本日午後2時、石綿じん肺遺族労災補償請求不支給の取り消しを求めて提訴していた田平加津子さんの判決が宮崎地裁202号法廷でありました。
民事第2部の島岡大雄裁判長は、「主文1、都城監督署長が原告に対し、平成19年12月20日付でした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す」「2、訴訟費用は被告の負担とする」とたんたんと読み上げ原告勝訴の判決を言い渡しました。裁判所前には支援の人たち60人が集まり、「勝訴」の垂れ幕が広げられると大きな拍手が沸き起こりました。
石綿ばく露が原因の石綿肺を間質性肺炎と診断
原告の夫である故秋俊さんは、1971年から2004年まで34年間、自動車整備工として働き、ブレーキライニング、クラッチフェーシングなどに使用された石綿のばく露を受け、03年12月から呼吸困難などに苦しんで治療を続けましたが、06年2月21日死亡しました。加津子さんは夫の死は石綿ばく露が原因であるとして、都城労基署に遺族補償の申請を行いましたが、死因は間質性肺炎であるという理由で不支給にされ、審査請求、再審査請求でも棄却されていたものです。秋俊さんは、7か所もの病院で原因不明の間質性肺炎と診断されていました。
原告主張を認め、国の主張を退ける
争点は、石綿のばく露を高濃度に受けていたのか、石綿じん肺の病像が認められるのか、石綿ばく露が死因であったのかなどですが、裁判所は何れの争点についても原告の主張を認めました。
成見暁子弁護団事務局長は「裁判長の言葉は理解しにくかったと思いますが、主文が都城監督署長の決定を取り消すという文言になりました。敗訴であれば棄却で終わりでした」とユーモアいっぱいに解説しました。
山田卓弁護士は「いくつもの病院で、特発性間質性肺炎と診断されていた。アスベストにばく露していたということがわかっていれば、石綿肺と診断していたのかを7人の医師にアンケートを取ったところ、6人の医師が石綿肺を否定しないという意見書を出したが裁判所はきちんと認めた」「国側の医師たちは石綿肺を否定したが、裁判所はことごとく退けた」と感想を述べました。
みなさんのご支援のお蔭です・・加津子さん喜び語る
宮崎弁護士会館で開かれた報告集会で、加津子さんは「私一人では、ここまでくることはできなかった。みなさんのご支援のお蔭です」と喜びを語りました。
建交労長崎分会の中里研哉書記長は「5月24日に同地裁で判決がある川名訴訟にとっても意義がある判決」と述べました。また、大分分会の川路潔書記次長は「大分でも今山さんの裁判をやっている。ぜひ勝利したい」と決意を表明しました。
裁判の支援を続けてきた宮崎革新懇の代表、平和委員会の代表が次々と勝利判決の意義を述べました。宮崎分会の舩越正一書記長と熊本分会の高田正矢書記長は「アスベスト問題はいまからどんどん広がっていく。今回の判決は全国を大いに励ます」と語りました。
宮崎農林支部の岡崎秋雄委員長は「秋俊さんとは以前から知り合いで、じん肺で苦しむ姿を見てきた。認められて大変うれしい。これからも被災者救済に頑張っていく」と表明しました。
川名訴訟の原告川名勝代さんは「私の裁判にも希望が湧いてきました。ご支援をよろしくお願いします」と支援を訴えました。
宮崎地裁前
喜びを語る加津子さん
引き続き支援を訴える川名勝代さん
民事第2部の島岡大雄裁判長は、「主文1、都城監督署長が原告に対し、平成19年12月20日付でした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す」「2、訴訟費用は被告の負担とする」とたんたんと読み上げ原告勝訴の判決を言い渡しました。裁判所前には支援の人たち60人が集まり、「勝訴」の垂れ幕が広げられると大きな拍手が沸き起こりました。
石綿ばく露が原因の石綿肺を間質性肺炎と診断
原告の夫である故秋俊さんは、1971年から2004年まで34年間、自動車整備工として働き、ブレーキライニング、クラッチフェーシングなどに使用された石綿のばく露を受け、03年12月から呼吸困難などに苦しんで治療を続けましたが、06年2月21日死亡しました。加津子さんは夫の死は石綿ばく露が原因であるとして、都城労基署に遺族補償の申請を行いましたが、死因は間質性肺炎であるという理由で不支給にされ、審査請求、再審査請求でも棄却されていたものです。秋俊さんは、7か所もの病院で原因不明の間質性肺炎と診断されていました。
原告主張を認め、国の主張を退ける
争点は、石綿のばく露を高濃度に受けていたのか、石綿じん肺の病像が認められるのか、石綿ばく露が死因であったのかなどですが、裁判所は何れの争点についても原告の主張を認めました。
成見暁子弁護団事務局長は「裁判長の言葉は理解しにくかったと思いますが、主文が都城監督署長の決定を取り消すという文言になりました。敗訴であれば棄却で終わりでした」とユーモアいっぱいに解説しました。
山田卓弁護士は「いくつもの病院で、特発性間質性肺炎と診断されていた。アスベストにばく露していたということがわかっていれば、石綿肺と診断していたのかを7人の医師にアンケートを取ったところ、6人の医師が石綿肺を否定しないという意見書を出したが裁判所はきちんと認めた」「国側の医師たちは石綿肺を否定したが、裁判所はことごとく退けた」と感想を述べました。
みなさんのご支援のお蔭です・・加津子さん喜び語る
宮崎弁護士会館で開かれた報告集会で、加津子さんは「私一人では、ここまでくることはできなかった。みなさんのご支援のお蔭です」と喜びを語りました。
建交労長崎分会の中里研哉書記長は「5月24日に同地裁で判決がある川名訴訟にとっても意義がある判決」と述べました。また、大分分会の川路潔書記次長は「大分でも今山さんの裁判をやっている。ぜひ勝利したい」と決意を表明しました。
裁判の支援を続けてきた宮崎革新懇の代表、平和委員会の代表が次々と勝利判決の意義を述べました。宮崎分会の舩越正一書記長と熊本分会の高田正矢書記長は「アスベスト問題はいまからどんどん広がっていく。今回の判決は全国を大いに励ます」と語りました。
宮崎農林支部の岡崎秋雄委員長は「秋俊さんとは以前から知り合いで、じん肺で苦しむ姿を見てきた。認められて大変うれしい。これからも被災者救済に頑張っていく」と表明しました。
川名訴訟の原告川名勝代さんは「私の裁判にも希望が湧いてきました。ご支援をよろしくお願いします」と支援を訴えました。
宮崎地裁前
喜びを語る加津子さん
引き続き支援を訴える川名勝代さん