人生が虚しくなり、何もかもに価値観を抱けなくなります。よく分かる例は重度のうつ病ですが、この病気の特徴は象徴的です。身近な家族にさえ、接するのが憂鬱になります。一人布団の中で横たわっているしかないのです。人生に絶望するといいますが、こういう状態になると絶望感さえ感じなくなるようです。これは極端な例として、自分は心の病気とは何の関係もない、と思っていても、フッと気が滅入ったりします。原因は様々です。職場の人間関係であるとか、恋人との間がうまくいかないとか、いろいろです。こういう状態の人たちは心の病気の入り口にいる、と考えて間違いありません。
こうなると自己憐憫という難物が、自分を支配するようになります。自分が可哀相で仕方がなくなるのです。自分はなんて不幸なのだろう、と考えてしまうのです。そうなると、だんだんと視野が狭くなってきます。視野狭窄という症状です。周囲の物事が見えなくなってきます。そしてますます孤独感を強めてくるようになります。たぶん、このときにたとえば、精神科を受診すると軽症のうつ症状だといわれます。SSRI系の坑うつ剤、パキシルとかルボックスとかデプロメールといったお薬を調合されます。これらは安心して飲んでもよい薬です。最初に少し胃の具合が悪くなったりすることはありますが、大体数日で症状はとれます。それから、この薬の特徴ですが、からだの中に蓄積するまでは効かないという特徴があります。早くて1週間、遅くとも2週間くらいです。それがすぎると少し気持ちが楽になってきます。この頃には自己憐憫は消えています。とは言え、一旦この症状をからだが覚えてしまいますと、不安感が時折出てくることがありますので、向精神薬(心を前向きにする薬です)か、精神安定剤(心を安定させる薬です)が同時に処方されることが最も多いと思いますが、向精神薬も精神安定剤も同じ目的で使いますから、大きな違いはありません。どちらを使っても同じ効用が期待できるからです。薬に抵抗がある人もいるとは思いますが、自己憐憫という難物が自分を支配しはじめたなあ、と感じたら、すぐに精神科の門を叩くことをお勧めします。ただし、前にも書きましたが、精神科の先生方はあまり長くは人の症状の実態を聞いてはくれません。すぐにお薬の処方に走りがちですので、症状がなかなかとれない、と感じたら、カウンセリングを受けて、心の中の掃除をしてみることも大切です。自己憐憫に陥ったことを他者に対して言葉で語るのです。それはお友達では役不足です。お友達は大丈夫よ、元気だして! と励ますのが一般的ですから、そのような励ましはかえって症状を悪化させることもある、ということを認識してください。だからこそカウンセラーという専門の仕事についている人間がいるのですから、ぜひ、精神科で停まらずに、カウンセリングの門も叩くようにしてくださると、自己憐憫という難物がとれるばかりではなくて、自分の生き方に確信を持てるようになってきます。ここがカウンセリングの最も得意とする分野です。どうぞ、心が疲れたなあ、と思ったら、カウンセリングを受けてみてください。きっと生きる達人になれますよ。

〇推薦図書「心の悩み外来」野村総一郎著。NHK出版生活人新書刊。いろいろな心の病の症状が読みやすいかたちで書かれていますから、自分の心が疲れているかなあ、と感じたら、自分はいまどの症状に近いのかが分かる安心感が生まれます。ここから治療を始めればよいのです。

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