日本人の国民性として、性善説の傾向が有る。人間は皆いい人であるというものである。つまり、人を疑う事無く、安易に信じて受け入れる傾向がある。それは、現日本国憲法の前文に在る、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」、つまり諸外国が皆いい国だと信頼して、平和ボケしている事にも現されている。
しかし、日本人が平和や愛、道徳律の事ばかりが書かれていると勘違いして恰も可愛い本だと思い込んでいる「聖書」は、逆に「性悪説」を述べており、人間は皆悪だと言っているのである。クリスチャン三浦綾子氏の小説「氷点」の中でテーマとなった、「原罪」の事である。そして、その現日本国憲法を押し付けたアメリカ・GHQは、その聖書の知識を持っていたのである。
その聖書に対する思い込み、勘違いにしても、内容・内面を見ずに表面だけしか見ない性格、名前・看板・肩書・評判だけで判断する傾向が現されている。クリスマスのお祭りや、教会での結婚式のイメージを、その聖書に当てはめて観ているのである。しかし、それらの行事は聖書には書かれておらず、出鱈目なのである。未来に起こる世界的大戦争や天変地異による大災害、そしてこの世が終わる事が、神から預かった言葉である「預言」として書かれているのである。またイエス・キリストは、「平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来た」と述べているのである。果たしてどこが可愛いのであろうか?。
十字架をネックレスやイヤリングとしてファッションに利用している者が多い。その事も、十字架が恰も可愛らしい物と勘違いしているから身に着けているのであろう。しかしその十字架は、イエス・キリストがこの世の悪と戦った結果、その悪である者達とそれに煽動された世間一般民衆によっての、無実でありながらの磔刑に使われたものである。その事をイエスは天の父・創造主の計画・運命として受け入れて、その後の人間、特にイエスを信じて受け入れた者達も含めた、人間の罪の代わりとなって、身を持って犠牲となられた事の象徴なのである。
故に、聖書も十字架も、決して可愛いものでは無いのである。
新約聖書・マタイの福音書10章34節
わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。
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・2013/05/03付:「聖書は直接自分で読む・・・聖書のみに忠実に。映画や小説、人の解釈に惑わされないこと。」
・2014/01/12付:「イエス・キリストはなぜ殺されたのか・・・『革命者』イエス」
・2014/01/19付:「『宗教組織』による『創作』(1)・・・クリスマス、誰が勝手に12月25日と定めたのか」
・2014/01/19付:「『宗教組織』による『創作』(2)・・・人間マリアの『偶像』と、『懺悔室』の傲慢」
・2014/04/29付:「人間が勝手に認める『聖人化』・・・神の下の平等に反する階級制度」
・2014/06/08付:「お金・事業より優る『思想』、それをも上回る独立した名も無き小さな一個人の勇ましく高尚な真面目なる『生涯』・・・『後世への最大遺物・デンマルク国の話』を読んで」
・2015/01/02付:「プロテスタント教会は抗議せず世間や権力に迎合している・・・『平和』や『愛』の言葉による麻痺」
・2016/04/17付:「『無教会主義』の内村鑑三氏は『自立』『独立』を勧めた・・・『単独者』として絶対者・創造主を仰ぐ」
・2016/05/08付:「聖霊存する不動の土台が築かれた心により失敗・ユニークが才能・特性に変貌する・・・『聖書力』を読む」
しかし、日本人が平和や愛、道徳律の事ばかりが書かれていると勘違いして恰も可愛い本だと思い込んでいる「聖書」は、逆に「性悪説」を述べており、人間は皆悪だと言っているのである。クリスチャン三浦綾子氏の小説「氷点」の中でテーマとなった、「原罪」の事である。そして、その現日本国憲法を押し付けたアメリカ・GHQは、その聖書の知識を持っていたのである。
その聖書に対する思い込み、勘違いにしても、内容・内面を見ずに表面だけしか見ない性格、名前・看板・肩書・評判だけで判断する傾向が現されている。クリスマスのお祭りや、教会での結婚式のイメージを、その聖書に当てはめて観ているのである。しかし、それらの行事は聖書には書かれておらず、出鱈目なのである。未来に起こる世界的大戦争や天変地異による大災害、そしてこの世が終わる事が、神から預かった言葉である「預言」として書かれているのである。またイエス・キリストは、「平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来た」と述べているのである。果たしてどこが可愛いのであろうか?。
十字架をネックレスやイヤリングとしてファッションに利用している者が多い。その事も、十字架が恰も可愛らしい物と勘違いしているから身に着けているのであろう。しかしその十字架は、イエス・キリストがこの世の悪と戦った結果、その悪である者達とそれに煽動された世間一般民衆によっての、無実でありながらの磔刑に使われたものである。その事をイエスは天の父・創造主の計画・運命として受け入れて、その後の人間、特にイエスを信じて受け入れた者達も含めた、人間の罪の代わりとなって、身を持って犠牲となられた事の象徴なのである。
故に、聖書も十字架も、決して可愛いものでは無いのである。
新約聖書・マタイの福音書10章34節
わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。
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