今日は研究会のメンバーにお誘いを受けて、
太宰府南郊の基山の山中まで踏査に行ってきました。
基山は福岡県筑紫野市原田と佐賀県三養基郡基山町
との間にある山で大野城と対になる基肄城があった山塊。
古代山城の部分は国の特別史跡に指定されて、
山頂付近の倉庫群などは整備されています。
地元では草スキーで有名な観光地でもあります。
今日は基肄城そのものでなく、
基肄城との係わりの深い
「城の山道」の探索です。
太宰帥大伴卿の京(みやこ)に上りし後に、
筑後守葛井連大成(ふぢいのむらじおおなり)の
悲しびて作る歌一首
今よりは 城の山道は さぶしけむ
吾が通はむと 思いしものを
(従今者 城山道者 不樂牟 吾将通常 念之物乎)
万葉集 巻4-576
実はこの万葉集にも残る古代官道のルートは
復元案が2案あり、現状では確定されていないルートです。
一筋は北側の筑紫野市萩原から基肄城内を縦断して
基山町城戸に抜ける西側のルート。
もう一筋は筑紫野市山谷から
同じく城戸に抜ける城外をかすめるルート。
今日は後者の道なき道を歩いてみました。
峠付近では東に「ヒノオ」という
207.9m熢(とぶひ)の施設を思わせる頂きがあり、
それを越えると大野城が真正面に聳える
大宰府の南玄関らしい光景が目に飛び込んできました。
そして右手には遙かに宝満山を拝みつつ・・・。
(萩原の南北の直線道。右手に宝満山が)
山中はもう初夏です。
大宰府羅城門へ向かう古代道の色々な顔を今後も見ていきたいと思っています。
宝満山の東南を抜ける田河道も一度歩いてみたいのですが・・・。
道は地域の空間的構成を決定付ける重要な要素で、特に遺跡の理解にとっては欠くことのできない視点と考えています。
万葉の世界観が筑紫野市萩原の直線道路では良く残されていると感じました。あの貴重な景観が多くの人に共有されると良いですね。
田川道も含めてフィールドワークが大勢で楽しめる企画もあっても良いのでは?また、お誘い下さい。(空論)