
別れた奥さんは飲食店のバイトと生活保護で子供三人を頑張って育ていました。一方のO君は警察官の頃からの持病である通風のせいもあって派遣や、営業の仕事は中々長続きしませんでした。
自己破産から一年、最後の砦のように大事にしていた家が、競売で人の手に渡りました。それを境に音信不通になりました。O君と同期の警察官からたまに情報が入りましたが、仕事をコロコロと替えているらしいという、あまり嬉しくない情報でした。
彼と偶然の再会をしたのは昨年の正月でした。仕入れに行ったスーパーで、少しふっくらとして小ざっぱりとした身なりのO君を見たときは驚きました。以外に優雅そうだったのです。話を聞くと・・・女性の部屋に転がり込んで・・・つまり・・ひも・・と言うか、その女性の主夫をしていると言うのです。内心少しガッカリしましたが、ま~仕方ないかな~とも思いました。店の方へ顔を出すように(外交辞令ポカッタかもしれませんね)言ってその時は別れました。
O君の同期の警察官の間では、結構この主夫に関して知られていました。そしてみんな、O君とは距離を置き始めたのです。
偶然の再会から三ヶ月ほどしてO君が店にやってきました。彼女とは別れた事。実家に戻った事。相変わらず仕事が見つからない事。子供に会いたいが、別れた奥さんが中々会わせてくれない事。これらを口ごもりながら話していきました。私にできる事は、話を聞いてあげる事と、温かい食事を(彼はカレーが好きだったので、いつもカツカレーでした)出してあげる事しかできませんでした。
そんな来店が三回ほどした頃、彼が明るい顔をして現れました。別れた奥さんがたまに子供と会う事を許してくれた事と、仕事が見つかりそうだという事でした。子供がパソコンを欲しがっているので、何とか買ってやる為にも頑張らなければならない、と張り切っていました。
その後彼から電話で頼まれごとをされた事がありました。事業を始めたい友人が居るが、自己破産をしているので、私の知り合いの銀行マンを紹介して欲しい、という内容でした。O君自身のことかなと思いましたが、もし私がそんな紹介をしたら、私自身の人格が疑われます。きっぱりと断りました。
O君が最後に我が家に来たのは(最後に会ったのは、という事になりますね)7月の末でした。名刺を差し出しました。そこには「日は又昇る」と言う意味の会社名と、代表取締役で、O君の名前が刷られていました。仕事の内容を聞くと、ホームページの制作だといいます。 悪徳商法!とすぐに思いました。だって彼がパソコンに強いなんて話しは今まで聞いたこともなく、巷では、ホームページの開設と作成の請負を謳ったほとんど詐欺的商法が問題になってきていましたから。
彼にその話をしても、「いやそんなのとは違うんだわ」と聞く耳を持ちません。開設の時に5万円、1ページ作成すれば2万円と、とらぬ狸の・・なんとやらです。あせっているな~、という感じでした。いつものようにカツカレーを食べさせると、いつものように「お金は?」と言ってきました。私もいつものように「お金なんか要らないよ。又おいで。ご飯ならいつでもご馳走するから」と答えて、別れました。これが最後の会話になりました。
9月11日だと思います。電話に出ると「Oの姉です。Oが亡くなりました」という悲しい知らせでした。妻と二人初めてO君の実家を尋ねました。家の前には小さいですが整然と野菜の畑が作られていました。
すでに荼毘に付されていて、O君の顔を見ることは出来ませんでした。7日の日に倉庫で首をつっていたそうです。遺書には葬儀を身内だけでして、葬儀が終わってから、学生時代の友人と、私に連絡してくれとあったそうです。
家の中には虚脱感が漂っていました。彼はお姉さんが二人と妹一人の四人兄弟の中のただ一人の男子でした。彼の実家自体も自己破産になり、家の立ち退き問題が発生していたそうで、お父さんが前年に亡くなり、少し痴呆気味のお母さんをO君とお姉さんとで面倒見ていたそうです。O君の双肩に全てがのしかかってきていたようです。
ホームページの仕事を始めてからほとんど寝ていなかったようです。いつ来るとも知れない注文をとり損なわない様に・・ジッとディスプレーを見つめていたそうです。やはり、悪徳商法の犠牲になっていたようで、多額の借金を闇金からしていたそうです。悪徳商法も、闇金もどちらも警察官ならその怖さが良く分っていたはずですが・・・やはり、切羽詰っていたんですね。
O君はうつだったそうです。お姉さんが残念がっていました。お姉さんのご主人もうつで病院にかかっていて、その症状がO君の生前の姿と同じだったそうです。ですが、家族の前で明るく振舞うO君に、ついつい病院に行くよう勧められなかったと、お姉さんは残念がると共に、自分を責めていました。
私からO君の死を聞いたO君の同期の警察官達は非常に悔やんでいました。もっと何かしてあげられたのじゃないかと。別れた奥さんや子供達にも深い大きな傷跡を残しました。
私は・・・私は自分を責める事はしません。自分で出来る範疇では、出来うる限りの事をしたと思っているからです。それでも・・・やはり、このやるせなさは・・・一年たっても消えません。
日本の昨年の自殺者は34000人位でしょうか。その内7000人位がうつだそうです。世界を見れば(アフリカは統計がないそうです)ロシアから分離独立したような国内の民族紛争している国が上位にきますが、日本は6位だそうです。これは先進国の中ではトップとの事で・・なんでなのかな~と思いますね。リトアニアやベラルーシの自殺者と、日本の自殺者じゃ内容が違いますよね。あと中近東では比較的自殺者が少ないようです。これはイスラムの教えのお陰なんでしょうか。キリスト教も自殺はご法度のはずなんですが・・それでもいるようですね。宗教も多少は影響しているのかなとも思います。宗教や思想・哲学など、ともかく何故自殺がダメなのか、という根源的な部分をもっと認知させるべきだと思いますね。
O君の苦しみは、O君にとっては、死、を迎えた時点で消えたのでしょうが、O君の周りの多くの人に悲しみと苦しみ、そして切なさを作りました。
O君の家の野菜は彼が作っていたそうです。彼の律儀な性格そのままに、畑はきれいに手を入れられていました。今年は畑はどうなっているのか・・・。一周忌の案内は来ませんでした。
