きょうは皆でリハビリをした病院へ行ってきた。最寄りの駅で待ち合わせだ。
僕は朝からウキウキして予定の時間より早く家を出てしまった。
今日の事はMさんが、骨を折ってくれて皆に知らせてくれた、感謝でいっぱいである。
先日、お会いした時より良くなったのだろうか。
他の皆さんも、歩けなかった人、手が巧く動かなかった人など良くなってきたのだろうか。
皆さんの事を思い浮かべると次々と気になっていた。
電車を降り、ホームにある階段を上がると改札があるらしい。
まだ約束の11時15分より20分近く早い。
入院はしていたのだが電車で来るのは初めてだった。
治療していた病院からは、介護タクシーで来た、外泊や退院の時は息子の車で送ってもらったので、
なんだか新鮮な気持ちで階段を上がっていた。
上がりきると広いホールがあり、その向こうに改札が見えた。
あれっ!よく見ると、笑顔でこちらを見ている人がいる。
Mさん夫婦だった。
もう来ている、と、前を歩いている人の影から手を振ると、こちらを見て初めて気がついたような顔した。
変だな、と思ったら前に歩いていた人は、Iさんだった。
すると、Mさんの横にはKさん夫婦が、改札の向こうには帽子にサングラスのHさん、その隣にはOさん夫婦がいた。
なんの事は無い、早いどころか僕が一番最後だった。
みんなも楽しみだったのだろう、早くから来ていた。
きれいだがこの時間は人もまばらで殺風景な駅だったのだが、僕には急に暖かなキラキラした空間に見えた。
ワイワイガヤガヤとバスに乗り昼食場所の寿司屋さんへ、病院のすぐ下にある。
当然、繁華街から外れた山の中にあるのに結構混んでいるのだ。
おいしいお寿司だった、なによりも皆で食べるとおいしい。
考えてみるとこの人たちとはあの病院の食堂で、何度も一緒に食事をした。
でも、決してこんな立派なお寿司は出なかった、出たのは、赤いでんぷ、黄色い卵の、甘いちらし寿司だった。
退院したらお寿司を食べよう、いや、ステーキだとか言っていた。
こんな日が来るとは考えもしなかった。
訓練で杖をつきながら歩いた坂を上がり、懐かしいA4病棟へ
そこには都合で遅れてくると言っていたTさんがもう待っていた、お元気そうだ。
この人は退院してから介護の等級があがったと言っていたので、具合が悪いのかと心配したが、そんなことはないようなのでほっとした。
体も大きいし歳も皆の中で上なので我々を引率してきた先生の様だった。
お世話になった看護師さんが笑顔で迎えてくれた。
あんなに献身的に介護してくれた事は忘れることはできない。
夜中に入院患者が具合悪くなり心臓が停止した時があった、その時H看護師は名前を呼びながら人工呼吸をし、その人は蘇生した。
普段は楽しい冗談ばかり言う方だったが、いざというときの迫力は凄いものだった。
リハビリの先生達をなんとか捕まえて挨拶した。僕達の体をとても理解してくれていた。
僕も久しぶりに作業療法士のS先生に会えた。肩が痛む事を言うと心配してくれてマッサージをしてくれた。
もう退院しているのに、有難いことだ。
こんな看護師さん、療法士さん達が居たからこそみんな、元気になれた。
私達がもっと、もっと元気になることがこの人たちが喜んでくれる事なのだろう。
今度、この病院に来る時はもっと元気になってこようと思った。
この病院は私達の 大好き なのだ
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僕は朝からウキウキして予定の時間より早く家を出てしまった。
今日の事はMさんが、骨を折ってくれて皆に知らせてくれた、感謝でいっぱいである。
先日、お会いした時より良くなったのだろうか。
他の皆さんも、歩けなかった人、手が巧く動かなかった人など良くなってきたのだろうか。
皆さんの事を思い浮かべると次々と気になっていた。
電車を降り、ホームにある階段を上がると改札があるらしい。
まだ約束の11時15分より20分近く早い。
入院はしていたのだが電車で来るのは初めてだった。
治療していた病院からは、介護タクシーで来た、外泊や退院の時は息子の車で送ってもらったので、
なんだか新鮮な気持ちで階段を上がっていた。
上がりきると広いホールがあり、その向こうに改札が見えた。
あれっ!よく見ると、笑顔でこちらを見ている人がいる。
Mさん夫婦だった。
もう来ている、と、前を歩いている人の影から手を振ると、こちらを見て初めて気がついたような顔した。
変だな、と思ったら前に歩いていた人は、Iさんだった。
すると、Mさんの横にはKさん夫婦が、改札の向こうには帽子にサングラスのHさん、その隣にはOさん夫婦がいた。
なんの事は無い、早いどころか僕が一番最後だった。
みんなも楽しみだったのだろう、早くから来ていた。
きれいだがこの時間は人もまばらで殺風景な駅だったのだが、僕には急に暖かなキラキラした空間に見えた。
ワイワイガヤガヤとバスに乗り昼食場所の寿司屋さんへ、病院のすぐ下にある。
当然、繁華街から外れた山の中にあるのに結構混んでいるのだ。
おいしいお寿司だった、なによりも皆で食べるとおいしい。
考えてみるとこの人たちとはあの病院の食堂で、何度も一緒に食事をした。
でも、決してこんな立派なお寿司は出なかった、出たのは、赤いでんぷ、黄色い卵の、甘いちらし寿司だった。
退院したらお寿司を食べよう、いや、ステーキだとか言っていた。
こんな日が来るとは考えもしなかった。
訓練で杖をつきながら歩いた坂を上がり、懐かしいA4病棟へ
そこには都合で遅れてくると言っていたTさんがもう待っていた、お元気そうだ。
この人は退院してから介護の等級があがったと言っていたので、具合が悪いのかと心配したが、そんなことはないようなのでほっとした。
体も大きいし歳も皆の中で上なので我々を引率してきた先生の様だった。
お世話になった看護師さんが笑顔で迎えてくれた。
あんなに献身的に介護してくれた事は忘れることはできない。
夜中に入院患者が具合悪くなり心臓が停止した時があった、その時H看護師は名前を呼びながら人工呼吸をし、その人は蘇生した。
普段は楽しい冗談ばかり言う方だったが、いざというときの迫力は凄いものだった。
リハビリの先生達をなんとか捕まえて挨拶した。僕達の体をとても理解してくれていた。
僕も久しぶりに作業療法士のS先生に会えた。肩が痛む事を言うと心配してくれてマッサージをしてくれた。
もう退院しているのに、有難いことだ。
こんな看護師さん、療法士さん達が居たからこそみんな、元気になれた。
私達がもっと、もっと元気になることがこの人たちが喜んでくれる事なのだろう。
今度、この病院に来る時はもっと元気になってこようと思った。
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