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狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

多くの中国史書を根拠に、その邪馬台国についての多くの「特徴」が四国山上の天然自然と一致・・・「邪馬台国の結論は四国山上説だ―ドキュメント・邪馬台国論争 」を読んで

2014-01-26 20:19:09 | 歴史・伝統・文化
 総タイトル:【多くの中国史書を根拠に、その邪馬台国についての多くの「特徴」が四国山上の天然自然と一致・・・「邪馬台国の結論は四国山上説だ―ドキュメント・邪馬台国論争 」を読んで】

 「邪馬台国の結論は四国山上説だ―ドキュメント・邪馬台国論争 」(著者:大杉博 氏、出版社:たま出版、出版日:1993/9/10)
 本書を読みました。
 多くの中国史書を根拠に、それら文献に記されている邪馬台国についての多くの「特徴」を比定した結果、四国山上の天然自然環境と一致する事が判明し、畿内説や九州説を唱える多くの識者との邪馬台国の比定地比べ論争を自ら申し込んで、その相手の唱える矛盾点等を突いて全て論破し勝利した著者の研究結果が記されています。
 魏志倭人伝をはじめとした、多くの中国史書に在る邪馬台国についての記述内容の多くの「特徴」が、四国の天然自然と一致
 四国の中腹から上の山上の至る所から、弥生土器・石器が出土。また、古代からの多くの高地性集落と、大土木工事による無数の人造池、山焼・焼畑の風習。井の国=倭奴国=倭国(いのくに)
 「翰苑」所引の魏志倭人伝に、「海中洲島の山に絶在」、「四面がみなともに、海にそびえ立っている」、山脈が「或いは絶え、或いは連なり」
 魏志倭人伝の記事を更に詳しく説明した「広輿図」に、倭・女王の境にくっつく斯馬国以下21の旁国(そば・はたの国)の国名と各大きさ・戸数。「日本東海島、夷亦名倭」、昔、阿波は夷と呼ばれていた(「阿府志」)。
 「太平御覧」所引の魏志倭人伝に、邪馬台国が21の小国を皆統治、南隣に属さない狗奴国
 「釈日本記」の南北二倭は、畿内が北倭、南倭は女王国で阿波。九州は西海道
 阿波に高天原、天岩戸、天孫降臨の地、葦原中国、出雲、天つ国。本当の高千穂は、現在の友内山(木綿麻山、宮内山、木綿内山、忌部山、連台山とも)。阿波と記紀神話の記述の一致
 阿波に、高天原族と出雲族、海族が住む。
 天武8年(679年)5月6日の「吉野宮の会盟」による、大和朝廷発祥地・阿波の隠蔽を行なった「大秘密政策」による、皇室の出自隠蔽の為の九州・島根(出雲)の神話の形跡
 徳島県池田町に、倭国の都の地にしか祭らず、全国の3,132座在る延喜式内社の内ででただ1社しかない倭大国玉神大国敷神社が鎮座
 最初、気延山山頂の前方後円墳に在ったものを後に現在の中腹に移転した、徳島県国府町矢野神山の天石門別八倉比売神社は、大日命(おおひるめのみこと=天照大神)が祭神。大日命は「大日巫女命」で卑弥呼のこと。気延山周辺に100基以上の古墳が群在(気延山古墳群)。三角縁神獣鏡の出土
 邪馬台国の在る倭の地には青い玉と丹(丹砂)が在ると記され、阿波の美しい青石は有名で、阿南市に全国でただ1ヶ所しか確認されていない、弥生時代の丹(辰砂)の採掘跡である若杉山遺跡が在る。
 倭の地では、粟、稲、紵麻を作り、養蚕が行なわれていた。(魏志倭人伝、「古語拾遺」)。
 徳島県神山町神領字高根は、卑弥呼の都跡。天蚕(やまがいこ)、絹の生産。天の中川。高天原と呼ばれていた大川原高原
 大和国は、四国の山人(やまと、山の住人)の国・邪馬台国から山人が大勢行って作って拡げた山人の国。大阪弁の元は阿波弁
 三種の神器は、徳島県穴吹町の古墳からも出土。
 秦の始皇帝の使い・徐福の蓬莱山は、徳島県山川町の高越山(阿波富士)。本当の葦原中国の入口にそびえ、そのすぐ内側に天孫降臨の地・忌部大神宮。「義楚六帖」に「徐福此に止り、蓬莱と謂ふ。今に至って子孫皆秦氏と曰ふ」。和歌山県新宮市の熊野に「大秘密政策」によるカムフラージュ用の徐福の偽の墓
 剣山を囲む様にして、いっちゅう(一宇、市宇=いの中)の地名が5か所。
 和歌山は「紀の国」、阿波は「いの国」。
 神武の阿波からの東征。


 
邪馬台国の結論は四国山上説だ―ドキュメント・邪馬台国論争邪馬台国の結論は四国山上説だ―ドキュメント・邪馬台国論争価格:¥ 1,835(税込)発売日:1993-08



 関連動画↓↓
 

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YouTube: 本当の邪馬台国 四国山上説 その1 1/3


 

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YouTube: 歴史ミステリー 邪馬台国は四国にあった?1





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ダイエット飲料と宣伝しながら発がん性物質を添加する企業のマーケティング戦略

2014-01-26 16:07:56 | 食品
 「カロリーゼロ」等と謳い文句に「ダイエット食品・飲料」等と「宣伝」し、実は発癌(がん)性物質である人工合成甘味料を添加物として含めて、大きな食品・飲料メーカーはそれらの商品を売っています
 菓子、飲料、加工食品、インスタント食品等、様々な商品に、健康に悪影響を与える人工合成添加物が含められています。その内、ガムコーラをはじめとした商品には、人工合成甘味料のアスパルテーム・L・フェニルアラニン化合物、アセスルファムK、スクラロース等が含まれ、これ等は脳腫瘍や肝機能低下、免疫機能低下等を引き起こします。
 また、コーラと同様にカレー等の多くの商品に含まれて茶色い色を付ける着色料・カラメル色素は、4種類の内の2種類に発癌性が有ります。普通は4種類の内どれを使っているか解らないのですが、コーラの場合には発癌性の有る2種類が使われており、原料にアンモニウム化合物が使われ、副産物としての4-メチルイミダゾールがいずれにも含まれています
 カロリーは少し高めになるかもしれませんが、やはり自然の砂糖が体に良いのではないかと思います。


 
 
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679年の「吉野宮の会盟」により、大和朝廷発祥地・阿波の隠蔽を行なった「大秘密政策」・・・「古代ユダヤと日本建国の秘密―消えた『ユダヤの秘宝』と四国・剣山の謎」を読んで

2014-01-26 14:13:07 | 歴史・伝統・文化
 総タイトル:【679年の「吉野宮の会盟」により、大和朝廷発祥地・阿波の隠蔽を行なった「大秘密政策」・・・「古代ユダヤと日本建国の秘密―消えた『ユダヤの秘宝』と四国・剣山の謎」を読んで】

 「古代ユダヤと日本建国の秘密―消えた『ユダヤの秘宝』と四国・剣山の謎」(著者:大杉博 氏、出版社:日本文芸社、出版日:2000/6/25)
 本書を読みました。
 天武8年(679年)5月6日の「吉野宮の会盟」による、大和朝廷発祥地・阿波の隠蔽を行なった「大秘密政策」
 「契約の箱」を外国から守る為と、皇族の山上での質素で粗末な出自の隠匿により、特に外国に対しての皇族の権威と神秘性の創出の為。
 四国全体の山上に、古代からの無数の高地性集落と人工池井の国=倭奴国=倭国(いのくに)
 邪馬台国と高天原は同一国。葦原中国も四国・阿波
 八咫鏡の裏のヘブライ語による「我は有りて在るものなり」(旧約聖書・出エジプト記3章14節)
 2700年前に「契約の箱」を携えて四国に漂着した預言者イザヤイザナギは「イスラエルの主権者ダビデの王統を救い給え」、イザナミは「ナヲミ(ダビデの母祖)を救い給え」。ナギ→禰宜。日本の皇室はダビデの王統。高天原の中心・剣山
 劔神社の山頂神輿渡御は、ノアの箱船のアララト山漂着の7月17日。兜巾(ヒラクティリー)を付けた山伏。
 「大秘密政策」によるカムフラージュ用の神社をあちこちに創建。出雲大社、宇佐神宮、諏訪大社……。
 本来の富士山・高越山(阿波富士)のカムフラージュ・浅間山(偽富士山)。中国史書(「普陀山志」、「拾遺記」)の蓬莱山=阿波富士に徐福の墓。和歌山県新宮市の熊野に偽の墓
 延喜式から外された忌部大神宮
 日本書紀・伊勢の狹長田は、阿波国以西郡狹長田。
 出雲族の本拠地、長国(元イズモ)の祖神を祭る八桙神社(阿南市長池町宮内)は本来の出雲大社。出雲国風土記に出雲族の神々を祭る神社が載っていない。その風土記に大穴持命(オオナムチノミコト)=オオクニヌシノミコトの名が付く神社が全く無い事で、後に朝廷が延喜式編纂時にあわててその名の付く神社を創建して記載する。
 「大秘密政策」に基づく、日本書紀、古事記、風土記、延喜式、万葉集、釈日本記の嘘の歴史書・偽装工作書
 渡来人(外国人)用に公開目的で作られた「日本書紀」と、皇族関係の勉強用の「古事記」
 四国の秘密を万葉集の中で詠った柿本人麻呂
 記紀神話の本当の舞台・四国を隠蔽した日本書紀の注釈書(質疑応答のマニュアル。役人の虎の巻。)としての「釈日本記」
 大秦景教流行中国碑。秦氏。太秦公秦嶋麻呂
 四国に異常に多い勅願寺「大秘密政策」への国民の反発に対する朝廷の鎮圧藤原広嗣の反乱とその父・藤原宇合。朝廷に対する不信感の表れとしての火災の多発
 空海の四国八十八か所霊場の目的は、朝廷発祥地と契約の箱の封印の為第十番・切幡寺から西へは皇族以外は入らせない。
 八の重要性:八雲、八重垣、八尋殿、八島、八咫鏡、八百万神……。
 空海が、唐の長安城内の大秦寺において、其の寺の僧である景浄から景教(キリスト教)の情報を得る。大秦景教流行中国碑の碑文を作った景浄と、空海が仏教について教わった般若三蔵とは六波羅密教を漢訳した間柄。
 空海著「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」は、「秘蔵している宝の鑰(かぎ)」。密教による暗号・暗示


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古代ユダヤと日本建国の秘密―消えた「ユダヤの秘宝」と四国・剣山の謎価格:¥ 1,260(税込)発売日:2000-06



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日本書紀に抹殺された排仏派・物部守屋と、中臣氏に成済ました百済王子・豊璋(中臣鎌足)・・・「物部氏の正体」を読む ※2017/12/02追記:中臣氏の先祖「コヤネ」はユダヤ祭司「コヘン」

2014-01-26 00:36:47 | 歴史・伝統・文化
 (2017/12/01:追記)

 「物部氏の正体」(著者:関裕二氏、出版社:新潮社、出版日:2010/6/1(単行本は2006年9月に東京書籍より刊行))
 本書を読みました。
 「『日本書紀』が物部氏の正体を抹殺」
 「八世紀に編纂された正史『日本書紀』は歴史を改竄(かいざん)し、真実を隠蔽するために記された。」
 仏教反対派(神道派)の物部守屋と中臣勝海、仏教推進派の蘇我馬子。蘇我馬子によって滅ぼされた物部守屋。
 平城京遷都は、藤原不比等によるクーデター。総理大臣級の左大臣・石上(物部)麻呂の藤原京留守役任命による石上(物部)潰しの陰謀。
 古代最大の豪族・物部氏は、神道祭祀軍事に深い関わり。
 物部氏一族にマウラ・マラの名が多く、銅や鉄の精錬に従事する集団。
 経津主(ふつぬし)神と、物部氏の神宝・'霊(ふつのみたま)、'霊剣、物部氏の祀る石上神宮(奈良県天理市)の主祭神は布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)と、「フツ」の名の重なり。
 弥生時代後期に、が山陰地方に溢れだした事と対照的に、大和の鉄欠乏。鉄による農業生産力向上、人口増加、富の蓄積、軍事力増大、国力増大。鉄の独占。
 二世紀後半の小氷河期。
 神道祭祀に関わる斎部(忌部)氏と中臣氏。八世紀以降、斎部(忌部)氏の不当な扱い。
 藤原不比等の父・中臣鎌足は百済王子・豊璋で、物部氏と共に落ちぶれていた本物の中臣氏に成済ます
 瀬戸内海の制海権を握る物部氏は、吉備の一族。
 金属冶金の神アメノヒボコ(天日槍・天日矛)の、新羅から但馬・角鹿(つぬが・敦賀)に本拠地。
 日本書紀が、実在した初代天皇を三人の天皇に分解。初代・神武天皇と第十代・崇神天皇だけでなく、第十五代・応神天皇も初代王で同一人物
 物部氏と尾張氏の祖は腹違いの兄弟の繋がり。律令制度・中央集権国家以前、物部氏と尾張氏は日本の大半の広大な土地と人民を私有。
 藤原の天下の体制作りの為の、物部氏と蘇我氏の滅亡

 <<2017/12/01:以下追記・・・中臣氏についての著者の見解との異論・補足文>>
 ヘブル語(ヘブライ語)では、祭司の事を「コヘン」と言う。ユダヤ人は、古代に於いてはヘブル人、ヘブライ人と言った。
 「コヘン」をヘブル文字で書くと。「コ八ノ」となり、「八」は漢字の「ハチ」にも読めるので、「八」を音読みの「ヤ」と読んで「コヤノ」と読まれる様になり、それが訛って「コヤネ」となった。(※「コ八ノ」の中でも特に「八」の文字は、入力文字としてヘブライ文字が無い為に近似する文字をここに載せているが、正確には左上の角部が離れて上に水平線の付いた文字。上の部分は「几」に近い(「コ几ノ」)。)
 「コヤネ」は「天児屋命」(アメノコヤネノミコト)の事で、古事記には中臣氏の先祖と書かれている。中臣氏は、中臣鎌足から藤原氏に姓を変えた系が存在する一方で、本系の方は中臣氏のままで神事職・祭祀職を代々継続した。
 そして約1,800年以上続いているとされる忌部氏は、先祖代々、古代朝廷における祭祀を司り、剣山の北麓に位置する徳島県美馬市木屋平(こやだいら)に住んで来られた。天皇陛下即位後の初めての新嘗祭である践祚大嘗祭に於いて、麁妙服(あらたえ)を天皇陛下に献上されて来られた。忌部氏直系の後裔・三木家が住む木屋平は、旧・阿波国麻植郡三ツ木村である。そして忌部氏の先祖は天太玉命(アメノフトダマノミコト)である。
 古事記に於いて淡路島の次に創られた伊予の二名島の四国・阿波の山間部・伊国(倭国:いのくに)の高天原から、東の海岸部の葦原中国(いのはらのなかのくに)、つまり長国(ながのくに:那賀、中)である伊津面(出雲:いずも)に天孫降臨し、その後に奈良の大和(やまと)に移動して日本の礎を築いた。支那・中国正史である後漢書に書かれている邪馬台国の正式名は「邪馬臺国(やまとこく)」である。卑弥呼の宗女にして卑弥呼の跡を継いだ「臺與(とよ)」「臺」を「と」と読む事と同じである。尚、「臺與」の代用として「台与」の漢字が用いられている。
 大和へ移動した後の中央氏族としての忌部氏は、奈良県橿原市忌部町周辺を根拠地として、各地の忌部を率いて中臣氏と共に古くから朝廷の祭祀を担った。しかし奈良時代頃から、勢力を増す中臣氏に押され始めた。「コヤネ」を先祖とする中臣氏も、元々は阿波・木屋平に住んでいたものと思われる。
 よって、中臣氏は「コヘン」であり古代ユダヤ人である事が言える。

 
物部氏の正体 (新潮文庫)物部氏の正体 (新潮文庫)価格:¥ 578(税込)発売日:2010-05-28


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必要のないワクチンの定期接種化・・・水痘と成人用肺炎球菌ワクチン

2014-01-25 18:35:15 | 予防医療の危険性と生命倫理
 2014年01月16日付・日経BPnetより、「水痘と成人用肺炎球菌ワクチン、定期接種化へ」と題し、「厚生労働省は1月15日、第4回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会を開催し、2014年度中に水痘と成人用肺炎球菌の2ワクチンを定期接種化することを決めた。早ければ4月に予防接種法の政省令の改正が進められ、10月に施行される。水痘ワクチンは集団予防を図る目的でA類疾病に、成人用肺炎球菌ワクチンは個人予防目的としてB類疾病とされた。」。
 「インフルエンザワクチンはいらない」(著者:母里啓子氏、出版社:双葉社、出版日:2010/12/22)によると、これら二つのワクチンは、「必要の無いワクチン」と言う事です。下記の本ブログの、過去の関連記事の参照を。
 製薬会社の利権の為、定期接種化により公費負担による無料接種で、無駄に税金が使用されます。


 本ブログ過去の関連記事↓↓
   ・ 2012/11/22付「ワクチン接種による感染」
   ・2013/04/01付「ワクチン・薬は自分で勉強し、嫌なら拒否・・・専門家・権威の言葉を鵜呑みにしない事、自然免疫力の大事さ 」
   ・2013/06/21付「成長戦略で『市販薬インターネット販売全面解禁』を柱とする医療・医薬品の『営利目的強化』策・・・『医療ビジネス』の成長戦略」


 
インフルエンザワクチンはいらない (双葉新書)インフルエンザワクチンはいらない (双葉新書)価格:¥ 840(税込)発売日:2010-12-22


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比較の対象・「基準」・「規準」・「規範」にするものが重要で、不完全である人や世間、社会、空気、マスコミと比較する事は間違い・・・「くらべない幸せ ~『誰か』に振り回されない生き方~」を読んで

2014-01-25 17:55:12 | 世間・空気
 総タイトル:【比較の対象・「基準」・「規準」・「規範」にするものが重要で、不完全である人や世間、社会、空気、マスコミと比較する事は間違い・・・「くらべない幸せ ~『誰か』に振り回されない生き方~」を読んで】

  「くらべない幸せ ~『誰か』に振り回されない生き方~」(著者:香山リカ氏、出版日:2010/2/5、出版社:大和書房)
 本書を読みました。因みに、本書に聖書や神の事については書かれていません。
 聖書の「規範」に照らし合わして(比較して)点検・確認する事が大事で、人や世間、社会、空気、マスコミと比較する事は間違いです。
 比較の対象・「基準」・「規準」にするものが重要で、不完全である人を基準にする事は間違いで、完全な神・「聖書」の指針を基準にする事が正しいのです。世間、空気、雰囲気、流行、傾向等を基準にする事は間違いです。評価や認定は、その規準・基準にするものが何であるかによって異なってくる訳であり、規準・基準にするものが間違っていれば自ずと評価や認定も間違いとなります。
 唯一・絶対の神に従う事が正しく、人に従う事は間違いです。人に従うのは「奴隷」であり、神に従う事は「神が主」です。
 人が未熟な精神状態から成熟な状態への発達過程として、初めは「他信」であり、それは、他人を信じ、「他人本位」であり、他人の奴隷、他人を基準にします。
 次の段階として「自信」へと発達し、それは、自分を信じ、「自己本位」であり、「自己実現」を自分で行ない、自分を基準にします。しかし、同時に自分の欲望の奴隷となってしまいます
 そして最も発達して成熟した状態が、「神信」です。それは、神を信じ、「神本位」であり、「神実現」を神の意のままに行なってもらえる様に神に委ねて祈り、神を基準にします。本当の自分が得られ、神に委ねて拘りや欲望からの解放が得られます。「運命」に委ねる事です。そして、元々この世に生まれて来た時の「純粋無垢」な心の状態に「戻る」事です。
 自分を誇る事は間違いで、神を誇る(信仰を誇る)事が正しいのです。
 社会性を身に付けていく毎に、理想郷では無い社会や世間の汚れが付着して心の純度が鈍ってしまい、心の内に存在する「聖霊」が見えなくなってしまいます。社会・世間に溢れる偽善、矛盾、欲望、欺瞞……。これが本書で言う「心理的妨害」です。
 例え此の世に在って孤独であっても、「聖霊」が心に宿る、神と共に居る事が「幸せ」です。「不安」に感じるのは、信仰の無い心に聖霊が存在しない事、そしてそれが後述の「心の不安定さ」に繋がります。
 「“もの足りなさ”を埋めてくれる何かを求めてさまよっている」と在りますが、世の与える様々なものは欲望の対象となるものばかりですが、直ぐ渇いてしまうので直ぐに次にまた欲しくなり、幾ら取っても満足出来ずに限が(きりが)有りません。しかし神から与えられるものは渇く事が無く、足るを知り、満足出来ます。神への信仰心によって、「欲望の奴隷」からの解放が得られて心が自由になります。世に在るビジネスや商売の殆どは、その欲望によって成立しています。
 神の思い(神の御計画)と人間の思い(欲望・目標)とは異なります。「絶望」とは、自分の欲望から起こるもので、元々神の立てている計画は別の方向・場所に存在しているのです。故に、神に委ねて「神の御心」のままに行うならば、絶望とは無縁となります自分の欲望や目標にしがみつかずに諦め(あきらめ)、神に依存する事が必要です。
 「『何のために生まれてきたの』『私の人生、何の価値があるんだろう』」と在りますが、人間は創造主の為にこの世に生まれ、人の生命は創造主の持ち物であり、生命は神の領域であります。そして、神によって全ての人の尊さが認められています。「神は普遍」であり、全ての人・ものに共通して存在します。「万人向けの究極の処方箋」とは「聖書」です。
 社会・世間から距離を置き、「信仰心」を基に「沈思黙考」・「祈り」・「悔い改め」をして心が解放されてリラックスすると同時に、自分が「純化」され、社会・世間から付着した汚れや自分の罪が落とされます。また、悟り・沈着・泰然不動・心の安定が得られます。逆に世間の中にどっぷりと浸って欲望に身を委ねる事は、浮動・遊動・流動・心の不安定を招き、それは神からはぐれた人間の心の不安定さを表します。例え金・地位・職等の「社会的安定」が得られなくとも、不遇な扱いを受けても、「信仰心」は「心の安定」をもたらします
 「マイペース」と「世間のペース」との違い、「自分の価値観」と「世間の価値観」との違い。
 笑顔や行為、空虚な言葉は表面的なもので偽善であります。
 「あるべきものがない不確かな存在」と在りますが、本来、人は創造主によって造られたにも関わらずに人其々に「あるべきもの」である神からはぐれてしまい、世間や社会、空気、マスコミ等の「不確かな存在」に依存し頼っている為に人其々が「不確かな存在」になってしまっています。景気や流行、風評、世論等は時間の経過によって移り変わりますが、「真実・神は不変」です。人間や人の作り出すものは不完全である為に、「不確かな存在」です。不確かな人間に頼る事で、裏切られます。この場合の「不確か」とは、前述の「不安定さ」と同様に、社会的な事では無く「心」においての事であります。
 旧約聖書・箴言29章25節「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」。
 神への信仰から来る「単純さ」と「能天気さ」(楽天さ)は、神への単純な信頼で、この世に生まれた時と同様の「純粋無垢」な自分であり、それが本来の自分、本当の自分です。
 自分を認めるとは自分の失敗や短所を認める事、他人を認めるとは他人の失敗や短所を認める寛容さが必要となります。
 最後に、世間一般の人達は自分の「証」として、学歴や経歴、資格、勤務先会社の名前(ブランド)等を持って行っています。実際、この社会においては就職において履歴書は必須となっています。しかし、「信仰心」の有る自分自身の「証し」は、主イエスが行ってくれます。例え世間に誤解されようとも、神は常に見守っていて下さっています。これが、本当の「自分の証し」です。
 キリストを「証し」し、キリストの「証し人」となる為に、「悔い改め」をして、キリストを受け入れて自分の心が変えられ救われた事を「証し」します。また、イエス・キリストが主であると言う自分の告白、言葉、行い、生き方、判断、捉え方等において「証し」します。しかし、人間は不完全である為に、イエス・キリストを完全に「証し」する事が出来ません。却って世間の知らない人達に誤解を与えかねません。
 新約聖書・ヨハネの福音書5章31~39節に書かれている「完全なるキリストの証し」として、父なる神による「証し」、イエス・キリスト自身による「証し」、そして旧約聖書による「証し」が在ります。


 
くらべない幸せ  ̄「誰か」に振り回されない生き方 ̄くらべない幸せ  ̄「誰か」に振り回されない生き方 ̄価格:¥ 980(税込)発売日:2010-01-21


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風疹ワクチンは妊娠初期の女性以外には無意味

2014-01-25 17:20:37 | 予防医療の危険性と生命倫理
 2014年1月16日付・読売新聞より、「ワクチン接種しても園児ら風疹に集団感染…島根」と題し、「島根県の保育園で昨春、風疹のワクチンを接種した園児らの集団感染が起きていたことが、国立感染症研究所などの調査で分かった。
 唾液がついたおもちゃをなめるなどしてウイルスが広がった可能性が高いという。感染研は、ワクチンを接種した幼児の風疹の集団感染例は国内で初めてとし、『妊婦が出入りすることが多い保育園などは注意してほしい』と呼びかけている。
 感染研や県によると昨年4月、予防接種を受けていない1歳の男児がまず発症し、その後、約2か月間に、この男児を含む1~5歳の園児22人と職員1人、家族7人の計30人に感染が広がった。このうち少なくとも園児18人は風疹の予防接種を受けていた。ただ接種した園児の症状は1人を除いていずれも軽く、発熱と発疹がない園児も6人いた。
 感染研は当初、ワクチンの品質を調べたが、問題はなかった。一方、〈1〉風疹ウイルスは唾液に多く含まれる〈2〉幼児は物を口に入れたり、なめたりする――ことから、感染研は「1歳児を中心に、ワクチンの予防効果を超える大量のウイルスが唾液を介して広がったのではないか」とみている。
  風疹ワクチンは2006年度から、1歳と就学前1年間が定期接種対象になった。……(後略)」。
 「インフルエンザワクチンはいらない」(著者:母里啓子氏、出版社:双葉社、出版日:2010/12/22)からの引用は次になります。
 「2006年4月から、おたふくかぜをのぞいた、麻疹、風疹の混合ワクチン、MRワクチンが始まりました。」
 「風疹は、三日ばしかといって、とても軽くすむものなので、昔は風疹の子が出たというと、もらっておいでと遊びに行かせたくらいのものでした。けれど妊娠中に風疹にかかると、まれに胎児に感染し、先天性の障害が出ることがあるため、抗体を持っていない女性は予防接種をした方がいいと言われています。」
 「麻疹ワクチンは必要なものといえますが、風疹まで混ぜる必要はなかったのにと思います。」
 「風疹は、かかってもたいした病気ではないので、本来は自然感染で強固な抗体をつけるのが一番です。ところが、風疹もワクチンのおかげで、はしかのようにウイルスに遭遇することができなくなっているのです。妊娠初期にかからないようにすればいいだけなのですから、全員に予防接種をする必要もなかったのに……。」


 本ブログ過去の関連記事↓↓
   ・2012/11/22付「ワクチン接種による感染」
   ・2013/01/08付「インフルエンザ・ワクチンの無効性」
   ・2013/04/01付「ワクチン・薬は自分で勉強し、嫌なら拒否・・・専門家・権威の言葉を鵜呑みにしない事、自然免疫力の大事さ」
   ・2013/05/21付「子宮頸がんワクチンは中止が必要」
   ・2013/06/15付「子宮頸がんワクチン接種、一時推奨中止へ・・・被害者連絡会等の訴えに官僚が少し折れたか」


 
 
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ほのぼのとした町工場の日常・・・「とろける鉄工所」&「ナッちゃん」を読んで

2014-01-25 16:11:16 | 鉄工所・職人・町工場
 ホッとする、ほのぼのとした町工場の日常が描かれた、下記の本(マンガ)2作品を読みました。
 「とろける鉄工所(1)」(著者:野村宗弘氏、出版日:2008/11/21)、出版社:講談社)
 昨今の円高ドル安、金融経済、市場原理主義、国際化、グローバル化、規制緩和等により、下請けの町工場の鉄工所は非常に厳しくなっています。かつての様な高度経済成長は望めず、中国を始めとした新興国に其の立場を奪われようとしています。その様な中、本書を読むと少しホッとさせられます。しかし、それはかえって、少し、現実離れしている様にも思えます。古き良き昭和の頃が、鉄工所にとっても良かったのではないでしょうか。勿論、其の頃もオイルショックや、現在ほどではないが円高ドル安があって、特に中小零細町工場は大企業のしわ寄せも食らって苦労はしていたでしょうが……。
 溶接工と言う言い方を作者の広島ではされている様ですが、関西では溶接工(アーク溶接をする事により、電気屋とも言います)はほぼ溶接専門(個人、会社、会社の規模によっても違いますが...)、図面通りに材料を点付けの仮止め溶接で組み立てて行く等の作業を担当する者は、製缶工(鍛冶屋とも言う。これも前期同様、各環境・立場で作業範囲・内容は異なりますが)と言います。但し製缶と言っても、タンクや圧力容器等の缶々ばかりを作る訳では無く、鉄や非鉄金属の材料を使用した製品全般の製作を意味します。
 「ナッちゃん 1」(著者:たなかじゅん氏、出版日:2000/1/7))、出版社:集英社)
 NC等の高価な機械が無くとも、道具が全て揃っていなくとも、主人公のナッちゃんは優れたアイデアで何とかしてしまいます。ベースとなる知識は勿論必要ですが、それらを生かして其の上に、アイデアを生む重要性が分かります。勉強になります。NC・機械に対する汎用・手作業、大企業に対する零細町工場、組織に対する独立した個人の姿勢・考えも良いと思います。男ばかりの鉄工所に、このような女性が居ると、大分違うのではないかとも思います。


 
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秀吉とその参謀、黒田官兵衛と竹中半兵衛は同族・賎の民・・・賎民のネットワークによる秀吉の出世と、家康も同族「サンカ」

2014-01-20 00:55:19 | 歴史・伝統・文化
 総タイトル:【秀吉とその参謀、黒田官兵衛と竹中半兵衛は同族・賎の民・・・のネットワークによる秀吉の出世と、家康も同族「サンカ」】

 秀吉とその参謀、黒田官兵衛と竹中半兵衛は同族で賎の民の出でありました。秀吉の出世は、その多くののネットワークとその陰の支えがあったからでこそのものでありました。そして、家康も同族「サンカ」でありました。
 詳しくは、また後日。

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古代ユダヤ人達の帰還する「約束の地」はやはり「アシール地方」なのか

2014-01-20 00:02:01 | パレスチナ 2012~2017
 古代ユダヤ人達の帰還する「約束の地」は、やはりアラビア半島西南部の「アシール地方」なのでしょうか
 アシール地方は、現在のサウジアラビアとイエメンの国境付近のアラビア半島西南沿岸部に在ります。ダビデやソロモンの頃は実際には此処に神殿等が有ったとの事です。しかし、イエスの在世時には、現在のパレスチナ地方が舞台ではないかと言う事で、そのあたり私は未だ整合性が取れていないです。
 下記の動画内では「ユダヤ人の起源 歴史はどのように創作されたのか」(武田ランダムハウスジャパン刊)の著者のシュロモー サンド氏が登場しています。また、アルジェリアの言語学者のラシド・ベナイッサ氏は、現在でもヘブライ語を正確に話すユダヤ教徒のいる唯一の国は「イエメン」であるとし、「ユダヤ人」とは人種では無く「宗教」であると述べておられます。
 丁度、今月号である、「国際時事情報誌・エノク~2014年1月号(No,370)」(著者:宇野正美氏、出版社:エノク出版、出版日:2014/1/1)においても、「『約束の地』はアシール地方である」と銘打った記事が書かれています。


 関連記事↓↓
   高校生のためのおもしろ歴史教室~余話の部屋~「11.聖書アラビア起源説」
   阿修羅~掲示板~ 戦争49~「本当の旧約聖書の『イスラエルの故郷』とシオニスト『ユダヤ教徒』アシュケナジー・ユダヤの本当の故郷
   阿修羅~掲示板~議論16~「Re: 本当の旧約聖書の『イスラエルの故地』は、パレスチナではなく、アラビア半島西岸アシール地方で、異民族『アシュカナジー・ユダヤ』の故地はカスピ海北岸なのです。」


 

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YouTube: 寡頭制とシオニズムその1




 
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「宗教組織」による「創作」(2)・・・人間マリアの「偶像」と、「懺悔室」の傲慢

2014-01-19 21:50:23 | 宗教組織
 人間であるマリアは、確かに「処女懐胎」を経てのイエス・キリストをお産みになられた事は「事実」です。しかし、それは飽く迄も唯一の神によって成し遂げられた事であり、マリア自身の能力によって成された訳ではありません。創造主が、マリアを使っただけに過ぎないのです。勿論、神によって聖別されて選ばれたマリアは幸せであり、また、その使命をプレッシャー等が有るにも関わらずに素直に受け入れたマリアは、一般的な人達に比べて素晴らしいと思います。因みに、イエスをお産みになられた後に、ヨセフとの間の子でイエスの弟と妹に当たる子供たちをマリアは産んでいます。
 しかし、飽く迄もマリアは人間で、神ではありません。偶像崇拝が禁じられている事が旧約聖書に書かれているにも関わらず、マリア等の「偶像」を建てていたり、華美で派手な装飾を施した壮大な教会を建てていたりと、宗教組織は聖書の記載から離れた事を行なっています
 次に、宗教組織の間違いの根源としての言葉の誤用が有る、聖書の記載箇所が次に有ります。
 新約聖書・マタイの福音書16章16~19節シモン・ペテロが答えて言った。『あなたは、生ける神の御子キリストです。』するとイエスは、彼に答えて言われた。『バルヨナ・シモン(※ヨナの子シモン)。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロ(※ギリシャ語で「ペトロス」)です。わたしはこの岩(※ギリシャ語で「ペトラ」)の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。
 同書18章18節まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。
 「国際時事情報誌・エノク~2013年5月号(No,362)」(著者:宇野正美氏、出版社:エノク出版、出版日:2013/5/1)の「カトリックの新法王とは何か」より、「本当の十字架は、首につけているペンダントの十字架のように単なる信仰のシンボルではないのである。これもまたイルミナティたちによってすり替えられたものである。カトリックなどのいわゆるキリスト教団体が彼らの手足となって使われている
 新しい法王が登場したが、それは新約聖書・マタイの福音書を見れば完全に恐るべき謀略であることがわかるのである。
 どうして人間が人間を支配するのであろうか。どうして人間が人々の苦しみの告白を聞いて許しを与えることができるのであろうか。絶対にそのようなことは聖書には書かれていない。」。
 また、「ここでカトリックの指導者たちは失敗したのである。それは何か。ペテロ(ペトロス)と『岩』(ペトラ)を同じとしたのである。すなわちペテロこそがイエスの弟子たちの集まり、すなわち集会(あるいは教会)の基礎であるとしたのである。しかもペトロが地上で人々の罪を許すならば、その人の罪は天においても許されることになる、としたのである。
 イエスがペテロを岩とし、ペトロこそがこの地上におけるイエスの最大の代理者であると解釈したわけである。
 しかし、これこそがすべての間違いの根源なのである。世界に12億人のカトリックの信徒がいるが、彼らはこのわずかな言葉の誤用によって、誤った方向に行ってしまったのである。
 ペトロと岩はまったく別である。ペトロはペトロス、岩とはペトラなのである。
 ペテロというひとりの人物が、ある人の懺悔を聞いて許すとか許さないとかできるはずはないのである。しかし、カトリック教会の中には『懺悔室』というのがあって、そこで神父なるものがイエスの代理人としてそれを聞き、かつ許すのである。何という傲慢なことであろうか。」。
 そして、「人間が人間の罪を許すことなどできるはずもない。カトリックの組織は聖書を誤用し、…(中略)…。
 カトリックの宗教組織の内容は何か。それは権威主義であり、またピラミッド型である。あらゆる宗教がピラミッド型で組織されている。教祖、監督、法王などと言われているものがその三角形の頂点に立つのである。……(後略)」。

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「宗教組織」による「創作」(1)・・・クリスマス、誰が勝手に12月25日と定めたのか

2014-01-19 20:49:28 | 宗教組織
 クリスマス、誰が勝手に12月25日と定めたのでしょうか。
 イエス・キリストの誕生日とされている12月25日から1ヶ月近くが経とうとしています。しかし、実は、12月25日がイエス・キリストの誕生日では有りません。キリストの誕生日は「聖書」には書かれていません
 キリストの昇天後、後年に宗教組織が異教等に影響を受けて定めたものに過ぎません。人間によって、勝手に創作されたものでしかありません。
 12月の頃はパレスチナ地方は雨季に当たる為に夜空に星が見える事は少なく、又その時期に羊飼いが野宿して夜番をする事は無いと言う事で、聖書の記述と矛盾して合わない事となります。
 因みに西暦の紀元元年がイエス・キリストの誕生年とされますが、実際にはずれがあります。
 実際には紀元前4年頃が生年とされ、昇天されたのが紀元30年頃であるとされています。
 「ウィキペディア『西暦』」より、「西暦元年とイエス生年のズレ:ディオニュシウスの求めた紀元は、今日推定されるイエスの生年から4年ほどずれている。現在では、イエスはヘロデ大王の治世の末期、紀元前4年頃に生まれたと考えられている。これは、新約聖書の2つの記述『大規模な人口調査が行われた年にイエスがベツレヘムで誕生した』という記述がルカ福音書2章にあり、人口調査は紀元前4年に行われたとされている。『救世主イエス誕生の話を耳にしたヘロデ大王が、新たな王の存在を恐れ二歳以下の幼児を虐殺させたためにイエスと両親がエジプトに避難した』という記述がマタイ福音書2章にある、が根拠となっている。
 これらの記述自体に歴史的な裏づけはないが、ヘロデ大王在位中にイエスが誕生したことは明らかであり、ヘロデ大王の死は当時の文書などにより紀元前4年と確定しているので、イエスは少なくとも紀元前4年には誕生していたと考えられている。」。
 また、「同ウィキペディア『ナザレのイエス』」より、「イエスの生年:一般に、イエスの生年は紀元前7年 - 紀元前4年頃とされている。紀元前7年とみなす説を採っているのがエテルベルト・シュタウファー(ドイツ語版)(Ethelbert Stauffer)や弓削達であり、荒井献や八木誠一は紀元前4年説に立っている。
 これは、『マタイによる福音書』2章の、イエスがヘロデ大王の治世(紀元前37年 - 紀元前4年)の末期に生まれたという記述、および『ルカによる福音書』から推定されているものであるが、キリスト教以外の史料には該当の既述がないため、断定は困難である。」。
 また「同『ナザレのイエス』」より、「イエスの十字架での死:福音書から、ローマ皇帝ティベリウス治下でユダヤ属州の総督だったポンティウス・ピラトゥスのもとで、十字架刑に処されたと考えられている。
イエスの死が十字架刑であることは、福音書に先行する『パウロの書簡』にも記されており、イエスの実在性とともに蓋然性が高いとされる。なお、十字架の刑は、当時のローマ法の規定によるものであった。
 イエスの没年は、ポンティウス・ピラトゥスの総督在任期間が(26-36年)であること、既述のとおりイエスの生年の下限が紀元前4年と考えられること、イエスが30歳ごろに宣教を始めたというルカによる福音書の記述(3章23節)などから判断して、おおよそ紀元後30年前後という想定は学界ではおおむね一致している。シュタウファー、弓削、土井正興は紀元後32年とみなしているが、紀元後31年説もあり、荒井は紀元後30年説を採る[1]。八木は紀元後32年か紀元後31年としている。
 いずれにしても、没年や福音書に記録されている祭典の回数などを信用すれば、イエスが宣教を行った期間は、1年か2年、長くても3年ほどという非常に短い期間だったことになる。
 それらの「根拠」となる聖書の記述は、下記となります。
 

 新約聖書・マタイの福音書2章1節~3節、「イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。』それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。」。
 同書2章4~6節、「そこで、王は、民の祭司者たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。彼らは王に言った。『ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』』」。
 同書2章7~12節、「そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。『行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。』彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。そしてその家にはいって、母マリアとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。」。
 同書2章13~15節、「彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。『立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。』そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、『わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した。』と言われた事が成就するためであった。」。
 同書2章16~18節、「その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年令は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。『ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルがその子らのために泣いている。ラケルは慰められることを拒んだ。子らがもういないからだ。』。
 同書2章19~23節、「ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現われて、言った。『立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました。』そこで、彼は立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地にはいった。しかし、アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行ってとどまることを恐れた。そして、夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ちのいた。そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して、『この方はナザレ人と呼ばれる。』と言われた事が成就するためであった。」。


 新約聖書・ルカの福音書2章1節~7節、「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリアの総督であったときの最初の住民登録であった。それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリアもいっしょに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を生んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」。
 同書2章8~14節、「さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。『恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。』すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。『いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。』」。
 同書2章15~20節、「御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。『さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。』そして急いで行って、マリアとヨセフと飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」。


 同書3章23節、「教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。……」。


 関連記事↓↓
   「教えて!goo『クリスマスはキリストの誕生日ではない?』」
   「ウィキペディア『西暦』」
   「同ウィキペディア『ナザレのイエス』」

 

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世間の人達はなぜ自分独りで考える事が出来ないのか

2014-01-12 22:57:29 | 世間・空気
 世間の人達は、なぜ自分独りで考える事が出来ないのでしょうか
 まず、自分に自信が無い、つまり、自分を信じず、周りの反応・世間の評判を信じている事が挙げられます。自分に自信が有れば、周りの反応・世間の評判等を気にせずに、影響もされないものと思います。
 そして、世間の人達の多くが、「基準」や「根拠」、「規範」を持っていない事が挙げられます。自分の考えや物事の捉え方、判断の仕方、生き方、人の理解の仕方等は、それら「基準」・「根拠」・「規範」にするものが何であるかが最も大事であり、また、どの様な「レベル」に置くかが大事であると思います。つまり、自分の「拠り所」が大事な訳です。結局、世間の人達が「基準」にしているものは、周りの反応・世間の評判・「空気」・テレビや新聞等の「マスコミ」の言う事を「基準」・「拠り所」としているだけなのです。
 何が本当に正しくて何が間違っているのかを理解出来ずに、世間の反応や評判、「空気」を基準にして判断しているに過ぎないのです。
 世間の多くの人達は、正しいとも限らない一般常識や「世間にとっての普通」(これは一個人にとっては不自然で無理している状態)を安易に疑う事も無く信じてしまい、また、「真実」にも無関心である様に思います。
 第一、「空気」を読んでばかりいたり、常識や普通を信じてばかりいたり、「既得権益」(金銭のみでなく、出世や社会的成功、世渡り上手等を含む)にしがみつく様な状態が続くと、この社会・世間は悪いまま、おおよそ理想とはかけはなれた現実のままで変わる可能性は有りません
 自分の意志では無く、周りの反応や評判によって自分の行動を決めている世間の人達を、私は憂います


  本ブログ過去の関連記事↓↓
   ・2013/11/10付「『道徳の教科化』により日本人は変わるのか」
   ・2013/09/25付「同性愛・同性婚の間違い(2)・・・ロシア・プーチン大統領の正義と、イスラムの「旧約聖書」を基にした正しさと毅然さ & 規範・根拠を持たない日本人・世間の人」
 

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イエス・キリストはなぜ殺されたのか・・・「革命者」イエス

2014-01-12 21:45:04 | エッセイ・コラム
 イエス・キリストはなぜ殺されたのでしょうか。その事が聖書には書いてあります。
 俗世間のキリスト教に対するイメージや、教会等で言われている平和や愛等は、表面的なもの、形式的なものであり、それは偽りの平和や偽善に繋がりかねません。
 イエス・キリストは、在世時のパレスチナ地方の権力者(パリサイ人や律法学者等の当時のユダヤの指導者達)に対して、媚びへつらわず、迎合せず、正しい事、真実を堂々と宣べ伝え、且つその権力者達を批判したが故に、戦った為に、十字架の磔刑にあって殺されました
 イエス・キリストは、それら権力者達にとっては、「革命者」であり、「テロリスト」、「過激派」であった訳です。それら権力者の「保守派」から嫌われたから殺されました。つまり、腐敗した偽りの「平和」をあえて壊そうとした為に殺されたのです。
 新約聖書・マタイの福音書10章34~36節「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのですなぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。さらに、家族の者がその人の敵となります。
 クリスマスの「お祭り」や教会での結婚式のイメージしか持たない日本の世間の人々が「勘違い」している様な、「聖書」は決して可愛らしい書物ではありません
 また、「聖書」はキリスト教と言う「組織」とは無関係で独立した書物です。


 本ブログ過去の関連記事↓↓
   ・2012/12/26付「『馴れ合い』『なあなあ』『かわいさ』を打破し、『真実』をもたらしたイエス・キリスト」

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「『高貴な血』の流れる創造主の選民・部落の人達 & 飽く迄も~」の追記(2)

2014-01-12 20:42:39 | 歴史・伝統・文化
 昨年の本ブログの記事である2013/11/24付「『高貴な血』の流れる創造主の選民・の人達 & 飽く迄も被害者が正しく世間の常識・偏見・差別が悪い」の追記としての、聖書の御言葉を引用します。


 新約聖書・ヨハネの福音書15章16節「あなたがたががわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのですそれは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。


 新約聖書・ヨハネの福音書1章13節「この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」



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