総タイトル:【「職員・施設にとっての普通」を拒み、自由でマイペースな「自分にとっての普通」を望む利用者・・・「出口のない家―警備員が見た特別養護老人ホームの夜と昼」を読んで】
「『出たいよォー。守衛さん、いまここから出してください。』」、「ここは牢獄です。早く出してください。』」(本書より。)
「出口のない家―警備員が見た特別養護老人ホームの夜と昼」(著者:小笠原和彦氏、出版日:2006/7/10、出版社:現代書館)
上記の本を読みました。
本書は、市役所職員と雑誌記者を経て、派遣社員として工場労働者等として勤務する傍ら執筆活動を行なっている、著者の取材による或る下町の特別養護老人ホームのノンフィクションです。
派遣社員の警備員として特別養護老人ホームに派遣され、2年間で4つの老人ホームで「取材」を兼ねて勤務されました。最初の勤務先の老人ホームは世間一般的な施設の様で、1階には余り手のかからない利用者、2階には認知症の利用者、3階には寝たきりの利用者と分けて、様々な介護度の方々が同居して暮らしています。
施設の出入り口から出る際やエレベーターに乗る際には鍵が必要で、車椅子には発信機が取り付けてあります。
施設の規則が厳しく、職員と利用者それぞれに定められています。職員は低賃金、長時間労働、厳しい規則、上司からのやかましい注意、仕事を何でも熟さないといけない等でゆとりが無い事等で、特に精神的な負担が重く、続かずに辞めていく人が多いです。一方利用者は、自由に外出出来ず、酒やタバコも制限され、職員からは口やかましく言われる事で、不満・ストレスが溜まっています。「ストップ・ザ・拘束」と掲げられているにも関わらず、車椅子に拘束されている利用者が、エコノミークラス症候群になる等、精神的・身体的な束縛で不自由な生活を送っています。
著者は職員に内緒で、利用者にタバコをあげて一緒に吸ったり、利用者の要求に応じて買い物に出かけたり、こっそり外に連れていって散歩したりして、利用者との「自然な」コミュニケーションを取って来ました。しかし、規則に忠実で融通の利かない職員や、派遣社員から正社員に身分が上がって威張る職員等から咎められ(とがめられ)、理不尽に思いながらも、以降深入りする事無く、利用者との話もしてはいけないと言う事も受け入れます。
職員と利用者との間には一線が引かれており、利用者が抵抗や反抗をする場合には、職員は一致団結して、その厳しい規則に則って、利用者を責めてより拘束度を高めます。
世間一般的に、男性は会社人間である場合が多く、組織を離れると孤独な人達が多いです。話題も、自分の仕事や趣味の事ぐらいしか有りません。その様な人達が老人ホームに入居している為に、男性の利用者はとかく孤立しがちで、職員も忙しい為や規則に縛られている為に、話し相手になりません。利用者は厳しい規則で不自由な中、施設の中で余りする事が無く、楽しみは食事ぐらいしかありません。
職員は若い人が多く、利用者との世代ギャップが有り、またその職員の知識が薄い事もあって、話しが通じなかったり合わなかったりする事が多いそうです。最近の若い人達は、インターネットで自分の興味の有るものしか見ない傾向が有る為に、知識に偏りが生じている様です。逆に利用者等の高齢者や年配の人達は新聞を良く読む為に、広範囲にバランス良く知識を身に付けています。利用者側の話題に職員が付いて行けない問題が有ります。
また、女性の利用者で比較的元気な人達は徒党を組み、状態の弱い利用者をいじめる事も在ります。しかし、職員は見て見ぬふりをして放置します。
その世間一般的な老人ホームの事は、社会の中の他の組織や会社での事と同じ様に思います。規則に縛られ、管理が厳しく、上司に叱られ、マニュアル化され、成果主義、効率化等、「拘束」時間内は「不自由」で「ストレス」の溜まる状態での勤務となっています。その様に大抵の場合、会社の中では、皆、「奴隷」や「囚人」の様に日々仕事をしている様に思います。
特別養護老人ホームに入居を希望する老人の方々が非常に多く、待機している方の家族は一日も早く老人ホームに入れる事を願い、また家から出来るだけ近い所を希望します。しかし、家族の都合で利用者本位で無く老人ホームが選ばれる為に、利用者は入居してから不満に思います。
著者や利用者の一部と同様、私も「組織」には馴染めず、いつも「マイペース」で居られる事を望みます。細かい管理や規則は嫌いです。「普通」の状態とは、拘束されて縛られず、解放されて自由であり、緊張せず緩やかに、自分のゆっくりとしたペースで、ストレスの無い事であると思います。「組織にとっての普通」では無く、会社、社会、世間、空気・雰囲気、多数派等にとっての「普通」では有りません。自分にとって自然でいられる、全く苦痛の無い状態が、「自分にとっての普通」であると思います。周囲を基準にするのでは無く、自分の心を基準にしての「普通」です。よって人は、独りでいる時が最も「普通」で居られるのではないかと思います。
著者は特別養護老人ホームの中で最初に派遣されたのが極一般的な施設であったらしいですが、その後に老人ホームとしては先進的で実習生が高評価を与える施設にも、同様に警備員として派遣されています。その結果、施設によっての「違い」が有る事を知ります。
最初の世間一般的な施設と違って、その先進的施設では、規則が少なく、利用者が自由に外出して飲み屋やカラオケに行ったり、ショッピングに行くことが出来ます。タバコも所定の所で吸うのは自由、酒も自分の部屋で飲む事が出来ます。一般の人も利用できる喫茶や食堂で売られている飲食物は低料金で、給茶器で無料のお茶やコーヒーも飲めます。保育園や幼稚園でする様な事をさせずに、絵画や書道、陶芸等の文化的・芸術的な事をしています。置いてある本・新聞・雑誌も自由に読めます。職員は丁寧で、利用者を叱らず、夜は静かで安眠でき、セキュリティーは高い機能を持ちます。職員は何でもするのでは無く、分業的に専門分野に分かれて仕事をする為に、精神的負担が少なく「ゆとり」を持っています。
その先進的施設を良い例として、職員の資質、理事長が営利主義であるか否か、訴える事の出来る第三者機関の設置の有無等も、老人ホームを選ぶ際のポイントとして挙げられています。そして、孤立しがちな利用者の話し相手となる専従者や、施設内に入所者自治会を設置し、利用者の家族も参加して、自ら運営方法を決める事を提案されています。
因みに私は、年をとってからいくら先進的施設に入れるとしても、介護には頼りたくありません。「自立」して自由でマイペースな「自分にとっての普通」でいたいです。もしも、入所して「職員・施設にとっての普通」、つまり職員に嫌われない様に素直に合わせて規則に忠実になるのは、職員・施設の奴隷となりかねません。
「『出たいよォー。守衛さん、いまここから出してください。』」、「ここは牢獄です。早く出してください。』」(本書より。)
「出口のない家―警備員が見た特別養護老人ホームの夜と昼」(著者:小笠原和彦氏、出版日:2006/7/10、出版社:現代書館)
上記の本を読みました。
本書は、市役所職員と雑誌記者を経て、派遣社員として工場労働者等として勤務する傍ら執筆活動を行なっている、著者の取材による或る下町の特別養護老人ホームのノンフィクションです。
派遣社員の警備員として特別養護老人ホームに派遣され、2年間で4つの老人ホームで「取材」を兼ねて勤務されました。最初の勤務先の老人ホームは世間一般的な施設の様で、1階には余り手のかからない利用者、2階には認知症の利用者、3階には寝たきりの利用者と分けて、様々な介護度の方々が同居して暮らしています。
施設の出入り口から出る際やエレベーターに乗る際には鍵が必要で、車椅子には発信機が取り付けてあります。
施設の規則が厳しく、職員と利用者それぞれに定められています。職員は低賃金、長時間労働、厳しい規則、上司からのやかましい注意、仕事を何でも熟さないといけない等でゆとりが無い事等で、特に精神的な負担が重く、続かずに辞めていく人が多いです。一方利用者は、自由に外出出来ず、酒やタバコも制限され、職員からは口やかましく言われる事で、不満・ストレスが溜まっています。「ストップ・ザ・拘束」と掲げられているにも関わらず、車椅子に拘束されている利用者が、エコノミークラス症候群になる等、精神的・身体的な束縛で不自由な生活を送っています。
著者は職員に内緒で、利用者にタバコをあげて一緒に吸ったり、利用者の要求に応じて買い物に出かけたり、こっそり外に連れていって散歩したりして、利用者との「自然な」コミュニケーションを取って来ました。しかし、規則に忠実で融通の利かない職員や、派遣社員から正社員に身分が上がって威張る職員等から咎められ(とがめられ)、理不尽に思いながらも、以降深入りする事無く、利用者との話もしてはいけないと言う事も受け入れます。
職員と利用者との間には一線が引かれており、利用者が抵抗や反抗をする場合には、職員は一致団結して、その厳しい規則に則って、利用者を責めてより拘束度を高めます。
世間一般的に、男性は会社人間である場合が多く、組織を離れると孤独な人達が多いです。話題も、自分の仕事や趣味の事ぐらいしか有りません。その様な人達が老人ホームに入居している為に、男性の利用者はとかく孤立しがちで、職員も忙しい為や規則に縛られている為に、話し相手になりません。利用者は厳しい規則で不自由な中、施設の中で余りする事が無く、楽しみは食事ぐらいしかありません。
職員は若い人が多く、利用者との世代ギャップが有り、またその職員の知識が薄い事もあって、話しが通じなかったり合わなかったりする事が多いそうです。最近の若い人達は、インターネットで自分の興味の有るものしか見ない傾向が有る為に、知識に偏りが生じている様です。逆に利用者等の高齢者や年配の人達は新聞を良く読む為に、広範囲にバランス良く知識を身に付けています。利用者側の話題に職員が付いて行けない問題が有ります。
また、女性の利用者で比較的元気な人達は徒党を組み、状態の弱い利用者をいじめる事も在ります。しかし、職員は見て見ぬふりをして放置します。
その世間一般的な老人ホームの事は、社会の中の他の組織や会社での事と同じ様に思います。規則に縛られ、管理が厳しく、上司に叱られ、マニュアル化され、成果主義、効率化等、「拘束」時間内は「不自由」で「ストレス」の溜まる状態での勤務となっています。その様に大抵の場合、会社の中では、皆、「奴隷」や「囚人」の様に日々仕事をしている様に思います。
特別養護老人ホームに入居を希望する老人の方々が非常に多く、待機している方の家族は一日も早く老人ホームに入れる事を願い、また家から出来るだけ近い所を希望します。しかし、家族の都合で利用者本位で無く老人ホームが選ばれる為に、利用者は入居してから不満に思います。
著者や利用者の一部と同様、私も「組織」には馴染めず、いつも「マイペース」で居られる事を望みます。細かい管理や規則は嫌いです。「普通」の状態とは、拘束されて縛られず、解放されて自由であり、緊張せず緩やかに、自分のゆっくりとしたペースで、ストレスの無い事であると思います。「組織にとっての普通」では無く、会社、社会、世間、空気・雰囲気、多数派等にとっての「普通」では有りません。自分にとって自然でいられる、全く苦痛の無い状態が、「自分にとっての普通」であると思います。周囲を基準にするのでは無く、自分の心を基準にしての「普通」です。よって人は、独りでいる時が最も「普通」で居られるのではないかと思います。
著者は特別養護老人ホームの中で最初に派遣されたのが極一般的な施設であったらしいですが、その後に老人ホームとしては先進的で実習生が高評価を与える施設にも、同様に警備員として派遣されています。その結果、施設によっての「違い」が有る事を知ります。
最初の世間一般的な施設と違って、その先進的施設では、規則が少なく、利用者が自由に外出して飲み屋やカラオケに行ったり、ショッピングに行くことが出来ます。タバコも所定の所で吸うのは自由、酒も自分の部屋で飲む事が出来ます。一般の人も利用できる喫茶や食堂で売られている飲食物は低料金で、給茶器で無料のお茶やコーヒーも飲めます。保育園や幼稚園でする様な事をさせずに、絵画や書道、陶芸等の文化的・芸術的な事をしています。置いてある本・新聞・雑誌も自由に読めます。職員は丁寧で、利用者を叱らず、夜は静かで安眠でき、セキュリティーは高い機能を持ちます。職員は何でもするのでは無く、分業的に専門分野に分かれて仕事をする為に、精神的負担が少なく「ゆとり」を持っています。
その先進的施設を良い例として、職員の資質、理事長が営利主義であるか否か、訴える事の出来る第三者機関の設置の有無等も、老人ホームを選ぶ際のポイントとして挙げられています。そして、孤立しがちな利用者の話し相手となる専従者や、施設内に入所者自治会を設置し、利用者の家族も参加して、自ら運営方法を決める事を提案されています。
因みに私は、年をとってからいくら先進的施設に入れるとしても、介護には頼りたくありません。「自立」して自由でマイペースな「自分にとっての普通」でいたいです。もしも、入所して「職員・施設にとっての普通」、つまり職員に嫌われない様に素直に合わせて規則に忠実になるのは、職員・施設の奴隷となりかねません。
出口のない家―警備員が見た特別養護老人ホームの夜と昼価格:¥ 1,995(税込)発売日:2006-07 |