ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

とうとう来たか?

2007-06-26 23:57:24 | Weblog
この2週間ほど、体調がすぐれない。体中に溜まった澱のような疲労感が、いつも抜けずに、実に嫌な気分で過ごしてきた。精神的には健康である。ただただ体調が思わしくない。肩凝りが抜けない。歯ぐきが腫れて重い痛みがある。仕事が終わるとすぐに横になりたがる。横になると本を読んでいたつもりが、数時間も眠りこけている。眠っているのに頭がクラクラして、ふっと目が醒めたりする瞬間がある。殆ど運動らしきことをしなくなってから、10年近くなるから、少し長く歩いても、その疲れが数日残る。悪くすると、体中に筋肉痛が数日後に出てきて気分が悪い。この10年間、医者に行ったのは3度だけだ。一度目は訳の分からない熱が出て、京都の第二日赤の病院に駆け込んだが、まるで相手にされなかった。38度代の熱が1週間以上も続いているのに原因が分からず、何の手当てもされず、あの時は春先だったから、まだ膚寒い中に放りだされた。医者の指示は、40度くらいの熱が出たら、もう一度来てくれ、というものだった。2度と行くか ! 40度も熱が出たら病院になんか行く気力もなくなるよ。せめて気慰めの生理的食塩水にビタミンとぶどう糖でも混ぜて点滴でもしろよってぶつぶつ言いながら帰宅した。あの時はそれからも1週間くらい熱で悩まされて、自然治癒した。2度目はさし歯が取れたので、その治療に何度か近所の歯科医に通った。3度目は瞼の奥に小さなでき物ができて、不快なのでこれも近所の眼科医で取ってもらった。30代の頃網膜に二箇所穴が空いていて、レーザーで塞いだことがあって、その後遺症で、文字を読むと前にのめり込むような気分になった。ともかく目が痛くて瞼を空けていられなかった。教師時代だったが、最低限の仕事だけをして、早めに帰宅するだけだった。その頃の記憶があって、また網膜がやられたか、と思ったのである。網膜に穴が空いていた当時、まったく本が読めなかった時期が数カ月あったので、諦めて、クラシック音楽にのめり込んだ。音楽というものの奥の深さに生まれて初めて触れたような気がした。僕には音楽の才能はまるでないが、何故かすばらしい演奏家かどうかの区別はついたので、たぶん僕は音楽というものを、頭の中で文字に置き換えて理解していた可能性がある。お蔭で、音楽の趣味は断然よくなった。この10年間で、医者に通ったのはそれくらいか、と記憶している。健康診断は教師を辞めて以来、この10年間、一度も受けていない。何だか早期発見、早期治療というスローガンがウソくさく思えたからである。来るときが来たら、それを受容するしかないか、と漠然と思っていた。
この7月で54歳になる。僕の親父は58歳で亡くなっているから、そこまでも行かないのかも知れない。あるいは今回の気分の悪さは男にもあるという更年期障害というものの現れなのかも知れない。まあ、どちらであっても、別の何かであったもよいが、この気分がすぐれない、というのはいまの僕にはつらい。そろそろ人生の総括期に入ったな、という感覚とともに、読書欲が若いころ以上にブリ返してきた幸運に喜んでいた矢先の体の崩れだったからである。まあ、残念なことといえばそれだけである。どのようなことにも、もう抗わない。僕の人生、抗いの歴史だったからである。せめて、人生の終盤では、何でも素直に受容しよう、と思っている。正直に言うとこの2週間はブログを書き続けることも苦痛だった。だから最近のブログの出来は極端に悪いのではないか、思う。いつも辛抱して付き合ってくださっている読者の方々には申し訳ない、といつも感じてきた。お詫びに今日は推薦図書を4冊紹介します。それで許せるものなら許してください。さっきまで仕事が終わって、夕食を少なめにとってから、ずっと寝てしまっていました。今日のブログはこれで精一杯です。ご容赦を。

○推薦図書 内海隆一郎の作品を4冊紹介します。人生の総括のためには欠かせない作家だ、と思います。単なる僕の心境がそう言わせているのですが、生は切なくて、あっと言う間に過ぎ去り、過ぎ去ったものの大切さを感じたとき、人生の終盤に来てしまっている居心地の悪さ、というか居心地の良さというか。そんな作品群です。内海の文章は卓抜です。4冊ともに読んでほしい作品です。「郷愁」・「風のかたみ」(光文社文庫) 「風の渡る町」(小学館文庫) 「人々の坂道」(彌生書房:単行本) の4冊を推薦します。

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