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ニケとみかんは食べているか、寝ているか・・・、後は2匹で取っ組み合いをしているかです。殆どニケが上に乗っかっています。走り回る速さは、目にも留まらぬという感じです。常に下になって足蹴りで抵抗しているみかんについ肩入れしたくなってしまいます。
作家つながりで、今日は芥川龍之介を書きたいと思います。
私が感銘を受けて、色々考えるきっかけになったのは、「或阿呆の一生」の夏目漱石について書いた十段・十一段と十三段です。その中で漱石の思考法というか作品についてと、そして漱石が芥川にとって、重石であると共に防護壁でもあったんだろうな~と推測できたのです。
漱石の作品について芥川は「平衡(へいこう、釣り合っている事)だ」といっています。私の思考法もこの「平衡」であるように心がけています。
社会の理想と現実の違い、ギャップ。それは現在の社会情勢よりもはるかに大きかったと思います。突き詰めて考えていけばいくほど、絶望感が支配したと思います。頭の良い漱石も突き詰めて考えたと思います。それでも解決策の無い問題もあったと思います。そういう問題にあった時どうするか?漱石は、そういう事もある、と割り切ったのではないでしょうか。そういう矛盾(ちょっと言葉が違うかもしれません)は笑いや風刺という形で作品の中に取り入れられたように思います。
長所ばかりの人はいないように、短所ばかりの人もいない。人の欠点ばかり見るのではなく、良い部分も見てあげる。人には欠点があって当たり前なんだ、と割り切れば随分人との接し方も楽になります。広い視野で、多角的に見る。偏ったものの見方をしない。人間のやる事に完璧な事はたぶん ( すいません。自信がないので、たぶんです ) 一つとしてない、と思っています。
芥川にとって漱石の死は私達の父や母の死に近いものなのじゃないかと思いました(それ以上だとは思いますが)。誰よりも私達を庇護してくれる存在であると同時に、その存在ゆえに自由な行動も出来ない。叱られたり、失望させる事に対しての恐怖もあったと思います。
その重石となっていた漱石の死を境に、平衡な考え方が出来なくなったのかな~と思います。
うつで昨年の9月に弟のように接していた友人を自殺でなくしました。いつか詳しく書く時もあると思いますが(書かなければならないように思います)、生活苦からでした。彼の心の中は彼自身しか分りません。ただその生活や彼との会話の中に少しは、彼を引き止める事が出来たタイミングもあったように思います。もう少し、もう少しな~と思います。こんな思いを私がするのは彼の罪です。人に迷惑をかけない自殺などは無いのです。物的にしても、精神的にでも人に迷惑をかけてはいけない!死んではいけないのです。辛くても生きていかなければなりません。生きていく事に意義があるのだと思います。
芥川や太宰、三島由紀夫そしてあの川端康成さん迄、優秀だという人たちが自ら命を絶ちました。突き詰めて考えても答えが分らないものは・・・私は全て神様のせいにしています(神様ごめんなさい)信心深い人たちには怒られるかもしれませんが、神様は心が広いので、きっと許してくださると思っています。
今日は少し堅い話になりました(元々少し固いんです。すみません)明日はもう少しポジティブな、明るい話を書きたいですね。
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今日採れた我家のブルベリーです。約一キロ。今年はこれが三回。手前のは500円玉と同じ大きさです。
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