○よろしくないこと。すばらしかったこと。
京都はもう今日は山鉾巡行の日。暑苦しい。息がつまりそうだ。よろしくないことが二つ。一つは、京都の街中は、至るところ歩行者天国。どこをどう勘違いしているのかは知らないが、歩行者天国でもない普通の路を誰憚ることなく横に広がって歩く輩が多い。自転車に乗っている者としては、当然、危険だから呼び鈴を鳴らす。するとどうだ!アホウなおっさんが、下品な声でオラ―と怒鳴る。自転車で通り過ぎたからいいようなものの、理性で抑えるのが困難なくらいに、腹が立った。もう一つ。アマゾンのページにJavariという靴のネットショップがあるのをご存じだろう。そこでは過去に何足も靴を買っているが、一足だけ足に合わないものがあり、諦めかけていて、とりあえず問い合わせてみたら、一年以内なら、全額返品に応じるというから、一度しか履いていないので送ったら、8400円の代金の10%しか返金しないというメールが来た。返品に関する注意書きを読んでみたら、使用済みのものは、返金額が10%なのだと書いてある。が、たとえ何度も使用したものであっても、たった10%程度の金ほしさに誰が返品するのだろうか、ね?実際には一度しか足を通していないのに、使用済み扱い。まるで詐欺商法ではなかろうか。文書にしていれば、何でも法的に有利だと言わんばかりだ。こういうことならば、友人にでも差し上げる。バカにしている。みなさんもネットショップで靴を購入される方が多いとは思うが、
Javariだけは、お薦めできない。殆ど詐欺商法に近いと思うからである。
すばらしかったこと。これを先に書くべきだった。草間彌生の特集をテレビで観た。天才画家だが、彼女は10歳のときに統合失調症を患って、現在84歳で、ずっとその病を引きずったまま、絵を書き続けている。40歳半ば以来、20年くらい殆ど忘れ去られた画家だったが、現在は、草間の作品は世界中に展示され、高値で売れ、世界の抽象画家の代表的な一人として認知されている。青森県は、草間の作品を街中に散りばめて、街おこしの目玉にしているくらい有名な画家だ。盆踊りは草間の水玉模様のオブジェのまわりで、草間お気に入りの真っ赤なボブのカツラを被っておばさんたちが踊る。ともあれ、彼女は、世界の草間として評価されている日本の数少ない抽象画家だ。病と歳のせいだろうか、歩くのも不自由で車椅子。ともかくしんどそうなのだが、いざ作品に集中するや、手許が狂うなどということは一切ない。次々に珠玉のごとき作品が生み出される。なによりすばらしいのは、これだけ世界に認められていれば、少しは傲慢なところが出てくるものなのだろうが、彼女は、自分の作品が評価されると、素直な少女のように喜んでその評価を受けるのである。そして、作品は一旦描き終えたら、当然のように草間の手から離れて、輝くような芸術作品になる。そういう目で自分の作品をいとおしそうに眺める草間の表情は歳老いて、なおさら美しい。無論作品はさらに美しい。素直で欲得などさらさらないように見えて、創作意欲に関してはあくまでどん欲そのものである。何のためらいもなく、彼女は抽象画家として世界一になるのだ、とぼそっと口にする。それがとても自然で、そこに彼女の天才性を見る想いがする。草間の名言は数多いが、「わたしは、ここにいるけど、いない」という言葉は、草間の創作と病に関わる深い絶望でもあり、かつ、希望でもある。つまりは、彼女の作品の中に草間その人の芸術性は確かに在るが、しかし同時に、その芸術性は、完成すれば草間の個性が普遍化され、彼女の水玉模様の画風は、宇宙の彼方へと凄いスピードで飛び立っていくような存在であることの証左。宇宙の彼方への飛翔の言葉として、僕の裡に入ってきた。少なくとも僕は、草間の上記の言葉をそのように解釈したい、と思う。病との闘いそのものが、草間の芸術作品を生みだす原動力でもあるように見える。ずっと生きて、沸き立つような水玉模様を僕たちに投げかけ続けてほしいものである。今日の観想とする。
京都カウンセリングルーム
アラカルト京都カウンセリングルーム
長野安晃
京都はもう今日は山鉾巡行の日。暑苦しい。息がつまりそうだ。よろしくないことが二つ。一つは、京都の街中は、至るところ歩行者天国。どこをどう勘違いしているのかは知らないが、歩行者天国でもない普通の路を誰憚ることなく横に広がって歩く輩が多い。自転車に乗っている者としては、当然、危険だから呼び鈴を鳴らす。するとどうだ!アホウなおっさんが、下品な声でオラ―と怒鳴る。自転車で通り過ぎたからいいようなものの、理性で抑えるのが困難なくらいに、腹が立った。もう一つ。アマゾンのページにJavariという靴のネットショップがあるのをご存じだろう。そこでは過去に何足も靴を買っているが、一足だけ足に合わないものがあり、諦めかけていて、とりあえず問い合わせてみたら、一年以内なら、全額返品に応じるというから、一度しか履いていないので送ったら、8400円の代金の10%しか返金しないというメールが来た。返品に関する注意書きを読んでみたら、使用済みのものは、返金額が10%なのだと書いてある。が、たとえ何度も使用したものであっても、たった10%程度の金ほしさに誰が返品するのだろうか、ね?実際には一度しか足を通していないのに、使用済み扱い。まるで詐欺商法ではなかろうか。文書にしていれば、何でも法的に有利だと言わんばかりだ。こういうことならば、友人にでも差し上げる。バカにしている。みなさんもネットショップで靴を購入される方が多いとは思うが、
Javariだけは、お薦めできない。殆ど詐欺商法に近いと思うからである。
すばらしかったこと。これを先に書くべきだった。草間彌生の特集をテレビで観た。天才画家だが、彼女は10歳のときに統合失調症を患って、現在84歳で、ずっとその病を引きずったまま、絵を書き続けている。40歳半ば以来、20年くらい殆ど忘れ去られた画家だったが、現在は、草間の作品は世界中に展示され、高値で売れ、世界の抽象画家の代表的な一人として認知されている。青森県は、草間の作品を街中に散りばめて、街おこしの目玉にしているくらい有名な画家だ。盆踊りは草間の水玉模様のオブジェのまわりで、草間お気に入りの真っ赤なボブのカツラを被っておばさんたちが踊る。ともあれ、彼女は、世界の草間として評価されている日本の数少ない抽象画家だ。病と歳のせいだろうか、歩くのも不自由で車椅子。ともかくしんどそうなのだが、いざ作品に集中するや、手許が狂うなどということは一切ない。次々に珠玉のごとき作品が生み出される。なによりすばらしいのは、これだけ世界に認められていれば、少しは傲慢なところが出てくるものなのだろうが、彼女は、自分の作品が評価されると、素直な少女のように喜んでその評価を受けるのである。そして、作品は一旦描き終えたら、当然のように草間の手から離れて、輝くような芸術作品になる。そういう目で自分の作品をいとおしそうに眺める草間の表情は歳老いて、なおさら美しい。無論作品はさらに美しい。素直で欲得などさらさらないように見えて、創作意欲に関してはあくまでどん欲そのものである。何のためらいもなく、彼女は抽象画家として世界一になるのだ、とぼそっと口にする。それがとても自然で、そこに彼女の天才性を見る想いがする。草間の名言は数多いが、「わたしは、ここにいるけど、いない」という言葉は、草間の創作と病に関わる深い絶望でもあり、かつ、希望でもある。つまりは、彼女の作品の中に草間その人の芸術性は確かに在るが、しかし同時に、その芸術性は、完成すれば草間の個性が普遍化され、彼女の水玉模様の画風は、宇宙の彼方へと凄いスピードで飛び立っていくような存在であることの証左。宇宙の彼方への飛翔の言葉として、僕の裡に入ってきた。少なくとも僕は、草間の上記の言葉をそのように解釈したい、と思う。病との闘いそのものが、草間の芸術作品を生みだす原動力でもあるように見える。ずっと生きて、沸き立つような水玉模様を僕たちに投げかけ続けてほしいものである。今日の観想とする。
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