『竈門山旧記』
「内山の里より五町上つて地蔵堂惣門の入口也。
今地蔵の原と云う所也。南谷の衆徒上宮を勧請し
尊神を祭る。上宮に対して下宮と号す。大塔、
金堂、鐘楼、大講堂、僧房、食堂、文庫、経蔵、
神社伽藍所々其跡猶存せり。」
江戸初期に編纂された竈門山旧記には
現在の竈門神社境内周辺と思われる
周辺にかつてあった伽藍について
このように記しています。
古記録が失われた現在では貴重な記事です。
今回調査されている宝満山の下宮礎石群は
いかなる性格の建物になるのでしょうか?
いずれにせよ、建物の規模としては
大宰府観世音寺の講堂クラスの規模であり
九州屈指の大堂であったことは事実です。
明日の現説が楽しみなところです。