爺さんの独り言

雑木林から街中に帰ってきた爺さん

貧者の一灯

2011年03月25日 | 日記
 ”頑張れ東北” そう祈るだけでは駄目でやはり何かしなければならない。節約だけではなくやはり義援金だ。そう思って気になっていた。昨日他の用事もあり郵便局に行ったら振替用紙が用意してあったので、ささやかながら義援金を出してきた。これで少し気が楽になった。中国にいる娘は既に二回かなりの金額の義援金を出したと言っている。今は勉強中で収入のない身であるが、自分の子供がこんな心を持った娘だということを嬉しく思っている。

 今朝の散歩でノスリに出会った。ノスリが住処としているのではないかと思っていたところの大きな杉の木が数十本切り倒されて、ノスリはどこかに行ってしまったのではないかと思っていたのだが、最近又姿をみせるようになった。





 今日はカケスが飛び交っているがなかなか近くまで来てくれない。これは何をくわえているのだろうか。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うばい合えば足らぬ

2011年03月24日 | 日記
 早稲田大学競争部のホームページで長距離選手の山野君が相田みつおの言葉を紹介している。「うばい合えば足らぬ わけ合えば余る』今の状況にあった良い言葉だ。テレビでスーパーから水が消えたと言っているが、今日午前中アミールS、等を買いに行ったマツモトキヨシにも水は無くなっていたようだった。帰りに牛乳を買いたいと寄ったコンビニにも水は無かった。我が家は年寄り二人、乳幼児はもちろんいないので水は今のところ問題ないのだが、これから先がちょっと心配ではある。雨が降るとこんな問題が起きるのではないかと、ばあさんんの留守中の月曜日にじいさんはガレージからポリタンクを持ち出し風呂場で水道水で満たした。ばあさんが帰って来たらそれを自慢しようと思っていたのだが、水を入れたポリタンクをそのまま風呂場に置いていた。ばあさんの留守中二日間燃料節約で風呂も沸かさなかったのだが、床暖房なのでポリタンクの水が少し暖まってしまったが、まあこれも使えるだろう。

 年寄り二人野菜中心の食事をしているのだが、畑のホウレンソウ、小松菜、どうしようか。これも年寄りは食べても大丈夫だろうが、ちょと迷うところだ。





 庭にはミニアイリスが咲き始めた。


   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好きな作家

2011年03月23日 | 日記
 好きな作家は誰か。あまり意識したことはなかったが崩れた本棚の整理をしていてそんなことを考えた。藤沢周平の本が一番多く41冊あった。その次は司馬遼太郎のようだ。その次となると本の数はずっと少なくはなるが、吉村昭、遠藤周作、瀬戸内寂聴、曾野綾子といったところ。吉村昭、この人ははっきり自分の好きな作家と意識している。小説だと言っても、実際に存在した人物が登場する小説を書く場合、間違ったことを書いてはいけないとよく資料をよく調べ、それでも分からないときは現地へ何度も行って調べて書いている。幕末の頃の資料は現地へ行くとまだ結構残っているとのことで、我がふるさとにも何度も行っているようだ。

 学生時代に読んだ世界の古典も何冊か残っている。一夏かけて読了した ロマン ロラン "ジャン クリストフ” は我が愛読書と思っていた頃もあったが、それはもう昔のこと、あのような長編をもう一度読んでみようという元気は今はない。時々ペラペラとページをめくってみる程度になってしまった。ドストエーフスキイ ”カラマーゾフの兄弟” はもう一度読んでみたいと思っている。 "シラノドベルジュラック” と “即興詩人” が見つからない。引っ越しの時かなり本を処分したのでその時間違えて捨ててしまったのかも知れない。

 我が庭にも蕗の薹が一斉に目を出し始めた。山菜の中でもこの香り、苦味が最高に好みなのだがもう今年は食べない方が良いのだろうか。


    

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミヤマホオジロ

2011年03月20日 | 日記
 裏庭に来始めた最初の頃は遠慮がちに遠くの方で餌を啄み長居をしないで帰って行っていたミヤマホオジロ、最近は朝早くからやって来てゆっくり時間をかけてヒマワリの種を食べている。冠羽をたたんでいることが多くなったようだが、これもここに慣れてきたからだろうか。今日は2羽でやって来た。


   

   


 今朝の散歩で見たノスリの姿。


   

 
 畑仕事、庭仕事が忙しい。今日午前中はニンジンとダイコンを植える場所の準備。鍬で耕す。”不耕起栽培”を目指すと言っても根菜類は耕さざるを得ない。午前中フルに働くとぐったりで午後はもう止めておこうとなる。やはり年だなあ。庭も植え替えたい木がまだ何本かある。地震で大きな石が動いたところも修復しなければならない。

 放射線の数値が栃木県では一番高い那須町、少しずつ下がって来ているようでうれしい。これも命がけで作業をしている人たちのお陰なのだ。


   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川の流れのように

2011年03月18日 | 日記
 今朝も北京から娘が電話して来て早くここから避難しろとうるさく言う。福島原発の問題は外国ではもっとはるかに深刻にとらえられているようだ。昨夜は心配で眠れなかったと言っていた。心配しなくても大丈夫と説得するのが大変だった。ここは終焉の地と思いやって来た町、極楽浄土のようなところと思っている。

 四つ川沿いの道を夕方散歩している。“川の流れのように” 歌の題名が心に浮かぶ。この小さな川も数キロ先で余笹川に合流する。水がキラキラと輝いている。セキレイが飛び回っている。ノスリが、ダイサギ、アオサギが飛んで行く。


    


   

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする