近世宝満二十五坊 2008-06-22 | Weblog 宝満二十五坊といいながら、 昨日アップした寛文11(1671)年のデータでは 29の集団の名前が記載されています。 明治2年の「佐々木文書」ではこのほかに 吉祥坊(吉田家)の名も見えています。 どうも長い江戸時代の中で各坊の盛衰があり 史料間で異同が生じているようです。 筑前黒田藩の元和九(1623)年の知行高帳では 「一弐拾五石 三笠郡 宝満山」 となっており(元禄九(1696)年以降五十石)、 元和の時点では石高上は25坊の認識だったようです。 (写真は東院谷の座主坊の石垣)