月、火は休肝日、じいさんにとって今日は酒が飲める楽しい水曜日。週休二日にして酒の楽しさが前よりもよくわかったとじいさんは言っている。昔からじいさんは酒が好きだったが、6畳一間の木造アパートで初めて所帯を持った頃、家で酒を飲むのは土曜日だけ、それもビール一本であった。あのビールは実にうまかった。3DKの小さな建て売り住宅を買った後、いつ頃からか、家でも毎日酒を飲むようになっていた。ウイスキーの水割りも飲み始めた。ウイスキーはサントリーの”レッド”だった。“オールド”や”角瓶”などは身分不相応の高級品だと思っていた。
その頃、初めて海外出張でヨーロッパに行った。帰りにロンドンの空港で“ホワイトホース”と“ジョニーウオーカー”を2本づつ買った。税関に正しく申告し1本分関税を払った。おみやげとして3本は人に配り、残った1本を大事に大事に飲んだ。あの頃、成田には空港はなく羽田だった。成田には、のどかな牧場があった。京成成田の駅からバスに乗って遊びに行き、草の上に寝転んで青い空を眺めたこともあった。
そんな時代もあった。遠い昔のことのようでもあり、ついこの間のことのような気もする。じいさんは年を取ったが、サントリーレッドのラベルは、今日買い物に行ったスーパーで見たが、当時と変わっていないように見えたがどうなのであろうか。
今朝、エナガの群が去った後、歯を磨きながらじいさんが外を眺めていると、むくむく、丸々した不思議な鳥が一羽、木にとまっている。カメラを取り出し写真を撮りながら、じいさんはばあさんにも見せてやろうと呼んだ。その声にガラスの向こうの鳥も驚いたのか飛んで行ってしまった。が、しばらくすると又戻って来た。よく見るとアオゲラである。最初見たのは正面からで頭の赤がよく見えなかった。アカゲラだけでなくアオゲラもなんども見たし写真も撮った。しかし、きょうのアオゲラは今までのアオゲラと感じがかなり違う。今まで見たアオゲラは頭の赤が長く、じいさんはそれを ”チョンマゲ” と言っていた。今日のアオゲラはチョンマゲのようには見えない。図鑑で調べてみると、これは雌である。赤いチョンマゲの雄はユーモラスで喜劇役者のように見えるが、雌は可愛い。そう言えば昔、「許してチョンマゲ』とギャグを言っていた役者がいたように思うが、あれは財津一郎だったであろうか。
その後、今朝は歯医者に行った。先週ばあさんが予約していた。約半年ごとに行って、健診、歯石を取ってもらっている。じいさんはグウタラだが、ばあさんはしっかり者、こんなこともきっちりやってくれる。この歯医者さんの前を車で通って初めて見た時、こんな山の中に医院を作って来る人がいるのだろうか、と疑問に思った。ところがどうして、たいへん流行っている歯医者さんである。じいさんとばあさんも評判を聞いて他の歯医者からここに変えた。いい歯医者さんだとたいへん満足している。
その後、今朝は歯医者に行った。先週ばあさんが予約していた。約半年ごとに行って、健診、歯石を取ってもらっている。じいさんはグウタラだが、ばあさんはしっかり者、こんなこともきっちりやってくれる。この歯医者さんの前を車で通って初めて見た時、こんな山の中に医院を作って来る人がいるのだろうか、と疑問に思った。ところがどうして、たいへん流行っている歯医者さんである。じいさんとばあさんも評判を聞いて他の歯医者からここに変えた。いい歯医者さんだとたいへん満足している。
じいさんは、昨夕、伊坂幸太郎 "オーデユボンの祈り" を読み終わった。奇妙な話、話が出来る”カカシ” が殺される。それがメインとなり展開するミステリー。登場人物も変わった人間ばかり。”オーデユボン” とはアメリカの鳥類学者だと分かり、鳥の保護を訴える話かと思ったが、それほど強くそのことは伝わって来ない。主人公も自分で言っているように、全くリアリテイの感じられない話。しかし、最近途中で読むのを止めてしまうことの多いじいさんを最後まで読ませる力を持っていた。これからの活躍が楽しみなユニークな才能を持っている作家のように思った。
今日は、午前中近くのスーパーに行って駅弁、山形は米沢の牛肉弁当を買って来た。午後はテレビで都道府県対抗駅伝女子。栃木は41位、残念。
午前中、今日はカケスが10数羽、南西の杉林の中から何度も現れて、この家の庭にもやって来て賑やかであった。午後は全く静かだった。春日八郎 ”別れの一本杉” でカケスの名前は知っていたが、初めて見たのは10年くらい前、日光の山に登ったと時だった。それ以後、この那須の地に引っ越して来るまでじいさんは見たことがなかった。
今日は、午前中近くのスーパーに行って駅弁、山形は米沢の牛肉弁当を買って来た。午後はテレビで都道府県対抗駅伝女子。栃木は41位、残念。
午前中、今日はカケスが10数羽、南西の杉林の中から何度も現れて、この家の庭にもやって来て賑やかであった。午後は全く静かだった。春日八郎 ”別れの一本杉” でカケスの名前は知っていたが、初めて見たのは10年くらい前、日光の山に登ったと時だった。それ以後、この那須の地に引っ越して来るまでじいさんは見たことがなかった。