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狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

出雲系と天孫系の融合、そして皇族の聖書・創造主への回帰か、それともグローバル化・フリーメーソン

2015-01-01 11:34:52 | 歴史・伝統・文化
 昨年(2014年)10月5日にご結婚された出雲大社禰宜(当時)の千家国麿氏と高円宮典子女王(現・千家典子氏)。このご結婚により先住民の「出雲系」と後に渡来して来た「天孫系」である皇族との和解であるという事が言われています。
 また昨年10月には、秋篠宮佳子内親王が姉の眞子内親王と同じく国際基督教大学(ICU: International Christian University)に入学されました。
 この様な事柄から、古代ユダヤ人系の融合と復活、イエス・キリストを救世主として認めていた古代ユダヤ人である皇族の聖書・創造主への回帰である様にも思えます。
 ところで、「三種の神器」である「八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣」。その中の「八咫鏡」は伊勢神宮に奉斎され、その裏側にはヘブライ語で「我在りて有る者」と言う意味の、旧約聖書・出エジプト記に書かれている言葉が刻まれています。

   旧約聖書・出エジプト記3章14節:「神はモーセに仰せられた。『わたしは、『わたしはある。』という者である。』また仰せられた。『あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。』」。(※新改訳聖書より)

 一方、ICU・国際基督教大学はキリスト教長老派によって創設され、高松宮宣仁親王が設立準備委員会の名誉総裁に就任、GHQ最高司令官・ダグラス・マッカーサー氏日本国際基督教大学財団(JICUF)の名誉理事長として大学設置に関わり、ロータリークラブ系列のロータリー平和センターが付属。またジョン・ロックフェラー氏4世が過去に留学。
 高松宮宣仁親王は海軍大佐として第二次大戦中、「東久邇宮稔彦王、三笠宮崇仁親王等の和平派皇族や、米内光政等をはじめとする海軍左派、近衛文麿及び吉田茂等の政界の和平派と結んだ。」(ウィキペディア「高松宮宣仁親王」より)、「米軍が進駐する間際には東久邇首相宮の命を受けて寺岡謹平海軍中将や第三航空艦隊参謀長・山澄忠三郎大佐と共に、厚木海軍飛行場において徹底抗戦を主張する第三〇二海軍航空隊に対し、武装解除の説得に赴いた。」(同より)。
 大戦中、高松宮宣仁親王と戦争終結のために奔走した陸軍大将・東久邇宮稔彦王はポツダム宣言による終戦直後に内閣総理大臣に就任。東久邇宮稔彦王は「1950年(昭和25年)4月15日に禅宗系の新宗教団体『ひがしくに教』を開教したが、同年6月、元皇族が宗教団体を興すことには問題があるとして法務府から『ひがしくに教』の教名使用の禁止を通告された。また、東京都からも宗教法人として認可されなかった。このため、任意団体のまま実質解散となった。その後もいろいろな事業を行なうものの、いずれも成功はしなかった。同1950年フリーメイソンに入会。1957年6月、東京の友愛ロッジにて「メイソン」になる。」(ウィキペディア「東久邇宮稔彦王」より)。そして高松宮宣仁親王もフリーメイソンであったかも?しれないとの事(真偽不明)。GHQ最高司令官マッカーサー氏はフリーメイソン
 ロータリークラブはフリーメーソンの下部組織で、世界の120万人のロータリアンと34,000のロータリーの構成によるグローバル組織。
 また国際基督教大学のチャペルの中には獣の数字である「666」が刻まれている?との事(真偽不明)。
 皇族の聖書・創造主への回帰か、それともグローバル化・フリーメーソンに利用されているのか

 参考記事↓↓
   ・ウィキペディア「国際基督教大学」
   ・ウィキペディア「高松宮宣仁親王」
   ・ウィキペディア「東久邇宮稔彦王」

 本ブログ過去の関連記事↓↓
   ・2012/11/21付:「多民族国家の日本に古代ユダヤ人」
   ・2012/11/25付:「古事記・天孫降臨、イザヤ・ナギード(イザナギ)」
   ・2012/11/25付:「大和の中央政権に対する播磨人の反骨精神・・・「播磨国風土記―古代からのメッセージ」を読んで」
   ・2013/01/04付:「日本の正月に存在する古代ユダヤの風習」
   「日本人のルーツを取り戻す」(まとめ・ブックマーク)
   ・2013/06/15付:「市民の管理・統制強化による組織・国家への隷従化(4)・・・新約聖書・ヨハネの黙示録13章18節:『獣の数字』の『666』

 参考動画↓↓
 

YouTube: ヤタの鏡と日本(古代ユダヤとの関係)
 
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昔から変わらず未来においても「中東が世界の中心」&進化論の間違い・・・「銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎」を読んで

2014-08-05 21:34:24 | 歴史・伝統・文化
 総タイトル:【昔から変わらず未来においても「中東が世界の中心」&進化論の間違い・・・「銃・病原菌・鉄 (上・下) 1万3000年にわたる人類史の謎」を読んで】

 「銃・病原菌・鉄 (上・下) 1万3000年にわたる人類史の謎」(著者:ジャレド・ダイアモンド氏、訳者:倉骨彰氏、出版社:草思社、出版日:2012/2/10(単行本は2000/1刊行))
 本書を読みました。
 著者は生理学博士で医学部教授、分子生理学者で進化生物学者でもあり、分子生物学、遺伝子学、生物地理学、環境地理学、考古学、人類学、言語学と幅広い研究による知識を持つ博学者です。多くの関連文献を紐解き研究されたその博識さと多様な方面・分野から、人類史の謎を解いています。
 その内、特に専門にしている進化生物学により、進化論によって紀元前700万年のアフリカでの人間の誕生を説いています。しかし、進化論は間違いです。多様な生物にはそれぞれ固有の種が存在し、種と種の間の壁を破って通る事は出来ません。遺伝の法則によってチンパンジーはいつまでもチンパンジー、人間はいつまでも人間であり続けるのです。その事はメンデルが証明しました。もしもチンパンジーやサルから人間が進化したのなら、他の生物よりも卓越した「知性」が与えられた人間の生命の尊厳は無くなってしまいます。また進化論を肯定する場合、創造主である唯一神を否定している事にもなります。故に、進化論はサタニズム(悪魔主義・悪魔崇拝)であるとも解釈出来ます。
 旧約聖書・創世記1章24~25節「ついで神は、『地は、その種類にしたがって、生き物、家畜や、はうもの、その種類にしたがって野の獣を生ぜよ』と仰せられた。するとそのようになった。神は、その種類にしたがって野の獣、その種類にしたがって家畜、その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神は見て、それをよしとされた。」。
 同1章26~27節「そして神は、『われわれに似る様に、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。』と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」。
 同1章28節「神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』」。
 人間社会の展開に影響を与えたものの一つとして、植物の栽培化と動物の家畜化の食糧生産が在り、余剰食物の蓄積・貯蔵から非生産者階級が生まれ、人口稠密な大規模集団と集権的社会の形成に繋がり、技術、政治、軍事等の発達に繋がったとしています。そしてタイトルにある兵器である銃や鉄、原住民が対抗する免疫力をまだ持っていない種類の病原菌を運ぶ事によって、侵略、民族の遷移、勢力拡大に繋がったとしています。
 その食糧生産がB.C.8500年~B.C.7000年以前から最初に始まったのは、メソポタミア地方の「肥沃三日月地帯」であるとし、小麦、エンドウ、オリーブ、羊等が栽培飼育されていたとしています。
 現在の中東地域であるメソポタミア地方は砂漠化していますが、昔は土地が肥えて緑豊かでありました。そして世界最初の文明が誕生し、食糧生産から都市や文字の誕生、そして帝国の誕生へと繋がりました。
 文字はB.C.3000年頃にシュメール人によって作り出され、食糧の収支報告・記録の必要性から、文字のシステム化へと繋げました。
 現在においても、其々「旧約聖書」を根拠とするキリスト教・イスラム教・ユダヤ教の世界三大宗教の聖地の存在する所であり、イスラエル建国が原因であるパレスチナ問題によって世界の火薬庫となっている事、世界有数の石油産出地域、地理的にも大陸の交わる要であり、人の誕生から現代、そして未来においても、中東地域は様々な面において、世界の中心でありつづけるのです。

 
文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)価格:¥ 972(税込)発売日:2012-02-02


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原始教会と聖書への原点回帰

2014-05-26 00:35:13 | 歴史・伝統・文化
 かつてマルティン・ルター氏が「聖書に帰れ」と説き、また内村鑑三氏が「無教会主義」を唱えた様に、西欧諸国をはじめとした現代の教会にはこの世の欲や権利等の人の手垢がいっぱい付いていて、壮大で煌びやかな教会が建てられています。
 その様な教会は文化的・芸術的価値があるかもしれませんが、イエス・キリストの亡くなられた直後のパウロの活躍した頃の原始・初代教会の様子とはかけ離れたものとなってしまっています。
 ・2014/05/19付・Christian Today「『家の教会』を3カ国で支援 Good News Station 田中啓介牧師『初代教会の姿に戻り、聖書の原点に帰る』」より、「無牧教会の人や教会に属していない人、クリスチャンではないけれど聖書を知りたい人たちのためにメッセージを届けたい」。
 また、「「中国伝道は命懸けです。地下教会として信仰を守っている彼らと接していると、初代教会そのものの姿とリバイバルの現実を見ることができます。政権が変わって以来、取り締まりは厳しくなり、ここ1年ほどは中国に入ることができません。私たちのウェブサイトは中国では開くことができなくなっています」。
 更に、「家の教会」は、聖書研究する「集い」の様なものとし、「新しい方法論や従来の改良ではなく『原点回帰』。初代教会の姿に戻り、聖書の原点に帰ることです。初代教会の人たちの生活(使徒2:44~45)に倣うことができるのか? 彼らのような祈り(使徒4:29)ができるのか? しかし、聖書に真に忠実であるとは、そういうことなのです」


 本ブログ過去の関連記事↓↓
   ・2014/01/19付:「『宗教組織』による『創作』(1)・・・クリスマス、誰が勝手に12月25日と定めたのか」
   ・2014/01/19付:「『宗教組織』による『創作』(2)・・・人間マリアの『偶像』と、『懺悔室』の傲慢」
   ・2014/04/29付:「人間が勝手に認める『聖人化』・・・神の下の平等に反する階級制度」


  参考文献↓↓
   ・2014/05/19付・Christian Today:「『家の教会』を3カ国で支援 Good News Station 田中啓介牧師『初代教会の姿に戻り、聖書の原点に帰る』」

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お上や体制側の創作した歴史とは正反対に庶民の側の歴史を明かし正史を覆した、「八」で ありサンカの血を引く八切氏・・・「サンカ生活体験記」を読んで

2014-05-11 21:51:33 | 歴史・伝統・文化
 総タイトル:【お上や体制側の創作した歴史とは正反対に庶民の側の歴史を明かし正史を覆した、「八」で ありサンカの血を引く八切氏・・・「サンカ生活体験記」を読んで】

 「もはや日本にては、本当の『史実』や『史伝』などと言うのは、後年に作られた当時の権威に迎合したものの他は何も残されてはいないのである。次々の時代に時の権力者におもねったものが、筆写されて更に書き変えられたものだけが、今度は活字本として出されている。」(本書より)。
 「サンカ生活体験記」(著者:八切止夫氏、出版社:作品社、出版日:2003/5/30)
 本書を読みました。
 「八切裏がえ史」「八切意外史」「野史辞典」お上や体制側の創作した歴史とは正反対に、八切説によって庶民の側の歴史を明かし、正史を覆した著者。グローバル化や統合、一極集中に抵抗・反抗する著者。著者は「八」の市章を持つ名古屋市の生まれで、著者自身が「八」であり「サンカ」の血を引いているものと私は思います。
 著者はサンカ小説を開拓した三角寛氏について、朝日新聞のサツ廻りの新聞記者で、研究の糸口から解明一切が警察情報であったので弾圧する側に在って、他にも官制団体に関係する等してお上の肩書きを持って威張って調査した体制側的研究であるとし、研究対象も神奈川県から関東地方だけであるとしており、著者は自身がその立場とは異なり仲間の一員の様な立場で、研究対象も「八」の本場である愛知県から三重県の東海地方であると言う。
 平氏はスメルと呼ばれたシュメールのスメラ山脈の並ぶアブダビ海(ペルシャ湾)沿岸のペルシアの首都スサより、シオン(エルサレム)を奉じ、日本へベーリング海流に乗って来た騎馬民族と、西南アジア経由で黒潮に乗って阿波の鳴門にやって来た「天」の付く古代海人族。漂着した八幡国群の平氏
 藤原氏祖先の唐を滅ぼした契丹源は元、平はペルシア、藤原は唐、橘は契丹。663年の白村江の敗戦で郭悰務将軍こと日本名・藤原鎌足が百済の進駐軍を率いて来た。
 庶民の純血日本人が進駐軍・弁髪人の混血児を産まされ、縄文日本原住民が従順な奴隷とされる前に、山海族の純日本人サンカたちは独立を保って山中へ逃げ隠れた。現在の日本人に在る奴隷根性の由来。
 サンカは絶対反権力反体制で、純日本人どうしの婚姻による純血種を保つ。サンカの反骨精神。束縛されず、自然の中で自由に、山の幸や川の幸に恵まれながら生活をしたサンカ。
 古代バビロニア語とサンカ言葉の類似
 桃(唐)から生まれた桃太郎が、サル(新羅系)、イヌ(高麗系)、キジ(百済系)を連れて隠忍と呼ばれた原住民討伐
 平将門や豊臣秀吉、徳川家康(元は世良田二郎三郎)はサンカで、地区の出。純血の強み
 「八」の出で古代海人族の血を引く八田信長(織田信長)と、同じく「八」の出の秀吉。八田氏(織田氏)の勝幡城
 忍びのアヤタチ(乱破)・ミスカシ(透破)・ツキサシ(突破)
 サンカの持つ双刃の短刀・ウメガイは秀吉の刀狩にも供出されず。掟のヤエガキ(八重書)とハタムラ。ハタは八幡で平氏(八つの赤系)と源氏(四つの白系)。「八」だけの純日本人の血を重んずるハタムラ。サンカの秘密厳守。一夫一婦の絶対
 居つかず天幕を張るセブリ生活を続けて戸籍を持たない自由人から、戸籍を作って束縛される様にシロバケ(素人化け)となってウメガイを戻す掟。
 箕つくり、笛つくり、笊つくり、簓つくり(竹細工)、茶筅つくり、茶杓つくり、釜(鍋)敷つくり、気込め(杓入れ)つくり、矢こぎ、ろうつくり、練子踏み(鋳掛屋)、簀子(すのこ)つくり、旅芸人(遊芸者:河原芝居、門付、猿回し、俵ころばし)。
 ヤモリ(山守)、イスケ(池番)、カモリ(川番人)、ノモリ(田畑番人)、ウキス(繋留船の番人)のイツモリ(五守)。
 製塩は塩尻・天尻と呼ばれ、西南渡来の<stro</strong>ng>古代海人族の限定職。
 律令国家以降、原住民は賤に落とされ、唐を滅ぼした契丹人も賤に落とされる。
 騎馬族系の蘇我氏、百済系の中大兄皇子。
 百済人の坂上田村麻呂が原日本人を東北にて追い込み、「根」である原日本人に蓋をしてしまおうと「根蓋」をする様に土を踏み固める「ねぶた祭り」
 坂東八ヶ国紀ノ川流域の菅原道真をはじめとする契丹人と原住民。
 ウメガイで十字に切って邪気を払い、死ぬことが天の神の許へ行く事であるので栄光であって悲しむ事では無いとする天神信仰


 関連文献↓↓
 Wikipedia「名古屋市」

 
 
サンカ生活体験記サンカ生活体験記価格:¥ 3,024(税込)発売日:2003-05


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中央支配体制を嫌って山へ逃れた原日本人「山窩」・・・「三角寛サンカ選集・第一巻・山窩物語」を読んで

2014-05-11 15:25:18 | 歴史・伝統・文化
 渡来系では無く、元々が日本を在地とした先住民である「原日本人」を自認する山窩(サンカ)たち。その誇りを持って大和の中央政権支配体制やその後の藤原氏体制、仏教体制等を嫌って山中へ避け逃れた山窩たち……
 「三角寛サンカ選集・第一巻・山窩物語」(著者:三角寛氏、出版社:現代書館、出版日:2000/11/10)
 本書を読みました。
 著者は、朝日新聞に入社した大正15年(昭和元年、1926年)から、社会部記者(事件記者)として警視庁捜査課に張り付き、山窩の犯行を疑う事件の捜査等を取材した著者は山窩への関心を深めて山窩の研究に入り、山窩小説を開拓しました。
 大らかで自然の中に溶け込んで自然と調和し、ヤエガキやハタムラと言う厳しい掟が存在し、健全なサンカ社会を守る意義から早婚で処女と童貞の結婚と厳重な一夫一婦の掟が在って、それとは反対に戦後のアメリカナイズされて乱れて退廃的となった現代社会への啓蒙にもなるとの著者の思いから、その健全で清いサンカ社会を紹介する小説やノンフィクションを作家として、亡くなる昭和46年(1971年)まで世に送り出しました。
 山窩(サンカ)の犯行を疑う事件は生粋(はらこ)の山窩では無く、サンカ社会に紛れ込んで悪事を働くマガクレであった事。著者が世に山窩小説を出す以前は、普通人・一般人と異なってジプシーの様に定住せず体制からはみ出した生態からその様に誤解する風潮や傾向が有りました。
 マガクレは山窩の中に逃げ込んで、流れ者としてかくまわれる間に忍びの手を覚えて山窩の固い結束を悪用。また、山窩の瀬降(セブリ)に在る正面炉と自在鉤の存在が、マメツ()と全く異なる特徴。
 日本全国どこにでも山窩は現存し、中でも東京が最も多く、次が静岡、神奈川。上州、信州、千葉にも相当数が存在。また関東が最も多く、次が中国地方。東京の郊外の至る所に山窩が存在
 山窩は箕作り・竹細工・木地作り・茶筅削り・簓削り・笊師・鋳掛屋・猿回し蝮取り等の一芸一能を持つ。瀬降と言う天幕小屋とその入口の切炉(正面炉)と天人(テンジン)と言う自在鉤が山窩の特徴。また、山窩のシンボルであるウメガイと言う双刃(もろば)の山刀を持つ。優秀な出雲鉄の存在。山窩は自分たちをテンバ(転場者)と言い、一般人にとけ込む事をトケコミと言う。忍びの手
 入口に炉を切る正面切りの始まりは、山窩から出た彦根藩の隠密・伊賀万蔵の瀬降。伊賀の国見山をはじめ鈴鹿峠にかけて、物見の者が瀬降を張る。
 丹波の大ヤゾウ(総元締)である乱破道宗が、全瀬降に向けてハタムラを定める。出雲族と密接な関係。
 軽身の術(後の忍術)、「乱破」・「透破」・「突破」の三家。
 豊臣秀吉の父・木下弥右衛門は因幡の箕作りで、樹蔭(コノカゲ)を木下に変えた山窩の出。丹波で軽身・忍び等を修養した同じ流れの者が山窩の秀吉の戦に加わった。戦国時代に物見、国見、樹蔭等の瀬降の忍び筋の活躍。信長、秀吉、家康、信玄等は競って山窩の忍び筋を抱えて隠密刺客として使い野望を遂行。斎藤道三も山窩の出。秀吉は自分の箕作りの素性が暴露されるのを恐れ、それを隠す為にそれを知る者や丹波・丹後・因幡・伯耆等の山窩たちを抹消し滅ぼした。
 同族を滅ぼした裏切り者として豊臣家に反感を持っていた身殻別(箕作り)の一族を徳川家康が利用し、伊賀者・甲賀者を組織。
 鈴鹿と不破の関所の在った鈴鹿山脈は関西と関東を両断して軍事上重要であり、そこに物見山、国見山が存在。
 西行(サイギョウ)は武蔵言葉で、オオヤゾウのいる西の丹波への連絡密報を行ない、美濃紙に指令の暗号や記号をミョウバンで炙り出しを書いた白紙の紙を懐深く収めて持参。
 自然の理に適った座位分娩で産婦人科の医師が不要のサンカ社会。自然の薬草やヤキサゴ(焼石)、薬草・焼石を入れたヤキユの入浴・足浴、ユサバリ床の地面に落葉を集めて床上の表面を焼くユカヤキ保健衛生方
 仏教渡来以来の死を悲しむ思想と反対に、死を悲しんではならない慣習が在り、喜んで神とし、神は高い所、貴き魂とした。人は生を授かって生きているが、いずれは天に帰って行くと言う思想。榊と水を献じ、ウメガイを十字に切って邪気を払う。


山窩物語 (三角寛サンカ選集)山窩物語 (三角寛サンカ選集)価格:¥ 3,024(税込)発売日:2000-11


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戦乱の下剋上の世に活躍した賤民の技能者たち・・・「鉢屋秀吉〈第1部〉陰の一族・〈第2部〉筋者の道」を読んで

2014-05-11 03:44:17 | 歴史・伝統・文化
 総タイトル:【戦乱の下剋上の世に活躍したの技能者たち・・・「鉢屋秀吉〈第1部〉陰の一族・〈第2部〉筋者の道」を読んで】

 「弥勒下生の世」の到来を待ち望むたち。終末期にイエス・キリストの再降臨を待ち望む現在と同様に……
 「鉢屋秀吉〈第1部〉陰の一族・〈第2部〉筋者の道」(著者:黒須紀一郎氏、出版社:作品社、出版日:2001/6/20・2001/10/20)
 本書を読みました。
 中央から離れて流された者が多く移り住んだ関東の地に、虐げられていた武士が最初に建てた鎌倉幕府。その後の南北朝の動乱以降の、戦国時代における戦乱の下剋上の世に活躍したの技能者たち。そのの裏の活躍によって、日本の方向付けが成されたと言っても良いと思います。
 本書は教科書的歴史に対する多くの「裏日本史」的な存在のものを参考文献として用いている為に、より史実に近いものと私は思います。特に、に関して表の歴史はタブー視している為に、そのに関して理解されないどころか却って誤解を招いてしまっているのではないかと思います。しかし、は下層であるが故に社会の底辺・ベース・根幹を握っており、特に戦乱の世に在ってはその、及びその出自の者によって左右された様に思います。本書には、そのの歴史、秀吉がの出で、その秀吉に多くのが協力して秀吉を出世させた事が在ります。
 以下、本書の内容からの一部要約。
 7世紀の日本の人口は約540万人、その内に渡来人の占める割合が85%以上
 白村江の戦いで敗れた倭国は、済からの亡命貴族を多数受け入れ、近江に遷都した。この大津京は百済の亡命政権近江は渡来人の幽宮で、後に忍びの甲賀衆、石積みの穴太衆、近江商人、流通の堅田湖賊、坂本の馬借等
 流民・浮浪人達は、医薬師、鍛冶師、木地師、杣師、遊芸人等の技能者として飢えを凌ぐ
 672年の壬申の乱を経ての中央集権国家成立で、倭国が日本に。天皇・貴族・僧侶と、税を収奪される農民、そして国の体制からはみ出した浮浪人の3種類の人達の誕生。酷税と労役から逃れて山野に隠れ住む者達が多数出た。
 古代政界の大立者・藤原不比等と浮浪人の棟梁・役小角との戦いの結果、「山の民」は敗れて畿内の行場・仕事場を追われて、比叡山西麓山地・愛宕郡小野郷の八瀬、琵琶湖東の山岳地帯・小椋郷、伯耆大山、出雲、信州・八ヶ岳等に移り住む。採薬、採鉱、猟、箕作り、竹細工等。役小角(役行者)は修験道・山伏の開祖
 伯耆の行者兵法集団の棟梁・飯母呂石念の登場。飯母呂衆は行者忍術を用いて、生活の糧を得る為に各地の戦乱に加担。生きる術。
 藤原氏全盛時、朝家・公家・寺家の栄耀栄華とは対照的な、庶民の哀れな生活。藤原道長と山上憶良の詩。
 939年、平将門と藤原純友の天慶の乱。東の山人と瀬戸内の海人による藤原打倒。遠祖・役小角からの藤原氏に対する積年の恨みを持ち、「弥勒下生の世」の到来を待望する飯母呂衆の参加。坂東八ヶ国(常陸・下野・上野・上総・下総・安房・相模・武蔵)と伊豆の関東一円の新皇・将門
 追われ山中に隠れ住む飯母呂衆の糊口を凌ぐ為の野盗化に対し、空也托鉢での生計を立てる事を教える。鉢屋、八の者、茶筅、と「異形の一族」として蔑まれて呼ばれる。又、盗賊の手口を知り抜く鉢屋衆を検非違使の末端としての採用にも努めた。
 漂泊の技能者、歩き筋。鍛冶師、木地師、杣師、穴太衆、番匠(大工)、鋳物師、播磨衆(土木工事)、馬借・車借(輸送)絵師、薬師等
 空也の流れを引き継ぐ、鎌倉期の一遍の起こした時宗の信者・阿弥衆には鉢屋衆も流れる。能の観阿弥・世阿弥、田楽の増阿弥、庭師の善阿弥、連歌の良阿、僧侶・遣明船の正使の祖阿、香・茶の千阿弥(千利休の祖父)、立花の立阿弥等、優れた芸の者達。室町時代以降で将軍に近侍して雑務や芸能に当たった阿弥衆は同朋衆とも。
 役小角を始祖とする賎の民、遊行僧、乱破・透破・突破の忍び、「歩き筋」の技能者・芸能者。その内の飯母呂衆が鉢屋、阿弥衆となって、弥勒下生の世を求めながら戦乱の中を生き抜く。
 中世の頃、表向きは鉄砲や硝石、異国の珍品等による商売とキリスト教布教を目的に世界を廻ったポルトガルとイスパニア(スペイン)の裏の目的である「奴隷狩り」。江戸時代の鎖国以前まで日本人の奴隷が輸出される中、奴隷を売り飛ばし民から搾り取る公家や大寺社の坊主や神官がその犠牲者とされる事を願う弥勒下生の世を待ち望むたち。
 世人が「尾張のうつけ者」と嘲笑する織田信長は、平氏の血筋で渡来・遊牧騎馬民族の「渡り」の血で同族。既成勢力、仏教の権威・覇権主義に憎悪を抱いていた信長は、酒色に溺れ腐りきった比叡山の焼き討ち。石仏を破壊して城の石垣に使用。朝廷、貴族、寺社の既得権益を廃した楽市・楽座
 秀吉の母・仲(後の大政所)美濃の鍛冶師・関兼貞の娘。父は織田家の足軽(雑兵)の木下弥右衛門でその亡き後の仲の再婚相手は同朋衆・竹阿弥。しかし弥右衛門も継父で秀吉の父母は定かで無く、野合の子で幼名も無き「怪しの民」の子(の子)とする中世~江戸初期の史書有り。鉢屋阿弥衆の歩き筋の出の秀吉。歩き筋への優遇で・阿弥衆の安穏の地となった長浜。秀吉に「弥勒下生の世」の到来の可能性の希望を抱く歩き筋の者たちが、同族の繋がりから各地の歩き筋のカスミが秀吉の出世を協力
 斎藤道山は丹波の探り筋(忍び)の同族で、一介の貧しい油売りから美濃を乗っ取る。 大名である武家も、野伏・山伏の卑賤の出
 忍びによる「裏の戦」。諜報、攪乱、奇襲。修験、出家、虚無僧、振り売り(行商人)、放下(遊芸人)、猿楽(歌舞芸)、傀儡師の歩き筋で諸国を廻る。忍びの事を甲斐では三ツ者、出雲では鉢屋、尾張ではひき猿。
 美濃の茜屋・鉱山師で歩き筋の血筋の出の竹中半兵衛(重治)は、杣師や鍛冶師と深い繋がり。
 長年の京の都の生活で足利尊氏の坂東武者の様から変貌し、権謀術数を身に付けて公家化した室町幕府将軍・足利家の、最後の将軍・足利義昭
 平将門の乱の後逃れた出雲鉢屋を重用した山中家
 薬師・目薬屋の血筋・黒田官兵衛(孝高)は北近江・賤ヶ岳山麓の黒田村の出で、その前は近江小椋の里で同族の歩き筋
 裏切りや密会を好み、諜略・策謀・計略を得意とした明智光秀
 藤原公卿の策謀の血を色濃く持った近衛前久
 徳川家康は、建武の乱で滅んだ上州新田氏の支流・江田氏の後裔流浪の身・阿弥衆となった父と簓者(念仏を唱えて歩く遊行者)との子国松で、後に両親と別れて母方の祖母の簓者に育てられ、その後に人商いに騙されて売られた同じ歩き筋の願人坊主にこき使われ、それと別れた後に世良田二郎三郎と名乗った。人質となっていた松平元康の嫡男・竹千代を誘拐し、元康亡き後にその家臣がその死を隠蔽する為に、その子を連れて乗り込んで来た二郎三郎を松平元康(後の徳川家康)の替え玉とした。因みに新田氏の支流には、江田氏の他に世良田氏、得川氏。
 観阿弥の母が姉妹の楠木正成は、ゲリラ戦を得意とした忍びの出。建武からの乱世の中、寺社・武家、百姓、の差別を無くす。
 藤堂高虎は近江の忍び筋の出で、穴太衆とも関わり。
 秀吉の原点・八瀬の抹消と千利休切腹は、秀吉の素性を消す為なのか。
 徳川家康は、同族の秀吉の母・大政所(仲)の後継者で秀吉の正室・北政所(お寧)を守る。関ヶ原の戦いでの家康派と秀吉の側室・淀派との対立。


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大避神社は古代ユダヤの「ダビデ神社」

2014-05-07 02:41:11 | 歴史・伝統・文化
 毎年10月に「牛祭」が催される京都市太秦の蜂岡寺(いわゆる広隆寺(秦公寺、太秦寺))は、聖徳太子のブレーン秦河勝の創建。
 秦河勝は聖徳太子の亡き後の政変での難を逃れる為に、兵庫県赤穂市坂越に逃れて京都の大酒神社(大辟神社)と同じ「大避神社」を建て、その他にもその近くの千種川沿いに多くの大避神社を建てました。
 「大辟」は「おおさけ」とも「だいびゃく」とも読めますが、中国ではもんがまえ「門」と「辟」を合わせた「闢」の字を使ってダビデの事を「大闢(だいびゃく)」と言います。故に、大避神社は「ダビデ神社」
 また中国ではローマの事を「大秦」と言い、8世紀に建てられた「大秦景教流行中国碑」には大秦(ローマ)の景教(ネストリウス派キリスト教)が唐の時代に流行した事を記しています。大秦に「?」を付けたのが「太秦」。そしてその唐に遣唐使として渡ったのが弘法大師・空海。空海は帰国後、四国・剣山を隠匿する為に、四国八十八か所霊場を作りました。
 古代に、シルクロードを通って日本にキリスト教をもたらした秦氏。その後のずっと後年になってから、フランシスコ・ザビエルがイエズス会の裏の意図を持って日本にやって来ました。


 本ブログ過去の関連記事↓↓
   ・2013/05/14付:「日本人のルーツを取り戻す(2)・・・古代ユダヤ人秦氏、イエス、吉田松陰、安藤昌益」
   ・2013/07/08 付:「日本人のルーツを取り戻す(5)・・・天皇とは共に同じ民族ユダヤ人」
        ・・・等、「日本人のルーツを取り戻す(1)~(5)
   ・2014/01/26付:「679年の『吉野宮の会盟』により、大和朝廷発祥地・阿波の隠蔽を行なった『大秘密政策』」
   ・2014/01/26付:「多くの中国史書を根拠に、その邪馬台国についての多くの『特徴』が四国山上の天然自然と一致」
   ・2014/05/07付:「曽根天満宮に古代ユダヤの痕跡・・・『八』は神、天の父の子『一ツ物』」


  関連動画↓↓
 

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YouTube: 赤穂・坂越の船祭


 

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YouTube: 京都太秦ユダヤのパワースポット 大酒神社


 

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YouTube: 《文化大百科》 20130519 大秦景教流行中国碑



 

 

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曽根天満宮に古代ユダヤの痕跡・・・「八」は神、天の父の子「一ツ物」

2014-05-07 01:46:18 | 歴史・伝統・文化
 兵庫県高砂市に存在する「曽根天満宮」
 毎年10月の秋季例大祭にて行なわれる「一ツ物神事」
 中東のアラブ人の様に扮した人達に囲まれて馬(又は肩車)に乗る子。
 その子の額には、「八」の文字。
 八坂神社、八幡(ヤハタ)神社……
 「八」は神を意味し、「一ツ物」は旧約聖書の唯一神(創造主)であり天の父である神の、その子であるキリスト
 また因みに、聖徳太子のブレーン秦河勝の建てた京都市太秦の広隆寺は別名・「蜂岡寺」(秦公寺、太秦寺)で、毎年10月には「牛祭」が催されます。
 また高砂市周辺は、同じ兵庫県の赤穂市と同じく昔は塩田が広がっていたとの事。


 本ブログ過去の関連記事↓↓
   ・2012/11/21付:「多民族国家の日本に古代ユダヤ人」
   ・2012/11/22付:「法然・親鸞は古代ユダヤ人」
   ・2013/01/04付:「日本の正月に存在する古代ユダヤの風習」
   ・2013/07/08付:「日本人のルーツを取り戻す(4)・・・元々は多民族国家であった日本の中の一部に、アブラハム―イサク―ヤコブの血統のユダヤ人の子孫が」
        ・・・等、「日本人のルーツを取り戻す(1)~(5)」
   ・2014/05/07付:「大避神社は古代ユダヤの『ダビデ神社』」


 参考動画↓↓
 

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YouTube: 曽根天満宮秋祭り宵宮


 

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YouTube: 曽根天満宮 秋季例大祭 一ツ物神事 宮出し 1


 

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YouTube: 京都 太秦牛祭り



 

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多くの中国史書を根拠に、その邪馬台国についての多くの「特徴」が四国山上の天然自然と一致・・・「邪馬台国の結論は四国山上説だ―ドキュメント・邪馬台国論争 」を読んで

2014-01-26 20:19:09 | 歴史・伝統・文化
 総タイトル:【多くの中国史書を根拠に、その邪馬台国についての多くの「特徴」が四国山上の天然自然と一致・・・「邪馬台国の結論は四国山上説だ―ドキュメント・邪馬台国論争 」を読んで】

 「邪馬台国の結論は四国山上説だ―ドキュメント・邪馬台国論争 」(著者:大杉博 氏、出版社:たま出版、出版日:1993/9/10)
 本書を読みました。
 多くの中国史書を根拠に、それら文献に記されている邪馬台国についての多くの「特徴」を比定した結果、四国山上の天然自然環境と一致する事が判明し、畿内説や九州説を唱える多くの識者との邪馬台国の比定地比べ論争を自ら申し込んで、その相手の唱える矛盾点等を突いて全て論破し勝利した著者の研究結果が記されています。
 魏志倭人伝をはじめとした、多くの中国史書に在る邪馬台国についての記述内容の多くの「特徴」が、四国の天然自然と一致
 四国の中腹から上の山上の至る所から、弥生土器・石器が出土。また、古代からの多くの高地性集落と、大土木工事による無数の人造池、山焼・焼畑の風習。井の国=倭奴国=倭国(いのくに)
 「翰苑」所引の魏志倭人伝に、「海中洲島の山に絶在」、「四面がみなともに、海にそびえ立っている」、山脈が「或いは絶え、或いは連なり」
 魏志倭人伝の記事を更に詳しく説明した「広輿図」に、倭・女王の境にくっつく斯馬国以下21の旁国(そば・はたの国)の国名と各大きさ・戸数。「日本東海島、夷亦名倭」、昔、阿波は夷と呼ばれていた(「阿府志」)。
 「太平御覧」所引の魏志倭人伝に、邪馬台国が21の小国を皆統治、南隣に属さない狗奴国
 「釈日本記」の南北二倭は、畿内が北倭、南倭は女王国で阿波。九州は西海道
 阿波に高天原、天岩戸、天孫降臨の地、葦原中国、出雲、天つ国。本当の高千穂は、現在の友内山(木綿麻山、宮内山、木綿内山、忌部山、連台山とも)。阿波と記紀神話の記述の一致
 阿波に、高天原族と出雲族、海族が住む。
 天武8年(679年)5月6日の「吉野宮の会盟」による、大和朝廷発祥地・阿波の隠蔽を行なった「大秘密政策」による、皇室の出自隠蔽の為の九州・島根(出雲)の神話の形跡
 徳島県池田町に、倭国の都の地にしか祭らず、全国の3,132座在る延喜式内社の内ででただ1社しかない倭大国玉神大国敷神社が鎮座
 最初、気延山山頂の前方後円墳に在ったものを後に現在の中腹に移転した、徳島県国府町矢野神山の天石門別八倉比売神社は、大日命(おおひるめのみこと=天照大神)が祭神。大日命は「大日巫女命」で卑弥呼のこと。気延山周辺に100基以上の古墳が群在(気延山古墳群)。三角縁神獣鏡の出土
 邪馬台国の在る倭の地には青い玉と丹(丹砂)が在ると記され、阿波の美しい青石は有名で、阿南市に全国でただ1ヶ所しか確認されていない、弥生時代の丹(辰砂)の採掘跡である若杉山遺跡が在る。
 倭の地では、粟、稲、紵麻を作り、養蚕が行なわれていた。(魏志倭人伝、「古語拾遺」)。
 徳島県神山町神領字高根は、卑弥呼の都跡。天蚕(やまがいこ)、絹の生産。天の中川。高天原と呼ばれていた大川原高原
 大和国は、四国の山人(やまと、山の住人)の国・邪馬台国から山人が大勢行って作って拡げた山人の国。大阪弁の元は阿波弁
 三種の神器は、徳島県穴吹町の古墳からも出土。
 秦の始皇帝の使い・徐福の蓬莱山は、徳島県山川町の高越山(阿波富士)。本当の葦原中国の入口にそびえ、そのすぐ内側に天孫降臨の地・忌部大神宮。「義楚六帖」に「徐福此に止り、蓬莱と謂ふ。今に至って子孫皆秦氏と曰ふ」。和歌山県新宮市の熊野に「大秘密政策」によるカムフラージュ用の徐福の偽の墓
 剣山を囲む様にして、いっちゅう(一宇、市宇=いの中)の地名が5か所。
 和歌山は「紀の国」、阿波は「いの国」。
 神武の阿波からの東征。


 
邪馬台国の結論は四国山上説だ―ドキュメント・邪馬台国論争邪馬台国の結論は四国山上説だ―ドキュメント・邪馬台国論争価格:¥ 1,835(税込)発売日:1993-08



 関連動画↓↓
 

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YouTube: 本当の邪馬台国 四国山上説 その1 1/3


 

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YouTube: 歴史ミステリー 邪馬台国は四国にあった?1





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679年の「吉野宮の会盟」により、大和朝廷発祥地・阿波の隠蔽を行なった「大秘密政策」・・・「古代ユダヤと日本建国の秘密―消えた『ユダヤの秘宝』と四国・剣山の謎」を読んで

2014-01-26 14:13:07 | 歴史・伝統・文化
 総タイトル:【679年の「吉野宮の会盟」により、大和朝廷発祥地・阿波の隠蔽を行なった「大秘密政策」・・・「古代ユダヤと日本建国の秘密―消えた『ユダヤの秘宝』と四国・剣山の謎」を読んで】

 「古代ユダヤと日本建国の秘密―消えた『ユダヤの秘宝』と四国・剣山の謎」(著者:大杉博 氏、出版社:日本文芸社、出版日:2000/6/25)
 本書を読みました。
 天武8年(679年)5月6日の「吉野宮の会盟」による、大和朝廷発祥地・阿波の隠蔽を行なった「大秘密政策」
 「契約の箱」を外国から守る為と、皇族の山上での質素で粗末な出自の隠匿により、特に外国に対しての皇族の権威と神秘性の創出の為。
 四国全体の山上に、古代からの無数の高地性集落と人工池井の国=倭奴国=倭国(いのくに)
 邪馬台国と高天原は同一国。葦原中国も四国・阿波
 八咫鏡の裏のヘブライ語による「我は有りて在るものなり」(旧約聖書・出エジプト記3章14節)
 2700年前に「契約の箱」を携えて四国に漂着した預言者イザヤイザナギは「イスラエルの主権者ダビデの王統を救い給え」、イザナミは「ナヲミ(ダビデの母祖)を救い給え」。ナギ→禰宜。日本の皇室はダビデの王統。高天原の中心・剣山
 劔神社の山頂神輿渡御は、ノアの箱船のアララト山漂着の7月17日。兜巾(ヒラクティリー)を付けた山伏。
 「大秘密政策」によるカムフラージュ用の神社をあちこちに創建。出雲大社、宇佐神宮、諏訪大社……。
 本来の富士山・高越山(阿波富士)のカムフラージュ・浅間山(偽富士山)。中国史書(「普陀山志」、「拾遺記」)の蓬莱山=阿波富士に徐福の墓。和歌山県新宮市の熊野に偽の墓
 延喜式から外された忌部大神宮
 日本書紀・伊勢の狹長田は、阿波国以西郡狹長田。
 出雲族の本拠地、長国(元イズモ)の祖神を祭る八桙神社(阿南市長池町宮内)は本来の出雲大社。出雲国風土記に出雲族の神々を祭る神社が載っていない。その風土記に大穴持命(オオナムチノミコト)=オオクニヌシノミコトの名が付く神社が全く無い事で、後に朝廷が延喜式編纂時にあわててその名の付く神社を創建して記載する。
 「大秘密政策」に基づく、日本書紀、古事記、風土記、延喜式、万葉集、釈日本記の嘘の歴史書・偽装工作書
 渡来人(外国人)用に公開目的で作られた「日本書紀」と、皇族関係の勉強用の「古事記」
 四国の秘密を万葉集の中で詠った柿本人麻呂
 記紀神話の本当の舞台・四国を隠蔽した日本書紀の注釈書(質疑応答のマニュアル。役人の虎の巻。)としての「釈日本記」
 大秦景教流行中国碑。秦氏。太秦公秦嶋麻呂
 四国に異常に多い勅願寺「大秘密政策」への国民の反発に対する朝廷の鎮圧藤原広嗣の反乱とその父・藤原宇合。朝廷に対する不信感の表れとしての火災の多発
 空海の四国八十八か所霊場の目的は、朝廷発祥地と契約の箱の封印の為第十番・切幡寺から西へは皇族以外は入らせない。
 八の重要性:八雲、八重垣、八尋殿、八島、八咫鏡、八百万神……。
 空海が、唐の長安城内の大秦寺において、其の寺の僧である景浄から景教(キリスト教)の情報を得る。大秦景教流行中国碑の碑文を作った景浄と、空海が仏教について教わった般若三蔵とは六波羅密教を漢訳した間柄。
 空海著「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」は、「秘蔵している宝の鑰(かぎ)」。密教による暗号・暗示


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古代ユダヤと日本建国の秘密―消えた「ユダヤの秘宝」と四国・剣山の謎価格:¥ 1,260(税込)発売日:2000-06



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日本書紀に抹殺された排仏派・物部守屋と、中臣氏に成済ました百済王子・豊璋(中臣鎌足)・・・「物部氏の正体」を読む ※2017/12/02追記:中臣氏の先祖「コヤネ」はユダヤ祭司「コヘン」

2014-01-26 00:36:47 | 歴史・伝統・文化
 (2017/12/01:追記)

 「物部氏の正体」(著者:関裕二氏、出版社:新潮社、出版日:2010/6/1(単行本は2006年9月に東京書籍より刊行))
 本書を読みました。
 「『日本書紀』が物部氏の正体を抹殺」
 「八世紀に編纂された正史『日本書紀』は歴史を改竄(かいざん)し、真実を隠蔽するために記された。」
 仏教反対派(神道派)の物部守屋と中臣勝海、仏教推進派の蘇我馬子。蘇我馬子によって滅ぼされた物部守屋。
 平城京遷都は、藤原不比等によるクーデター。総理大臣級の左大臣・石上(物部)麻呂の藤原京留守役任命による石上(物部)潰しの陰謀。
 古代最大の豪族・物部氏は、神道祭祀軍事に深い関わり。
 物部氏一族にマウラ・マラの名が多く、銅や鉄の精錬に従事する集団。
 経津主(ふつぬし)神と、物部氏の神宝・'霊(ふつのみたま)、'霊剣、物部氏の祀る石上神宮(奈良県天理市)の主祭神は布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)と、「フツ」の名の重なり。
 弥生時代後期に、が山陰地方に溢れだした事と対照的に、大和の鉄欠乏。鉄による農業生産力向上、人口増加、富の蓄積、軍事力増大、国力増大。鉄の独占。
 二世紀後半の小氷河期。
 神道祭祀に関わる斎部(忌部)氏と中臣氏。八世紀以降、斎部(忌部)氏の不当な扱い。
 藤原不比等の父・中臣鎌足は百済王子・豊璋で、物部氏と共に落ちぶれていた本物の中臣氏に成済ます
 瀬戸内海の制海権を握る物部氏は、吉備の一族。
 金属冶金の神アメノヒボコ(天日槍・天日矛)の、新羅から但馬・角鹿(つぬが・敦賀)に本拠地。
 日本書紀が、実在した初代天皇を三人の天皇に分解。初代・神武天皇と第十代・崇神天皇だけでなく、第十五代・応神天皇も初代王で同一人物
 物部氏と尾張氏の祖は腹違いの兄弟の繋がり。律令制度・中央集権国家以前、物部氏と尾張氏は日本の大半の広大な土地と人民を私有。
 藤原の天下の体制作りの為の、物部氏と蘇我氏の滅亡

 <<2017/12/01:以下追記・・・中臣氏についての著者の見解との異論・補足文>>
 ヘブル語(ヘブライ語)では、祭司の事を「コヘン」と言う。ユダヤ人は、古代に於いてはヘブル人、ヘブライ人と言った。
 「コヘン」をヘブル文字で書くと。「コ八ノ」となり、「八」は漢字の「ハチ」にも読めるので、「八」を音読みの「ヤ」と読んで「コヤノ」と読まれる様になり、それが訛って「コヤネ」となった。(※「コ八ノ」の中でも特に「八」の文字は、入力文字としてヘブライ文字が無い為に近似する文字をここに載せているが、正確には左上の角部が離れて上に水平線の付いた文字。上の部分は「几」に近い(「コ几ノ」)。)
 「コヤネ」は「天児屋命」(アメノコヤネノミコト)の事で、古事記には中臣氏の先祖と書かれている。中臣氏は、中臣鎌足から藤原氏に姓を変えた系が存在する一方で、本系の方は中臣氏のままで神事職・祭祀職を代々継続した。
 そして約1,800年以上続いているとされる忌部氏は、先祖代々、古代朝廷における祭祀を司り、剣山の北麓に位置する徳島県美馬市木屋平(こやだいら)に住んで来られた。天皇陛下即位後の初めての新嘗祭である践祚大嘗祭に於いて、麁妙服(あらたえ)を天皇陛下に献上されて来られた。忌部氏直系の後裔・三木家が住む木屋平は、旧・阿波国麻植郡三ツ木村である。そして忌部氏の先祖は天太玉命(アメノフトダマノミコト)である。
 古事記に於いて淡路島の次に創られた伊予の二名島の四国・阿波の山間部・伊国(倭国:いのくに)の高天原から、東の海岸部の葦原中国(いのはらのなかのくに)、つまり長国(ながのくに:那賀、中)である伊津面(出雲:いずも)に天孫降臨し、その後に奈良の大和(やまと)に移動して日本の礎を築いた。支那・中国正史である後漢書に書かれている邪馬台国の正式名は「邪馬臺国(やまとこく)」である。卑弥呼の宗女にして卑弥呼の跡を継いだ「臺與(とよ)」「臺」を「と」と読む事と同じである。尚、「臺與」の代用として「台与」の漢字が用いられている。
 大和へ移動した後の中央氏族としての忌部氏は、奈良県橿原市忌部町周辺を根拠地として、各地の忌部を率いて中臣氏と共に古くから朝廷の祭祀を担った。しかし奈良時代頃から、勢力を増す中臣氏に押され始めた。「コヤネ」を先祖とする中臣氏も、元々は阿波・木屋平に住んでいたものと思われる。
 よって、中臣氏は「コヘン」であり古代ユダヤ人である事が言える。

 
物部氏の正体 (新潮文庫)物部氏の正体 (新潮文庫)価格:¥ 578(税込)発売日:2010-05-28


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秀吉とその参謀、黒田官兵衛と竹中半兵衛は同族・賎の民・・・賎民のネットワークによる秀吉の出世と、家康も同族「サンカ」

2014-01-20 00:55:19 | 歴史・伝統・文化
 総タイトル:【秀吉とその参謀、黒田官兵衛と竹中半兵衛は同族・賎の民・・・のネットワークによる秀吉の出世と、家康も同族「サンカ」】

 秀吉とその参謀、黒田官兵衛と竹中半兵衛は同族で賎の民の出でありました。秀吉の出世は、その多くののネットワークとその陰の支えがあったからでこそのものでありました。そして、家康も同族「サンカ」でありました。
 詳しくは、また後日。

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「『高貴な血』の流れる創造主の選民・部落の人達 & 飽く迄も~」の追記(2)

2014-01-12 20:42:39 | 歴史・伝統・文化
 昨年の本ブログの記事である2013/11/24付「『高貴な血』の流れる創造主の選民・の人達 & 飽く迄も被害者が正しく世間の常識・偏見・差別が悪い」の追記としての、聖書の御言葉を引用します。


 新約聖書・ヨハネの福音書15章16節「あなたがたががわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのですそれは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。


 新約聖書・ヨハネの福音書1章13節「この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」



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福島県民に対する「棄民政策」を阻止しようとした天皇への陳情の何が悪いのか・・・万世一系では無い天皇、そもそも天皇の権威とは一体何なのか

2013-11-05 00:45:51 | 歴史・伝統・文化
 総タイトル:【福島県民に対する「棄民政策」を阻止しようとした天皇への陳情の何が悪いのか・・・万世一系では無い天皇、そもそも天皇の権威とは一体何なのか】

 大河ドラマ「八重の桜」の主人公・新島八重の実家は山本家、単なる偶然でしょうか…。
 10月31日に行われた秋の園遊会においての、山本太郎参議院議員天皇に手紙を渡した事が波紋を広げています。
 手紙の内容は、3.11後の福島の人達、中でも特に子供達や、事故後の原発で働く人達の実情を書いたものであったとの事です。
 福島の復興予算が関連性の薄い事業へ流用されたり、福島県民を放置するかの様にオリンピックと言うお祭りを誘致し、国民の関心をより一層福島から目を逸らさせて浮かれて平和ボケする祭典に関心を持たせ、また誘致においてのアピールで放射能汚染水の海洋への拡散を否定する嘘をつく等、福島県民に対する「棄民政策」が伺えます。デフレ脱却の為には、経済的に復活する為には、福島が足かせとなって邪魔になる様にも思える為か、その右肩上がりを望む考えの妨げにもなる為か、福島は棄てられ様としています。
 因みに、オリンピックは昨年のロンドンオリンピックでのあからさまなパフォーマンスでも知られる様に、イルミナティ・フリーメーソンによる祭典です。
 山本議員は、その「棄民政策」を阻止する為、日本で最大の権威を持つ天皇に訴えて、ただ「純粋に」、福島の実情や心情を理解してもらおうとしたものと思います。
 山本議員は無所属で、どの政党にも組織にも所属していません。議員と言う身分は得たものの、ただ一人で、原発反対の一般市民の代表として、「低い位置から」訴えた訳です。故に、大きな政党や組織・団体に所属する人達の様な、下心や企み・計略、駆け引き等は無かったものと思います。飽く迄も、「純粋に」理解してもらいたかったのだと思います。
 皇室の政治利用ではないかと政権側がバッシングしています。山本議員が有名タレントでアピール力がある為に、原発廃止を訴える等の反政権的存在でうっとおしく思う事からも、その様な事に繋がっている様です。しかし、一般市民の代表としての反政権なのです。
 そして、皇室の政治利用は政権側が行ってきた事です。2009年12月の当時の民主党政権による働きかけでの天皇と習近平・中国国家主席(当時)の会見や、今年4月の「主権回復の日」式典に沖縄県民の反対する中で天皇・皇后の出席、2020年夏季オリンピック招致の為の総会においての皇族の参加とスピーチ等は皇室の政治利用に当たり、自民党政権はダブルスタンダードであって問題が有ります。
 「棄民政策」は、かつて明治維新後に、会津戦争で薩摩藩・長州藩中心の明治新政府側に敗れた旧幕府側の会津藩の、戦後においての悲惨な状態(戦死者・犠牲者の埋葬禁止や本州最北端の斗南藩(現・青森県むつ市)での貧窮生活等)におかれた事、第二次大戦末期においての沖縄の本土からの切り離し、その大戦後の満州開拓民の棄民化、イスラエル建国の為にパレスチナ人が難民化した事等が有ります。福島は、又しても棄民化されようとしています。
 ところで、そもそも天皇の権威とは一体何なのでしょうか。大化の改新後、「古事記」、「日本書紀」は天皇に権威づけする為に、編纂されて利用されて来ました。
 初期天皇には不在説があり、初代・神武天皇~九代天皇と、十一代~十四代天皇が実際には不在であった可能性が有ります。十代・崇神天皇、十五代・応神天皇、十六代・仁徳天皇と以降の天皇は実在であると言われています。一人の天皇の業績を分身する操作が行われており、初代・神武天皇と同じく「ハツクニシラススメラミコト」と称される十代・崇神天皇が初代天皇の可能性があると言われています。
 日本国憲法に基づき、皇位継承と摂政に関する事を中心に規律した皇室に関する法律である「皇室典範」は、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」と在ります。最近の皇位継承資格者の不足から表面化した皇位継承問題 において、その解決策として旧皇族の皇籍復帰などによって男系継承を維持する事や、女系天皇を容認する事、「皇室典範」を改正する事、皇位継承順位を定め直す事等が挙げられています。「女系天皇」は母のみが皇統に属する天皇で、「母系天皇」とも言われます。天皇自身が女性である「女性天皇」とは意味が異なります。
 天皇は「万世一系」であるとされています。つまり皇位継承において、皇統に属する男系の男子により永久に一つの系統が続くとされています。しかし女系天皇が存在した可能性が有り、女性天皇は8人十代(1926年(大正15年)まで第15代天皇とされていた神功皇后を入れると9人十一代)いました。また「南北朝時代」等も在った訳で、「万世一系」では無いのではないかと言うことです。そして皇室継承問題解決策は、その「万世一系」を否定するものが多いです。
 そしてもう一つ、明治維新の時に「天皇のすり替え」があった事です。これは「タブー」とされている事ですが、明治天皇からの4代は、それ以前の「北朝系」と異なって「南朝系」となっています。
 山口県に「南朝系」の末裔として温存されていた大室寅之祐が、明治天皇としてすり替えられました。当時、坂本龍馬と非常に近い関係で明治維新の立役者の一人である田中光顕伯爵が、「実は明治天皇は孝明天皇の皇子ではない」と言い、「薩長連合に導いた根本の原因は、桂小五郎から西郷南洲に『我々はこの南朝の御正系をお立てして王政復古するのだ』という事を打ち明けた時に、西郷南洲は南朝の大忠臣菊池氏の子孫であるから衷心より深く感銘してこれに賛同し、ついに薩藩を尊皇討幕に一致せしめ薩長連合を成功した。これが大政奉還明治維新の原動力となった」(宇野正美氏著「古代ユダヤは日本に封印された―『聖書』が明かす原日本人のルーツ」(日本文芸社)より)。
 能の完成者である世阿弥は古代ユダヤの直系・秦氏の出身ですが、当初は乞食同然でありました。世阿弥の祖父は伊賀・服部元成、祖母は「南朝軍」・楠木正成の姉か妹です。忍びの者(スパイ)の能楽者でした。そして後に、「北朝」守護幕府の反体制派として流刑されました。
 また、天皇は被差別民と同じ血筋、同じユダヤ人であると言う事です。方や貴ばれる存在にされた天皇と、方や賤しまれる存在にされたの人達。しかし、実際は「同じ」なのです。被差別民は、実は「高貴な血」なのです(2009年3月3日、宇野正美氏講演会より)。
 天皇は権威の象徴・シンボルとして、日本の裏権力、支配階級に利用されて使われて来ました。故に、天皇に陳情しても、天皇は自分の意志で何も出来ないのでしょうが……。
 

 本ブログ過去の関連記事↓↓
     ・2013/07/08付「日本人のルーツを取り戻す(5)・・・天皇とは共に同じ民族ユダヤ人」 


 関連動画↓↓  
 

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YouTube: 【天皇は偽物】現皇室の秘密を暴くと、早死します...1/2.


 

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YouTube: 天皇 明治ですりかわって4代目だよ


 

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日本人のルーツを取り戻す(5)・・・天皇と賎民は共に同じ民族ユダヤ人・・・「天皇家とユダヤ人」を読んで

2013-07-08 23:22:00 | 歴史・伝統・文化
 総タイトル:【日本人のルーツを取り戻す(5)・・・天皇とは共に同じ民族ユダヤ人・・・「天皇家とユダヤ人」を読んで】

 「天皇家とユダヤ人」(著者:篠原央憲氏、出版社:光風社出版、出版日:1982/1/10)(※1977年(昭和52年)5月出版の改訂したもの。)

 過去に購入して読んだ本書を再読しました。
 本書のタイトル通り皇族・天皇はユダヤ人である様ですが、藤原系(同様にユダヤ人)等の日本の貴族・支配階級に操作され利用され続けて来ました。
 一方、渡来系の大和政権による多民族国家の統一・支配の過程から土着・先住民の原日本人が被支配階級に落とされ、その後の大化の改新後の律令制導入により被差別民が法律によって明確に区別される様になりました。その被支配階級被差別民であるから現在まで続いている被差別の人達の多く(殆ど)もユダヤ人であります。
 支配階級に迎合し媚びへつらったユダヤ人は出世しましたが、反対に権力に反抗・抵抗したユダヤ人達は中央・都市部から地方・山奥の河原等に逃れて最下層のとして扱われる事になりました。仏教の国教化によりユダヤ人の牛のが穢れたものとみなされる様になった事も一因で、河原での皮革産業に繋がるものとなりました。
 しかし、その等の被差別民からは、現在の日本の伝統文化である歌舞伎や猿楽・能楽の芸能が生まれました
 また、元々多民族国家であった日本土着・先住民の様々な原日本人や、後から渡来して来る様々な民族が、それぞれ国を作って独立して共存していました。ユダヤ人は一度にまとめて来た訳では無く、先住民にも渡来人にもユダヤ人は存在しました。他にも中国系や朝鮮系の民族も多数渡来して来ています。決して純粋な単一民族ではありません。
 道理無く正しい根拠を基にしていない身分制度によって、方や貴ばれる存在にされた天皇と、方や賤しまれる存在にされた。しかし共に同じ血が流れている同じ民族ユダヤ人なのです。故に、その様な理不尽な身分制度によって差別化する事は意味が無く空虚なもので、間違っているのです。
 以下に本書からの極一部の概要を記します。
 
 ・高松塚古墳の被葬者は天武天皇と胸形氏娘との子・高市皇子・・・壁画は皇子の側近・柿本人麻呂藤原派より国賊的処遇と墓暴き。木棺にユダヤ王朝の紋章。ユダヤの皇太子。
 ・天孫族の先遣隊・胸形族(宗像族)・・・筑紫・宗像三社。貿易基地・沖ノ島。通商の支配者・財閥
 ・エルサレムに菊の紋・・・十二弁と十六弁。
 ・古代天皇・スメラミコト(皇尊)・・・スメル族(シュメール人)スメル→スメラ、ミグト(天降る者)→ミカド。スメ、スム(神、至上最高のもの)。日本神話の高天原から降りてきた天孫。
 ・ミカドはユダヤ十二支族ガド族・・・ヤコブ(イスラエル)の子ガドの長男「ニッポン」(Zephon、ツェフォン、ゼポン、ツィフヨン)
 ・渡来人・秦氏・・・融通王(弓月君)・百二十七県、蚕・絹織物、桂川・葛野大堰、太秦・広隆寺・牛祭り、太秦・坂越・大酒神社(大辟神社、ダビデ神社)、太秦・木嶋神社(蚕の社)・三柱鳥居、八坂神社・祇園祭・牛頭天王(スサノオノミコト)
 ・ 祇園祭は「シオン祭り」・・・シオン(Zion)→ギオン。7月17日「ノアの方舟」のアララト山漂着
 ・神輿は「契約の箱」の雛形
 ・祭礼・習慣の相似・・・榊のお祓い・玉串奉奠とヒソプ、神社と神殿前の手洗場・二本の柱(鳥居)・獅子像、拝殿・本殿と聖所・至聖所、初穂の供え(新嘗祭)、注連縄、偶像崇拝の否定(神道)、餅(種無しパン)、賽銭、天狗・山伏の兜巾(ヒラクテイリー)……。
 ・平安京はエルサレム・・・イェル(都市)+サレム(平安、平和)
 ・阿波・剣山(鶴亀山)に人工的痕跡・・・かごめかごめ
 ・群馬県高崎市多胡村の羊・・・日本最古「多胡の石碑」の「郡成給羊」。正倉院・フェルト織物の記録。
 ・羊と馬の連動・・・騎馬民族スキタイ・胡族。群馬。
 ・渡会氏の祖先・ウルのフルみこと(乙乃古命)・・・元伊勢・渡遇宮。牛族の村落。メソポタミア最古の都市「ウル」(シュメール語で牛)+「フル」(朝鮮語で村邑、部族)
 ・畜牛地のウル・フル・・・韓国ソウル。伊勢の地名・牛庭神社・宇留布都神社。但馬養父郡・宇留波神社、丹後与謝郡・宇良神社(浦嶋神社)。松坂牛、丹波・但馬牛
 ・牛・塩・蚕(絹)の文化技術集団の渡来・・・夫余国→高句麗→新羅→日本(伊勢)
 ・伊勢市民の門符「蘇民将来子孫之門」・・・「蘇」(=「酥」、牛の乳を煮詰めて濃くした物。煉乳、酪。よみがえること(蘇生、蘇活)、復活(特にイエス・キリスト))。蘇民=牛族(ウル族)。門符の裏にダビデの紋等(シュメール語で神の子)。 胸形族の分派。福岡県志摩町。
 ・丹波・元伊勢籠神社摂社・真名井神社・・・「マナ」(パン)、神宝「マナの壺」。豊受大神は米の神
 ・民謡のハヤシコトバの不思議をヘブライ語で解く・・・童歌(わざうた)の暗号による伝達
 ・黒潮に乗って来たアワ族・・・イザナギ・イザナミ、淡路島。「邪馬台国・阿波」。忌部族(エンベ(スメル語で神職の意)→インベ)。(「アワ」(スメル語で海水)は海系ユダヤ族。千葉房総半島・安房。
 ・日本神話によるカムフラージュ・・・天孫。天皇家の神格化・権威付け。民衆への幻惑的畏敬の念・君主崇拝の念の植え付け。催眠暗示力。歴史事実の隠蔽と不都合の抹消
 ・初期天皇不在説・・・初代・神武天皇~九代天皇と十一代~十四代天皇の不在説。十代・崇神天皇、十五代・応神天皇、十六代・仁徳天皇と以降の天皇の実在。一人の天皇の業績を分身する操作。
 ・「ハツクニシラススメラミコト」の崇神天皇が初代天皇・・・「ミマキイリヒコ」(朝鮮の任那から来た者の意)の名も持つ。
 ・ユダヤの「マナ」から来た天皇・・・「御」+「マナ」→「ミマナ(任那)」。旧約聖書・出エジプト記16章、主が天から降らせた「マナ」(パン)。「マナ」→「マイ(米)」。稲作。
 「倭」の移動・・・秦滅亡後の秦人→夫余国(満州地方)→遼東半島北付近(後の高句麗)→馬韓(紀元前後に倭百余国)→辰韓(秦韓)→弁韓(十二国、後に任那)→筑紫、丹後丹後→伊勢筑紫→安芸→吉備→河内→大和

 私のブログの、過去の関連ウェブページが次に在ります↓↓
 「多民族国家の日本に古代ユダヤ人」
 「古事記・天孫降臨、イザヤ・ナギード(イザナギ)」
 「大和の中央政権に対する播磨人の反骨精神」

 次に、関連ファイルが在ります(PDFファイルのダウンロード)↓↓
 「被差別民は高貴な血~宇野正美講演会より- YouTube」をダウンロード
※2017/11/15:gooブログではpdfファイル不可の為、次を追加する。・・・画像クリックで拡大可(但し、解像度が低い為に文字が判明しにくい(gooブログの制限の為))
  


 以下に、関連動画を添付します↓↓
 

</object>

YouTube: 宇野正美講演会090303 9/14


 

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YouTube: 宇野正美講演会090303 10/14


 尚、次の動画は、①~③の3分割となっています↓↓
 

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YouTube: 仁徳天皇陵の秘密①


 尚、次の動画は、1/6~6/6の6分割となっています↓↓
 

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YouTube: 古事記の神話と聖書(1/6)


 尚、次の動画は、1/2~2/2の2分割となっています↓↓
 

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YouTube: 2012/1/18 1/2 天皇もユダヤ人だけど民もユダヤ人


 

</object>

YouTube: 2012/1/19 天皇家と失われたユダヤ、イスラエル十支族


 

</object>

YouTube: 2012/2/9天皇,エタ:被差別特権をもつ同じ原始キリスト教のユダヤ人


 

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YouTube: 京都 太秦牛祭り


 

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YouTube: 剣山アーク伝説


 Dvc00038
 
天皇家とユダヤ人価格:¥ 1,020(税込)発売日:1982-01


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