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狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

この度、本ブログは引っ越しします/This occasion, this blog moves

2022-02-06 16:05:15 | エッセイ・コラム

 <2022/02/20 19:00 ー 訂正・追記>

 この度、本ブログは引っ越しします
  This occasion, this blog moves


 この度、本ブログ「狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考」を引っ越しする事にしました。

 本ブログの引越し先
  FC2ブログ:「狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考」
        https://temporaryresident.blog.fc2.com


狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

 


 尚、こちら「gooブログ」サービスの本ブログは、そのまま残ります。

 本ブログの引っ越し元
  gooブログ:「狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考」
        https://blog.goo.ne.jp/deep_meditation


 昨年12月12日(日)に、本ブログのトップページや僕が現在のところ気付いている5つの記事で、検閲による「レッテル」が各ページの最上部に貼られている事が解りました。

 その後、慎重に考慮した結果、次の「FC2ブログ」のサービスにて、以降、継続する事としました。

 今までに投稿した記事は全て引越し先に移っていますが、聖書の御言葉の横に付している画像が拡大され過ぎていたり、その御言葉が逆に縮小してしまい、更に文章の行間が広がってしまったり等と、内容は同じでも体裁が崩れてしまっているので、昨年までに投稿した1,632件の記事はこちら「gooブログ」の方で読まれた方が良いかと思います。

 <2022/02/20追記>

  その後、調べていますと、同じ記事が存在する事から「ミラーサイト」と判断され、Googleからペナルティを課される恐れが有る事を知りました。その為、上記の通り、体裁が崩れてしまっている事も有りますので、移転先のFC2ブログは「新規」で始める事として重複する記事は削除し、こちらのgooブログにのみ昨年12月までの記事を残す事にしました。

 <以上、2022/02/20追記>

 本ブログは、2012年11月20日から、「OCNブログ人」のサービスにて始めました。

 その2年後の2014年11月30日に、OCNのブログ・サービスが終了するという事で、こちらの「gooブログ」サービスに移転する事となりました。

 そして、本ブログ開始から丸10年を目前にした現在、「FC2ブログ」のサービスに引っ越す事となりました。

 現在、世界中のグローバリズム、グレートリセットの流れ、空気の中で、吹き荒れる「センサーシップ(検閲)」の嵐。

 ポリティカル・コレクトネス、世界的な文化大革命であるキャンセル・カルチャー等と、言論が封鎖、弾圧されて、世界が全体主義化、共産主義化されようとしています。

 その行き着く先には何が待っているのでしょうか?

 世界全体が、かつて存在した実験国家、ソビエト連邦の様に化す、世界連邦国家、世界が一つに統一される事です。

 その世界統一政府に向かう事に、グローバリストの他、左翼・リベラリスト、そして、そのグローバリストの支配下に在る宣伝機関、主流のマスメディア・マスコミ(Mainstream media:MSM)が協力しています。

 僕は勿論、クリスチャン、右派、保守主義者ですので、そんな無神論的カルトの作る空気、雰囲気、ブームに、これからも抵抗し、反抗し、反論していきます。

 その検閲をきっかけとした、この度の引っ越し。また新たな場所で、気分を改め、物書きに励み続けたいと思います。

 今後共、引き続き、よろしくお願いします。

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日本人は聖書を知らない無神論者が多い-「八百万の神」を否定する「嘘八百」は古代ユダヤ人作?/In Japan, there are many atheists who don't know Bible

2021-10-27 00:30:00 | エッセイ・コラム
 <※本当の投稿日時
  True posted date & time:2021/10/25 17:58>

   (当方の都合にて、投稿日時を変更しております。
    I changed posted date and time for my convenience.)

 ※ 本記事において幾つかの文献と画像を引用する事によって構成しておりますが、本記事により当方は収入を一切受け取っておりません。
 ※ I have made composition by borrowing some references and pictures in this article, but I don't receive the income at all by this article.




 日本人は聖書を知らない無神論者が多い
  「八百万の神々」を否定する「嘘八百」は日本に渡来して来た古代ユダヤ人が作った言葉?/
 In Japaneses, there are a lot of atheists who don't know the Holy Bible.
  Is "pack of lies" of langage which denies "myriads of gods" idea by ancient Jews who had come over to Japan?


 『世界68カ国を対象に行ったギャラップ・インターナショナルの調査(英語)によると、世界人口の7割以上が神を信じていることが分かった。一方、日本は人口の29%が神を信じておらず、中国に次いで無神論者が多い国となった。
 調査は68カ国の6万6千人を対象に行われた。神を信じていない人が最も多かったのは中国で、人口の67%が神を信じておらず、宗教的であると自認する人は9%にすぎなかった。
 フィリピンの有力日刊紙「インクワイアラー」(英語)などによると、無神論者が人口に占める割合は中国が群を抜いて多く、それに日本(29%)、スロベニア(28%)、チェコ(25%)、韓国(23%)が続いた。キリスト教圏とされる欧州諸国も今は多数の無神論者が存在する。ベルギーとフランスは21%、スウェーデンは18%、アイスランドは17%だった。一方、世界で最も宗教的な国はタイで、98%が宗教的であると自認している。
 世界全体では人口の62%が宗教的だと答えており、74%は人が魂を持っていると信じている。また71%が神を信じており、56%が天国、54%が死後の世界、49%が地獄の存在を信じている。……』
  (2018/06/01付・日本Christian Today『世界の7割「神を信じる」 日本は無神論者の割合で世界2位 ギャラップ国際調査』より)

 日本人は、殆どが無神論者である。更にクリスチャンに限って見れば、日本の総人口の1%にも満たないと言われる。

 しかし、日本人の殆どが無神論者であるにも関わらず、古代からの宗教的なものが宿る習慣や仕来り、行事に多く関わる。

 日本人は、祭りや初詣、葬式等と、昔からの様式を守り続けて来た。しかし、それら伝統的な文化を長く守り続けて来ながらも、その意味を知る者は殆ど居ない。

 訳も分からないままで、ただ昔から行って来たからという理由だけで行い、守り続ける。

 その様に、日本人の多くが、理由を持つ事無く、事を行っている。その他、何事に於いても、理由や根拠を持たずに行動したり言葉を発する者が多い。

 無神論者であるにも関わらず、クリスチャンでないにも関わらず、結婚式を教会で挙げる人も多い。こちらはただ単に、オシャレだから、ファッショナブルだから、等という理由だけで、チャペルを選んでいるのだろう。

 更には、クリスチャンでは無いにも関わらず、十字架のネックレスやイヤリングまでしている人々も居る。それらの人々は、十字架の持つ本当の意味を全く理解せず、同様に、ただファッションとして利用しているだけだ。

 クリスマスに於いても、本来の意味から遠く外れて、お祭り騒ぎ、バカ騒ぎしているだけの者も居る。

 日本の世間の多くの人々が、日々、理由も無く、何かと行っている。それは、自分独りで考え判断する事が出来ないばかりか、そもそも根本的に言えば、理由の拠り所となる根拠を持っていないからだと言える。

 日本の世間の多くの人々が拠り所にしているのは、周囲の人々の反応である。周囲の人々の反応によって、自分の判断や行動を決めているのだ。

 現在、コロナ禍の中で、ワクチン接種やマスク着用が、半ば、世間の中では義務化されている様な空気が存在する。日本の世間の多くは、そんな空気に、いつも従っている。

 結局、そんな多くの日本人達にとっては、周囲の人々の顔色や空気が神格化しているのだ。

 更に、初詣や十日戎等と、神社や寺で手を合わして拝むのも、大抵のところは「何々が叶います様に」といった具合で、自分の欲望・希望を基にお願い事をしているだけだ。

 また、人や物事に対しても、「こうなって欲しい」「ああなって欲しい」といった具合で、自分の希望的観測で捉えたり判断し、そして主張する。

 そういう事から、世間の多くの人々は、自分の欲望を神様として拝んでいるとも言える。

 周囲の人々の反応や意見にしろ、自分の欲望・希望にしろ、それらは人の考え、ヒューマニズムでしかない。

 しかし、あくまでも人間は、神様では無い。全ての人は、造り主である唯一の神様によって造られたに過ぎない。

 よって、人は皆、唯一の神様である創造主の御心、お考えであるゴッドイズムの宿命、使命に従わなければならない。

 そして、創造主の御心が書かれ、人のガイドラインが書かれているのが聖書だ。聖書が、人の言動の規範、根拠となる。しかし、日本人の多くが、聖書を知らない。

 「日本人はあまり聖書を読まない。大人になっても家に聖書がない。とんでもないことである。人類文化に対する冒涜だ。自動車にカーナビがついていないようなもの。まず一冊、買いましょう。と言っても、どれを買えばよいか。……
 …(中略)…
 ……まあ、贅沢は言わない。ともかく聖書を読みましょう。その前にまず、買いなさい。買わなければ、話になりません。」
  (2021/10/18付・婦人公論. jp『橋爪大三郎「日本人はあまり聖書を読まない。とんでもないことである」 連載:50歳からの読書案内』より)

 僕は、8歳になる年(1977年)にカトリック教会で洗礼を受けた。それは言わば、ほぼ幼児洗礼と同様なもので、自分の意志や決断で受けたものでは無い。

 しかし逆に捉えれば、その事が却って運命的、宿命的であったとも言える。自分で考えてする「自己実現」よりも、神様の導きによる「神実現」であったならば、より高い意味や価値が有ると言える。

 しかし、家で自分で手に取って聖書を開き、初めて通読を始めたのが、なんと43歳になった年(2012年)の7月であった。

 そして、1回目の通読、旧約聖書の創世記から新約聖書のヨハネの黙示録までの合計66書簡全部を読み終えたのが、47歳になる直前の5月(2016年)であった。

 よって、この事に於いても、4年が経つ前のほぼ「3年半」で、1回目の聖書通読を完了した訳だ。

 本ブログ
  2021/04/09付「僕52歳の求職活動からの連想(11/12)/ My associations from job hunting・・・僕自身の3年半の証、阿波徳島の邪馬壹国と長ノ国と元諏訪、キリスト教まがいのカルト教団」


 この聖書通読を通して、僕は恐らく「霊的覚醒」が得られたのだと思う。つまり、聖書を読む事で、聖霊様(=イエス・キリスト)によって心の目が開かれた訳だ。

 そして、その2016年のその後、日本では7月に改憲発議に必要な2/3の議席を改憲派が占める事となった参議院選挙が行われ、8月にはロシア選手のパージが辛うじて陸上競技のみに留められたブラジルでのリオデジャネイロ・オリンピックが行われた後、11月にはトランプ氏が当選したアメリカの大統領選挙が行われた。

 上に引いた「日本人はあまり聖書を読まない。とんでもないことである」という記事の中では、僕の持つ聖書とは異なる日本語訳聖書が薦められている。

 僕が持つ聖書は、日本の福音派が用いている新改訳聖書だ。実際、僕は、福音派のプロテスタント教会に通い始めた時(2003年)に購入した。

 現在の僕は教会には通っていないのだが、それは内村鑑三が唱えた「無教会主義」と言える。そして、教会には通っていないものの、僕は根本主義である福音派のプロテスタントに相当するであろう。

 『……(4)イエスはイザヤ29:13 を引用し、パリサイ人たちの心は神から遠く離れている、従って、彼らの礼拝は神に受け入れられていないと宣言された。なんと悲しいことであろうか。
 律法主義とは、外面を整えることにのみ関心を向け、心の中を省みることを忘れている状態である。現代に生きる私たちはどうか。「長老たちの言い伝え(人間の教え)」を重視するあまり、聖書が教える真実な心、愛、信仰などを犠牲にしていることはないだろうか。聖書研究をおろそかにするなら、人間の教えが幅を効きかせることになる。「聖書研究から日本の霊的覚醒(目覚め)が」というのは、本当である。真実な礼拝を捧げる信仰者とならせていただこうではないか。……』
  (ハーベスト・タイム ミニストリーズ > メッセージステーション > 2021/10/18付・日刊デボーションガイドClay「マタイの福音書15:4 ~ 9」より)

中川牧師の聖書解説 Clay【クレイ】

Clay【クレイ】は、毎日聖書を読んで祈るためのデボーションガイドです。「様々な時代の様々な著者が神に導かれて書いた」という聖書の特性を踏ま...

Clay

 


 聖書を知らない多くの日本人達は、人の目や人の反応、人の評判・評価、人の承認を恐れている事により、また周囲からの同調圧力に屈する事により、行い、行動、言動によるパフォーマンスを行っている。

 聖書を知らない無神論者達はヒューマニストであるので、人に認めてもらおうと外面ばかりを気にして、内面を疎かにしている。人からの迫害を受けぬ様にと、渡世術として悪い意味での「嘘も方便」としている。

 人は皆、元々、「原罪」を持って生まれている。よって、貪欲にまみれたこの世を渡り過ごす中で内面を無視し続ける事で、世から受けた影響からその罪の性質から芽生え育った過ち、犯罪に気付かないままとなり、心は汚れていく一方だ。

 教会に通う敬虔なクリスチャンであれば、少なくとも1週間毎に自分の内面と向き合う機会を持つので、その都度省みて、「世の道」から「神様の道」へと軌道修正している事だろう。

 しかし、無神論者達には、その様な機会が無い。仕事やレジャーによって、忙しく流されていくばかりだ。

 「忙しい」の「忙」という漢字は、「心が亡くなる」という意味を表す。正に、その忙しさによって、人の心、魂、精神が、「忙殺」されてしまう訳だ。

 よって、聖書を知らない多くの日本人達は、心、魂、精神が亡くなっているが如くに眠っている訳で、それ故に、見ても聞いても悟る事が出来ないでいる。

 本ブログ
  2021/10/26付「やはり世間の多くは見聞きしても解らん?イエスキリストが用いた預言の成就/Can't after all most masses understood with looking and hearing?」


 一方で、信仰を深めたクリスチャンは、心におられる聖霊様の働きによって「霊的覚醒」が得られているので、敏感に察知すると共に、理解した上で共感や同情をする事が出来る様になる。正に、敬虔なクリスチャンは、良い意味でのHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)だ。

 本ブログ
  2020/11/25付「米大統領選挙前、日本のマスゴミ界の流行語HSP-何故このタイミング?/Before US President election, HSP vogue in JapanーWhy this timing?」


 聖書を知らないばかりか、多くの日本人達は「八百万の神」を拝んでいる。その虚しい神々である偶像の数々を拝んでいるが、幾ら拝んだところで無駄な事である。八百万の神々の偶像は、中身の無い偽物であるのだから。

 聖書は、偶像崇拝を禁じている。その事は、モーセが創造主から授かった「十戒」の中に、第二戒として存在する(旧約聖書・出エジプト記20章4~6節、同・申命記5章8~10節)。

 
 



 旧約聖書・出エジプト記20章4~6節 (または、旧約聖書・申命記5章8~10節)
  あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
  それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
  わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

 The Old Testament・The Book of Exodus 20:4~6 (or, The Old Testament・The Book of Deuteronomy 5:8~10)
  “You shall not make for yourselves an idol, nor any image of anything that is in the heavens above, or that is in the earth beneath, or that is in the water under the earth:
  you shall not bow yourself down to them, nor serve them, for I, Yahweh your God, am a jealous God, visiting the iniquity of the fathers on the children, on the third and on the fourth generation of those who hate me,
  and showing loving kindness to thousands of those who love me and keep my commandments.

 
 



 旧約聖書・レビ記19章4節
  あなたがたは偶像に心を移してはならない。また自分たちのために鋳物の神々を造ってはならない。わたしはあなたがたの神、主である。

 The Old Testament・The Book of Leviticus 19:4
  “ ‘Don’t turn to idols, nor make molten gods for yourselves. I am Yahweh your God.

 
 



 旧約聖書・申命記4章15~19節
   あなたがたは十分に気をつけなさい。主がホレブで火の中からあなたがたに話しかけられた日に、あなたがたは何の姿も見なかったからである。
  堕落して、自分たちのために、どんな形の彫像をも造らないようにしなさい。男の形も女の形も。
  地上のどんな家畜の形も、空を飛ぶどんな鳥の形も、
  地をはうどんなものの形も、地の下の水の中にいるどんな魚の形も。
  また、天に目を上げて、日、月、星の天の万象を見るとき、魅せられてそれを拝み、それらに仕えないようにしなさい。それらのものは、あなたの神、主が全天下の国々の民に分け与えられたものである。

 The Old Testament・The Book of Deuteronomy 4:15~19
   Be very careful, for you saw no kind of form on the day that Yahweh spoke to you in Horeb out of the middle of the fire,
  lest you corrupt yourselves, and make yourself a carved image in the form of any figure, the likeness of male or female,
  the likeness of any animal that is on the earth, the likeness of any winged bird that flies in the sky,
  the likeness of anything that creeps on the ground, the likeness of any fish that is in the water under the earth;
  and lest you lift up your eyes to the sky, and when you see the sun and the moon and the stars, even all the army of the sky, you are drawn away and worship them, and serve them, which Yahweh your God has allotted to all the peoples under the whole sky.

 
 



 旧約聖書・イザヤ書44章9~11節
   偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも立たない。彼らの仕えるものは、見ることもできず、知ることもできない。彼らはただ恥を見るだけだ。
  だれが、いったい、何の役にも立たない神を造り、偶像を鋳たのだろうか。
  見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。それを細工した者が人間にすぎないからだ。彼らはみな集まり、立つがよい。彼らはおののいて共に恥を見る。

 The Old Testament・The Book of Isaiah 44:9~11
   Everyone who makes a carved image is vain. The things that they delight in will not profit. Their own witnesses don’t see, nor know, that they may be disappointed.
  Who has fashioned a god, or molds an image that is profitable for nothing?
  Behold, all his fellows will be disappointed; and the workmen are mere men. Let them all be gathered together. Let them stand up. They will fear. They will be put to shame together.


 真実で唯一の神様である創造主がお造りになられた人々。その人々が作って来た偶像の数々が虚しい物であるだけで無く、作った人々の心も空となる。

 空しき偶像を幾ら拝んでも、その偽りの神々によって心が満たされる訳が無く、勿論、イエス様である聖霊様もそんな人々の心に宿って下さる訳が無いからだ。

 そして、偶像を作った人も、作られた偶像も、幾らファッショナブルに多く着飾ったところで、それらは外面ばかりの虚飾に過ぎず、それら共に内面的なものとしての思想を持たず、悟りもせず、結局は恥をかかされる事となる。

 
 



 イザヤ書44章18~19節
   彼らは知りもせず、悟りもしない。彼らの目は固くふさがって見ることもできず、彼らの心もふさがって悟ることもできない。
  彼らは考えてもみず、知識も英知もないので、……(後略)

 The Book of Isaiah 44:18~19
   They don’t know, neither do they consider, for he has shut their eyes, that they can’t see, and their hearts, that they can’t understand.
  No one thinks, neither is there knowledge nor understanding to say, ……(後略)

 
 



 新約聖書・ピリピ人への手紙3章18~21節
  というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
  彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。
  けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
  キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

 The New Testament・The Epistle to the Philippians
  For many walk, of whom I told you often, and now tell you even weeping, as the enemies of the cross of Christ,
  whose end is destruction, whose god is the belly, and whose glory is in their shame, who think about earthly things.
  For our citizenship is in heaven, from where we also wait for a Savior, the Lord Jesus Christ,
  who will change the body of our humiliation to be conformed to the body of his glory, according to the working by which he is able even to subject all things to himself.


 クリスチャンが唯一神を信仰する事とは異なり、多くの日本人は汎神論を持つ。その汎神論から生み出された「八百万の神々」を多くの日本人は拝んでいるのだが、その偶像崇拝を皮肉って、というよりも真実を明るみに出したものと思える言葉が、「嘘八百」だ。

 この「嘘八百」という言葉は「八百万の神々」を否定する為に作られた言葉であると思うのだが、それは偶像崇拝を禁じる、日本に渡来して来た古代イスラエル人、古代ユダヤ人達が作った言葉ではないだろうか。

 「八」という漢字は、神様を表す。八は「ヤ」とも読め、それは創造主である「ヤハウェ」から来ている。

 「犠牲」という漢字は、共に「牛編」となっている。古代イスラエル人達、古代ユダヤ人達は、自らの罪の贖いの為に、神様と和解する為に、燔祭の中で創造主に牛を捧げて来た。その事は、旧約聖書の「レビ記」に書かれている。

 そして、日本に来たレビ族の祭司達が日本でも燔祭を執り行っていたのだが、やがて日本が偶像を重用し殺生を重罪とする仏教体制となり、レビ人の祭司達は差別される様になり、街にはおれなくなった。

 しかし、日本では何故、クリスチャンが増えないのだろうか。

 過去、室町時代後期の戦国時代から安土桃山時代、そして江戸時代初期にかけて、イエズス会という宗教組織が日本にやって来た。

 そのフランシスコ・ザビエルをはじめとしたイエズス会の宣教師達は、聖書の御言葉の伝道を名目にしながら、実は、武器売買や日本人を奴隷として買い取る人身売買を主な目的としていたのだった。

 そして、あわよくばグローバリズム化したり、日本を乗っ取り植民地化する事をも目論んでいた事だろう。イエズス会は実は、ユダヤ人のスパイ組織である。

 そんな経験というか教訓も有る事からか、日本人がキリスト教に対する懐疑心を持っているのかもしれない。

 しかし、他の事に関しては反対に、日本人は「性善説」に則っており、周囲の人々や国々を余り疑う事無く信じやすいと言える。それ故に、ぞの性善説で書かれたカルト製のグローバリズム憲法を改正して来なかった。

 日本人の持つ性善説とは反対に、クリスチャンが持つ聖書は「性悪説」である。神様は、「人間は皆、悪だ」とおっしゃっておられるのだ。

 日本でクリスチャンが増えない理由についての解説を、先に引いた日本の福音派のウェブ・サイト「ハーベスト・タイム ミニストリーズ」から、更に引用させて頂く。

 以下、ハーベスト・タイム ミニストリーズ > 聖書入門.com > 3分でわかる聖書 >「Q.83 なぜ日本ではキリスト教が広まらないのですか。」より

  1.日本人には、唯一の神という神概念がありません。
   (1)日本人の世界観は、汎神論的世界観です。
   (2)日本人の信仰は、混合宗教的なものです。
   (3)聖書の神は、唯一の神であり、天地の創造主です。
   (4)唯一の神を認識することが、キリスト教信仰の始まりです。

  2.日本人は、共同体の中で孤立することを恐れています。
   (1)徳川時代のキリシタン禁令や五人組の制度の負の遺産を引き継いでいます。
   (2)共同体の中での調和を重視します。
   (3)これが正しいと思っても、なかなか言い出せないのです。

  3.この世の神が日本人の目に覆いをかけています。
   (1)この世の神とは、悪魔(サタン)のことです。
   (2)日本にキリスト教が広まらない原因のひとつは、霊的なものです。
   (3)クリスチャンは、祈りをもって悪魔の働きを阻止する必要があります。

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日本人のルーツを取り戻す-まとめ/The Japanese take back our own roots - 狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

<2018/10/1621:55-記事追加><2021/09/12-記事・画像追加><随時更新中>※本記事において幾つかの文献と画像を引用す...

日本人のルーツを取り戻す-まとめ/The Japanese take back our own roots - 狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

 


 引用聖書
  ・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)
  ・新改訳新約聖書(1965年版)(発行:日本聖書刊行会)
  ・World English Bible(eBible.org)

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裁き主キリスト「クリスチャンでなければ天国に入れない」-神を畏れよ/Christ Judge "if not Christian, you can't enter heaven." Fear God!

2021-10-25 00:30:00 | エッセイ・コラム
 <※本当の投稿日時
  True posted date & time:2021/10/24 02:50>

   (当方の都合にて、投稿日時を変更しております。
    I changed posted date and time for my convenience.)

 (2021/10/26 更新(一部修正(タイトル、本文)))




 裁き主であるイエス・キリスト「クリスチャンでなければ天国に入る事が出来ない」
  父と子(イエス・キリスト)と聖霊の三位一体の唯一の創造主を畏れよ!
 Jesus Christ the Judge "But if not Christian, you can't enter heaven."
  Fear God of the Trinity who is the Father, the Son and the Holy Spirit.


 日本人の多くが、聖書を知らない。

 聖書という言葉や書物を見かけた事は有るにしても、読んだ事が無く、それ故、その内容を知らない。

 聖書という名前から連想して、ただ単に、聖い書物としてぐらいにしか思っていないのだろう。

 綺麗な書物というイメージは、12月25日のクリスマスからも来ているのだろう。他にも、クリスチャンでは無いにも関わらず多くの若い新郎新婦が結婚式を挙げるチャペルからも来ているのであろう。

 勿論、その通り、聖書は冒す事の出来ない神聖な書物である事に間違いは無い。

 しかし、日本の世間の多くの人々の持っている聖書やキリスト教のイメージは、概ね誤解していると言えるだろう。

 こういう偉そうな事を言う僕も、実は、8歳に成る年にカトリック教会で洗礼を受けたクリスチャンであるにも関わらず、何と43歳に成る年にして初めて、自宅で自分で聖書を開き通読し始めたのであった。

 幼少時こそ教会に通っていたものの、その後、概ね遠のいてしまった。途中、33歳と半ばでの死にかけた怪我をきっかけに福音派のプロテスタント教会に一時通ったものの、未だ暫くは本当の意味では理解出来ておらず、正に形式的なクリスチャンであった。

 しかし、その今から9年前の通読時、その時も手の指の骨折で入院後の自宅療養をきっかけとしたものであったのだが、その聖書通読を通して「霊的覚醒」が得られたものと思える。

 42歳までの僕は、未だ霊的な目覚めが得られず、それ故、神様への信仰心が余り開かれ無かった事は勿論、物事の根本や本質を理解せず、社会や国際の様々な問題等にも興味を持てずに居たのであった。

 聖書通読は、人の心の目を開かせる。霊的覚醒を得た心によって、物事を見て知り、そして悟る。

 日本の世間の多くの人々が、聖書を理解していない。それ故、イエス・キリストの事も解っていない。

 日本人の多くが、無神論者である。よって、イエス様をキリスト(救世主)として信じず、イエス様を創造主である神様として崇める事をしない。

 それどころか、無神論者でありながら八百万の神を奉る。僕はクリスチャンとして、神様は三位一体で唯一のイエス様だけだと断言出来るので、八百万の神は「嘘八百」と明確に言える。

 そんな日本の世間の多くの人々が持つイエス様のイメージは、概ね誤解そのものであろう。

 今から約2000年前、イエス様が降臨されて在世されていた頃、それこそ、民衆に向けて平和や愛に関する事ばかりを述べていたと思っているのではないだろうか。そして、当時の周りに居た人々と何の差し障りも無く、誰からも好かれる八方美人として過ごされたと思っているのではないだろうか。

 キリスト教界のシンボルには、十字架が用いられている。その十字架は、イエス様が磔にされて犠牲になられた事の象徴として用いられて来た。

 因みに、イエス様が死と復活を現された後に昇天された直後の初代キリスト教界は、魚をシンボルにしていた。また、イエス様は本当は、十字架では無くT字架に磔にされたのであった。

 それはともかくとしても、イエス様は、何の罪も犯してなかったにも関わらず、イエス様を信じる全てのクリスチャンの罪を贖う為に、十字架上で犠牲になられたのである。よって十字架は、単に装飾品等と無意味な物では無いのである。

 その十字架の持つ重要な意味から、無神論者達は疑問を察する事に繋がらないのであろうか?

 イエス様がもし、誰からも好かれる八方美人であったならば、十字架に磔にされ、しかも晒し者にされながら、殺される事が無かったのではないかと。

   イエス様は何故、殺されたのか?

   イエス様は可愛いかったのか?

   イエス様は可愛こぶりっ子して猫かぶりしていたのか?

 実は、イエス様は「鬼」でもあったのだ。

 イエス様は、当時のユダヤの国の支配層、パリサイ人、サドカイ人、律法学者、祭司、長老等、今日でいうところのユダヤ教の指導者達を強烈に非難して糾弾したのだ。

 そうして、イエス様を嫌う人々がおり、イエス様を拒否する人々が居たのだ。そして終いには、イエス様を葬ろうと陰謀を謀る事に繋がった訳だ。

 また、イエス様は、この世の全ての人がこの世で肉(身体)の死を迎えた後、霊(魂)について裁判を行う。

 その裁判とは、人がこの世での死後、天国に入れるか地獄に落とされるかの判断、命令を受ける事だ。

 イエス様は「鬼」の裁判官となって、クリスチャンでは無い人々が天国に入る事を認めない。

 「鬼」でもあるイエス・キリストは、次の様に述べておられる。

 
 



  新約聖書・ヨハネの福音書14章1~6節
   「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
   わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
   わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
   わたしの行く道はあなたがたも知っています。」
   トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」
   イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

  The New Testament・The Gospel of John 14:1~6
   “Don’t let your heart be troubled. Believe in God. Believe also in me.
   In my Father’s house are many homes. If it weren’t so, I would have told you. I am going to prepare a place for you.
   If I go and prepare a place for you, I will come again and will receive you to myself; that where I am, you may be there also.
   You know where I go, and you know the way.”
   Thomas said to him, “Lord, we don’t know where you are going. How can we know the way?”
   Jesus said to him, “I am the way, the truth, and the life. No one comes to the Father, except through me.


 「わたしの父の家」や「わたしのもと」、「わたしのいる所」、「父のみもと」とは、天国の事を述べておられる。

 また、「わたしを通して」と述べておられるのは、イエス様を信仰する事であり、クリスチャンに成る事を指している。

 そして、「わたしの行く道」、「わたしが道」と述べておられる。つまり、クリスチャンとしてこの世で寄留者として旅を続けるというその道を歩む事によって、「父のみもと」である天国に入る事が出来ると述べておられるのである。

 よって、クリスチャンではない者は、この世での死の後に、イエス様による裁きで地獄に落ちる。

 地獄は「永遠の死」を意味し、天国は「永遠の命」を意味する。

 因みに、自殺は他殺と同様に、創造主の保有する命を殺める事になるので罪に相当するのであるが、クリスチャンである場合は既にイエス様をキリストとして信仰している事により救われているので、自殺をしても地獄に落とされる事は無いという。

 その自殺に於いても、クリスチャンでない者の場合は、地獄行きが早まるだけであると、或る福音派の牧師が聖書解説に於いて述べている。

 イエス様は、決して優しいばかりのお方では無い。

 イエス様は、大変厳しく恐ろしい「鬼」でもあるのだ。

 よって、父と子(イエス・キリスト)と聖霊の三位一体の唯一の創造主を畏れよ!

 (※ この随想であるエッセーでもあり、且つ、事実を述べてもいるこの記事は、今年5月~7月の本ブログの投稿を滞らせていた間の、7月に入った直後、僕の思想の中に浮かんでいた事を基にしたものです。よってその間、僕は何も考えずにボーッと過ごしていた訳ではありません。)

 本ブログ過去の関連記事
  2021/08/01付「本日よりブログタイトルを変更します/Blog title is changed today.:Stubborn free temporary resident's deep meditation.」

 引用聖書
  ・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)
  ・新改訳新約聖書(1965年版)(発行:日本聖書刊行会)
  ・World English Bible(eBible.org)

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イエスを模範とするクリスチャンは闘う-何故キリストは殺された?/Christians who make Jesus model are fighters. Why was Christ killed?

2021-10-24 01:34:36 | エッセイ・コラム



 イエス様を模範とする本当のクリスチャン(キリスト者)は闘う者
  イエス・キリストは何故殺されたのか?
   キリスト武士道
 True Christians who make Jesus model are fighters.
  Why was Jesus Christ killed?
   Christ Bushido.


   果たして、イエス様は可愛こぶりっ子だったのであろうか?

   果たして、イエス様は猫かぶりしていたのであろうか?

   果たして、イエス様は忖度・迎合していたのであろうか?

   果たして、イエス様は平和や愛ばかりを唱えていたのであろうか?

   果たして、イエス様は八方美人であったのだろうか?

 そして、ユダヤ教徒は何故、イエス様を憎んでいるのか?

 日本の世間の多くの無神論者達に言う。十字架は決して単なる装飾品では無いと。

 チャペル、礼拝堂、教会も、決して単に結婚式を挙げる為のものでは無いと。

 クリスマスも、決して単なるお祭り、イベント、バカ騒ぎする為のものではないと。

 日本人の殆どが、無神論者である。また、仏教徒が偶像を拝んでいるだけでは無く、八百万の神という「嘘八百」の偶像の数々を、日本人の多くが拝んでいる。

 神様は唯一だ。創造主である天の父と、子であるイエス・キリストと、聖霊は、異なる位格を持つも三位一体で唯一の神様だ。

 よって、真実で唯一の神様である、創造主であるイエス様の他は、全て偽物である。

 日本人の多くが、聖書を知らない。読んだ事が無いので、その内容を全く知らない。

 しかし、この日本人の聖書についての無知蒙昧さは、世界全体からすれば、却って非常識であり、少数派に属するものだ。

 特に、国際舞台で活躍する事を願う者であれば、聖書を理解する事は欠かす事が出来ない。

 聖書について無知蒙昧な日本人達は、イエス様についても誤解している。凡そ、冒頭に掲げた通りだろう。

 しかし、イエス様が何故、十字架に磔にされて殺されたかについて疑問を持ち、真剣にその事について考えるならば、冒頭に掲げた問いを全て否定する事が出来るであろう。

 イエス様は在世時、権力を恐れず、媚びずに闘われた。

 言うべき事を言われ、非難すべき事を非難され、糺すべき事を糺された。

 自分の命を顧みず、死ぬ事を厭わず、死ぬ事を覚悟して、支配者達や世間の人達と闘われたのだ。

 イエス様が真実を述べられた事で、指導者達やそれらに煽動された世間の人達から、嫌悪され、拒否されて、十字架上での磔の暗殺に追いやられたのだ。

 しかし、イエス様が被られたその十字架の磔は、ただ単に暗殺された意味だけでは無い。

 イエス様は、イエス様を信じる全てのクリスチャンの罪の贖いとして犠牲になられた、そして、律法主義では無く、つまりパフォーマンスという行為に依らず、何をしたら良いという事に依らず、ただイエス様への信仰と恵みのみによって救われる様にリセットされた。

 クリスチャンは、イエス様の十字架上での死と共に、その後の3日目にイエス様が復活された事を信じる。そして、クリスチャンは皆、この世の死後、天国で永遠の命を得る事を信じる。

 クリスチャンは皆、信仰が深まれば深まる程、それに比例して、イエス様に似ていく様になる。

 
 



 新約聖書・コロサイ人への手紙3章9~12節
  互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、
  新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。
  そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
   それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。

 The New Testament・The Epistle to the Colossians 3:9~12
  Don’t lie to one another, seeing that you have put off the old man with his doings,
  and have put on the new man, who is being renewed in knowledge after the image of his Creator,
  where there can’t be Greek and Jew, circumcision and uncircumcision, barbarian, Scythian, bondservant, or free person; but Christ is all, and in all.
   Put on therefore, as God’s chosen ones, holy and beloved, a heart of compassion, kindness, lowliness, humility, and perseverance;


 また同時に、神様から選ばれているクリスチャンは皆、イエス様を模範として生きる様になる。

 日本人の多くが、クリスチャンと言えば、大人しい人、優しい人と見ているのではないだろうか。

 確かに、その御言葉に書かれている通り、「深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容」を持つ人々だと言えるだろう。

 しかし、優しいからと言って、全く怒らないとでも思っているのであろうか?

 イエス様が、前述の通り、周囲から嫌われて殺さる事を引き出されたのは、周囲を怒られた事が原因となっているのだ。

 しかし、この怒りについても、世間の多くがきちんと理解出来ていない。怒りと言えばすぐさま暴力や暴動、当たり散らす等と結びつけてしまう。

 クリスチャンとしては、怒る時もイエス様を見本とすべきだ。基本的に、神様の栄光を表す事が出来る様な怒り方、聖書的価値観が裏付けされた怒り、正義を伴う怒りであれば、神様が喜んで下さるだろう。

 日本の江戸幕末の改革期、思想家の吉田松陰が「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」と句を詠み、2度目の収監時に留魂録という辞世を遺した。吉田松陰は、殺される事が解りながらも、已むに已まれぬ気持ちとなり、敢えて行動に移したのだ。

 またそれは、忍耐の末の已むに已まれぬ気持ちとなってから、初めて行動に移すという意味も含んでいるのではないだろうか。

 安易な決断をする事で、軽挙妄動になってはならない。熟考し、熟慮してから決断し、行動する。

 札幌農学校に於いてクリスチャンで思想家の内村鑑三と共に学んだ、同じくクリスチャンである新渡戸稲造は、それまで不文律であった武士道をキリスト教、聖書とセットにしてアウフヘーベンし、より高い次元のものにして著書にした。その武士道精神の中でも特に重要な事は、「敢為堅忍」だ。

 堅い忍耐こそが武士道精神には大事で、その忍耐の末の、我慢の末に、初めて勇気を振るい行動を起こす。忍耐する事無く、最初から怒りの感情に任せ、武力行使や暴力といった実力行使を行う事は、却って卑怯な事だと、武士道は戒める。

 武士道は、知行合一を旨とする陽明学に通ずるものであるが、それらは共に、キリスト教精神と共通するものである。

 
 



 新約聖書・ヤコブの手紙1章19~20節
   愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。
  人の怒りは、神の義を実現するものではありません。

 The New Testament・The Epistle of James 1:19~20
   So, then, my beloved brothers, let every man be swift to hear, slow to speak, and slow to anger;
  for the anger of man doesn’t produce the righteousness of God.

 
 



 旧約聖書・箴言16章32節
  怒りをおそくする者は勇士にまさり、
  自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。

 The Old Testament・The Book of Proverbs 16:32
  One who is slow to anger is better than the mighty;
  one who rules his spirit, than he who takes a city.

 
 



 旧約聖書・箴言19章11節
  人に思慮があれば、怒りをおそくする。
  その人の光栄は、そむきを赦すことである。

 The Old Testament・The Book of Proverbs 19:11
  The discretion of a man makes him slow to anger.
  It is his glory to overlook an offense.

 
 



 新約聖書・ヤコブの手紙1章2~4節
   私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
  信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
  その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

 The New Testament・The Epistle of James 1:2~4
   Count it all joy, my brothers, when you fall into various temptations,
  knowing that the testing of your faith produces endurance.
  Let endurance have its perfect work, that you may be perfect and complete, lacking in nothing.


 イエス様は、神様であるが故に、完璧なお方だ。よって、イエス様の行動には、軽挙妄動やそれに伴う失敗は有り得なかった。

 一方、僕達クリスチャンは、人間でしかないので、出来るだけ失敗しない様に、やはり忍耐して考える必要が有る。決して、思いつき、一時的な感情によって行動してはならない。

 イエス様は全てを超えられるお方なので、人間の頭で知る範囲で理解する事は当然無理だ。

 それでも、人智を超えられるイエス様に出来るだけ近付きたいと努力する事が大事だ。イエス様がこの世で執られた行動を見習うのが、クリスチャンである。

 よって、クリスチャンは、イエス様と同様に、この世に於いて闘う者であると言える。イエス様を鑑として、クリスチャンは悪と闘うのだ。

 更にクリスチャンは、イエス様を模範として、この世での命を軽視して、後の永遠の命こそを重視する。肉(身体)の命よりも、霊(魂、精神)の命こそを尊重する。

 
 



 新約聖書・ヨハネの福音書12章24~25節
  まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
  自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。

 The New Testament・The Gospel of John 12:24~25
  Most certainly I tell you, unless a grain of wheat falls into the earth and dies, it remains by itself alone. But if it dies, it bears much fruit.
  He who loves his life will lose it. He who hates his life in this world will keep it to eternal life.

 
 



 新約聖書・マタイの福音書16章24~26節
  それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
  いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。
  人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。

 The New Testament・The Gospel of Matthew 16:24~26
  Then Jesus said to his disciples, “If anyone desires to come after me, let him deny himself, take up his cross, and follow me.
  For whoever desires to save his life will lose it, and whoever will lose his life for my sake will find it.
  For what will it profit a man if he gains the whole world and forfeits his life? Or what will a man give in exchange for his life?


 1970年(昭和45年)11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内の東部方面総監室を占拠した三島由紀夫は、バルコニーに出て自衛隊員を前にして、叱咤激励しながら抗議する「檄」を読んだ。当時、生活第一で経済偏重になっていた日本の空気を批判し、政治家や自衛隊、そして世間の大衆に抗議する為に、自決直前に遺言として、その「檄」を遺した。

 その「檄」より、

  「『経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆく』姿、『政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆく』国となってしまったことを憂い……」

  「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。……」
   
 前述の吉田松陰と共に、この三島由紀夫や、第二次世界大戦中にアメリカ艦隊に突撃していった若干二十歳前後の特別攻撃隊の方々には、イエス様の精神性が在る事が見えるのだ。

 戦争はともかくとしても、いざとなれば自衛戦争を必要とするけども、普段からこの世で生活を送る上で、クリスチャンはイエス様を見習い、殺される事をも恐れずに、抵抗や抗議、反抗、反論をして、世間・世俗のこの世的な価値観と闘い続けなければならない。

 この世的な価値観は、悪魔的価値観であるのだから(マスゴミ(特にバラエティ番組)を見ればよく解る)。

(※ この随想であるエッセーでもあり、且つ、事実を述べてもいるこの記事は、今年5月~7月の本ブログの投稿を滞らせていた間の、7月の初め頃、僕の思想の中に浮かんでいた事を基にしたものです。よってその間、僕は何も考えずにボーッと過ごしていた訳ではありません。)

 引用聖書
  ・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)
  ・新改訳新約聖書(1965年版)(発行:日本聖書刊行会)
  ・World English Bible(eBible.org)

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何故プライバシーを隠したいのに明かされるの?どなたが為さっている事?/Why is privacy revealed though want to hide it? Who is doing it?

2021-10-23 23:30:00 | エッセイ・コラム
 <※本当の投稿日時
  True posted date & time:2021/10/24 00:53>

   (当方の都合にて、投稿日時を変更しております。
    I changed posted date and time for my convenience.)

 ※ 本記事において幾つかの文献と画像を引用する事によって構成しておりますが、本記事により当方は収入を一切受け取っておりません。
 ※ I have made composition by borrowing some references and pictures in this article, but I don't receive the income at all by this article.




 何故プライバシーを隠したいのに明かされてしまうのか?そして、どなたが為さっている事なのか?
  ただの小さな人間でしかない僕が、何故、不思議なものを持っているのか?
 Why is my privacy revealed though I want to hide it? And who is doing its thing?
  Why do I who am no more than a small human being have some wonders?




 出典:2019/08/07付・大紀元Epoch Times Japan『公共トイレでこの「フック」を見かけたら、触れずに警察を呼ぼう』

 上の画像の様なネジやフックが、実は小型カメラである可能性が有るという。インターネットで簡単に手に入れる事が出来るといい、公共トイレのドアノブの内部等に組み込まれているという。

 そんな小型カメラが自宅や勤める会社に仕掛けられているが為に、日々、監視されているのならば解る。

 しかし、もし、そんなカメラが仕掛けられていないにも関わらずそういう事が起きているのならば、どの様に説明すべきであろうか?

 そして、そんなプライバシーが暴かれる事により、それを基にストーカーされる事に繋がる。ストーカーを遠避ける為には、プライバシーの保護が大事だ。

 本ブログ
  2019/11/23付『見知らぬ輩共「ずっと見ていたよ」・・・追い詰める恐怖のストーカー/"We were peeping you all the while", terror stalkers who corner』


 今年の5月~7月、僕は本ブログ記事の投稿を滞らしてしまっていた。しかし、何もその間、仕事等に流されるままに、何も考えずにボーッと過ごしていた訳では無かった。

 社会、世間に出ると、とかく純粋な気持ち、信仰心が揺らがされる様な挑発や誘惑、唆し等が襲って来る。

 しかし、そうした事は、今一度、考えたり、振り返り点検する事のきっかけにもなる。それぞれの試練は、その都度、神様の思し召し、許しの中で提供されているのかもしれない。

 随想であるエッセーでもあり、且つ、事実を述べてもいるこの記事は、その7月中旬に僕の思想の中に浮かんでいた事だ。

 僕も勿論、正直に言うと、一般の人達と同様に、プライバシーを暴かれたくないし、ストーカーを受けたくもない。

 また、日々、僕は、見られたくないから、昼間でもカーテンを閉めている。

 更に、僕は目立ちたくないから、明かりを小さくしている。

 それなのに、僕が部屋の中でパフォーマンスをしていると、勘違いしている人々が居る。

 もし、僕自らがパフォーマンスをしたいと思っているのであれば、それを見せびらかしたいと思っているのならば、カーテンを閉める事も無いし、明かりも明々と照らすであろうし、窓も解放する程にしている事であろう。

 要するに、僕の意に反して、そんなプライバシーが曝け出される事が起きているのだ。

 そしてつまり、僕が自分でそんなプライバシーを曝け出している訳では無いという事も理解出来よう。

 しかし、世間の多くは鈍感なので、やはり理解出来ず、勘違いばかりしているのだろうか。

   何故、そんな摩訶不思議な事が今現在、現実に起こっているのか?

   僕は幽霊であろうか? 

   あなた方の目に映ったり耳にしている事は空想・ファンタジーであろうか?

 
 



 新約聖書・マタイの福音書14章25~26節
  すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。
  弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。

 The New Testament・The Gospel of Matthew 14:25~26
  In the fourth watch of the night, Jesus came to them, walking on the sea.
  When the disciples saw him walking on the sea, they were troubled, saying, “It’s a ghost!” and they cried out for fear.


 「幽霊」とは、「死の天使」であるという。イエス様は、勿論それでは無く、神様であり、聖霊様であり、そして創造主である。

 ここで、聖書からこういう御言葉を引くと、読者の中には、僕が恰も神様であるとか救世主、預言者である事を匂わしていると勘違いする人が居るのではないかと思う。

 しかし、僕はただの人間であり、それも失敗ばかりで鈍臭い人間であり、地位も名誉も品も無い、罪も犯して来た人間だ。

 そうすると、僕が幽霊に見えるという事は、僕は「死の天使」に相当するのであろうか?

 しかし、僕はクリスチャンである。しかも、発達途上ではあるものの、多くの試練が課される事によって成長を続けているクリスチャンだ。

 
 



 新約聖書・コロサイ人への手紙3章9~12節
  互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、
  新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。
  そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
   それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。

 The New Testament・The Epistle to the Colossians 3:9~12
  Don’t lie to one another, seeing that you have put off the old man with his doings,
  and have put on the new man, who is being renewed in knowledge after the image of his Creator,
  where there can’t be Greek and Jew, circumcision and uncircumcision, barbarian, Scythian, bondservant, or free person; but Christ is all, and in all.
   Put on therefore, as God’s chosen ones, holy and beloved, a heart of compassion, kindness, lowliness, humility, and perseverance;


 僕に限らずクリスチャンは皆、信仰が深まれば深まる程、この御言葉に相当する。クリスチャンは成長するに従い、創造主であるイエス・キリストに似ていくと共に、イエス様を手本としながら生きていく。

 無神論者達が見えないものを信じないと言うが、世間の多くの方々は目にしているものさえも現実として認めない。

 それは正に、臭いものに蓋をする様な事だ。

 それは、頭の中が空想、ファンタジーで一杯だから、現実に起こっている事を見ても受け入れる事が出来ないからだ。

 また、自分の希望で物事を見て捉えているせいで、嫌な事、都合の悪い事を無視したり、敬遠し、蓋をしてしまうからだ。

 世間の多くは、不思議なものを目にしても笑うだけで、「何故、あの人からあんな摩訶不思議な現象が起こっているのか?」と、それについて疑問も抱かず、考えず、そして質問もしない。

   僕はいつも、カメラを持ち歩いてはいない。 
    ・・・企業秘密、目、鬱陶しい、恥ずかしい、見られてイライラする、お腹痛い、怖い……

   僕はいつも、メガホンを持ち歩いてはいない。 
    ・・・テレパシー、腹話術、超音波、近所に留まらず日本全国・アメリカ・世界にも……

   僕はいつも、部屋のカーテンを閉め明かりも小さくして出来るだけプライバシーを守る様に努めて来た。
    ・・・銀行のATMでのパスワード入力、ネット・ショッピングでのログイン、トイレでの大便、入浴……

 要するに、僕自身の能力によってそれらを行っていないという事が理解出来ないのだろうか?

 僕はただの人間であるので、超能力を持っていないし、大した能力も持っていない。

 もし僕が超能力を持っているのならば、またその力を僕が使う事が出来るのであれば、今までの多くの失敗をするはずが無かったし、またそれらを帳消しに出来るであろうし、秘密にしたい事、プライバシーも隠す事が出来るはずだ。

 さて、どなたが、僕の身を通して、そんな不思議な事を行っているのであろうか?

 この答えを悟る事によって、世の無神論者達、科学至上主義者達、人間至上主義者達の論拠は崩壊へ向かうであろう。

 新約聖書に書かれている事の一例として、人間マリアが処女にしてイエス様を産んだ事が挙げられる。

 その事は歴史的事実であるが、マリアは決して超能力を持っていなかった。

 その答えはこうだ。唯一の絶対神である創造主がマリアの身体を用いられて、主の全知全能の力によって、成し遂げられた出来事である。

 
 



 新約聖書・ルカの福音書1章26~38節(The New Testament・The Gospel of Luke 1:26~38)より
    御使いガブリエル
     「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
      (“Rejoice, you highly favored one! The Lord is with you. Blessed are you among women!”)
     「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。……」
      (”Don’t be afraid, Mary, for you have found favor with God. ……”)
     「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。…… 神にとって不可能なことは一つもありません。」
      (”The Holy Spirit will come on you, and the power of the Most High will overshadow you. …… For nothing spoken by God is impossible.”)

    マリヤ
     「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」 
      (”Behold, the servant of the Lord; let it be done to me according to your word.”)


 マリアは、神様の御心、御計画である運命、宿命、使命を素直に受け入れた。

 それは、「神の子」を自分の胎内に宿し、そして産み育てるという、大きなプレッシャーが掛かったにも関わらずにである。

 マリアは、決してその様な境遇から逃げる事無く、不平や不満を言わず、自分の希望や欲望を捨てて、全き心を持って神様に従ったのであった。

 僕はその点、マリアさんとは違い、こうしてプライバシーが侵害される事が嫌だとか不平不満を述べている。それは、旧約聖書の「ヨブ記」に登場するヨブと同様だ。

 この世で生きている間は、どうしても信仰に純粋であればある程、そこに突け込んで来る悪に邪魔をされたり煩わされたりしがちだ。

 そうした中、この世を渡る処世術的なものとして一般的には、世間に忖度してしまったり、自分の力で解決しようとして怒りを発する事もあろう。

 僕もクリスチャンとして成長途上に在る中で、そんな世間一般と然程変わらない低レベルに合わせてしまう「失敗」に陥ってしまう事が時々有る。そしてその都度、僕は自己嫌悪を感じ、内省して来たのである。

  
 



 新約聖書・コリント人への手紙 第一15章10節
  ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

 The New Testament・The First Epistle to the Corinthians 15:10
  But by the grace of God I am what I am. His grace which was given to me was not futile, but I worked more than all of them; yet not I, but the grace of God which was with me.

 
 



 新約聖書・ローマ人への手紙8章28節
  神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

 The Epistle to the Romans 8:28
  We know that all things work together for good for those who love God, for those who are called according to his purpose.


 本ブログ過去の関連記事
  2018/03/19付「僕の先月の追記:I am“out-low”, servant, and no ability神様の恵みで益とされるPeople are made as good by the grace of God」
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  2019/01/31付『My Testimony/僕の証<5-2/2>:僕はボロボロ……Isaiah 52:13~53:12、侮辱を負われた「イエス様の御姿」と迫害の中での信仰により「キリストの似姿」に変えられる事を想う』
  2019/02/01付『My Testimony/僕の証<6>:キリストと直接繋がる安定、なぜ僕は不思議なのか?/Connection with Christ make stability, Why am I wonder?』

  2019/01/30付「My Testimony & Witness/僕の証 2018・・・まとめ<1> ~ <10> + Postscript」 ・・・または本ページ右サイドの「ブックマーク」
  2021/09/11付「僕52歳の求職活動からの連想 2021-まとめ/Age of 52 my associations from job hunting」 ・・・または本ページ右サイドの「ブックマーク」

 引用聖書
  ・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)
  ・新改訳新約聖書(1965年版)(発行:日本聖書刊行会)
  ・World English Bible(eBible.org)

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唯一の絶対神・聖書の定めに従う:終末の患難期、希望的観測で現実は見えず/ Great Tribulation, we obey God, can’t see by wishful thinking

2021-10-04 06:15:14 | エッセイ・コラム
 唯一の絶対神・聖書の定めに従う
  終末期の患難期、希望的観測では現実は見えない
 We should believe and obey the Holy Bible and destiny which is being given from the one and only God who is the Absolute.
  In Eschatological Great Tribulation, we can’t watch realities by wishful thinking.




出典:illustACを加工

 
 



 新約聖書・マタイの福音書20章2節
  彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。

 The New Testament・The Gospel of Matthew 20:2
  When he had agreed with the laborers for a denarius a day, he sent them into his vineyard.

 
 



 新約聖書・ヨハネの黙示録6章1~8節
  また、私は見た。小羊が七つの封印の一つを解いたとき、四つの生き物の一つが、雷のような声で「来なさい。」と言うのを私は聞いた。
  私は見た。見よ。白い馬であった。それに乗っている者は弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上にさらに勝利を得ようとして出て行った。
   小羊が第二の封印を解いたとき、私は、第二の生き物が、「来なさい。」と言うのを聞いた。
  すると、別の、火のように赤い馬が出て来た。これに乗っている者は、地上から平和を奪い取ることが許された。人々が、互いに殺し合うようになるためであった。また、彼に大きな剣が与えられた。
   小羊が第三の封印を解いたとき、私は、第三の生き物が、「来なさい。」と言うのを聞いた。私は見た。見よ。黒い馬であった。これに乗っている者は量りを手に持っていた。
  すると私は、一つの声のようなものが、四つの生き物の間で、こう言うのを聞いた。「小麦一枡は一デナリ。大麦三枡も一デナリ。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。」
   小羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物の声が、「来なさい。」と言うのを聞いた。
  私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデスがつき従った。彼らに地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた。

 The New Testament・The Revelation of John 6:1~8
  I saw that the Lamb opened one of the seven seals, and I heard one of the four living creatures saying, as with a voice of thunder, “Come and see!”
  Then a white horse appeared, and he who sat on it had a bow. A crown was given to him, and he came out conquering, and to conquer.
   When he opened the second seal, I heard the second living creature saying, “Come!”
  Another came out, a red horse. To him who sat on it was given power to take peace from the earth, and that they should kill one another. There was given to him a great sword.
   When he opened the third seal, I heard the third living creature saying, “Come and see!” And behold, a black horse, and he who sat on it had a balance in his hand.
  I heard a voice in the middle of the four living creatures saying, “A choenix of wheat for a denarius, and three choenix of barley for a denarius! Don’t damage the oil and the wine!”
   When he opened the fourth seal, I heard the fourth living creature saying, “Come and see!”
  And behold, a pale horse, and the name of he who sat on it was Death. Hades followed with him. Authority over one fourth of the earth, to kill with the sword, with famine, with death, and by the wild animals of the earth was given to him.

 
 



 新約聖書・ルカの福音書21章7~28節
  彼らは、イエスに質問して言った。「先生。それでは、これらのことは、いつ起こるのでしょう。これらのことが起こるときは、どんな前兆があるのでしょう。」
  イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私がそれだ。』とか『時は近づいた。』とか言います。そんな人々のあとについて行ってはなりません。
  戦争や暴動のことを聞いても、こわがってはいけません。それは、初めに必ず起こることです。だが、終わりは、すぐには来ません。」
   それから、イエスは彼らに言われた。「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、
  大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現われます。
  しかし、これらのすべてのことの前に、人々はあなたがたを捕えて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。
  それはあなたがたのあかしをする機会となります。
  それで、どう弁明するかは、あらかじめ考えないことに、心を定めておきなさい。
  どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。
  しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者もあり、
  わたしの名のために、みなの者に憎まれます。
  しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。
  あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます。
   しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。
  そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。いなかにいる者たちは、都にはいってはいけません。
  これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。
  その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。
  人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。
   そして、日と月と星には、前兆が現われ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、
  人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。
  そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。
  これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」

 The New Testament・The Gospel of Luke 21:7~28
  They asked him, “Teacher, so when will these things be? What is the sign that these things are about to happen?”
  He said, “Watch out that you don’t get led astray, for many will come in my name, saying, ‘I am he,’ and, ‘The time is at hand.’ Therefore don’t follow them.
  When you hear of wars and disturbances, don’t be terrified, for these things must happen first, but the end won’t come immediately.”
   Then he said to them, “Nation will rise against nation, and kingdom against kingdom.
  There will be great earthquakes, famines, and plagues in various places. There will be terrors and great signs from heaven.
  But before all these things, they will lay their hands on you and will persecute you, delivering you up to synagogues and prisons, bringing you before kings and governors for my name’s sake.
  It will turn out as a testimony for you.
  Settle it therefore in your hearts not to meditate beforehand how to answer,
  for I will give you a mouth and wisdom which all your adversaries will not be able to withstand or to contradict.
  You will be handed over even by parents, brothers, relatives, and friends. They will cause some of you to be put to death.
  You will be hated by all men for my name’s sake.
  And not a hair of your head will perish.
  “By your endurance you will win your lives.
   “But when you see Jerusalem surrounded by armies, then know that its desolation is at hand.
  Then let those who are in Judea flee to the mountains. Let those who are in the middle of her depart. Let those who are in the country not enter therein.
  For these are days of vengeance, that all things which are written may be fulfilled.
  Woe to those who are pregnant and to those who nurse infants in those days! For there will be great distress in the land and wrath to this people.
  They will fall by the edge of the sword, and will be led captive into all the nations. Jerusalem will be trampled down by the Gentiles until the times of the Gentiles are fulfilled.
   “There will be signs in the sun, moon, and stars; and on the earth anxiety of nations, in perplexity for the roaring of the sea and the waves;
  men fainting for fear and for expectation of the things which are coming on the world, for the powers of the heavens will be shaken.
  Then they will see the Son of Man coming in a cloud with power and great glory.
  But when these things begin to happen, look up and lift up your heads, because your redemption is near.”

 
 



 新約聖書・マタイの福音書24章3~31節
   イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」
  そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
  わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
  また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
  民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
  しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
  そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
  また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。
  また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
  不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
  しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
  この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。
   それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)
  そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
  屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。
  畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。
  だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。
  ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。
  そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。
  もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。
  そのとき、『そら、キリストがここにいる。』とか、『そこにいる。』とか言う者があっても、信じてはいけません。
  にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。
  さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。
  だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる。』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる。』と聞いても、信じてはいけません。
  人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。
  死体のある所には、はげたかが集まります。
   だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。
  そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
  人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

 The New Testament・The Gospel of Matthew 24:3~31
   As he sat on the Mount of Olives, the disciples came to him privately, saying, “Tell us, when will these things be? What is the sign of your coming, and of the end of the age?”
  Jesus answered them, “Be careful that no one leads you astray.
  For many will come in my name, saying, ‘I am the Christ,’ and will lead many astray.
  You will hear of wars and rumors of wars. See that you aren’t troubled, for all this must happen, but the end is not yet.
  For nation will rise against nation, and kingdom against kingdom; and there will be famines, plagues, and earthquakes in various places.
  But all these things are the beginning of birth pains.
  “Then they will deliver you up to oppression and will kill you. You will be hated by all of the nations for my name’s sake.
  Then many will stumble, and will deliver up one another, and will hate one another.
  Many false prophets will arise and will lead many astray.
  Because iniquity will be multiplied, the love of many will grow cold.
  But he who endures to the end will be saved.
  This Good News of the Kingdom will be preached in the whole world for a testimony to all the nations, and then the end will come.
   “When, therefore, you see the abomination of desolation, which was spoken of through Daniel the prophet, standing in the holy place (let the reader understand),
  then let those who are in Judea flee to the mountains.
  Let him who is on the housetop not go down to take out the things that are in his house.
  Let him who is in the field not return back to get his clothes.
  But woe to those who are with child and to nursing mothers in those days!
  Pray that your flight will not be in the winter nor on a Sabbath,
  for then there will be great suffering, such as has not been from the beginning of the world until now, no, nor ever will be.
  Unless those days had been shortened, no flesh would have been saved. But for the sake of the chosen ones, those days will be shortened.
  “Then if any man tells you, ‘Behold, here is the Christ!’ or, ‘There!’ don’t believe it.
  For false christs and false prophets will arise, and they will show great signs and wonders, so as to lead astray, if possible, even the chosen ones.
  “Behold, I have told you beforehand.
  “If therefore they tell you, ‘Behold, he is in the wilderness,’ don’t go out; or ‘Behold, he is in the inner rooms,’ don’t believe it.
  For as the lightning flashes from the east, and is seen even to the west, so will the coming of the Son of Man be.
  For wherever the carcass is, that is where the vultures gather together.
   “But immediately after the suffering of those days, the sun will be darkened, the moon will not give its light, the stars will fall from the sky, and the powers of the heavens will be shaken;
  and then the sign of the Son of Man will appear in the sky. Then all the tribes of the earth will mourn, and they will see the Son of Man coming on the clouds of the sky with power and great glory.
  He will send out his angels with a great sound of a trumpet, and they will gather together his chosen ones from the four winds, from one end of the sky to the other.


 上に引用した新約聖書・マタイの福音書24章3~31節と同・ルカの福音書21章7~28節は内容がほぼ重複しているのだが、それぞれに不足している言葉を補う意味も込めて、敢えて両方共、載せる事にした。
 他にも、ヨハネの福音書も含めた新約聖書の4つの福音書の内で最初に書かれた、マルコの福音書13章3~27節にも、その患難時代の事についてのイエス・キリストの預言が書かれている。

 聖書の中では、旧約聖書と新約聖書を通して、同じ言葉、理屈、諭しを繰り返す傾向が有るが、それは、読者に何度も言い聞かせる事によって、悟りを与える意図が有ってのものであるという。

 現在は、この世の終末期の中の、その患難期に相当する様に思えて来る程に、上に引いた聖書の御言葉がピッタリ合っている様に感じる。しかし、携挙が未だ起こっておらず、患難期間が7年であるとも言われているので、その患難期に入る手前の前兆期であるのかもしれない。

 丁度、今現在、新型コロナ・ウィルス感染症という疫病のパンデミックが起きている。またここまでの最近に於いては、巨大な地震や津波、スーパー台風、竜巻、隕石落下等と、かつてのそれらのものよりもより凄まじい、天変地異による異常気象が続いている。

 またこれまでに、世界中で戦争が頻発した来た。そして、ポピュリズム、ナショナリズムの勃興で、民族と民族、国と国との対立が起きている。
 更に今後、干ばつ等の異常気象等が原因で飲食料の不足による飢饉が起こり、エネルギーの不足も起こるだろう。そして、1日の労働賃金で小麦1枡をやっと買う事が出来る程のハイパー・インフレとなる、世界大恐慌が起きるのだろう。

 多くの新興宗教が作られ、カルト教団が蔓延る。また、芸能人をはじめ、その他、学者や専門家等の有名人にはカリスマ的な者が多く登場し、テレビやインターネットのSNS等のマスメディアに於いて、インフルエンサーとなって世間の大衆に影響を与えている。宣伝機関としての主流メディア(MSM)・マスゴミも含め、それらは偽預言者に該当するものだ。

 MSMマスゴミは、以前から他己検閲と共に自己検閲をして情報を隠蔽して来たり、それどころかフェイク・ニュースを流して来たのだが、インターネットのYouTubeやfacebook、Twitter等も、そのMSMマスゴミと然程、違わない状態になって来た。

 グローバリズムの空気の下、言論弾圧をして、反対意見、反論、反証を排除し削除している。そうして、言論界に於いて全体主義化を進め、「荒らす忌むべき者」である独裁者が聖なる地エルサレムに立って世界を統治する、世界統一政府への準備をしている。

 そんな、現在の患難期の前兆、或いは患難期の真っ只中は、所詮、「産みの苦しみの初め」でしかない。要するに、現在のところ起きている事象、物事は序の口であり、今後、もっと大きな患難に、地球人は見舞われる事となる。
 そんな大患難期の終盤に待ち構えているのが世界最終戦争、第三次世界大戦である。聖書によれば、その最終戦争の内容は、飽くまでも核戦争となる。よって、現在の生物兵器によるパンデミックは、患難期に於ける単なる疫病でしかないと言える。

 その最終戦争の結果、世界中の大衆が藁をも掴む思いにまで陥らされる事により、「荒らす忌むべき者」を救世主の如くにして、世界の人々は喜んで迎える様になる。
 それは、かつて第一次世界大戦後にハイパー・インフレに見舞われたドイツ国民達が、ナチスのヒトラーを歓迎した事と同じ様な光景に見えるだろう。そして、そのヒトラーも、グローバリストのカルトであるイルミナティの人形であった。

 そして、聖書によれば、イエス様が再降臨されるのは、その世界統一政府が樹立された後、3年半が経ってからだ。聖書は真実であるので、これらの起こる順番は予め定められており、そしてそれらの患難も地球人の宿命だ。

 人が幾ら希望的観測をしようとも、その思う通りにはならない。人が自分勝手に、恣意的に、目標や計画を立てようとも、それを実現させる事は不可能だ。
 所詮、人間は、自らを造られた創造主である唯一の神様に支配されており、運命、宿命という絶対的な定めが課されているのだ。

 人が、そんな自分が勝手に抱いている希望、欲望を持つ限り、現実が見えない。その現実とは、過去や現在の事だけでは無く、未来を展望する上に於いての事もである。
 頭の中が、自分の希望、欲望を基にした空想、幻想、ファンタジーで埋まってしまっているから、現実を見ても認識出来ず、その現実を受け入れる事が出来ないでいる。俗に言われる平和ボケとは、正に希望的観測の事だ。

 聖書に書かれている事は、正に現実そのものだ。聖書は、神様の御心を基に書かれており、決して人の希望・欲望を基にして書かれている訳ではないのだ。
 人間は、否が応でも、唯一の絶対神に従わなければならない。もし、この世での短い一生の間に、神様の言う事を聞かず、神様を無視して生きるのであれば、所詮、この世での死の後に、創造主であるイエス様によって地獄行きが宣告されるだけだ。

 唯一の絶対神の御言葉が、預言者を通して書き留められている聖書。唯一の絶対神は、父である神様と子であるイエス・キリスト、聖霊様の三位一体の創造主である。よって、日本の八百万の神は、嘘八百という訳だ。

 絶望する事は、良い事である。また、試練は幸福なものだ。
 絶望とは望みを絶つという事であり、自分の希望・欲望を捨ててしまう、或いは捨てざるを得ないという事だ。そして、その絶望がきっかけとなって、自殺してしまう人も居る。しかし、自殺は罪である事を、聖書は述べている。

 人の命は、自分の持ち物ではなく、造り主が所有するものだ。よって、創り主の持ち物である人の命を自分勝手に殺めてしまうのは、自殺であっても罪となる。

 絶望する事をきっかけに、全き心を持って、神様に従う事が出来る様になる。雑念の無い無の心境は、イエス様への集中力に繋がる。絶望をきっかけにクリスチャンになる道を選び、天国に帰るまでの寄留者としてこの世での旅をする様になれば、本当の幸せを掴めるだろう。

 この世での試練に遭う事でも、自殺してしまう人が居る。しかし、試練も神様によって試され練られる訳で、その事を通して、人は成長し成熟出来る。反対に、この世で快楽ばかりを謳歌していれば、傲慢となり、人の気持を理解出来ずに共感や同情をする事も出来ず、腐敗、退廃、堕落して、この世での死後、天国に入る事が出来ないので、却って不幸と言える。

 本ブログ過去の関連記事
  2016/04/10付『「希望的観測」で曇らせた眼鏡で夢・幻想を見ている世間の人達・・・現実、本質、そして運命が見えず』
  2020/05/17付「みんな職安:世界大恐慌への覚悟は出来とる?平和ボケの連中よ他人事ちゃうで/Everyone, to job placement office. Are you prepared Depression?」
  2020/05/19付「希望的観測は絶望、自分の望みを絶ってこそ真の希望&神を無視するリベラル/If you watch hopefully, to despair.If you give up, to true hope」
  2021/08/13付「東京五輪:ただ絶対者の唯一神の運命に従えば良い-雑音を無視して(1/2)/You only have to obey your fate which are order of the Absolute」
  2021/08/14付「東京五輪:ただ絶対者の唯一神の運命に従えば良い-雑音を無視して(2/2)/You only have to obey your fate which are order of the Absolute 」


 引用聖書
  ・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)
  ・新改訳新約聖書(1965年版)(発行:日本聖書刊行会)
  ・World English Bible(eBible.org)

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本日「日本人のルーツを取り戻す-まとめ」を更新しました/"The Japanese take back our own roots" article in bookmark was renewed

2021-09-13 00:10:00 | エッセイ・コラム
 <※本当の投稿日時
  True posted date & time:2021/09/12 18:15>

   (当方の都合にて、投稿日時を変更しております。
    I changed posted date and time for my convenience.)

 ※ 本記事において幾つかの文献と画像を引用する事によって構成しておりますが、本記事により当方は収入を一切受け取っておりません。
 ※ I have made composition by borrowing some references and pictures in this article, but I don't receive the income at all by this article.

 本日、本ブログのブックマークに在る「日本人のルーツを取り戻す-まとめ/The Japanese take back our own roots」を更新しました
  "The Japanese take back our own roots" which is article in my this blog's bookmark was renewed today.


 本日、本ブログに於いて、当ページ右サイドの「カテゴリー」とは別に、テーマ毎に関連する当ブログ記事をまとめて分類したものを入れている「ブックマーク」の中に在るものの内の一つ、「日本人のルーツを取り戻す-まとめ/The Japanese take back our own roots」を更新しました。

 2014/12/30付「日本人のルーツを取り戻す-まとめ/The Japanese take back our own roots」

日本人のルーツを取り戻す-まとめ/The Japanese take back our own roots - 狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

<2018/10/1621:55-記事追加><2021/09/12-記事・画像追加><随時更新中>※本記事において幾つかの文献と画像を引用す...

日本人のルーツを取り戻す-まとめ/The Japanese take back our own roots - 狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

 


 下に掲載する画像や聖書の御言葉を新たに加えると共に、「ブックマーク」に分類してまとめておく事無く散在させていた記事も追加しました。

 今後も、日本人のルーツ、日本国の根本を見つめつつ、またそれが、創造主であるイエス・キリストと深く関係し繋がりの有る事を認識した上で、且つ、クリスチャンとしての価値観、視点を持って、「日本人のルーツを取り戻す」事に繋がる記事も作成していこうと思っています。

 日本人のルーツを取り戻す-まとめ
  The Japanese take back our own roots.




契約の箱(Ark of the Covenant)
出典:出典:2015/12/12付・道 (真理)「契約の箱~なぜ日本にアークがあるのでしょうか(宗教の記録を観る)」


 



 旧約聖書・出エジプト記25章10~21節
  アカシヤ材の箱を作らなければならない。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半。
  これに純金をかぶせる。それは、その内側と外側とにかぶせなければならない。その回りには金の飾り縁を作る。
  箱のために、四つの金の環を鋳造し、それをその四隅の基部に取りつける。一方の側に二つの環を、他の側にほかの二つの環を取りつける。
  アカシヤ材で棒を作り、それを金でかぶせる。
  その棒は、箱をかつぐために、箱の両側にある環に通す。
  棒は箱の環に差し込んだままにしなければならない。抜いてはならない。
  わたしが与えるさとしをその箱に納める。
  また、純金の『贖いのふた』を作る。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。
  槌で打って作った二つの金のケルビムを『贖いのふた』の両端に作る。
  一つのケルブは一方の端に、他のケルブは他方の端に作る。ケルビムを『贖いのふた』の一部としてそれの両端に作らなければならない。
  ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で『贖いのふた』をおおうようにする。互いに向かい合って、ケルビムの顔が『贖いのふた』に向かうようにしなければならない。
  その『贖いのふた』を箱の上に載せる。箱の中には、わたしが与えるさとしを納めなければならない。

 The Old Testament・The Book of Exodus 25:10~21
  “They shall make an ark of acacia wood. Its length shall be two and a half cubits, its width a cubit and a half, and a cubit and a half its height.
  You shall overlay it with pure gold. You shall overlay it inside and outside, and you shall make a gold molding around it.
  You shall cast four rings of gold for it, and put them in its four feet. Two rings shall be on the one side of it, and two rings on the other side of it.
  You shall make poles of acacia wood, and overlay them with gold.
  You shall put the poles into the rings on the sides of the ark to carry the ark.
  The poles shall be in the rings of the ark. They shall not be taken from it.
  You shall put the covenant which I shall give you into the ark.
  You shall make a mercy seat of pure gold. Two and a half cubits shall be its length, and a cubit and a half its width.
  You shall make two cherubim of hammered gold. You shall make them at the two ends of the mercy seat.
  Make one cherub at the one end, and one cherub at the other end. You shall make the cherubim on its two ends of one piece with the mercy seat.
  The cherubim shall spread out their wings upward, covering the mercy seat with their wings, with their faces toward one another. The faces of the cherubim shall be toward the mercy seat.
  You shall put the mercy seat on top of the ark, and in the ark you shall put the covenant that I will give you.


 ※ 1キュビト≒約44センチ。L2.5キュビトx W1.5キュビトx H1.5キュビト ≒ 110cm x 66cm x 66cm。



出典:2020/02/03付・YouTube・剣山TV 「剣山アーク伝説 秘境徳島県剣山」

 
 



 旧約聖書・創世記8章1~4節
  神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。それで、神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた。
  また、大いなる水の源と天の水門が閉ざされ、天からの大雨が、とどめられた。
  そして、水は、しだいに地から引いていった。水は百五十日の終わりに減り始め、
  箱舟は、第七の月の十七日に、アララテの山の上にとどまった。

 The Old Testament・The Book of Genesis 8:1~4
  God remembered Noah, all the animals, and all the livestock that were with him in the ship; and God made a wind to pass over the earth. The waters subsided.
  The deep’s fountains and the sky’s windows were also stopped, and the rain from the sky was restrained.
  The waters continually receded from the earth. After the end of one hundred fifty days the waters receded.
  The ship rested in the seventh month, on the seventeenth day of the month, on Ararat’s mountains.




契約の箱の中に在る、十戒が書かれた2つの石板、芽を出したアロンの杖、マナを入れる黄金の壺。
(Inside The Ark Of The Covenant, the two stone tablets of the ten commandments, Aaron’s rod that budded,and golden pot of the manna.)
出典:2020/02/20付・alt Censored「Inside The Ark Of The Covenant」

 
 



 新約聖書・ヘブル人への手紙9章1~5節
  初めの契約にも礼拝の規定と地上の聖所とがありました。
  幕屋が設けられ、その前部の所には、燭台と机と供えのパンがありました。聖所と呼ばれる所です。
  また、第二の垂れ幕のうしろには、至聖所と呼ばれる幕屋が設けられ、
  そこには金の香壇と、全面を金でおおわれた契約の箱があり、箱の中には、マナのはいった金のつぼ、芽を出したアロンの杖、契約の二つの板がありました。
  また、箱の上には、贖罪蓋を翼でおおっている栄光のケルビムがありました。しかしこれらについては、今いちいち述べることができません

 The New Testament・The Epistle to the Hebrews 9:1~5
  Now indeed even the first covenant had ordinances of divine service and an earthly sanctuary.
  For a tabernacle was prepared. In the first part were the lamp stand, the table, and the show bread; which is called the Holy Place.
  After the second veil was the tabernacle which is called the Holy of Holies,
  having a golden altar of incense, and the ark of the covenant overlaid on all sides with gold, in which was a golden pot holding the manna, Aaron’s rod that budded, and the tablets of the covenant;
  and above it cherubim of glory overshadowing the mercy seat, of which things we can’t speak now in detail.




三種の神器: 天叢雲剣(草薙剣)、八咫鏡、八尺瓊勾玉
出典:ウィキペディア「三種の神器」



出典:Ubuy「Ebros Matte Gold Holy Ark of The Covenant with Ten Commandments Rod of Aaron and Manna Religious Decorative Figurine Trinket Box Collectible Judaic Israel Historic Model Replica (1:6 Scale 9.5" Long)」



出典:2012/10/12付・Japanese is born with an extra gene. The secret is in Sumer「2012 Roots of the Emperor of Japan and the Imperial House of Japan.」



シュメール文明の遺跡
出典:2018/09/25付・nanosecond 宙2秒「菊花紋のトゥルース」



日本の皇室の菊花紋(十六葉八重表菊)
 出典:ウィキペディア「菊花紋章」



出典:ウィキペディア「INRI 」

 「INRI」・・・ラテン語「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」
        日本語「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」
 「INRI」(JNRI)→「稲荷」(いなり:INaRI)




神社の鳥居(Torii gate of Shrine)
出典:ウィキペディア「稲荷神」

 Token of Passover
  (過越のしるし(象徴))


 
 



 旧約聖書・出エジプト記12章7~14節
  その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいに、それをつける。
  ・・・(中略)・・・
  ・・・・・・これは主への過越のいけにえである。
  ・・・(中略)・・・
  あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。
  この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない。

 The Old Testament・The Book of Exodus 12:7~14
  They shall take some of the blood, and put it on the two door posts and on the lintel, on the houses in which they shall eat it.
  ・・・(中略)・・・
  ・・・・・・ it is Yahweh’s Passover.
  ・・・(中略)・・・
  The blood shall be to you for a token on the houses where you are. When I see the blood, I will pass over you, and no plague will be on you to destroy you when I strike the land of Egypt.
  This day shall be a memorial for you. You shall keep it as a feast to Yahweh. You shall keep it as a feast throughout your generations by an ordinance forever.




餅入り七草がゆ

 Bitter herbs with unleavened bread in Passover
  (過越の祝いの中での種を入れないパンと苦菜)


 
 



 旧約聖書・出エジプト記12章1~8節
  主は、エジプトの国でモーセとアロンに仰せられた。
  「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。
  ・・・(中略)・・・
  あなたがたはこの月の十四日までそれをよく見守る。そしてイスラエルの民の全集会は集まって、夕暮れにそれをほふり、
  ・・・(中略)・・・
  その夜、その肉を食べる。すなわち、それを火に焼いて、種を入れないパンと苦菜を添えて食べなければならない。

 The Old Testament・The Book of Exodus 12:1~8
  Yahweh spoke to Moses and Aaron in the land of Egypt, saying,
  “This month shall be to you the beginning of months. It shall be the first month of the year to you.
  ・・・(中略)・・・
  You shall keep it until the fourteenth day of the same month; and the whole assembly of the congregation of Israel shall kill it at evening.
  ・・・(中略)・・・
  They shall eat the meat in that night, roasted with fire, with unleavened bread. They shall eat it with bitter herbs.

 旧約聖書・出エジプト記12章18~19節
  最初の月の十四日の夕方から、その月の二十一日の夕方まで、種を入れないパンを食べなければならない。
  七日間はあなたがたの家にパン種があってはならない。……

 The Old Testament・The Book of Exodus 12:18~19
  In the first month, on the fourteenth day of the month at evening, you shall eat unleavened bread, until the twenty first day of the month at evening.
  There shall be no yeast found in your houses for seven days, ……


コメント
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僕52歳の求職活動からの連想(12/12)/ Age of 52 my associations from job hunting-永遠に不変の聖書の真理で得る不動と安定、天恵を語るは創造主を証する

2021-04-10 01:00:00 | エッセイ・コラム
 <※本当の投稿日時
  True posted date & time:2021/04/18 09:45>

   (当方の都合にて、投稿日時を変更しております。
    I changed posted date and time for my convenience.)

 (2021/04/18 11:18更新・・・一部修正)
 (2021/04/18 12:01更新・・・一部修正)

 ※ 本記事において幾つかの文献と画像を引用する事によって構成しておりますが、本記事により当方は収入を一切受け取っておりません。
 ※ I have made composition by borrowing some references and pictures in this article, but I don't receive the income at all by this article.

 <→11/12からの続き>

 僕52歳の求職活動からの連想(12/12)
  Age of 52 my associations from job hunting
   ・・・永遠に不変の聖書の真理で得る不動と安定、天恵を語るは創造主を証する


 ……「Conspiracy theorists explain all major historical events or catastrophes as intrigues by secret societies—Freemasons, Illuminati, Jews, Opus Dei—steering the world toward one global government. And some of these contend that if these intrigues are not widely known or accepted as true it is because Jews—the ultimate conspirators—control the mainstream media. In short, for conspiracy theorists malevolent and powerful secret cabals in high positions hold the levers of history. ……」
 (陰謀論者は、すべての主要な歴史的出来事や大惨事を、フリーメーソン、イルミナティ、ユダヤ人、オプス・デイなどの秘密結社による陰謀として説明し、世界を1つの世界政府に向けています。そして、これらのいくつかは、これらの陰謀が広く知られていないか、真実として受け入れられていない場合、それはユダヤ人(究極の共謀者)が主流メディアを支配しているためだと主張します。要するに、陰謀論者にとって、高い位置にいる悪意のある強力な秘密のカバールは、歴史のてこを握っています。……)
 (2010/01/12付・Adventist Review「God Is in Control」より)

 陰謀を明るみに出す世界中の良心のジャーナリストらの事を陰謀論者というレッテルを貼りながら、このカルト教団が自らの陰謀を暴露していると言える。尚、この引用した記事の投稿元の「アドベンチスト・レビュー(Adventist Review)」と呼ばれるものは、教会の宣伝等を担当するセブンスデー・アドベンチスト教会の教会紙の様だ。

 また、8位にランクされている「日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団」も、異言を語る事が強調されすぎており、その分、預言の方が蔑ろにされかねない程になってしまっていると言える。
 異言は、教会内に解き明かしをする信者が居れば良いとされる。勿論、教会である限り神父や牧師が居る訳だから解き明かしが行われるであろう。しかし、みんながみんな、手を挙げて神様に向けて何か言っている様な光景は、一見するとオウム真理教の中で行われていた事と同じに見える。キリスト教がベースになっている事の違いが有るだけで、本当にその異言が聖霊からの賜物、或いはインセンティブが与えられたもの、促しが有ったものかどうかは疑わしい。

 日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、一応、日本福音同盟(Japan Evangelical Association:JEA)に加盟している。また、アメリカに本部を置くアッセンブリーズ・オブ・ゴッドも米国福音同盟に加盟しており、「ペンテコステ派」の世界最大の一派であるという。
 そのペンテコステ派は、カリスマ派とも呼ばれる。スタジアムを借り切って大集会を開き、カリスマ的宣教師が真ん中に立って演説する。そんなメガチャーチでのイベントを行なったり「繁栄の福音」で物欲を煽り、カリスマ牧師による奇跡と見せるパフォーマンスをして見せて、一層、信者や献金の獲得を目指す。



「オーストラリアにあるペンテコステ派のメガ・チャーチ、ヒルソング教会に集まった信者」
出典:ウィキペディア「ペンテコステ派」

Dailymotion「偽聖霊 ペンテコステ派カリスマ派聖霊派聖書原理主義系の偽りを暴く」

偽聖霊 ペンテコステ派カリスマ派聖霊派聖書原理主義系の偽りを暴く - video Dailymotion

偽聖霊 ペンテコステ派カリスマ派聖霊派聖書原理主義系の偽りを暴く

Dailymotion

 



YouTube: 若い人々へ警告!(キリスト教・クリスチャン、教会関連) ペンテコステ派 カリスマ派 聖霊派 福音派
2011/05/02

 日本版のウィキペディア「ペンテコステ派」には、キャサリン・クールマンという女性のカリスマが取り上げられている。キャサリン・クールマンはペンテコステ派教会の成長の最大の功労者であるとされ、一億人の信徒を集めたという。このカリスマについては、次の記事が有る。

 「リベラ博士によると、なんと彼女はカトリックの女子修道会のLegion of Mary という団体に所属していた、プロテスタントの教えを破壊する工作員だったとのことです。(リベラ博士がイエズス会にいた時、彼女とリアルタイムで会って話したこともあるそうです)
 そして小石先生(=前述の小石泉牧師)が仰っているように、同時にフリーメーソンでもあったのでした。彼女の墓はアメリカのマイケル・ジャクソンも葬られている、メーソン関係者用のフォレストローン墓地にあります。
 プロテスタントに攻撃を仕掛けるというイエズス会の意向を受けて、しかも教皇のお墨付きをもらって、彼女はアッセンブリー教団をターゲットに、撹乱するために乗り込んで行ったのだそうです。
 彼女はよく訓練された工作員で、心霊術(魔術?)と催眠術のエキスパートであったそうです。アッセンブリー教団は霊的な働きを重視するので、そこに焦点を当てられたみたいです。」
 (2011/12/07付・神様と天国と地獄「キャサリン・クールマンの裏の裏」より)

 本ブログ
  2019/09/06付「教界組織のバビロン化、偽預言者、カリスマ運動、カルト/Babylonize, Fake prophet, Charisma movement, & Cult in the Church World」

 更に7位には、「日本同盟基督教団」が入っている。この教派の教会には、実は、僕は一時期、通っていた事が有る。

 「日本同盟基督教団は、日本の福音派(主流派が聖書を批判的に読むようになったのに対抗して登場した。キリストの処女降誕などの奇跡を歴史的事実として信じる伝統的な聖書解釈を強調するグループ)で代表的な教団。1952年に設立されたが、前身は22年に設立された日本同盟基督協会。1891年に来日した北米スカンヂナビアン・アライアンス・ミッションの宣教師の伝道によって始まった。」
  (2021/03/29付・Christian Press「最新『宗教年鑑』、福音派の同盟教団、アッセンブリーは成長が止まる 教派別ランキング その3」より)


 『特色
  ・宣教の原動力をみことばへの服従と聖霊への信頼にあると信じ、各個教会主体制に立つ「宣教協力」
  ・聖書のみことばを誤りなき神のみことばと信じ、信仰と生活の唯一絶対の規範とする「聖書信仰」に立つ。
  ・教団を構成する各個教会が平等かつ同等の立場で話し合う「合議制」をもってすることを決する。
  ・「教会と国家」委員会で靖国神社反対を表明している。』

   (ウィキペディア「日本同盟基督教団」より)
 

 「日本の福音派で代表的な教団」とされている通り、日本同盟基督教団も日本福音同盟(JEA)に加盟している。
 また、北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみ氏の母親である横田早紀江氏は、めぐみ氏が拉致された7年後の1984年(昭和59年)に、日本同盟基督教団の教会で洗礼を受けられた。


YouTube: [NEWS] 197回「横田早紀江さんを囲む祈り会」|CGN FOCUS_#1381
2020/07/24

 上に引いた通り、概ね福音派らしく、聖書に忠実で御言葉を厳格に守るファンダメンタリズム(fundamentalism、原理主義、根本主義)である事が伺える。
 しかし一方で、日本同盟基督教団は、靖国神社反対を表明している。この点に関しては、僕は同意出来ない。僕は、祖国や国民、家族を守る為に戦って下さった人達の慰霊、慰謝の為に靖国神社に出向く事は正しい事だし、日本人のクリスチャンもその為に出向く事は間違いでは無いと考える。
 尤も、僕は「天皇陛下バンザーイ」については出来ないし、墓に向かって礼をして拝んだり、手を合したり、線香を上げる事も出来ない。クリスチャンにとってのお墓は、飽くまでも、故人を追懐する場だ。人間は死んでも神様にはならないし、仏にもならない。そして、墓の中に故人はいない。神様は永遠に、創造主唯一だ。

 一つは、正しい歴史認識が出来ていない事が所以と言えるのかもしれない。旧日本軍が侵略行為をしたと思い込んでいたり、外国で残虐非道な事をしたと信じてしまっているのかもしれない。それらは勿論間違いであるし、戦勝国による捏造された歴史のプロパガンダや、マスゴミや教科書を用いた自虐史観の植え付けによって影響を受けているのかもしれない。

 そして、最近のキリスト教会には、ヒューマニズムが蔓延っているらしい。人間性を称揚するヒューマニズムとは、直訳すれば人間主義だ。一方、それとは別にゴッドイズム、つまり神主義が在る。
 クリスチャンであれば勿論、ゴッドイズムに立って当たり前であろう。人としての欲望を捨てて、神様の御心のままに導かれようとするのが、本当のクリスチャンの態度だ。

 人は皆、それぞれの宿命を持つ。その宿命は、ゴッドイズムそのものだ。第二次世界大戦中、祖国を守る為に犠牲になられた方々は、そんな宿命を負っていた。そんな中で、特別攻撃隊(特攻隊)で犠牲になられた方々は、20歳前後の短い命でしかなかった。しかし、この世に於いては短かったけども、その宿命を全うした事によって、創造主から永遠の命を得て、天国で生きておられる。特攻隊の方々の魂は、永遠に、天国で生きておられるのである。
 本当のクリスチャンであれば、この世での100年有るか無いかの短い命に拘るよりも、後の天での永遠の命を重視するはずである。イエス様は十字架上で犠牲になられて全ての人の罪を贖われて救って下さったが、特攻隊も日本人、祖国を救って下さったのだ。

 
 



 新約聖書・ヨハネの福音書12章24~25節
  まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
  自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。

 The New Testament・The Gospel of John 12:24~25
  Most certainly I tell you, unless a grain of wheat falls into the earth and dies, it remains by itself alone. But if it dies, it bears much fruit.
  He who loves his life will lose it. He who hates his life in this world will keep it to eternal life.


 「『経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆく』姿、『政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆく』国となってしまったことを憂い……」
 「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。……」

   (ウィキペディア「檄 (三島由紀夫)」より)
 

 本ブログ
  ・2016/07/21付『クリスチャン内村鑑三・新渡戸稲造は愛国者であった・・・「三つのJ」、武士道精神、契約の民の末裔、歴史修正の必要性、慰霊・慰謝の靖国公式参拝の正当性』
  ・2017/05/13付『キリスト者・李登輝元総統と新渡戸稲造氏がアウフヘーベンした「キリスト武士道」・・・「『武士道』解題 ノーブレス・オブリージュとは」を読む』
  ・2017/08/16付『「非戦」は「道義に外れた戦争に非ず」、忍耐の末のやむにやまれぬ自衛戦争、守るは義務・責任、公義の為の捧命・犠牲、左傾・性善説化した教界と距離を置く聖書基準の視点から提示・・「キリスト者の戦争論」を読む』
  ・2019/12/08付『「悪魔カルト」製の日本国憲法改正を妨害する立憲民主党と共産党は「バカ」/Stupid opposition party, Japan Constitution made by Satanic Cult』


 怪我の入院から退院した2003年の春から、引っ越しする前の2005年の早春までの約2年間、兵庫県H町に在る日本同盟基督教団の教会に通っていた。そして、そこで現在、所有する新改訳聖書を持ち始めた。
 その聖書と共に、聖書の基本的な教義を要約している次の本も、そこの教会で購入した。



教会入門用テキスト「聖書が教えている基本的なこと」
出典:日本同盟基督教団・教育局「求道者向けテキスト」

 いのちのことば社公式通販サイトWINGS
  「聖書が教えている基本的なこと 聖書入門のてびき(74709)」(出版:日本同盟キリスト教団・事務所、出版日:2000/10/26)


 僕は元々、8歳になる直前の小学2年生(昭和52年(1977年))の時に、カトリックで洗礼を受けた。プロテスタントについては、小学生~中学生の時に牧師の息子の同級生が居て、僕はカトリック教会に通っていたが故にその同級生の教会には通っていなかったのだが、小学生の時の夏休みには、教会のキャンプに連れて行ってもらったりしていた。

 僕がその一時期、それも33歳と半ばで九死に一生を得る程の大怪我をし退院した後からO専門学校に通う為に現在住んでいる所に引っ越しするまでの1年9、10ヶ月程の間、通っていた兵庫県H町に在るHキリスト教会が属する日本同盟基督教団が、日本で代表的な福音派であった事に、正直、良かったと思う。通っていた当時は、エホバの証人やモルモン教なんかがマガイモノである事は解っていたけども、プロテスタントの派閥について全く理解していなかった。偶々、自宅の近くに在ったプロテスタント教会が、日本同盟基督教団の教会であっただけだ。それでも結局は、この事も、神様の思し召し、運命であったのかもしれない。

 ただ、その1年9、10ヶ月程の間といっても、途中、大阪府に在る医療系理学療法学科のY専門学校の2003年11月の社会人入試とその同じ学校の2004年1月の普通試験の2回の受験で落ちた事により、その後、暫く教会に通う事に躓いて(つまずいて)しまい、数ヶ月間のブランクが空いた。しかし、とは言っても、その内容は小論文と生物Ⅰだけの筆記試験で、確か面接の二次試験まで進まなかったと思うのだが、1回¥30,000もする高い受験料(よって2回で合計¥60,000!)だけはしっかり取るという、さすが医療系の学校だけあってエエ商売やっとるもんやったわ。

 前述した通り、クリスチャンは自分で直接、聖書を読み、仲介者を介さずに直接、イエス様と向き合う事が基本的な姿勢であり根本だ。それ故、マガイモノ、カルトは勿論駄目だが、それ以外のマトモな教会であれば、カトリックもプロテスタントも余り関係ないと言える。
 内村鑑三の唱えた「無教会主義」に準じた、質素な、簡素な、シンプルで、飾り付けの無い、小さな教会であれば、良いと思える。巨大な宗教組織であるカトリックのバチカンが腐敗しているとか、形式的だとか、人間マリアの偶像を拝んでいるといった批判は、ここではこれぐらいにして後は省く。

 しかし、プロテスタントが全く良いかといえば、そうでもない。プロテスタントとは、抗議する者、反抗する者、異議を唱える者という意味が有るにも関わらず、世間に迎合し、忖度している。プロテスタント教会は、世間のリベラル化、退廃化に対して抗議していない。
 先程の靖国についての考えを例に挙げても、世の中、完璧は存在しない。100%を求めても不可能だ。何事も是々非々で見なければならず、概ね、何割良いからといった具合で、この世で生きていく上では、多少の擦り合せ、妥協も必要だろう。

 次に掲げる「新世界」は、大阪の新世界の事では無い。恐らく、New World Order、新世界秩序から取っているのではなかろうか。


YouTube: 『新世界』パイロットムービー 紀里谷和明コメント付きバージョン
2021/01/31

 以下、2021/04/03付・URBAN LIFE METRO『「いま現実に起きていることの延長線」 紀里谷和明監督の新作映画が現代日本に訴えること【7000字インタビュー前編】』より 
  『『CASSHERN』や『GOEMON』などの映画作品で知られる紀里谷和明監督が、最新作『新世界』の予告映像を発表しました。この作品に込めた思いとは? 単独インタビューの内容を2回に分けて紹介します。前編は、「20年後」の世界に対する危機感について。
  「20年後の東京」を描く問題作
  たとえば100年先の未来を想像するとき、おそらく誰もが壮大な夢の世界を思い描くのではないでしょうか。「ドラえもん」のような万能ロボットが誕生しているのではないか? ……
  …(中略)…
  貧困と搾取はますます加速する
  …(中略)…
  それを端的に表しているのが、予告映像で支配層のトップ・武田信玄が語るセリフです。
  「この世界には一握りの支配者と、それを支える奴隷たちがいればいい。自由などというものを与えたところで、愚か者たちはその扱い方すら知らない」……』
 (以上、2021/04/03付・URBAN LIFE METRO『「いま現実に起きていることの延長線」 紀里谷和明監督の新作映画が現代日本に訴えること【7000字インタビュー前編】』より)

 紀里谷監督が『人間の無効化』が近付いているという。聖書でも預言されている世界統一政府の独裁者「荒らす忌むべき者」が、一体誰になるのかと様々な憶測が飛んでいる。その予想される候補の内に、人工知能「AI(artificial intelligence)」が挙げられている。そうなれば正に、人間はAIを搭載したロボットに支配される訳で、間のロボットによって人間が、聖書で預言されている額に666の刻印を打たれた獣の如くの奴隷になってしまう。

 確かに、聖書という確固たる規範を持っていない無神論者達や、聖書を持っていても御言葉を無視したり、御言葉に反抗する左翼リベラリストの偽クリスチャン達は、節度を越え、自分勝手に、恣意的に、聖書の許可する枠組みを越えて、自分の欲望の赴くままに行動しているので、そんな事であれば自由は無い方がマシだとも言える。人格や品性が高い独裁者に押し付けられている方がアンチファやアナーキスト、アウトローを抑える事が出来、秩序や治安が安定して未だマシかもしれない。共産主義にしても、反論も議論もデモも起こらないので平和だし、ホームレスや風太郎を基準にして合わすのでみんな平等だ。

 自由には責任が伴い、権利には義務が伴う。そのバランスは、聖書に在る。犯罪を自由にして良い訳がない。自由に創造主を冒涜して良い訳がない。しかし、同性愛やら性転換手術、人工中絶、出生前診断等と、神様を侮辱する行為をリベラリストは行なっている。

 本ブログ
  ・2016/04/17付:「国民主権は国を滅ぼす・・・裁判員裁判、選挙権、民主主義、人権、個人主義、低俗な世論に動揺する国家」
  ・2019/04/06付:「いっその事、選挙なんぞは止めてしまったら良いのではないだろうか・・・無知蒙昧・付和雷同・空気に流動の世間の大衆愚民、煽動者で偽善者・詐欺師のマスコミ、政治家の大衆迎合の体たらくが国を滅ぼす」
  ・2020/03/19付「選挙資金で支持率上昇!、米国にもなんと愚民が多い事か/Approval rate rise by electoral fund! Who a lot of ignorant masses in US!」


 以下、2021/04/03付・URBAN LIFE METRO『「民衆が考えることを放棄する危うさ」 紀里谷和明監督の最新作がえぐり出す現代日本への警鐘とは【7000字インタビュー後編】』より 
  『搾取される民衆は「被害者」か
  …(中略)…
  「信玄というキャラクターは、国をもコントールする力を持ったいわゆる悪役ですが、突きつめれば支配システムの象徴でしかない。本作の“本当の敵”は、民衆自身です。本来一番大きな力を持っているはずの民衆が考えることを放棄してしまうことで、ごく一部の小さな勢力に自分たちの力を利用されてしまう構図を描いていくつもりです」
  だまされたと嘆き、搾取される民衆は、決して単なる“被害者”ではないのです。……
  …(中略)…
  「青い猫」はもう助けに来ない
  なぜ人々は新しいものを作り出すことに尻込みをし、なおいっそう傍観者として振る舞うようになってしまったのか? 背景には、情報社会を支えるネット上にはびこるシニシズム(冷笑主義)が一因にあるとの指摘も近年なされてきました。
  自分と意見の違う相手を安易にたたいたり、人の努力や活動をあげつらったりする風潮は、SNSなどを中心に年々色濃くなっているように見受けられます。
  「ネットでそうした書き込みをする人たちも、おそらく自分の中にものすごい葛藤を抱えて悶々としているのでしょう。ただ、頑張っている人を笑っても何の生産性もないし、『もう頑張るのをやめよう』と思わせてしまうのであれば極めて非建設的。日本からさまざまなイノベーションを奪ってしまっている。ぐだぐだ言っているだけではもはや生き残れないところまで来ています。与えられたものをただ消費し続けるのか、自らの力で動き出すのか、どっちを選ぶのか、です」
  予告映像の最後に家康が言うセリフ「青い猫はもう助けには来てくれないんだよ」は、視聴したファンの間でもしきりと話題になりました。
  青い猫、と聞いて日本人が思い浮かべるのは「ドラえもん」でしょう。
  のび太が困ったときに便利なひみつ道具を取り出して何でも解決してくれる未来の万能ロボットは、「もう助けには来てくれない」。問題を解決するのはほかならぬ自分たち自身でしかないというメッセージと読み取ることができます。他力本願のままでは、望むべき未来を手に入れることは絶対にできないのだ、と。……』
 (以上、2021/04/03付・URBAN LIFE METRO『「民衆が考えることを放棄する危うさ」 紀里谷和明監督の最新作がえぐり出す現代日本への警鐘とは【7000字インタビュー後編】』より)

 ちょっと、記事からの引用が長過ぎた感があるが、御勘弁して下さいませ。記事の冒頭に書いている通り、この記事でお金を一切受け取っていません。共有という意味で、引かせて頂いております。

 この記事の著者が「何度もだまされ続ける国民たち」と題した部分には、映画監督の故・伊丹万作氏が雑誌『映画春秋』創刊号に書いた、「戦争責任者の問題」と題した本稿に在るとされる言葉が引かれている。

 「『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在もすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである」
 「批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」

 映画『新世界』(2022年公開予定)の紀里谷監督は、この伊丹氏の遺された言葉に同意し、共感して、早く国民の多くが目が覚める様に変わる事を求めている様だ。

 日本人は、起きた事を直ぐに忘れてしまうと、保守系の論客の間なんかではよく言われている。大震災なんかが有って当分の間は謙虚に悩み、反省し、考えても、その後暫くすれば、物欲まみれ、お金第一主義となって獣の如くの生活を送りながら、コロッと忘れてしまう。まぁ、日本人に限った事でも無いのかもしれないが。

 それでも国によって、そんな目が覚めた国民の割合の大きさの違いは有るだろう。アメリカではトランプ大統領の下で保守的ポピュリズムが盛り上がり、保守の言論の空気が醸成された事もあって、左翼リベラルの寝ぼけた、平和ボケした人々との割合が拮抗していると言える。しかし、日本では未だまだ、その左翼リベラルの主流メディア(MSM)・マスコミに影響を受けている人々がかなり多い様に見える。

 そんな風に、個性が無く、自分独自の考えを持たない大衆というカテゴリーに属する様な人々が騙されやすいのだが、日本人と比べてアメリカ人の方が、人口割合的にはまだマシの様だ。
 その理由として、米国人の場合はクリスチャンが多数派となっており、そのクリスチャン達が聖書を所有して読んでいる事が挙げられる。

 聖書は「性悪説」を述べている。聖書は、人間は皆、悪だと述べている。よって、その聖書的価値観を持って、人、世間、社会、世の中、そしてマスゴミを眺めるならば、自ずと安易に信じてしまう事は失くなり、疑う事を知るであろう。米国人と違い日本人にその聖書的価値観が薄い分、日本人が「性善説」に陥ってしまっている事が言える。

 また、聖書は真実・真理である為、永遠に不変の書である。聖書は今から約3,500年前に旧約聖書のモーセ五書(トーラー:創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)の5つの書簡が書かれてから、その後、書簡が一つ一つ書き足されて行き、新約聖書のヨハネの黙示録が最後に加えられた今から約1,900年前に、旧約聖書39簡、新約聖書27簡の合計66書簡が揃い完成した。

 聖書のそれぞれの書簡は、完成してから全く変わっていない。B.C.1,500年頃~A.D.100年頃までの約1,600年間、書簡が新たに継ぎ足されていっただけで、一旦完成した各書簡はその後、編集等をされず、写本は字の大きさや文字の形といった筆跡に至るまで、原本と同じ様に写されていったのだ。よって、ヨハネの黙示録が最後に加えられた今から約1,900年前から、66書簡揃った聖書は全く変わっていない。

 一方、日本人の多くが縋る(すがる)仏教には経典が在るが、その経典は、ブッダが述べた言葉からは大分、かけ離れてしまっている。インドから日本に伝わるまでに、最初にブッダの口述した事を文書化した事に始まり、その後、編集、改ざん、脚色、虚飾と散々、手が加えられた。それ故、日本のその宗教は「新興仏教」と呼べるだろう。実際、墓を管理してもらう為に檀家になっている世帯も多いのだろうが、「葬式仏教」という名の如くの形式主義、金儲け主義となっている。

 そんなコロコロコロコロ変わって来た「新興仏教」に縋る事で、振り回されてしまう事となる。そんな日本の新興仏教に限らず、世間の大衆やマスゴミも、その時の情勢や雰囲気、空気によって風見鶏の如く、日和見主義の発言を繰り返し、そんな当てにならないものに洗脳されたり信じているが故に、自分を見失い、煽られ、翻弄され、騙されながら、流されて行く。

 聖書という永遠に変わらない真実・真理に寄り頼み、聖書的価値観を持つ事は、自分自身が周囲によって動かされる事無く、泰然自若、確乎不動となり、精神、心は安定する。



「…… media narratives can be just as infectious as any corona virus so you ……」
(「……メディアの物語は正に、他のコロナ・ウイルスと同じように感染性がある可能性があるため、あなたは……」)
出典:2020/06/22付・YouTube・Corbett Report Extras「How to Talk to Someone Who’s Spreading COVID-19 Misinformation」


YouTube: 【ハゲ党】(略称)を立党する事にしました。正式名称は【薄毛の人権を守る党】
2021/04/08

 上のYouTube「【ハゲ党】(略称)を立党する事にしました。……」への僕のコメント
  旧党名の「NHKから国民を守る党」の方が、インパクトも有るし、NHKの悪を包括的に指摘している感じで良かったと思う。今の党名では、それこそ受信料が高すぎるとか、只々、受信料をケチって払いたくないという理由にもとられてしまいかねない。
  実際、有権者の大衆の中には、ただ、そんな理由だけで投票する者がおる。尤も、自民党や立憲民主党に投票する輩共も、ホンマに政治とかを理解して投票しとるもんは少ないと思うが。
  選挙というのは、所詮、政治家が大衆を利用して、当選さえすればこっちのものと、衆愚政治、大衆迎合しているだけのものだ。
 (コメントここまで)



「NHKから国民を守る党」時代のロゴ
出典:ウィキペディア「NHK受信料を支払わない方法を教える党」



出典:次のYouTubeより

YouTube: 【初体験】イスラエル人がドラえもんを見る【カイチューブ kaiTube】
2020/12/12

 先に掲載した、この日本人と偽イスラエル人とのハーフであるカイ・コーヘン氏は、中学高校が偽イスラエルの学校に在籍し、通訳業、元イスラエル防衛軍、バスケで元イスラエル代表 、モデル業ともプロフィールに在るが、偽イスラエルのスパイか?

 本ブログ
  ・2018/02/27付『「隠遁者」で「世捨て人」、「道化師」の私からの一言、「麻生さん、ひょっとして、マンガが好きって『ドラえもん』の事だったのですか?」』
  ・2018/03/19付「僕の先月の追記:I am“out-low”, servant, and no ability神様の恵みで益とされるPeople are made as good by the grace of God」
  ・2020/10/02付「パレスチナ国ヨルダン川西岸併合危機の中オランダのキツネと静かなネズミ/Fox of Netherlands & quiet Mouse in Palestine WestBank annexation」
  ・2021/01/03付:「SAVE AMERICA MARCH:決闘の日にすり替えられた不正選挙の証-1/2/Proofs of #ElectionFraud was replaced. Duel day time line」
  ・2021/01/03付:「SAVE AMERICA MARCH:決闘の日にすり替えられた不正選挙の証-2/2/Proofs of #ElectionFraud was replaced. Duel day time line」


 「いい考えを引き出すには土台が必要
 考えるためには、まず材料が必要です。考えるための材料になるのが情報です。しかし、情報を単純に集めるだけでは、すぐにいい考えが生まれるわけではありません。
 いい考えを引き出すには、そのための土台を頭の中につくっておくことが大切になります。……
  (2021/04/03付・東洋経済ONLINE『「頭のいい人」とそうでもない人の決定的な差 いきなり考えても決してうまくいかない理由』より)

 土台、クリスチャンなら、聖書という最高の礎を持っているではないか。

 聞く所によると、こうして現在、世の中、格差が広がっているが、生活が苦しい為、ダブルワーク、否、トリプルワークとかそれ以上、仕事を複数掛け持ちしている方々が居るという。中には、離婚して子供を複数抱え、別れた旦那からの養育費も当てにならず、睡眠を取る事もままならず、子供を養う為、子供の教育費を稼ぐ為に働き詰めの女性の方々も居ると聞く。僕の親父も、僕が高校生時代の頃を中心に、ガス溶接をメインとした鉄工とタクシー運転手のダブルワークをしていたものだった。僕がものを書く為を思って週休二日とか残業無しとかを希望して来た事が、少し贅沢なものの様にも思えて来る。

 もうすぐ52歳になる中年のオッサンの就活について、元々はこの際ちょっとだけ触れとこうと思い、自分の日記をつける感じで書き出した。再び、投稿ブランクが広がりつつ有ったので、そんな自分の事で書きやすい事もあって、時事問題等についての投稿に先んじて、予行演習、準備運動をする感覚で書き始めた。
 しかし書き始めると、次から次へと連想し、関連する物事を連ねていって、結局、長々としたものとなってしまった。それ故、ちょっと脱線し、逸れてしまった感が否めない事は確かだ。

 あの、2018年の末までに投稿しようとして、結局は翌年の1月末~2月初めにやっと投稿が完了した「My Testimony & Witness/僕の証 2018」にしても、そんな感じであった。その「僕の証」と同様に、今回も再び過去、現在、そして未来に於ける自分自身を見つめ直した事は、その就活を通してであったので、そういう意味に於いて、偶々きっかけが就活であるに過ぎなかったと言える。
 しかし、何事も偶々というものは無い。大概のところは、神様の思し召しで行われている。そして、途中の経緯が多少は異なろうとも、運命として導かれていく方向や結末は、主の御心による定めとして存在している。よって、僕の今回の事も、神様の御計画通りであったものと思われる。

 つまり、就活そのものよりも、そんな見つめ直しとなる黙想や内観の方に本質、重要性が有った訳で、そういう事から、長い記事に益が有ったと言える様に思う。

 しかし、次から次へと関連する記事がネット上に上げられ、それは恰も書いている事を見て合わすかの様にしてアップされている様にも思えるもので、そんなものを使わしてもらおうとしていたら切りが無い。何処かで落ちをつけなければ、いつまで経っても際限なく続いてしまう。そんな事では、頭の中は情報や自分の考え、構想等で、ぐるぐるぐるぐる回り続け、終いには頭がパニックしてしまう。そうすれば、また、あの強迫性障害(OCD)のレベルが上昇して、情緒不安定になってしまう。すると、精神面だけでは無く雇用面の断裂、お金も不安定となって、負のスパイラルの悪循環だ。

 そこで、ここで落ちをつける事にする。

 
 



 新約聖書・ローマ人への手紙12章2節
  この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

 The New Testament・The Epistle to the Romans 12:2
  Don’t be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, so that you may prove what is the good, well-pleasing, and perfect will of God.


YouTube: 【強迫性障害】 完璧主義とは違う確認行為 それはポイント故障 あなたはダメじゃない
2021/01/08
 
 



 旧約聖書・伝道者の書7章21節
   人の語ることばにいちいち心を留めてはならない。あなたのしもべがあなたをのろうのを聞かないためだ。

 The Old Testament・Ecclesiastes 7:21
   Also don’t take heed to all words that are spoken, lest you hear your servant curse you;


YouTube: 長野県 茅野市(ちのし)桜🌸 運動公園 (BGMあり)
2021/04/14
 
 



 新約聖書・ピリピ人への手紙3章18~21節
  というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
  彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。
  けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
  キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

 The New Testament・Epistle to the Philippians3:18~21
  For many walk, of whom I told you often, and now tell you even weeping, as the enemies of the cross of Christ,
  whose end is destruction, whose god is the belly, and whose glory is in their shame, who think about earthly things.
  For our citizenship is in heaven, from where we also wait for a Savior, the Lord Jesus Christ,
  who will change the body of our humiliation to be conformed to the body of his glory, according to the working by which he is able even to subject all things to himself.


YouTube: 長野県立科町のみず音 / 水の音
2020/07/31

 クリスチャンは、この世で生きる限り、闘いの連続だ。純粋なクリスチャンであればある程、周囲からの誘惑や挑発に対して抗い続けなければならない。そうして、クリスチャンとしての心構え、姿勢、ポリシー、生き方、歩みを貫く事が出来ていれば、世間に勝っている事となる。
 世間からの批判やバッシング、迫害を恐れて、世間に迎合して媚びへつらう事でクリスチャンとしての生き方を曲げてしまうならば、それは世間、この世的なものに負けてしまっている事となる。

 プロテスタントにルーテル教会が在る。その教派は、キリスト教界の改革者マルティン・ルターの流れを引き継ぐものであるが、ルターの執った行動を否定してしまい、謝罪まで行なってしまっている。ルーテル教会は正に、世間に迎合していると言え、真実を捻じ曲げてしまっていると言える。マルティン・ルターは決して悪い事はしておらず、正しい事をしたのだ。

 聖書では、この世的なものがサタン(悪魔)であると言っている。そんな、人の欲望の対象となっている「この世の神」であるサタンの誘惑に負けてしまっては、最早、本当のクリスチャンでは無い。
 尤も、先に引いた通り、人は弱いので、幾ら誓いを立ててもその通りには出来ない。程度の差こそ人によって異なるものの、イエス様の弟子の内の一人、ペトロにしても、自分も捕えられて殺されるかもしれないと恐れて、イエス様の事を「知らない」と、3回も立て続けに言ったぐらいだ。
 しかし、クリスチャンとしての信仰を持ち続けるならば、その都度、救いが得られるのだろう。飽くまでも、自分の根本の方針として持つ「イエス様第一」を限りなく貫こうと努力する限り、常に救われるだと思う。

 僕は、「神第一」である。よって、マネーは二の次、三の次、鉄工所の仕事も二の次、三の次だ。例えばの話だが、もし仮に、余りにもクリスチャンとしての歩みが妨げられてしまうのであれば、それは考えざるを得ない事となり(と言っても、余りにも転々とする事は良くなく、ある程度の我慢、忍耐は必要だ)、その場合、「神第一」としながら、機械オペレーターでも、検査でも、倉庫の仕事でも、その他、色々な単純作業でも、何でも良いと思っている。前述した通り、仕事の種類によって天国に入れたり、地獄に落とされる訳では無いのだ。「ゴッド・ファースト」こそが、天国に入る事が出来る条件だ。

 鉄工所の仕事を辞めても、クリスチャンは辞めない。どんな仕事をしようとも、クリスチャンは辞めない。どれだけ迫害されようとも、クリスチャンは辞めないのだ。

 
 



 新約聖書・コリント人への手紙 第ニ4章1~6節
  こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、
  恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。
  それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。
  そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。
  私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。
  「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。
  
 The New Testament・The Second Epistle to the Corinthians 4:1~6
  Therefore, seeing we have this ministry, even as we obtained mercy, we don’t faint.
  But we have renounced the hidden things of shame, not walking in craftiness nor handling the word of God deceitfully, but by the manifestation of the truth commending ourselves to every man’s conscience in the sight of God.
  Even if our Good News is veiled, it is veiled in those who are dying,
  in whom the god of this world has blinded the minds of the unbelieving, that the light of the Good News of the glory of Christ, who is the image of God, should not dawn on them.
  For we don’t preach ourselves, but Christ Jesus as Lord, and ourselves as your servants for Jesus’ sake,
  seeing it is God who said, “Light will shine out of darkness,” who has shone in our hearts to give the light of the knowledge of the glory of God in the face of Jesus Christ.


 この記事を書く中で、気付く事が出来た事が有る。こうして自分の事を書くというのは、とかく一般的には、自慢話になったりするだけで意味が少なく、余り良くないと言われる。しかし、僕の不思議なタラント、つまり試練をはじめとした恵みが神様からのものであると捉えた時、その自分の事を書いているつもりが、実は、唯一の神様である創造主、父なる神様と子なるイエス様と聖霊の三位一体の創造主の事を証している事に繋がっているという事だ。

 その理由として、僕はただの人間でしかないので、そんな不思議な事を自分の力で成し遂げる事が出来ないからであり、僕がただ、主によって用いられているに過ぎないからだ。
 元々、僕自身がプライバシーの侵害や超音波、テレパシー、カメラ等などと、そんな摩訶不思議なものを所有する事が嫌であった訳だし、そんな嫌悪感を持って来たり、試練、自分の十字架と捉えられるものとして我慢しなければならないものを、自分で行う訳が無い。

 
 



 旧約聖書・イザヤ書30章10節
   彼らは予見者に「見るな。」と言い、
   先見者にはこう言う。
   「私たちに正しいことを預言するな。
   私たちの気に入ることを語り、
   偽りの預言をせよ。

 The Old Testament・The Book of Isaiah 30:10
   who tell the seers, “Don’t see!”
   and the prophets,
   “Don’t prophesy to us right things.
   Tell us pleasant things.
   Prophesy deceits.


 「カメラが来た」、「見るな」、「企業秘密」とか言われていても、決して預言者では無い事を、念の為に言っておく。

コメント
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僕52歳の求職活動からの連想(11/12)/ My associations from job hunting・・・僕自身の3年半の証、阿波徳島の邪馬壹国と長ノ国と元諏訪、キリスト教まがいのカルト教団

2021-04-09 01:00:00 | エッセイ・コラム
 <※本当の投稿日時
  True posted date & time:2021/04/18 06:12>

   (当方の都合にて、投稿日時を変更しております。
    I changed posted date and time for my convenience.)

 (2021/04/18 9:15更新・・・最後部に追加)

 ※ 本記事において幾つかの文献と画像を引用する事によって構成しておりますが、本記事により当方は収入を一切受け取っておりません。
 ※ I have made composition by borrowing some references and pictures in this article, but I don't receive the income at all by this article.

 <→10/12からの続き>

 僕52歳の求職活動からの連想(11/12)
  Age of 52 my associations from job hunting
   ・・・僕自身の3年半の証、阿波徳島の邪馬壹国と長ノ国と元諏訪、キリスト教まがいのカルト教団


 ……ざっと振り返って、以上の様になる。中学1年生の時から鉄工所に見習いに入る時まで、13歳~22歳までの9年間の大方を書いた。これには全く嘘は無く、正直に暴露して書いた。僕は、その頃とは違い、今では見栄や体裁を繕う事はしない。例えば、今までも自分から「高校中退」だとわざと言って来たし、今回の医療関係への応募にも「出来ません」、「能力が有りません」と正直に伝えた。

 また、僕はいつも鉄工所に就職する為の面接の時には、「溶接は下手です」と言う。それで採用されて実際、溶接が出来なかっても全く問題ないが、「出来ます、出来ます」と言って何とか採用されたとしても、入ってからがしんどい事になるし、話が違うという事でクビになるのが落ちである。

 そうして振り返って、高校までの学生時代に於いて、あの高校2年生の3学期の修学旅行から3年生の3学期の終わりまでの丁度1年間だけが、周りと比べて普通では無かった訳だ。小学1年~高校3年の12年間の内のたった最後の1年間だけが、普通では無かっただけである。
 登校拒否に少し当たるのかもしれないが、そうしてちょくちょく休んだり遅刻していたのはその1年間だけであったし、それまではいじめを受ける事も無かった訳だ。陰口がいじめに相当するか否かは判断が別れようが、まぁ、そんな程度だ。

 マスゴミがよく使う手として、小さな欠点や短所、スキャンダルを切り取り、それを拡大し膨張させて、且つ、加工し編集を加えて、テレビや新聞の報道に載せて論う事が、僕の身の上にも行われて来た。噂を広げ、レッテルを貼り、社会的排除、抹殺を謀る。
 確かに、その期間中で実家に居た時は、家族には迷惑を掛けた。家で荒れた事は概ね1回だけであったが、恐らく僕のせいで、外で世間、周囲から、家族の者が注目に晒されたりした事を察する事が出来る。それは現在に於いても、僕と一緒に外出する事で、家族に迷惑が掛かる事が有る。
 23歳になる手前で兵庫県A市のアパートを借りて以降、36歳になる手前に専門学校入学の為に生活が苦しくなるという理由で離婚した母の借家に同居させてもらう様になるまでの13年間は、独り暮らしの生活であった。

 その高校最後の1年間は、高校までの学生時代に限れば12分の1、生まれてから現在に至るまでだと52分の1でしかない。確かに、「終わりよければ全て良し」という言葉が有る様に、その学生時代の最後が悪かったので、そのたった1年間だけで全てを棒に振ったとも言える。
 しかし、学生時代はそれで終わりであった訳では無かった。その後に17年間のブランクを経て、36歳にして医療系の専門学校に入学した訳だ。しかし、それと同時に住んでいたマンションも売ったので、こちらも金銭的な積み重ねの面に於いて、お金の財産の上で、棒に振ったと言える。
 また、ドーランについても、今であれば「何が悪いねん?」と言えるが、当時はマダマダおぼこかったので、やはりバレると恥ずかしいという思いが有った。テレビに出とる男性の俳優も皆、塗っとる訳で、中学生時代の事情も有っての理由を話せば、周囲に理解してもらえていたかもしれない。

 確かに、家族には迷惑を掛けたし、荒れた時には罪を犯した。それらの点に関しては、確かに悔い改めが必要だ。しかし、僕はそういう経緯が有ってこそ、つまり、神様から試練が与えられた事によって、練磨され、鍛えられて、高められた。
 また、そんな顔色の違い、外見の違いにより、それこそモテモテの天国と陰口だらけの地獄の両方を味わった感じだが、それだけ人がいいかげん、上辺だけ見て一つも理解出来ていないところとか、安易に翻るところなんかから、人を信じず疑う姿勢が養われた事は良かったと言える。そういう早い時期に、騙されない訓練が、嘘、詐欺への気付きが、与えられたと言える。後々になって、真実を追求する事に役立っている訳だし、やはりそんな経緯から、神様の思し召しを感じる。

 試練は、神様からの恵みの内の一つだ。僕はクリスチャンであるので、人生が創造主の思し召しによって定められている事を信じる。人間の意志によってゴールへの経緯に多少の変化は生じようとも、概ね、結末や結果が主によって決められていると言える。人がナンボ、自分勝手に目標を立てたとしても、創造主が立てられた御計画である運命に従って歩まざるを得ず、絶対者である唯一の神様が立てられた目標に向かって進むしかない。

 世間的に見るならば、「棒に振る」事になってしまった事は、もったいないとかという様に捉えられる事だろう。今まで積み上げて来た事を一瞬にしてパーとなって無に帰す事になるのだから。
 高校最後の1年間で学歴がパー、マンションを売って財産がパー、その時同時に鉄工所での経験もパーとなった訳だ。しかし、そういう事も、神様の御心であった可能性が高い。但し、鉄工界での経験は、その後も引き継がれて行く事となる。

 僕のカトリックでの洗礼名は、「アッシジのフランチェスコ」である。イタリアのアシジのフランシスコは、元々は裕福な家に生まれ育ちながら、改心して自らボロを纏う貧乏になり、キリスト者としての修道を行いながら、自分の欲望を捨ててイエス様に従う全き心を持って、清貧の旅路を歩んだ。
 修道院に入ったアシジのフランシスコと同様に、日本の良寛や鴨長明等も、お金や地位、名誉といった財産を捨てて、山奥にて草庵に住み、隠遁生活を送った。昔から日本には、悟りを得る為に、出家したり山に引きこもって修行する隠遁者や修験者達が居る。

 先に引用したイザヤ書の預言である、創り主であるイエス様が侮辱を受けられている姿と僕が似て来た事と同じく、僕の洗礼名であるアッシジのフランチェスコとも僕が似て来たと言える。



アッシジのフランチェスコ
 Cimabue Presunto ritratto di San Francesco Assisi, Basilica inferiore
 「聖母子、天使、サンフランチェスコ」より(チマブーエ画、部分) 
 出典:WIKIPEDIA「Francesco d'Assisi 」 
   または、ウィキペディア「アッシジのフランチェスコ」  

 
 



 新約聖書・コロサイ人への手紙3章9~12節
  互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、
  新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。
  そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
   それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。

 The New Testament・The Epistle to the Colossians 3:9~12
  Don’t lie to one another, seeing that you have put off the old man with his doings,
  and have put on the new man, who is being renewed in knowledge after the image of his Creator,
  where there can’t be Greek and Jew, circumcision and uncircumcision, barbarian, Scythian, bondservant, or free person; but Christ is all, and in all.
   Put on therefore, as God’s chosen ones, holy and beloved, a heart of compassion, kindness, lowliness, humility, and perseverance;


 本ブログ
  ・2019/01/06付『My Testimony/僕の証<8-2/14>:エピローグならぬプロローグの追録~ いじめを演出し加担してブームを作るマスコミとそれに煽動される世間の姿と重なる2,000年前のイエス・キリスト虐殺』
  ・2019/01/31付『My Testimony/僕の証<5-1/2>:僕はボロボロ……イザヤの預言、人間マリアの処女懐胎を通したキリストの御降誕と侮辱を負われた「イエス様の御姿」& 迫害の中の信仰で「キリストの似姿」を得る』
  ・2019/01/31付『My Testimony/僕の証<5-2/2>:僕はボロボロ……Isaiah 52:13~53:12、侮辱を負われた「イエス様の御姿」と迫害の中での信仰により「キリストの似姿」に変えられる事を想う』


 実際、どうでもよい者であれば、神様は放っておかれた事であろう。それが、いちいち、いちいち、神様は僕をストーカーするが如くに介入し、干渉して来たのだ。神様は、僕の希望、欲望通りには、させてくれなかった。だから結局、「33歳と半ば」の時に大怪我をさせられてリセットされ、そして、医療関係に進む事を試みたものの、そちらもつまずき、結局、鉄工界に戻された。その「33歳半」という歳は、イエス様が十字架に架けられた歳と同じだ。

 人の奴隷となる事は間違いであるが、神様の奴隷になる事は正しい。人は間違った方向へと誘惑したり挑発して導くが、神様は正しい道を示され、正しい方向へ導いて下さる。
 人は弱いので、覚悟、誓いを立てたところで、その事を完全に守り実践する事は出来ない。それでもクリスチャンである限りは、また特に、一度救いを得たならば、脱線、逸脱をしようとも、その都度、イエス様の下に引き戻される。

 よって、決して自惚れで言うのでは無く、僕は神様に選ばれていると言える。
 世の中、罪を犯した人は幾らでも居る。また、レベル、程度の違いは有ろうとも、人間、完璧な者は存在せず、大なり小なり罪を犯している。
 よって、もし神様が平等に扱うのであれば、世の中の皆に対しても、僕に備えられている不思議なものを、僕と同様に与えてもよいのではないのか?

 そうして振り返る中で、気付いた事が有る。聖書の中では、「3年半」が大きな意味を持つ。イエス様が30歳の時に伝導を始めてから十字架上での死、そしてその3日後の復活までという公生涯が、「3年半」であった。また、今後に作られる世界統一政府の中で、「荒らす忌むべき者」である独裁者が、聖なる地エルサレムに立って君臨し統治するのが、「3年半」であると預言されている。

 僕の今までの52年間の人生の中で、その「3年半」に該当するものとして今現在に於いて気付いているものを挙げると、次の様になる。(※ 僕の誕生日は1969年5月末)

  1.高校2年生の3学期の修学旅行(1987年2月:17歳8ヶ月)~聖書の「放蕩息子」の例え話の様にして実家に帰った後、親父の言う通りにして再び出稼ぎに出た事(1990年6月:21歳0ヶ月)
  2.兵庫県K市の下請け町工場に、鉄工界での最初にして見習いで入社(1991年6月:22歳1ヶ月)~阪神淡路大震災(1995年1月17日:25歳7ヶ月)
  3.阪神淡路大震災(1995年1月17日:25歳7ヶ月)~兵庫県K市に在る、大手メーカーの全て直請けである町工場のH鉄工所に入社(1998年8月:29歳2ヶ月)
  4.医療系のO専門学校・夜間部入学(2005年4月:35歳10ヶ月)~臨床実習のつまづきと再チャレンジの終了(2008年11月:39歳5ヶ月)
  5.そのO専門学校卒業後に就職した大阪府O市に在るK病院を1ヶ月でクビ(2009年5月:39歳11ヶ月)~最後の医療系の職場である兵庫県K市に在るHクリニックに入職(2013年1月:43歳7ヶ月)
  6.そのクリニックを2ヶ月でクビ(2013年3月:43歳9ヶ月)~兵庫県K市に在る下請け町工場の鉄工所、T工業を退社(2016年12月:47歳6ヶ月)
  7.そのT工業退社(2016年12月:47歳6ヶ月)~ブログ記事投稿の一旦停止と、母の店仕舞(2020年6月:51歳0ヶ月)
  8.自宅書斎のパソコンの上に貼る「Preparation」を記載(2017年11月:48歳5ヶ月)~本年4月に入社(2021年4月:51歳10ヶ月)

 上の「3年半」に当てはまる各期間について、補足する。
  1. 修学旅行以降は前述した通りである。聖書の「放蕩息子」(ルカの福音書15章11~32節)の例え話の様にして実家に帰った後、親父の言う事に従って再び神奈川県の大手のI自動車会社の期間工になって、商売する事に向けた資金を作る為に出稼ぎに出た。言うなれば、試練の後の復活といったところか。

 
 



 新約聖書・ルカの福音書15章24節
  この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。

 The New Testament・The Gospel of Luke 15:24
  for this, my son, was dead and is alive again. He was lost and is found.’ Then they began to celebrate.


  2、3.鉄工界に見習いで入って以降、4ヶ所目の町工場では、阪神淡路大震災を跨いで6年続く。川崎重工や日立造船、中外炉等、全て直請け(一次下請け)であるH鉄工所で5ヶ所目。
  4.入学して数カ月後に早速ME2種を、翌2年生時にはME1種と資格を取得した他、国家試験の模擬試験の結果等と、入学してから断トツで先を走っていたのが、4年生の時の兵庫県H市に在るTu病院での臨床実習で躓いて(つまずいて)、大阪府O市に在るTa病院にて再チャレンジの機会を与えられた。そして、就職先が決まるのも、概ね、同級生の中では一番最後であった(しかも自宅からの通勤距離が大分長い所だ)。

 
 



 新約聖書・マタイの福音書19章30節
  ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。

 The New Testament・The Gospel of Matthew 19:30
  But many will be last who are first, and first who are last.


  5.K病院からHクリニックに至るまでの間は散々で、昔の好の兵庫県M市に在る下請けの町工場、3ヶ月でクビになった兵庫県K市に在るK病院、その後は派遣の検査や機械オペレーター、そして製缶工として勤めても転々としてしまい、2012年には数ヶ月という長めの休暇を取った。
  6.Hクリニックをクビになった後、派遣で倉庫の仕事と大手のバイク工場での仕事をした後、T工業で3年余り世話になった。
  7、8.T工業を退社後、翌年はこれまた転々としてしまい、とうとう、その年(2017年)の11月初め~翌年(2018年)5月末まで引きこもる事となり、その間、本ブログ記事の投稿やプレゼン・ポスター作りを行なった。昨年(2020年)はコロナ禍の中、また、アメリカ大統領選挙の投票日が近づく中で、本ブログ記事の投稿が、6月~9月まで滞ってしまった。アメリカ大統領選挙の法廷闘争と並行した自宅での本ブログ記事の投稿とその後の就職活動を経て、この4月に入社する運びとなった。

 
 



 新約聖書・ローマ人への手紙6章22~23節
  しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。
  罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

 The New Testament・The Epistle to the Romans 6:22~23
  But now, being made free from sin and having become servants of God, you have your fruit of sanctification and the result of eternal life.
  For the wages of sin is death, but the free gift of God is eternal life in Christ Jesus our Lord.


 『神は、見渡せば、あそこにいるというような方ではない。私たち自身が神の中に生き、動き、存在している(使徒言行録17・27)。創造者である神は、人類の歴史の中に働き、ご自身を啓示される。聖書は、人間が到達した宗教的真理や悟りの書ではなく、神の啓示の証言である。新約聖書は、主イエスの生涯に神の啓示を見、神の語りかけを聞いた人々の証言である。
 神は主イエスの死と復活によって、人間を神に背かせる罪から解放し、神の支配のもとに生きる道を開かれた。それゆえ、人間は主イエスの死と復活による神の恵みを謙虚に受け入れることだけが求められる。
 主イエスは「神を信じ、わたしを信じなさい」と言う。信じるか信じないかは人間の自由な決断である。中間はない。しかし、信じるか信じないかによって、その結果はまったく違ってくる。神を信じない人は、人間が絶対であるとすることによって、神を斥(しりぞ)け、神に敵対する罪の奴隷となっている。一方、神を信じ、聖書から神の言葉を聞いて生活する人は、神の恵みによって生きる。神の存在は理性では証明されないが、信仰生活によって証明される。……』
  (2021/04/04付・Christian Press『4月4日「行き着くところは、永遠の命」』より) 

 丁度、今年の場合は4月4日(日)に当たる西方教会での復活祭の日に、この記事と共に上の聖書から引かれた御言葉は、イエス様の死と復活によりイエス様を信仰するクリスチャンの罪が贖われ、魂が死から救われている事を解き明かしされている。尚、東方教会の復活大祭は、今年の場合は5月2日(日)となっている。

 この復活祭について、他に「イースター」と呼んだり、卵やうさぎを登場させたりしている。しかし、聖書の中にはイースターや卵等は全く登場していない。
 12月25日に行われているクリスマスもイエス様の誕生日とされ、その他、サンタクロースやトナカイ、クリスマス・ツリー、クリスマス・ケーキ等を登場させている。しかし同様に、イエス様の誕生日は聖書には書かれていない。また、イエス様が御降誕された時の背景として、羊飼いが夜に野宿していた事が聖書に書かれている事から、冬では無く暖かい時期である事が言える。そして勿論、その他、後者の様な様々なものも、聖書には登場していない。

 『復活祭を表す英語「イースター(Easter)」およびドイツ語「オースタン(Ostern)」はゲルマン神話の春の女神「エオストレ(Eostre)」の名前、あるいはゲルマン人の用いた春の月名「エオストレモナト(Eostremonat)」に由来しているともいわれる。8世紀の教会史家ベーダ・ヴェネラビリスがこれに言及し、ゲルマン人が「エオストレモナト」に春の到来を祝う祭りをおこなっていたことを記録している。……』
  (ウィキペディア「復活祭」より) 


YouTube: Q63復活祭のことを、なぜイースターと呼ぶのですか。 また、ウサギやイースターエッグに、どのような意味が ありますか。【3分でわかる聖書】
2015/04/10

  『1.「イースター」という言葉がゲルマン神話から出ている。
   2.ウサギやイースターエッグも聖書とは無関係である。
   3.聖書にない習慣を取り入れるかどうかは慎重に考えた方がよい。』
    (上のYouTube「Q63復活祭のことを、なぜイースターと呼ぶのですか。 また、ウサギやイースターエッグに、どのような意味が ありますか。【3分でわかる聖書】」より)

 復活祭の本来の意味であるイエス様の死と復活の本質を忘れてしまい、そんなウサギやイースターエッグ、その他、お祭りを楽しく盛大にする為のゲーム的なもの、装飾的なもの、偶像的なものに目や心を奪われてはならないという事だ。
 またイエス様は、父である神様と聖霊との三位一体の創造主であり、この世の始めからずっと生きておられ、勿論、現在も生きておられる訳で、そういう事から、クリスチャンにとっては、毎日が復活祭に相当すると言われる。イエス様の死と復活による救いの恩恵を与えられると共に、キリスト者としての務めを果たす義務や責任を持つという事であろう。

 以下、2021/04/02付・日本Christian Today『オウム元幹部に牧師が語る「罪人が新しくされるキリスト教の力」』より 
  『主の羊クリスチャン教会の中川晴久牧師が、オウム真理教元幹部で「ひかりの輪」代表の上祐史浩(じょうゆう・ふみひろ)氏が司会をするイベントに出演し、「失敗した人間、罪人が新しくされるのがキリスト教の力」など、上祐氏に自身の信仰と見解を語った。……
  …(中略)…
  ……中川氏は「こんな(罪深い)人間にも神様が触れてくださる。本当に失敗した、ダメだった、やっちまったという人を回復させる力がある」とし、「本当に失敗した人間、罪人が新しくされる、というところにその力がある。それは何かというと、失われたもの、失われた心をもう一回取り戻すこと。それがキリスト教の大きな力なのだと思う」と語った。
  東京キリスト教神学研究所の幹事を務め、カルト研究も行っている中川氏は、カルトの脱会者から学べることについても強調した。中川氏は、カルトですら人から人間性や理性を100パーセント奪うことはできないとし、カルトの脱会者はたとえ90パーセントを奪われたとしても、残された10パーセントの人間性や理性の大切さに気付いた人だと述べた。
  上祐氏が司会をするイベントに出演した経緯について、中川氏はオウム真理教の脱会者を教会に招き、話を聞いたことがきっかけだったと話す。……
  …(中略)…
  ……カルトの脱会者から話を聞くことについて、中川氏は「自分自身をあえて被害者の位置に置くことをやめ、自分自身の問題として昇華した『脱会者』からは特に学ぶものがあります」と話す。
  「普通の人が持つことのできない真珠の洞察を得ているからです。真珠というのは、真珠貝の傷から出た血液が結晶化してできます。真珠の洞察とは、生きる中で受けてしまった傷からできるものです。私の主イエス・キリストはボロボロの傷だらけの姿で十字架にかかった神の子ですから、やはり自分自身の傷と痛みを重ねることで教えられることが多いのだと思います」
  「現在のカルトや異端に対する取り組みはデタラメが多いです」と話す中川氏は将来、カルトや異端の専門家チームを作り、さまざまな脱会者からの話を聞きたいと考えているという。』
 (以上、2021/04/02付・日本Christian Today『オウム元幹部に牧師が語る「罪人が新しくされるキリスト教の力」』より)

 オウム真理教が、創価学会や偽イスラエルに繋がる事は先に述べた。
 カルトにハマってしまう人達は、なんでマトモなクリスチャンにならないのか疑問に思う。オウム真理教にのめり込むのは、ヨガの魅力とか麻原彰晃みたいに空中を飛ぶ事が出来る様になりたいからだろうか?
 それは、エホバの証人やモルモン教、統一教会等についても同じだ。なんで、マトモなキリスト教会に通わないのであろうか?。偶々、知識が無いまま、勧誘されるままに試しに行った事がきっかけなのだろうか?

 ところで、令和2年(2020年)版の文化庁編『宗教年鑑』によると、日本に在住するクリスチャンの数が、ここ5年間連続して減少し、2万2,602人少なくなったとしている。総信者数は94万5,646人で、日本の総人口1億2,557万人(2021年1月1日現在)の内、約0.75%しかクリスチャンがいない事となる。尚、総教会数は5,781で、5年前から1年前までに77増加したものの、ここ1年で39減少した事となっている。
 教会数の減少は、新型コロナ・ウィルス感染症(COVID-19)パンデミックにより、集会の開催を控える様に自粛を求められ、典礼ミサを行う事もままならない状況であった為である事が言えようが、日本のクリスチャンの数年前からの減少傾向はどういう事であろうか?。

 ドナルド・トランプ氏が超大国アメリカの大統領に就任していた間こそ、世界のグローバリズムの潮流にストップをかけて、その勢いが削がれていた。しかし、その流れを生んで来たグローバリストが、その反グローバリズムの形勢を反転させる為に、そして今年のダボス会議(世界経済フォーラム)のテーマ「グレート・リセット」を世界で施行する為に、そのCOVID-19という生物兵器を世界にばら撒いた。

 トランプ大統領は、主流メディア(MSM)・マスコミを叩き、ポリティカル・コレクトネスが抑えられて、言論界に保守主義の空気を醸成した。そして、左側に偏って判断基準を置くそのポリコレが抑えられた事で、キャンセル・カルチャーも抑制された。よって、文化が解放されていた分、宗教の自由が促進され、アメリカでのクリスチャンの言論は解放されていた。
 アメリカの場合は、元々は国のベースが聖書、キリスト教であるので、トランプ大統領の下でリバイバルの方向に向かっていたと言える。しかし、日本の場合は昔からクリスチャンは少数派であり、世間の中に在っては異端的な存在だ。

 学校の教科書には、16世紀にフランシスコ・ザビエルをはじめとしたイエズス会が初めて日本にキリスト教を伝えたと書かれている。しかし、それは出鱈目で、新約聖書時代に入ってから早い時期に、メシアニック・ジューである古代ユダヤ人達がやって来て伝えたというのが本当のところだ。
 その、イエス様を救世主(キリスト)として受け入れて信仰するメシアニック・ジューには、後にアッシリア東方教会に継承されるネストリウス派で、支那(中国)では景教と呼ばれていたキリスト教を信仰していた秦氏が居る。
尚、古代ユダヤ人自体は、旧約聖書時代の紀元前から、既に日本にやって来ていた。

 つまり、クリスチャンでなくとも、多くの日本人には本来から、クリスチャンとしての良心を持つ事が出来うる遺伝子が受け継がれていると言える。日本全国に存在する神社、神道は、古代ユダヤ由来であるとされる。そして、祭りをはじめ、その他、日本古来からの習慣やしきたりが、その神道がベースになっている。よって、日本人の昔からの生活に、古代ユダヤの文化が下地になっていると言えるので、創り主を祀る神道への信仰、創造主と聖霊との三位一体となっているイエス様への信仰を、自然に、無意識の内に持ち併せている事が言える。

 そういう事で、日本人は敢えてクリスチャンにならなくても良いと思っているのであろうか?。
 そうでは無く、やはり、その学校の教科書に書かれているイエズス会が日本で行なった悪事が、後々に影響を及ぼしているのではなかろうか。実はイエズス会は、ユダヤ教やイルミナティ、フリーメーソンというグローバリストのスパイ組織であり、キリスト教の布教を名目にして、奴隷貿易や武器売買を行い、そして日本の体制転換、更に乗っ取りを目論んでいたのだ。戦国時代にやって来たイエズス会は信長にこそ受け入れられたが、秀吉、家康にその正体を見破られたが為に、「バテレン追放令」を被ったのだ。

 一方、先程の中川健一牧師の解説を聞いてみる。


YouTube: Q83 なぜ日本ではキリスト教が広まらないのですか。【3分でわかる聖書】
2015/10/09

『1.日本人には、唯一の神という神概念がありません。
 2. 日本人は、共同体の中で孤立することを恐れています。
 3.この世の神が日本人の目に覆いをかけています。』
   (上のYouTube「Q83 なぜ日本ではキリスト教が広まらないのですか。【3分でわかる聖書】」より)

 八百万の神と言われる通り、自然の様々な所に神を見る「汎神論的世界観」、起源の異なる複数の宗教的要素を都合良く編集し、加工し、習合して信仰する「シンクレティズム(syncretism)」が日本に存在する故であると述べられる。
 また、隣組や村八分というものが有った通り、周囲と調和する事を求め、「Going My Way、私の道を行くとは言い出せない文化が日本にあるのです」と述べられる。
 この世の神とは、悪魔(サタン)であると述べられる。気付きが無い事自体が目に覆いを掛けられている証明であると述べられ、「クリスチャンは自らを振り返り、他の人々に正しくGood News、福音を伝えているかどうかを自己吟味すると同時に、悪魔がこのように暗躍しているということを認識して、祈りをもって悪魔の働きを阻止する必要があります」とも述べられる。



出典:2018/11/14付・コトバスエクスプレス~四国のおすすめ観光スポットをご紹介「終戦間際に発生した列車空襲事件 < 那賀川橋りょう / 徳島県阿南市 >」



徳島県下最長の一級河川「那賀川」
出典:阿波ナビ「那賀川」

 僕は中川と聞いて、徳島県に在る剣山系の山地に属す次郎笈(じろうぎゅう)の内の那賀郡那賀町を源流とする「那賀川」を直ぐに連想する。その那賀は、「なか」の他に「なが」とも読む。昔は長川(ながかわ)と呼ばれ、那賀郡には長の国(長国、ながのくに)が存在した。
 その長国が、実は本当の出雲であるという。また、その出雲という地名は、出雲大社の在る島根県の他にも全国各地に散在しているが、元々は徳島が、その出雲という地名の発祥地であるらしい。
 また、大阪弁も元々は徳島弁であったとされる。その他、出雲大社や諏訪大社等、神社の発祥地の殆ども阿波・徳島である。そして、阿波・徳島に存在し倭(やまと)として存在した邪馬壹国(やまとこく)を発祥として、後に奈良に遷移して大倭(おおやまと)とスケールアップして大和国となった。神社にしても大和朝廷にしても、発祥地である阿波・徳島に居た頃は、目立たず、小さく、質素であった。

 以下、「邪馬壹(やまと)国は阿波から始まる」(三村隆範氏・土佐野治茂氏・永井英彰氏著、やまと研究会、2019/08/01刊)より、
  『建御名方(タケミナカタ)神社
  高志に住む沼河比売と大国主命の子孫が、建御名方神である。
  建御雷之男と天鳥船神が、葦原中国を護るように高天原から出雲に降りてくる。力競べに負け、建御名方神は州羽(すわ)の海に逃げていったと『古事記』に書かれている。
  平安時代に編纂された延喜式神名帳に、阿波国の名方郡に多祁御奈刀弥(タケミナトミ)神社があったと記録されている。多祁御奈刀弥神社は、現在、(名西郡)石井町浦庄諏訪にある。
  社伝によると、信濃諏訪郡の南方刀美(ミナカタトミ)神社(現在の諏訪大社)は、この阿波の多祁御奈刀弥神社から、宝亀10年(779年)に移遷されたと伝わる。『名西郡史』にも、「社伝記ニ光仁帝ノ御宇宝亀十年信濃國諏訪郡南方刀美神社名神大、阿波国名方郡諏訪大明神ヲ移遷シ奉ル」と書かれている。
  「建御名方神」というと、諏訪大社(長野県諏訪市)に祀られている神と一般には教えられているが、諏訪大社は式内社の南方刀美神社であり、長野県には健御名方富命彦神別(たけみなかたとみのみことひこかみわけ)神社などがあり、「別」と書かれ、別けた神社であることを示している。
  発祥地は忘れ去られ、後に発展した大きな社殿を持つ神社に目を奪われ、それを本家と見てしまう場合が多いものだが、一般に言われている事と事実とは、異なることを知っていたいものである。』
 (以上、「邪馬壹(やまと)国は阿波から始まる」より)



出典:amazon



出典:2015/11/03付・すえドンのフォト日記『式内社「多祁御奈刀彌(たけみなとみ)神社」の秋祭り♪ 』



出典:次のYouTube「【諏訪大社 元宮】延喜式内社・多祁御奈刀弥神社……」


YouTube: 【諏訪大社 元宮】延喜式内社・多祁御奈刀弥神社(たけみなとみじんじゃ)探索さんぽ。
2020/09/26

YouTube: 【元諏訪】多祁御奈刀弥神社
2015/02/05

YouTube: 諏訪元社 多祁御奈刀彌神社たけみなとみじんじゃ平成27年11月
2020/04/30

 上の引用文献から、古事記によると、建御名方神が出雲、即ち長国(ながのくに)から州羽(すわ)の海に逃げたと在る。よって、現在の那賀郡(ながぐん)から旧・名方郡(なかたのこおり(なかたぐん))の内の現在の名西郡石井町浦庄字諏訪へ移った事になる。
 そして、その徳島県名西郡石井町浦庄字諏訪に鎮座する多祁御奈刀弥神社が、実は「元諏訪」であり、全国に約25,000社が存在する諏訪神社の総本社である諏訪大社の元宮だ。
 更に、その諏訪大社が存在するのが長野県だ。多祁御奈刀弥神社の社伝や名西郡史に書かれている様に、建御名方神が元々居た阿波の長国(ながのくに)から名方郡の諏訪を経て遷移した所が、信濃の長の県(ながのあがた(ながのけん))と呼ばれる。

 その、阿波・徳島から遷移した諏訪大社は、御柱祭や御頭祭が行われる事や、上社の本宮と前宮から南西方向に望む所に守屋山が在り、旧約聖書時代の古代ユダヤ人の痕跡が色濃く残っている事は有名だ。


YouTube: 諏訪大社のイサクの祭: 古代イスラエル人が始めた祭(久保有政・解説)v.2
2020/04/28

 本ブログ
  ・2017/01/31付「徳島・阿波に元々存在した伊津面(いずも:出雲)は葦原中国(いのはらのなかのくに)で長国(ながのくに)・・・古事記・伊予の二名島(いよのふたなじま)の四国、伊国(いのくに:倭国)、邪馬臺国(やまと国)」
  ・2019/09/11付「八咫烏に見るパレスチナ人と日本人の繋がり、神武東征は阿波の「倭」(邪馬壹國)から奈良の「大倭」(大和国)への「遷移」を物語る/Yatagarasu, Palestinian-Japanese tie」


 「キリスト教は世界で最大の信者を擁する宗教である。2013年現在、世界に約23億人の信者がいて、世界総人口の約33パーセントすなわち世界の約3人に1人はキリスト教徒である。その内カトリック教会の信者は約12億人、プロテスタント諸派の信者は約5億人、正教会の信者は約3億人である。その他にユニテリアンやモルモン教会やエホバの証人の信者など自称を含めたキリスト教諸派の信者が約4億人いる。なお、キリスト教以外の宗教では、イスラム教の信者は約16億人で世界総人口の約23パーセント、ヒンドゥー教の信者は約10億人で世界総人口の約14パーセント、仏教の信者は約5億人で世界総人口の約7パーセントである。」
  (ウィキペディア「キリスト教 」より)



世界各国の信徒数の割合(2012年)。青が濃いほど信徒数が多い。
出典:ウィキペディア「キリスト教」

 その最新の、令和2年(2020年)版の文化庁編『宗教年鑑』によると、クリスチャンである信者数が多い上位ランキングは、次の様になっている。

  1位:カトリック・・・43万7,607人(クリスチャンのうち約46%)
  2位:日本基督教団・・・11万1,588人(クリスチャンのうち約12%)
  3位:日本聖公会・・・4万7,150人(クリスチャンのうち約5%)
  4位:日本バプテスト連盟・・・3万3,636人(クリスチャンのうち約3.6%)
  5位:日本福音ルーテル教会・・・2万1,869人(クリスチャンのうち約2.3%)
  6位:セブンスデー・アドベンチスト教団・・・1万4,988人(クリスチャンのうち約1.6%)
  7位:日本同盟基督教団・・・1万2,661人(クリスチャンのうち約1.3%)
  8位:日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団・・・1万1,695人(クリスチャンのうち約1.3%)
  9位:イムマヌエル綜合伝道団・・・1万1,201人(クリスチャンのうち約1.2%)
  10位:日本キリスト教会・・・1万834人(クリスチャンのうち約1.2%)

 参考
  ・2021/03/29付・Christian Press「最新2020年版『宗教年鑑』、カトリックは微減、日本基督教団は微増 教派別ランキングその1」
  ・2021/03/29付・Christian Press「最新『宗教年鑑』、聖公会はピークから19%、バプ連は6%、福音ルーテルは2%減る 教派別ランキングその2」
  ・2021/03/29付・Christian Press「最新『宗教年鑑』、福音派の同盟教団、アッセンブリーは成長が止まる 教派別ランキング その3」


 クリスチャンとして根本的に大事な事は、聖書の御言葉を疑う事無く、加工や編集をせず、そのままを受け入れて、御言葉に完全に忠実である事だ。聖書の御言葉は全て真実で真理である事を、完全に信じる事が肝心だ。
 イエス様の死と復活の後、イエス様の弟子達が最初の原始キリスト教会を建てた。その当時は、至って、質素、簡素、シンプルな教会でしかなかった。教会内には装飾等も無く、ただ創造主であるイエス様の御言葉と弟子達による解き明かししか存在しなかった。
 それが時が経つにつれ、教会内に様々な解釈やイデオロギー等が生まれ、その意見の食い違いから多くの派閥に分かれていく事となった。

 あの内村鑑三は「無教会主義(Non-church movement)」を唱え、新渡戸稲造にしても小さな集会所で牧師等の指導者も置かず原始的なキリスト教会に近いクエーカーのクリスチャンであった。よって、共に、欧米の壮大な、壮麗な教会を否定し、教会組織や団体の教えでは無い根本的に大事な「聖書のみ」である事を、そして、教会組織や神父、牧師、その他の指導者といった仲介者を介さずに、直接、イエス様と向き合う事が大事である事を示された。巨大な組織であるカトリックに於いては「懺悔室」が設けられて、神父によって罪が赦される仕組みになっているが、それはお金が伴ってはいないものの、かつての免罪符と同じだと言える。神父には、そんな権限が無いし、まして、罪を赦す能力も持っていないのだ。

 本ブログ
  ・2020/10/16付:『「イスラエルをそのまま大事に置いておけ」米福音派は何故その様に述べるのか?/"Leave Israel just where it is," why do Evangelicals state it? 』
  ・2020/10/19付:「保守とリベラルとの根本的違い:創造主の御心を守るか冒涜するか/Conservative and Liberal different essence:maintain or profane to God 」
  ・2020/10/20付:「米福音派に侵入するリベラル宣教師達は終末の偽預言者/Fake prophet of apocalypticism, Liberal missionaries break in Evangelicals」
  ・2020/10/21付:「終末期の偽預言者-2/3:オスティーンの繁栄に反する内村鑑三の無教会/Fake prophet in End:Uchimura Non-church against Osteen prosperity」

  ・ウィキペディア「無教会主義」「無教会主義」
  ・Wikipedia「Non-church movement」




キリスト教諸教派の系統概略図



西方教会・宗教改革諸派の系統概略図
以上2点の出典:ウィキペディア「キリスト教」

 そして、キリスト教界内に様々な派閥、党派が出来るだけでは無く、カルト的な教会、キリスト教まがいの宗教団体も現れる様になり、更にマトモな教会内にもスパイが侵入して、内部から崩壊させようとしている。カトリックにはマラノというスパイが侵入している事は有名だが、その正体は心がタルムード的なユダヤ教のままで表面的に改宗したと偽っている者達であって、今やそのカトリックは同性愛や小児性愛等で崩壊しつつある。

 カルト的な偽物、まがいものと言えば、エホバの証人(ものみの塔)やモルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)、統一教会、ユニテリアン等が有名だ。エホバの証人は「ものみの塔」という名前からして解りやすいが、モルモン教と共にそれらは、イルミナティ・フリーメーソンのカルトであるユダヤ人が作った宗教組織だ。
 
 「ユニテリアン主義(ユニタリアン主義 、ユニタリアニズム、英語:Unitarianism)とは、キリスト教正統派教義の中心である三位一体(父と子と聖霊)の教理を否定し、神の唯一性を強調する主義の総称をいう。ユニテリアンはイエス・キリストを宗教指導者としては認めつつも、その神としての超越性は否定する。キリスト教正統派の中心教義を否定しているため、正統派キリスト教とは区別される。……」
  (ウィキペディア「ユニテリアン主義」より) 

 また、内村鑑三は著書に於いて「ユニテリアン派は偶像教に勝さる異端なり」と述べ、米国の国勢調査に於いてもキリスト教に含めず「その他の宗教」に分類しているという。
 そのウィキペディアから引用した部分だけ見ても、その宗教団体が如何に間違ったものであるかが、本当のクリスチャンであれば見分けをつける事が出来るであろう。



出典:2021/03/15付・友愛労働歴史館「渋沢栄一ら友愛会を創り、支えた人々の記念切手(1000円)を販売中!」



出典:2021/02/08付・友愛労働歴史館 「友愛労働歴史館が本日から再開、ホテル三田会館も営業再開しました、2月8日(月)!」

 今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」でモチーフとして用いられている渋沢栄一や、大正デモクラシーの吉野作造など、またクリスチャンの賀川豊彦や新渡戸稲造も「友愛会」を支えたと有り、そして福沢諭吉はユニテリアン教会(現・友愛会館)を支えたと有る。
 明治維新は「友愛」を掲げるフリーメーソンという国際カルト権力の支援が有って成就したのだが、そんなインターナショナル団体と協力し調和を図らなければならない程に、当時の開国、近代化を迫られる圧力、緊張感が伝わって来る様なものだ。

 しかし、そこに挙げたキリスト教まがいのカルト教団だけでは無く、まだまだ在りそうだ。

 (以下、2021/04/18 9:15追加)

 上に6位として挙げた「セブンスデー・アドベンチスト教会」は、ウィリアム・ミラーとエレン・グールド・ホワイトが共同で、1863年にアメリカで設立した。ウィリアム・ミラーは元々フリーメーソンで、メンバーシップを辞めたとしているが、恐らく建前であろう。フリーメーソンはヤクザ組織同然なので、そう簡単に脱会する事は不可能なはずで、本当に抜けたのなら殺されるのではないか。そして、女性のエレン・ホワイトは偽預言者だ。

 「イエス・キリストは天使ミカエルである」とか「イエス・キリストは全能の神ではない」、「罪の贖いはキリストの十字架で完成されていない」等という教義を掲げているが、これも本当のクリスチャンであれば、それが偽りである事を見破る事が出来るであろう。
 また、キリストが復活された日曜日ではなく、土曜日を安息日として礼拝を守る事はユダヤ教と同じだが、やはりこの宗教組織はユダヤのエージェントが作った教団であろうか。それ故に、カトリック同様にプロテスタントも、ひいてはキリスト教界をも、偽りの教義を用いて内部崩壊に導こうとしているのではなかろうか。

 『エホバの証人への影響
 『チャールズ・テイズ・ラッセルはキリスト教系の新宗教であるエホバの証人を設立する前に、セブンスデー・アドベンチスト教会についたり離れたりしていた。その中で後に彼の教義体系の中核になるものをつかんでいき、セブンスデー・アドベンチスト教会の本の中の「地獄というのは墓にすぎない」という教義を借用して、永遠の刑罰の教えに反対し「地獄」(マルコによる福音書9:43-48)の存在を否定した(霊魂消滅説。この教理はキリスト教弁証家のアルノビウスが4世紀にこの説を説いたが、第5ラテラノ総会議(1513年)にて異端とされた)。他にも類似する教理として「イエス・キリストは天使ミカエルである」とすること、「自分たちこそ14万4千人の選民である」とすることなどの黙示録的表象の強調。』
 (ウィキペディア「セブンスデー・アドベンチスト教会」より)

 そんなキリスト教まがいのカルトの宗教団体と言えるセブンスデー・アドベンチスト教会は、系列の病院を持つ。
 兵庫県神戸市に在る神戸アドベンチスト病院では、診療科目の中に「出生前検査」が入っている。また、東京都杉並区に在る東京衛生アドベンチスト病院も、副院長で産婦人科部長でもある医師が出生前診断を専門分野の内の一つにしており、こちらでも診療の対象となっているのであろう。
 新出生前診断が、日本産科婦人科学会、日本小児科学会、日本人類遺伝学会が同意して、広く促進させようとしている。この出生前診断は、ダウン症等になる遺伝子の異常を調べるもので、被検者である妊婦の希望によっては、障害者として生まれる可能性の有る胎児を中絶してしまうものだ。

 欧米諸国では、生命の尊重を基に人工中絶の禁止を訴えるプロライフ派と、女性の人工中絶の権利を擁護するプロチョイス派が分かれている。聖書的価値観から判断すれば、勿論、前者が正しい訳であるが、昨今はリベラル的なクリスチャンや教会が増えており、聖書の御言葉に反し、神様を冒涜する輩共が増えている。
 出生前診断は、ダーウィンの進化論や優生学に通じるものだ。障害の有る者を淘汰し、健常者のみの世の中にする。そんな事を、キリスト教を謳い文句にする病院が行なっているのは、正に人間の価値観、人間の欲望を基にして恣意的な診療、リベラル的に神様を侮辱する行為を行なっていると言える。

 「神戸アドベンチスト病院」
 ・「東京衛生アドベンチスト病院」


 「Conspiracy theorists explain all major historical events or catastrophes as intrigues by secret societies—Freemasons, Illuminati, Jews, Opus Dei— ……

 <12/12に続く→>
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僕52歳の求職活動からの連想(10/12)/My associations from job hunting・・・「自己実現」と捉える自惚れと「神実現」に対する感謝、試練による練磨、顔で判断する大衆

2021-04-08 01:00:00 | エッセイ・コラム
 <※本当の投稿日時
  True posted date & time:2021/04/18 04:36>

   (当方の都合にて、投稿日時を変更しております。
    I changed posted date and time for my convenience.)

 ※ 本記事において幾つかの文献と画像を引用する事によって構成しておりますが、本記事により当方は収入を一切受け取っておりません。
 ※ I have made composition by borrowing some references and pictures in this article, but I don't receive the income at all by this article.

 <→9/12からの続き>

 僕52歳の求職活動からの連想(10/12)
  Age of 52 my associations from job hunting
   ・・・「自己実現」と捉える自惚れと「神実現」に対する感謝、試練による練磨、顔で判断する大衆


 ……よって、それらについて、掛かった時間の他、それぞれの特徴や重要に感じた事、例えば溶接後の歪みが思ったよりも大きく出てしまったとか、それを防ぐ為の補強が足りなかった事、手順を間違えたとか、このやり方の方が早く出来たのではないかとか、失敗した事、作ってから後悔、反省すると同時に気が付いた事等を、メモを添える様にして記録して来た。

 職人として手仕事をしながら、ノートをつけたり、メモを取ったり、そして、ものを書く。小関氏が旋盤工と作家を兼務して行われて来られた事と同様にして、僕も一応、今日に至るまでに、そして今後とも、製缶工ともの書きをなんとか両立させて行なっていきたいと思っている。
 そうして、手を使いながら考えてこそ良い知恵が生まれると、小関氏はおっしゃっておられる。知恵を生み、そしてそれを働かせて、ものづくりやもの書きの創作を行なっていきたい。

 2005年3月号・COMZINE・かしこい生き方のススメ『第22回 「『手で考える』ことを忘れては、良い知恵は生まれません。」 作家、旋盤工 小関智弘さん』






『粋な旋盤工』
(風媒社 1975 
のち岩波現代文庫)


『春は鉄までが匂った』
(晩声社 ルポルタージュ叢書 1979
のち社会思想社・現代教養文庫、ちくま文庫)






『おんなたちの町工場』
現代書館 1994
のちちくま文庫)


『鉄の花 町工場短編小説集』
(小学館 2003)

出典:amazon等

 下請けの鉄工所の町工場で製缶工として働きながらノートをつけて来た事と同じく、新聞の記事をスクラップしてノートに貼る事もして来た。
スクラップを始めたきっかけは、臨工関係(医療関係)の専門学校の入学試験で必須になっている、小論文と面接の対策の為であった。よって、怪我をした2003年から始めた事になる。
 特に、4、5年前まではよくやった。最初の頃は、紙媒体の新聞記事を切り取ってノートに貼っていたのだが、購読していた神戸新聞が2013年から電子版を登場させたので、PDFでパソコンの中に保存する事とした。

 僕が目覚めだした2012年、その年の11月には本ブログも始め、そして次第に、テレビから遠ざかっていくだけでは無く、新聞からも少しづつシフトしていこうとしながら、新聞以外のインターネット上の記事も取っておく様になっていった。
 そうして主流のマスゴミから離れようとすると同時に、ブログを始めた当初は少なくとも現在よりはやや左寄りであった事から、勉強するにつれて右寄りへとシフトして、保守派となっていった。そして現在は、スクラップする事が殆ど失くなっている。

 神戸新聞は、ただ単に地元の新聞だという事で取って来た。しかし、目覚め、勉強して来た後の今日に於いては、その左翼リベラルぶりには腹立たしさを感じる事が多々有る。東京で言えば東京新聞に相当するであろうが、地方紙故に、地元の事に紙面を割く割合が大きいので、特に国際情報は本当に少ない。そんな地方紙だけ読んでいても、しかもグローバリズムに偏向した新聞に目を通していても、国際音痴になってしまうのは間違いない。
 それ故、そんな新聞に対して今では、ツッコミを入れる事に、反論する事のネタに利用するという事に、意味を見出しているぐらいだ。

 そんな過去にスクラップしたものの中に、小関氏の記事が含まれている。
 スクラップ・ノートに記事の日付を入れるのを忘れており、スキャンしてPDF化した時に、ノートに貼っていた時の記事の並べ順の前後関係から、恐らく2007年9月ぐらいではないかと推察した様だ。



(クリックで拡大 ↑)
出典:(2007/09?付)・神戸新聞夕刊

 「安全をつくる」というタイトルの付いたそのエッセーは、丁度、僕がその、医療機器の保守点検を仕事の内に持つ臨工関係の勉強をしていた頃に、神戸新聞の夕刊に載せられた記事だ。旋盤工として、下請けの町工場の職人としての目の高さから、恰も僕が元々、小関氏と同様に町工場の製缶工として勤めて来た事を知ってかの様に、そして、僕と同じ目の高さまで下りて来られて、決して低い身分の者、小さな者を否定する事無く、同情し、共感して、包まれる様に書かれたエッセーからは、小関氏の温かい人柄が感じられる。

 そうして小関氏のスクラップ記事を見つけた近くに、次の記事も見つけたので、ついでに掲げる。



(クリックで拡大 ↑)
出典:2004/01/01付・神戸新聞朝刊

 まるで先の事を予想したかの如くに、現在の僕の価値観にピッタリだ。その記事をスクラップしておいた今から17年前の当時も、既に価値観が一変していたと言える。あの大怪我をきっかけに、僕は変えられていった。
 また当時、住んでいた兵庫県H町に在る家の近くのプロテスタント教会にも、怪我をきっかけに通っていた。そしてその教会で、改めて新改訳聖書を購入し、僕はクリスチャンとして引き戻された。

 現在でも、ものを書くという事に目覚めた僕は、以前と違い、お金よりも時間を優先して考える程になっている。お金も、生活する為や将来の生活に向けた貯金をする為と大事なものである事は確かだが、余り行き過ぎるとバランスが取れなくなる。
 また、将来の年金見込額が「日本年金機構」のインターネットのサイトで試算出来る様になっており、僕の年金試算額は、大方、月当たりにして10万円有るかないかぐらいにしかならない。今まで30年程の内、厚生年金を20年、残りは国民年金のみ掛けて来て、結局、それだけだ。

 歳を取っても、怪我や病気さえなければ、それぐらいの生活費でやっていける自信は有る。今に至っては、食べ物や消耗品、あと、本や情報といった知識や教養も必要だが、他に特に、概ね、何も欲しいとは思わない。それ故、ショッピングをはじめ、レジャーやグルメ、博打等と、物欲というものは殆ど失くなっている。

 だから、丁度、そのスクラップ記事と似た様なものだ。納豆を今まで定番の如くに食して来た事からも、同意し共感出来るものだ。
 それ故、単なる寿命だけを考えずに健康寿命を考えて、適度な運動をする事も大事だろう。因みに、鉄工所には70歳を超えた現役の職人が結構居た事を、今まで渡り歩きながら見て来たものだ。やはり、鉄工所では夏にいっぱい汗をかく事が出来る事が、健康の良さに繋がっているものと思える。

 ところで、そのスクラップ記事に載っている「全日本貧乏協議会」の会長は、現在、どうなっているのであろうか?。当協議会のサイト「耐乏PressJapan.」も、文字化けしてしまっており、数年前から更新されていない。近況を調べてみようとしても、何年か前までのものしかヒットしない。御無事であろうか・・・?







出典:amazon等

 
 



 新約聖書・ヤコブの手紙4章6節
  しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」
  
 The New Testament・The Epistle of James 4:6
  But he gives more grace. Therefore it says, “God resists the proud, but gives grace to the humble.”


 『……私たちが苦難や逆境の中にあっても「神は善いお方です。賛美されるべきお方です」とへりくだって告白することを神は求めておられるのです。そして そのような信仰は「神のなさることに間違いはない、神は私たちを愛し最善以外のことは決してなさらない」という神に対する揺るがない信頼から生まれるものです。』
  (2021/03/31付・日本Christian Today「神の恵みをもたらす人のへりくだり 安食弘幸」より) 

 
 



 新約聖書・ローマ人への手紙5章3~4節
  そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
  忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

 The New Testament・The Epistle to the Romans 5:3~4
  Not only this, but we also rejoice in our sufferings, knowing that suffering produces perseverance;
  and perseverance, proven character; and proven character, hope;


 『……主イエスご自身、この希望のゆえに苦難の人生を歩み通された。その方が、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16・33)と言われる。勝利を信じて、世の苦難を受けとめられた主イエスを仰ぎ、私たちも神の栄光にあずかる日まで、苦難の多い人生を勇気を出して歩んで行こう。』
  (2021/03/30付・Christian Press『3月30日「苦難をも誇りとします」』より) 

 そのChristian Pressの記事に引用されていた「ローマ人への手紙5章3~4節」を、僕が所有する「新改訳聖書」から引けば、上に掲げた翻訳となっている。
一方、その記事の中で引用されていた「新共同訳聖書」によれば、その同じ聖書ヶ所の御言葉が次の様に翻訳されている。

 「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、
 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」

 新改訳では原文から「喜んでいます」と翻訳されている部分が、新共同訳では「誇りとします」と訳されている。また、同じ箇所の英語訳では「rejoice」となっている。よって、新改訳とこの記事で用いた「World English Bible」の英語訳とが、同じ訳になっている。

 世間的な人が喜びを感じるものとしては、目標の達成、成功、自己実現の成就も挙げられる。その場合、大抵の人は自分に値打ちを感じ、自分に能力が有る事を感じ、自分に惚れて、自分を褒め称え、自分を誇る事となりがちだ。しかしその場合、確かに「喜び=誇り」となるが、自分で自分を賛美しているに過ぎず、正に自惚れでしかない。

 新共同訳で敢えて「誇り」としているのは、勿論、神様を誇りにする訳だが、それは、唯一の神様である創造主にのみ力が有り、創造主にのみ栄光が有って、神様のみが誇り得る立場、身分であって、人間には誇る資格を持たないという意味をも含む。
 その唯一、誇る事が出来る創造主、人間の創り主が、人に対して試練を与える。その試練を与えられた人間は、それによる苦難の中、忍耐を持って練られ、磨かれて、そして成長し、成熟する事が出来るので、自分を高めて下さった創造主に対して感謝し、誉め讃え、そして神様を誇る事に繋がろう。

 また、新改訳で「練られた品性」と訳されている部分が、新共同訳では「練達」となっている。その「練達」とは、「熟練して深く通じていること。また、そのさま。熟達」と辞書に在る。
 また、英語ではその部分は、「proven character」と訳されている。同じく辞書によれば、「proven」が「証明された、検認された、試された」、そして「(練り粉が)膨らませられた」という意味で、「character」が「性格・性質・気質、優れた(立派な)人格・資質・品格、特性・性質・特色・雰囲気、優れた(目立った)特徴・個性・魅力・風情、評判」等となっている。

 神様が、人を練磨する為に試す、試験するという「試練」により、人が元々持っている長所としての特質、特徴、個性、アイデンティティを膨らませて大きく花を開かせると同時に、短所としての性格、気質、低い品性や人格を改善して、「練られた品性」に、真実・真理・道理に深く精通して悟り、成熟するという事になろう。

 尚、「新改訳聖書」はいのちのことば社(新改訳聖書刊行会が翻訳、日本聖書刊行会が発行、いのちのことば社が発売)から、「新共同訳聖書」は日本聖書協会から出版されている。「新共同訳聖書」の方は、カトリック教会や日本キリスト教団、ルーテル教会諸派、日本聖公会が主要な聖書として用いている

 『戦後、日本聖書協会より発行された口語訳聖書の翻訳方針が、やや自由主義神学的であったことから、福音派を中心に、神やキリストの権威を弱めているという不満が起こった。しばしば見られる「であろう」という表現は曖昧であるという批判や、またこのリベラルな傾向は当時発行された英語聖書の改訂標準訳聖書 (RSV) に追随するものだという批判もあった。そのため福音派の団体である日本プロテスタント聖書信仰同盟 (JPC) は代表を送り、説明と訂正を求めたが、当時の日本聖書協会総主事都田恒太郎は応じなかった。この経緯から聖書信仰に立つ聖書学者の翻訳になる新改訳聖書が発行された。……』
  (ウィキペディア「新改訳聖書」より)


 僕の言葉、捉え方や説明、解き明かし、感想等は、聖書に書かれている神様から預かった言葉である「預言」とは異なる「異言」でしかないので、そのウィキペディアから引いた中に書かれている「であろう」という表現を採らしてもらっている。何せ、創造主とは異なり、僕は絶対者では無い事は勿論の事であり、所詮、人間として曖昧であるからだ。

 昔の若い頃は、実績、成功といった自己実現を誇りにしていた。否、つい最近までも、そんな感じであった。
 釣りが趣味だから、以前はチヌ(黒鯛)とか大きな魚を釣った時に魚拓を取って、それを壁に貼って、自己陶酔し、自己満足し、自分を誇っていた。
 あの医療関係の学校に在学中には、取得した資格も壁に貼って、自慢し、自惚れていた。

 僕は、先に述べた、製缶工として作った製品を記録して来たノートを、就活の面接時に持参して、担当者に理解してもらおうと見せた事が多々有った。それは営業に於いて、相手の生産設備や能力に応じて仕事を出す事と同様だ。また、口で「出来ます、出来ます」というだけでは当てにならないので、そうして記帳したものは証拠として示す事が出来るからだ。

 しかし、そのノートを自分で見て、一人悦に入るだけならまだましだが、そのノートを人に見せびらかすのは、自慢話をする事と同じだ。
 巷では、How to本というものが流行っている。大概のところは、自分の成功物語、自己実現、実績を基にしており、結局のところは自慢話している様なものであろう。

 現在では、そんな「自己実現」を誇る事が間違いであると解っている。自分の能力で実現、成功したと自惚れる事が、実は全く理解する事が出来ていないのだ。
 自分の力で成し遂げたと思い込む事で、自分を誇る事に繋がっている「自己実現」。そうでは無く、神様によって成し遂げられた「神実現」であると理解する事が正しい。

 「神実現」によって成し遂げられたと理解する事で、自分を誇るのでは無く、神様に感謝する事となる。「神実現」であるが故に、神様を賛美し、神様を褒め称える事となる。
 クリスチャンはいつでも、「御国と力と栄光とは、いつまでもあなた(創造主=イエス・キリスト=聖霊)のものです、アーメン」と祈る。力、能力、そして栄光、誉れは、神様にのみ存在する。

 本当のクリスチャンであれば、聖書という規範を持つので、どんな考え方や捉え方、生き方、価値観を持つべきかという事を理解し得る。一方、無神論者には、それらのものが得難いであろう。
 しかし、クリスチャンであろうがなかろうが、人間として本来在るべき姿や考え方、価値観等を持つべきだ。
 そういう事に於いて、答えなんて無い等とマスゴミなんかが言っているが、それぞれに於いて真実、真理という一つの答えが、必ず存在するものだ。その真実、真理が、聖書の中に書かれている。聖書にはちゃんと、答えが書いてあるのだ。

 【追伸】

 以下、小関智弘氏著「働きながら書く人の文章教室」(2004/10/20・岩波書店刊)より
  『最後の職場に入ったのは四十四歳のときであった。入って間もなくの帰りしなに洗い場で手を洗っていたら、
  「お前、ずいぶん態度がでかいな」
と、若い機械工にからまれた。上半身を裸にして洗っているその機械工の背中に、太く長い刀傷があったので、これにはちょっとびびった、
  「そんなつもりはないよ」
  「いや、でかいさ」
  そのときはそれで済んだ。そういう奴には腕で勝負するしかなかった。喧嘩ではない。わたしはその職場に、職安の紹介で入った。町工場には、職安から来るような男にロクな腕の奴はいないという偏見がある。その機械工はなかなかいい腕をしていたが、あるときその男が、現場でマンガと呼ぶ略図を書いて、こんな道具をつくってくれと言ってきた。試されていると思ったから、飛びっ切りうまく削った。
  「なかなかやるじゃん」
  それで仲良くなった。あとで聞いたら、背中の傷は手術のあとだと教えられて、大笑いした。かつてその機械工は、その職場で労働組合をつくって、書記長をしていたという。社長がわたしには話さなかった職場の過去を、彼からたっぷり仕入れることができた。
  そんなふうにして新しい職場に根を下ろした。……』
 (以上、小関智弘氏著「働きながら書く人の文章教室」より)

 小関氏は、その最後の職場でその後、その会社の閉鎖となった69歳と半ばまで働かれ、約25年の間、その同じ職場で働かれた。しかし、その前の職場までは、転々と渡り歩かれていた。

 以下、2021/03/31付・BEST TiMES『なぜ政治家は顔で判断されるべきなのか?【中野剛志×適菜収】 「小林秀雄とは何か」中野剛志×適菜収 対談第2回』より 
  『「なぜいま小林秀雄を読むべきなのか?」 新刊『小林秀雄の政治学』(文春新書)を上梓した評論家・中野剛志氏は次のように語っている。「未知の事態にどのように対応すればいいのか」を考えるとき、小林はまるで切籠細工のようにあらゆる方面から対象を照らそうとした。それは新型コロナにどう向き合うかについての「考えるヒント」にもなるだろう。『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走するのか』(講談社+α新書)の著書もあり、「イデオロギーの暴力」「言葉の怖さ」について問題意識を共有する作家・適菜収氏と語りあう。対談第2回。』

  『■小林秀雄の言葉の裏表に政治学と文学があった
  中野:現実を見たとき、切籠細工のように言葉を尽くす手間を省いて、ラベルを貼ると分かった気になる。これこそが小林秀雄が言ってる「意匠」ってやつですね。「様々なる意匠」って、あれ「様々なるイデオロギー」っていうことなんですよ。どうしてイデオロギーっていうものに人間は左右されやすいのか、また左右されるとどうして人間性を失うのか。それは全部言葉の難しさに起因しているんですね。このことを小林は繰り返し語っている。イデオロギーは、平板な言葉で人間を集団的に支配する。集団を支配するイデオロギーを論じるいうことは、それは政治学です。
  …(中略)…
  適菜:ラベルの問題は私が「B層シリーズ」で一貫して述べてきたことです。たとえばスーパーマーケットの刺身に「産地直送」「新鮮」というラベルが貼ってあれば、新鮮だと思ってしまう。魚をよく見ないわけです。ベルグソンは『笑い』で「ほとんどの場合、事物の上に貼り付けられたラベルを見ているだけである。そうした傾向は必要から生ずるのだが、しかし言語の影響がそれに拍車をかける」と述べています。語は事物のきわめて一般的な機能とごくありふれた側面しか記さず、事物とわたしたちとのあいだに割って入り、その語自体を生み出した必要の後ろにまだ隠されていない事物の形をさえ、わたしたちの眼から覆い隠してしまうと。
  小林が言っていることも同じです。イデオロギーで判断するのではなくて、現象の具体性を見ろということです。この対談の第一回で「リバティー」と「フリーダム」の話が出ましたが、現実に即していない抽象的概念、イデオロギーは暴走します。ハンナ・アーレントは、……』
 (以上、2021/03/31付・BEST TiMES『なぜ政治家は顔で判断されるべきなのか?【中野剛志×適菜収】 「小林秀雄とは何か」中野剛志×適菜収 対談第2回』より)

 次の本ブログ記事に於いて、『ほんで、5月9日には、日刊ゲンダイDIGITALは、またこんな記事を出しよった。タイトルは「自民党草案は便所の落書きレベル ドロボーに改憲させるな」。その記事を書いとんのが適菜収とかゆう作家で、大学時代にニーチェを専攻しとったゆうから、無神論者のニヒリスト、唯物論者やで。まぁ、マルクス共産主義、グローバリズム、カルトのグローバリスト、イルミナティゆうのんが見えるわなぁ。』と書いたけど、どうも適菜氏は保守の様だ。

 まぁ確かに、安倍前総理はグローバリズムとの調和を取ろうとして、真正保守からちょっと逸脱ぎみであった事は、保守系の論客から不満が出ていた事からも言える。
あの西部邁氏にしても、大衆批判を行なっていたけども、一方で人との付き合いも多く、人嫌いではなかった。ただ、西部氏も特定の信仰の対象を持っていなかった様で、国の規範や道理を伝統に求めておられた。

 本ブログ
  ・2020/05/06付「アホの芸能人セレブ、大衆愚民、迫撃砲持つ左翼、労組ユニオン生コン1/2/Fool TV celeb, Ignorant masses, & Mortar left wing, Labor union」
  ・2020/05/06付「アホの芸能人セレブ、大衆愚民、迫撃砲持つ左翼、労組ユニオン生コン2/2/Fool TV celeb, Ignorant masses, & Mortar left wing, Labor union」
 ・2020/05/21付「種苗法改正:巧みな外交で世界を調和する反グローバリズムの安倍首相/Anti-globalism PM Abe advances world harmony by skillful diplomacy」


 以下、2021/03/31付・BEST TiMES『なぜ政治家は顔で判断されるべきなのか?【中野剛志×適菜収】 「小林秀雄とは何か」中野剛志×適菜収 対談第2回』より
  『■政治家はなぜ「顔」で判断すべきなのか?
  適菜:……先日まで安倍晋三というホラ吹きが総理大臣をやっていましたが、一応自分で書いたということになっている『新しい国へ』という本の中で、……
  …(中略)…
  適菜:『小林秀雄の警告』でも書いたのですが、小林は人を「顔」で判断しました。近代的思考では、……
  …(中略)…
  中野:ちょび髭とか生やして、まなじり吊り上げて怒鳴っているような顔には気をつけましょうとかですか(笑)。
  適菜:一言で言うと品の問題だと思います。下品な人間はだめだということですね。新渡戸稲造は、人の性格は、その人間がなにも考えていないときに表れると言っています。偉そうにしてる奴は大勢いるが、そいつが礼服を着てきちんとしているときではなくて、浴衣姿だったり、ステッキを持って散歩をしているとき、ひょっと物を食っているときに、「あれはあんな人間である」とわかると。スローガンや高尚なことなんて誰でも言えるわけです。しかし、品位は隠すことができない。安倍が握り箸と迎え舌で飯を食っている姿を見れば、「あれはあんな人間である」とわかるはずなんですね。アメリカの犬だから犬食いなのだと。 小林の政治観もそうです。小林は「面(つら)」という言葉をよく使ったのですが、人を批判するときには「あいつは面がよくない」と。逆に褒めるときも、顔から褒めるんです。福田恆存という人は痩せた、鳥みたいな人でね、いい人相をしている。良心を持った鳥のような感じだと。
  中野:もうそれを読んで以来、福田恆存の顔がほんと鳥にしか見えなくなっちゃった(笑)。……
 (以上、2021/03/31付・BEST TiMES『なぜ政治家は顔で判断されるべきなのか?【中野剛志×適菜収】 「小林秀雄とは何か」中野剛志×適菜収 対談第2回』より)

 「犬食い」、「良心をもった鳥」とかはともかくとして、なかなか、ちょっと難しい言葉も出ているものの、世間的なものでは無く、哲学的な対談で、ちょっと多めに引用させてもらった。
 適菜氏と対談した中野氏が、「小林秀雄の思想はプラグマティズム(実用主義)」と述べている。「プラグマティズム(pragmatism)」とは「実用主義」の事という。実際に用いて日常生活に役立つ事を第一に考え、また、功名や利得を得たり、功績や利益を追求する事を第一とする功利主義であるとされる。
 しかし、その役に立つという捉え方、感じ方が、どういうレベルで、どんな判断基準であるかが疑問だ。大企業が役に立たないと下請けを切ってしまったり、企業の合併・買収に際しても不要とされる従業員をリストラして合理化を図り、儲からないと手作業を辞めてロボット化を進めて効率化するといった事も実用化ではなかろうか。そんな事が、果たして本当に良いのだろうか?
 
 優生学に於いては、弱肉強食、小さいもの、力が弱いもの、権力の無いもの、身分の低いもの、劣ったもの、障害を持っているものが淘汰されるとしている。権力者、大企業の一方的な都合で、不要、不適当と判断される下請けの町工場、合理化、効率化の波に適応出来ない人々がカットされる状況は、果たして良い事であろうか?
 その優生学は、進化論という出鱈目で非科学的な理論を作ったチャールズ・ダーウィンによるものだが、そんなイルミナティ・カルトのダーウィンは無神論者だ。その無神論者のダーウィンの作った進化論は、聖書を否定している。
 そんな実用的では無いからといって弱者を簡単に切り捨てる事は、間違いである。合理化、効率化によって人情澆薄、感情を失った、人間性を失った。ただお金を追求するだけの獣と言える

 実用主義の下では、目に見えるものしか重用されないのだろう。目に見えないものは、実際に使用する事が出来ず、自らの意志でコントロールする事も出来ない。神様は、目に見えない。そして、人間の意志に反して、神様自身の御心で運命を定める。
 この世での現実に偏重してしまったならば、目に見えない理想を捨ててしまったならば、良心からの共感や同情といった感情が無い、頭の理性しか持たない、冷血な、冷淡な獣となるであろう。
 聖書的価値観から言えば、唯物論と唯心論の両方を持つべきであろう。この世で生きる限り、ある程度の物やお金と付き合わざるを得ない。しかし、そんな現実の部分と共に、目に見えない唯一の神様である創造主への信仰を持ち、人格や品性、心の完全という理想を追求する事が必要だ。
 バランスが大事であろう。しかし、そのバランスも、やはり、唯心論の方が大きい割合であった方が良かろう。昔からの修行者達も、俗世間から離れて、その物質主義を遠ざけて、欲の浅い、質素な生活を送る中で、精神性を高めた。

 ところで、この引いた記事のタイトルが「顔で判断」となっている。

 
 



 旧約聖書・イザヤ書52章13~15節、53章1~12節
  見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。
  多くの者があなたを見て驚いたように、――その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた。――
  そのように、彼は多くの国々を驚かす。王たちは彼の前で口をつぐむ。彼らは、まだ告げられなかったことを見、まだ聞いたこともないことを悟るからだ。
  …(中略)…
  ……彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
  彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
  まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
  しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
  私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
  彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
  しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。……(後略)

 The Old Testament・The Book of Isaiah 52:13~15、53:1~12
  Behold, my servant will deal wisely. He will be exalted and lifted up, and will be very high.
  Just as many were astonished at you— his appearance was marred more than any man, and his form more than the sons of men—
  so he will cleanse many nations. Kings will shut their mouths at him; for they will see that which had not been told them, and they will understand that which they had not heard.
  …(中略)…
  …… He has no good looks or majesty. When we see him, there is no beauty that we should desire him.
  He was despised and rejected by men, a man of suffering and acquainted with disease. He was despised as one from whom men hide their face; and we didn’t respect him.
  Surely he has borne our sickness and carried our suffering; yet we considered him plagued, struck by God, and afflicted.
  But he was pierced for our transgressions. He was crushed for our iniquities. The punishment that brought our peace was on him; and by his wounds we are healed.
  All we like sheep have gone astray. Everyone has turned to his own way; and Yahweh has laid on him the iniquity of us all.
  He was oppressed, yet when he was afflicted he didn’t open his mouth. As a lamb that is led to the slaughter, and as a sheep that before its shearers is silent, so he didn’t open his mouth.
  He was taken away by oppression and judgment. ……(後略)


 実は、この聖書の御言葉の省略していないものも、書斎のパソコンの上に掲げている。「彼」はイエス様の事であり、この預言の中で描かれているのは、イエス様が十字架上で侮辱を受けておられる姿だ。
 飽くまでも、この御言葉はイエス様の事を預言されたものであるが、僕の過去から現在に至るまでの状況と重複して見えて来る。

 僕は、今でこそ持ってはいないのであるが、過去の多感な頃、特に中学生や高校生の頃には、肌の、特に顔の色の白さにコンプレックスというべきか、欠点に感じていた事が有った。
 あの医療系のO専門学校に在学中でさえ、白髪を染めたり、ちょっと日に焼けようとしていた。またあの頃は、ファッションにも気を使う傾向が有った程だ。それ故、つい十数年前でさえ、そんな風に外見を気にしていた訳だ。
 尤も、外見を気にする程度の違いが問題になるという事になるのだろうが、そんなレベルをどの様に線引きして可否を決めるのであろうか?

 それはともかく、僕は中学時代から既に、若白髪が生えていた。それを黒く染める事については、余り問題とはされないだろう。
 それでは、顔を黒く染めるのは如何であろうか?

 一時期、ギャルや女子高生の間で、「ガングロ」が流行った。そこまではいかない、否、それと同様と言えるかもしれぬ、実は僕も、その顔の白さをカバーする為に、日焼け色の「ドーラン」を塗っていた事が有る。僕がそれを使用していたのが高校2年生の時、つまり1986年~1987年にかけての時だが、ガングロが1990年代後半~2000年代初頭にかけて流行がピークになっていたというから、僕は先駆けであったのだろうか?

 中学2年の終わり頃から女子の陰口が聞こえ始め、それは中学3年の終わりまで在った。その内容というのが、顔が白い事もあって女の子みたいで気持ち悪いとか、オカマの様だとかいったものだ。しかし当時、男子からはそんな陰口が全く無かったのだ。
 小学生時代は勿論、中学2年の2学期頃までも、そんな事は全く無かった。それが突然、呪いが掛けられたかの様にして、そんな陰口を言われる程に、女子の一部から嫌われだしたのだ。確かに、教室内では余りものを言わなかった事も影響していたであろう。ただ、部活動ではそんな事は無かったのであるが。
 兵庫県K市の市立U中学生の時は、目立つ方で有ったのではないだろうか。身長も高い方であったし、陸上競技で数回、全校生徒の前で表彰されたりもしたからだ(と言っても、区内や市内のロードレースでの入賞とか最後は駅伝の県大会出場とそんなレベルでしかなかったのであるが)。また、校内のマラソンや一学年みんなが見ている前での長距離記録会等も含めて、そんな部活動でのそこそこの活躍で目立っていたせいもあってか、男子生徒からは一切、陰口すら無かったのだ。
 同市の県立K高校に進学直後は、やはりその顔のせいもあって、また、クラスの雰囲気がもう一つ馴染みにくい事もあって、孤立気味であった。それでも、自分から進んで陸上部の朝の練習に出たりしていたのだが、毎年恒例の気温の高さによる血圧低下でトラック・シーズンの調子の悪さが重なり、且つ、そんなタイミングでテレビで野球をモチーフにしたマンガ「タッチ」が放映される様になり、結局、そのマンガに影響されてしまって、陸上部を辞めた。
 その直後の夏休み中には、高校野球が行われている甲子園でかち割り等の売り子のアルバイトを行った。そして夏休み明けだったか、何と野球部に入ったのであった。稼いだお金で、グローブや練習用ユニホーム、スパイク、かばんを自分で買った。
 しかし、中学時代から遅刻をする事が多かったのだが、野球部の早朝練習にもちょくちょく遅れる事が有り、それで同級生の部員から責められる事は有った。大分、後から入っておいて、しかも下手くそ、更にあんまりものも言わへんし、そしてしょっちゅう遅刻するとなれば、「何しに入って来たんや?」てなもんで、確かにただ迷惑を掛けるだけだと捉えられてもおかしくなかったであろう。
 それでも、2学期の期末テスト前は1週間部活が休みという事もあって、ナンボか点数が良かったり、その、シーズンオフの時の練習での長距離走ではいつもダントツで、1,2年生合同のマラソン大会では、上位を陸上部員が占める中で、僕は他の部員の中ではトップとなる入賞を果たした。それも、全校生徒の前で表彰を受けた。そんな成績に繋がる頑張った姿から、見直される様になっていき、普通に上手く過ごせる感じであった。
 そして、2年生に上がる前か後だったか、コーチによって、そんな風に長距離走に秀でて持久力があるとか、下半身が出来ているとか、スタイルが向いているとかの理由で、何とピッチャーをやらされだしたのだ。そして、その年の高野連かの登録名簿にも、僕は投手で登録されたと言っていた。
 しかし、僕は野球は下手くそであった。だから、そんな事が却ってプレッシャーになっていたかもしれないが、それは振り返って定かでは無い。それはともかく、前の年の秋頃以来、遅刻をしていなかったのだが、2年の1学期の時に、久しぶりに朝練に遅刻をしてしまった。それで、もうしんどい気持ちになり、「もう辞めよう」となった。
 辞める事を野球部の監督である先生に伝えた。すると、昼休みが終わって教室に戻ったところ、何と、黒板にいっぱい落書きというべきか、ナンジャらカンジャらと一杯書いてあったのだ!。
 「***辞めるな!」とかナンジャらカンジャラと、黒板いっぱいに書いてくれていた。実は、その野球部の監督を務めていた先生は、女子のソフトボールの監督も兼任していた。それ故、マラソン大会が終わった後なんかに野球部とソフトボール部の合同でカラオケ大会をした事も有った。よって、その先生の指示も有ってだろうが、女子のソフトボール部員達が書いてくれた様だった。
 O専門学校の在学中や少しの病院勤務でも有った事だが、もっと前の、高校生の時から、そんな風に、僕は母性本能をくすぐるタイプであったのかもしれない。
 高校2年生時、僕は前期が体育委員、後期は図書委員であって、どちらも投票で選ばれて、自分から立候補した訳では無い。また、僕が野球部を辞めた後、僕を追う様に同級生の野球部員が2人辞め、その内の一人が同じクラスのもんやった。その彼も、僕と同様に、中学生時は陸上部で長距離をやっていたという。またそれどころか、同じく、同じクラスの男子の剣道部員が一人辞め、その他、女子の2人も同様に僕の真似をして辞めたのだ。一人はテニス部、もう一人は剣道部であった。
 野球部の時は日にも焼けて、それだけ女子の目にも良く映っていたのだろう。しかし、夏休み明けに登校した時、女子の目には化けの皮が剥がれたと目に映ったのかもしれない。
 その高校2年の2学期、ふとした事で、薬局で見つけたのだ。そう、先述した「ドーラン」だ。本当に偶々というべきか、神様の思し召しというべきか……。
 それで、その後はドーランを塗って何とか誤魔化す様な感じで、陰口等とか気になる事が全く無く、普通に登校し、普通に一応の友達なんかと昼休みなんかには野球をするなどをして過ごしたものであった。
 そして、運命の時が近付く。年が明けて2年の3学期、スキーをする為の修学旅行で長野県の志賀高原まで行ったのだが、ここでドーランを塗っていた事がバレたのであった。そして、その修学旅行中から帰省後と、周囲の反応が変わって来た。
 それから、3年生になってからは、その風評が広まったり、手の平を返す様な裏切りとか、「あいつは嫌われとるから付き合うな」といった感じで、面白くないからちょくちょく休む様になって、それで偶像に逸れたりもし、また休む事が周囲への悪い印象を与える悪循環となって、印象や与える感情は悪化していた事であろう。
 それでもそんな中、その3年の確か1学期に行われた、学校の概ね近くに在るU大会記念陸上競技場を借りて行われた陸上競技大会であったかリレー競技大会であったか、僕は4x400mリレーの第二走者として出場したのだけれども、そんな噂が広まっているのを知ってか、励ます様に、野球部の元同僚らが声援を送ってくれた事も憶えている。
 また、2年生時の時と同様に、昼休みに野球したりはしていたし、そのメンバーから夏休みのレジャーにも誘ってくれた事も有った。そのメンバーには、僕と同様に元野球部のもんもおった。しかし、僕はそんな誘いを断り、1年生の時と同様に、再び甲子園でのかち割りや缶ビールの売り子とお好み焼きややきそばの出前もするアルバイトをした。そして、遅刻をしながらも売上3位になったので、賞品として時計をもらった。
 その頃の僕は、世間知らずは勿論の事やけど、ホンマにおぼこいものやった。今でこそ、へんこ、頑固な性格やけど、その頃はまだまだ、自分の素質が開花していなかった。そやから、喧嘩する事も殆ど無かったし、そういう事に対し一歩踏み出す事も無かった。それでも、その3年の2学期、喧嘩した事は有る。それまで、そいつが「あいつは嫌われとるから付き合うな」という様な、中心的、根本的な、支持する様な奴やった。当時、既に「根本原因を叩く」という事が開花しつつあったのか?
 ほんなら、進学を考えとるもんらが、めちゃめちゃにされるとかを感じてビビっとった感じが有ったり、その喧嘩した相手とつるんどるメンバーが挑発に来たりとゆうことは有ったはなぁ。
 教員室に何回か呼ばれた事が有る。ちゃんと卒業さえしたらうちの学校からやったらエエとこに就職100%やとか、同じ中学出身のもんを同時に呼んで「**大学に推薦で合格した」というのをわざと聞かせたり、また、僕と同様の状況なのか或る女子を同時に呼んでやる気を起こそうとしたのだろうか、そんな事が有った。翌年の卒業する予定である、3年生の終わりの1988年2月は、1989年の東京株式市場の大納会での平均株価が史上最高値をつけるに向けた、正にバブル真っ盛りの時である。
 しかし結局、その3年生の終わりまで在籍したものの、出席日数が少しだけ足りず、卒業する事が出来なかった。在籍したK高校は、単位制だ。職員会議でも卒業可否の挙手で半々に分かれたそうだが、否の結果であった。
 その3年生の時は、学校をちょくちょく休んだり、ちょくちょく遅刻したりであったものの、春頃には朝に新聞配達のアルバイト、また3学期が終わった頃で卒業式まで余裕が有った時だったか、朝刊だけでは無く夕刊も配達するバイトをした。そうすると、朝は就寝中なので目立たないものの、夕方のバイトでは学校の外にも広まっていた噂やレッテルが影響して、エイズとか、そんな雑音が聞こえる事も有った。
 そうして、その職員会議で僕を卒業させないという結果が出る前に、家での或る言葉をきっかけに、僕がそんな外で溜めて来たストレスが一気に爆発する様にして切れてしまい、荒れた事が1回だけ有った。その時は、仕事から帰って来た親父が警察を呼んだが、親父が結局止めて連れて行かれなかった。
 その後、僕は学校を放ったままにして、社会に出る事となった。最初に見習いで就いた電気工事士の仕事は、数ヶ月で辞めた。その期間中に暫く休む事が有り、親父がそれを咎めて叱る行為を僕に働いた事が有って、その時にちょっとバトルは有ったが、前述分と併せて全部でそれだけである。その他に、兄弟喧嘩は少し遭ったが。 
 その後、母の弟が独立してやっている歯科技工士の仕事のアルバイトをしたり、福井県の美浜原発で非破壊検査の仕事とか、19歳の秋には兵庫県のK市にアパートを借りて一人住み、年が明けて京都府に引っ越して、当地の町工場の鉄工所に就いたものの、20歳になる前後であったか、実家に戻り、暫く引きこもる事となった。
 その20歳の秋に、行く先も伝えずボストンバックを両手に抱え、こっそり家出した。最初の愛知県を皮切りに、その後、同県内の中村区、群馬県、長野県、神奈川県と渡り歩き、20歳の正月はその神奈川県で過ごした。丁度、弟が高校を卒業する直前であり、妹も小学校を卒業する直前の時であった為に、現金書留で祝い金を贈った。
 渡り歩く途中、次の行く先も決めず、行き当たりばったり的に、ビジネスホテルや駅で寝泊まりする事も有り、途中、東京の住み込みの所にも一旦入った事も有る。
 そして、次の同じ神奈川県内に在る大手のN自動車の期間工の予定が決まった後、派遣先の会社内で同僚とのトラブルが有った事で辞めて、その就業予定までのつなぎとして、東京都蒲田区で住み込みが出来る引っ越しのアルバイトをやった。そこは、1回、その日に別の会社のもんと一緒にするチーム内でのトラブルが有った後に、その住み込みしていた家で会社の同僚と共にバーバキューというか夕食を開いてくれたり、夕飯を食べに行っていた食堂の様な店もエエとこやったし、短期間ではあったけども、良かった。
 そして、そのN自動車の期間工は3ヶ月の期間満了で辞めた。期間延長の話を持ちかけて来てくれたが、単純作業は苦手なので断った。それでも、たった3ヶ月やっただけでも期間満了手当なるものも有って、会社が寮として借りていたアパートに4人部屋として住みながら、そこそこお金を貯める事が出来た。
 その後、もう暫く家出していようと思っていたので、宮城県の仙台市に行った。しかし、アルバイト情報を見ても愛知県や関東地方と違い、住み込み付きや寮付きの仕事が載っておらず、それで北海道まで行った。その北海道でアパートを借りようと思ったが、保証人が必要だと言われ、それで仕方なく、それまでに構想していた、親父に鉄工所の溶接なんかを教えてもらう事を頼むべく、いっそ、もう帰ろうかと素直に思う事になって、実家に「帰ってもエエか?」と電話を掛けた後に、戻ったのであった。電話に出たのは、母であった。
 帰省後、親父に「将来、鉄工所の商売をしたいから仕事(溶接)を教えて欲しい」と頼んだ。それは、21歳になる直前の時であった。そして、当時、親父が請負として勤めていた兵庫県K市に在る、周囲に田んぼが広がる町工場に、3日程、付いていった。
 当時、親父は正社員としてのタクシー運転手と並行して、請負でガス溶接等をする鉄工職人として、そのNCやマシニングセンターをメインとする鉄工所に入っていた。タクシーの方は、1日置きに朝から翌日の未明まで車を走らせるので、その1日置きに空いている日に鉄工の方をやる訳だから、鉄工は確か、昼から夕方までの仕事であった様に思う。
 結局、取り敢えず先にお金を貯めろという事で、再び神奈川県に在る別の大手のI自動車の期間工に行く事となった。同じ様に4人部屋の会社の寮に住みながら、丸1年間の期間満了で退職した。期間満了手当の他、退職慰労金も有り、そんなボーナスも有って、たった1年間で数百万円が貯まった。それは、株とかのマネーゲームで稼いだものでは無く、その間、殆ど遊んだりする事も無く、同時に家に仕送り等もする事が無かったのだが、純粋に働いて得た給料を貯めただけの結果だ。
 そして晴れて帰省し、職安で再就職手当の支給を受ける為の手続きをすると同時に、鉄工所の就職先を探した。親父がそういう感じで働いていた事もあって、「他所(よそ)で飯を食え」という事になったからだ。
 そして、1991年(平成3年)6月24日、その後に続く鉄工所での製缶工としての見習いがスタートした。その時、僕は22歳となっていた。
 見習いに入った頃から鉄工、製缶工の仕事に関するノートをつけて来たが、その1番目の表紙には「独立自尊」と書かれている。その言葉が、僕の座右の銘というか、心構え、覚悟にする言葉というか、とにかく僕の芯、軸となった言葉であり続けた。ただ、当時やその後、クリスチャンとしての信仰は、殆ど薄く遠ざかっていた。

 ざっと振り返って、以上の様になる。中学1年生の時から鉄工所に見習いに入る時まで、13歳~22歳までの9年間の大方を書いた。これには全く嘘は無く、正直に暴露して書いた。僕は、その頃とは違い、今では見栄や体裁を繕う事はしない。例えば、今までも自分から「高校中退」だとわざと言って来たし、今回の医療関係への応募にも「出来ません」、「能力が有りません」と正直に伝えた。

 また、僕はいつも鉄工所に就職する為の面接の時には、「溶接は下手です」と言う。それで採用されて実際、溶接が出来なかっても全く問題ないが、「出来ます、出来ます」と言って何とか採用されたとしても、入ってからがしんどい事になるし、話が違うという事でクビになるのが落ちである。……

 <11/12に続く→>
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僕52歳の求職活動からの連想(8/12)/My associations from job hunt:スパイ杉原千畝、阪神大震災、マルコポーロ、地下鉄サリン、アレフ、偽イスラエル、強迫性障害、危険な魚

2021-04-05 01:00:00 | エッセイ・コラム
 <※本当の投稿日時
  True posted date & time:2021/04/12 03:19>

   (当方の都合にて、投稿日時を変更しております。
    I changed posted date and time for my convenience.)

 ※ 本記事において幾つかの文献と画像を引用する事によって構成しておりますが、本記事により当方は収入を一切受け取っておりません。
 ※ I have made composition by borrowing some references and pictures in this article, but I don't receive the income at all by this article.

 <→7/12からの続き>

 僕52歳の求職活動からの連想(8/12)
  Age of 52 my associations from job hunting
   ・・・スパイの杉原千畝、阪神淡路大震災、マルコポーロ、地下鉄サリン、オウム真理教、アレフ、偽イスラエル、エセ右翼、強迫性障害、危険な魚


 ……また、「ユダヤのアイコン」としてユダヤ団体に利用されているアンネ・フランクに並べて、杉原千畝も載せている。杉原千畝は、第二次世界大戦中にナチからユダヤ人達を救った事で世界的に有名であるが、実は「スパイ」であったという。
 ここでは、次の記事を引用するに止める。

 『……戦前、日本の外交官でリトアニア領事代理などを務めた杉原千畝が外務省に反対してユダヤ難民に通過査証(ビザ)を多数発行(乱発)して救い、日本政府に処罰されたという話は学校教材にも取り上げられている。また、この話はNHKでも報道されたほか、「日本のシンドラー」とうたった映画も製作されたので知っている人も多いだろう。最近では自治体までが杉原の顕彰事業に取り組んでいる。
 しかし、この話はよく考えると不合理で後味が悪い。そもそも、ビザの乱発は可能なのだろうか。ビザは上陸地の日本で本省が管理する発行番号と照合するから不可能だ。また、事務方の杉原が殉教者とされ肝心のユダヤ人を保護した日本政府と日本軍が悪者になっているのはおかしい。
 そこで調べて見ると、流布している「杉原美談」には、史実の歪曲や隠蔽(いんぺい)、偽造があり、杉原個人にも驚くような過去があることが分かった。そしてこの事件の調査ではもう一方の当事者であるイスラエルの研究者が以下のように重要な情報を提供している。……』
  (2019/08/09付・iRONNA『日本のシンドラー、杉原千畝「美談」に隠された真実』より) 

 『……例えば、杉原千畝はもともとハルビン学院出身の語学外交官です。彼が偉いのは、命のビザといったことだけではありません。あれは一時の話です。むしろ本当に見るべきところは、彼がものすごい情報官だったということです。情報のインテリジェンスオフィサーです。そもそも終戦で日本に帰ってくる時に、ソ連を通って帰ってくるでしょうか。彼だけ遅れて、単身で大陸を横断しているのですが、普通はそんなことはできるはずがありません。戦前に満州国の外交官として、東支鉄道の買収などでソ連外務省と丁々発止にわたりあい、関東軍の情報部でも機密情報の面で軍と協力していました。
 彼はコーカサスの分離独立運動にまで関わっていたのです。ソ連の人民の敵です。そんな人が、いくら敗戦国になったからといって、ソ連を通過して無事に日本に帰ってこられるはずはありません。ところが正式のビザで通ってくるわけですから、不思議です。
 しかも戦後、あれほど早い時期にモスクワに何カ月も滞在していますが、もし札付きの戦犯だったら普通、商用ビザは下りません。しかし戦犯にもならないし、ソ連代表部もGHQを通じて逮捕依頼をしていません。しかし、普通なら逮捕でしょう。……』
  (2017/11/14付・10 minutes TV「スパイは、二重、三重スパイにならざるをえない インテリジェンス・ヒストリー入門(10)情報官・杉原千畝」より) 

 その様に、創価学会とサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)というユダヤ団体が、繋がっている事が解る。
 その創価学会が、あの今から26年前、1995年3月20日の「地下鉄サリン事件」を起こした、オウム真理教と繋がっていたとされる。
 そして、そのオウム真理教の後継団体の内で中心的な存在である「Aleph(アレフ)」は、ヘブライ文字の第一文字「アーレフ(א‏)」(文字コード表記: ℵ(ℵ) / TEX表記: ℵ (\aleph))から名前を付けているとされる。







左:オウム真理教から改称したアレフ(Aleph)(出典:ウィキペディア「Aleph (宗教団体) 」
右:ヘブライ文字の第一文字「alef:アーレフ(א‏)」 


YouTube: 地下鉄サリンから25年…今も教祖の影響力(2020年10月1日放送 news every.より)
2020/10/02

YouTube: 地下鉄サリン事件から20年 捜査元トップが告白(15/03/20)
2015/03/20

YouTube: あの事件から26年 オウム真理教糾弾 許すなアレフ・ひかりの輪・山田らの集団
2021/03/18

 また、創価学会は、エセ右翼(偽右翼)とも繋がる。その街宣車を乗り回して迷惑行為を続けるエセ右翼は、構成員の殆どが在日の韓国人や朝鮮人といった日本国籍を持たない外国人であったり、ヤクザである。
 そして、朝鮮学校や朝鮮総連、その他、同朋を襲って、日本人の右翼がやったと見せかけるFalse Flag(偽旗作戦)や、自作自演を行う。


YouTube: 「アレフ」の施設に右翼団体の街宣車が突っ込む(13/11/15)
2013/11/15


「右翼が大石寺を襲撃する様子。創価学会と敵対した日蓮正宗(大石寺)は右翼に襲撃された。(創価学会と街宣右翼の関係)」
出典:「右翼の正体・・・右翼団体が騒音を撒き散らす本当の理由」

 本ブログ
  2021/02/07付「1.6の正体:Qアノン、ブーガルー、トレスト作戦&日本のエセ右翼-2/2/1.6 true:Qanon, Boogaloo, Operation Trust. Japanese false right 」

 その地下鉄サリン・テロが行われる2ヶ月前の1月17日、阪神淡路大震災の発生と共に、日本の文藝春秋社が発行していた雑誌「マルコポーロ」2月号が発売された。
 「マルコポーロ」の当月号には、『戦後世界史最大のタブー ナチ「ガス室」はなかった。』というタイトルの論文が掲載されていた。恐らく、その事を発売される前にリークされたのであろうが、日本での偽イスラエル支部として機能する、ユダヤ・スパイ機関である創価学会が伝えたのであろう。
 そして、その「マルコポーロ」の発売日に合わせて、人工地震を起こした。2011年3月11日に起こされた、東日本大震災と同様だ。



1995年2月号「マルコポーロ」の新聞広告


『戦後世界史最大のタブー ナチ「ガス室」はなかった。』
出典:1995年2月号「マルコポーロ」(1995/01/17、文藝春秋社刊)



出典:2015/01/16付・nippon.com『「安心社会」は望んでも得られないユートピア:阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件から20年』



出典:ウィキペディア「阪神・淡路大震災」


YouTube: 阪神・淡路大震災から26年~あの日何が起きたのか~
2021/01/13

 本ブログ
  ・2017/12/01付『アウシュウィッツの「ガス室」とユダヤ人「ホロコースト」は無かった・・・言論弾圧を行うタルムード・ユダヤが嫌うイエス・キリストと聖書を盾にした大胆さ、映画「DENIAL」(「否定と肯定」)12/8公開』
  ・2020/03/24付『「死ぬな!」ナチはアンネの日記の家族を発疹チフスから遠ざけた/"Don't die !", Nazis moved family of "Anne's Diary" away from typhus』
  ・2020/05/01付「新型コロナ、致死量極小クロロキン-2/2:バイエルIGファルベンの労働力アウシュビッツ/COVID-19, risky Chloroquine, Auschwitz manpower of Bayer」
  ・2020/05/04付『コロナで米国「アンネは集中キャンプの中で伝染病で死んだ」マダガスカルへ疎開してたなら…/Corona US "Anne died by infection in concentration camp"』

 ウィキペディア「マルコポーロ事件」


 ホロコースト否定を叩くだけでは無く、日本そのものを叩くのは何故だろうか?。偽イスラエルやアシュケナジー・ユダヤ人という白人の偽ユダヤ、つまりカザール人(ハザール人)の妬み故であろう。


YouTube: Dessert in a shoe! Japanese PM takes 'dessert offense' on a 2-day visit to Israel
2018/05/08

 本ブログ
  2019/07/11付『現「偽」イスラエルの「妬み」:昨年、日本の安倍首相夫妻はネタニヤフ宅でのディナーで「侮辱」と「脅迫」を受けた/Netanyahu did PM Abe "insult" from "jealousy"』

 創価学会はマスゴミと強い繋がりを持つが、その創価学会と繋がるオウム真理教(現アレフ(Aleph))が、TBSと繋がっていた事がバレる事件が有った。






TBS「報道テロ」全記録
―反日放送局の事業免許取り消しを!
(2006/12/01)
出典:amazon

「TBSビデオ問題(TBSビデオもんだい)は、1989年(平成元年)10月26日に、東京放送(TBS。現在のTBSテレビ)のワイドショー番組『3時にあいましょう』のスタッフが、弁護士の坂本堤がオウム真理教を批判するインタビュー映像を放送前にオウム真理教幹部に見せたことで、9日後の11月4日に起きた坂本堤弁護士一家殺害事件の発端となったマスコミ不祥事・報道被害である。
事件はオウム真理教への強制捜査(1995年3月22日)が行われたのちの一連のオウム真理教事件の捜査の途上で浮上し、当初は否定していたTBSが1996年3月になってから認めたもので、TBSオウムビデオ問題、オウムビデオ問題、TBSオウム問題、TBS問題などとも呼ばれる。問題を事件に置き換えた表記もある。……」
  (ウィキペディア「TBSビデオ問題」より) 

 「坂本堤弁護士一家殺害事件(さかもとつつみべんごしいっかさつがいじけん)は、1989年(平成元年)11月4日に旧オウム真理教の幹部6人が、オウム真理教問題に取り組んでいた弁護士であった坂本堤(当時33歳)と家族の3人を殺害した事件である。……」
  (ウィキペディア「坂本堤弁護士一家殺害事件」より)  



YouTube: 「TBSの犯罪」2-1(H18.12.20)
2007/01/19

 その創価学会が母体となっている公明党は、現在、自由民主党と連立政権を組む。そんな公明党が、随分前から内紛が起こり、分裂していると言われる。腐敗した組織や団体は、内部崩壊するのが落ちであろう。


YouTube: 公明党=創価学会のクーデター
2008/10/12付

 本ブログ
  2020/04/15付『公明党の強要「一律10万円」はユダヤ依頼?&オウム/Insistence by Komeito, was ¥100,000 uniform relief request from Jew? & AUM』

 何故、「騒音おばさん」を取り上げたかと言えば、僕にとって決して他人事では無く、それどころか非常に似た経験を持つからだ。勿論それは、僕がその「騒音おばさん」と同じ立場に立っているという意味でだ。ただ、その事件が取り出たされていた当時は、余り興味も無く、少なくともここに載せた背景までは知らなかった。

 2017年~2018年、僕は女性で言う所の更年期に相当する様な転機に入っていた様で、通常よりも過敏になる敏感期という中に入っていた様だ。それで、周囲の雑音等にも反応しやすくなり、精神面が不安定になって、騒音おばさんと同様に成っていた。しかも、その2017年というのは、僕が丁度、48歳の歳男であっただけでは無く、トランプ大統領の1年目、「エコノミスト(The Economist)」の言う「プラネット・トランプ(Planet Trump)」の中に在って、恐らく世間、ひいてはアメリカをはじめとした世界から注目されていたのだから、尚更の事であった。

 騒音おばさんと同様に、プライバシーの侵害を受けている事や、プライベートへの余計なお節介と言える介入行為、監視等とストーカーをされているという背景を持つ事や、螺旋状のサイクルの中での敏感期が重なっていた事、そして、普段以上に相当なプレッシャーが掛けられていた状況のせいも有ってか、強迫性障害(Obsessive–compulsive disorder , OCD)、或いは、強迫神経症というものに当てはまる様な状態のレベルが上がったり、ハイリー・センシティブ・パーソン(HSP)というものにも当てはまる感じになっていた。


YouTube: 「鍵閉めたっけ?」確認がやめられない強迫性障害とは・・・
2019/12/09



「洗浄強迫は強迫性障害によくみられる症状である」
出典:ウィキペディア「強迫性障害」

 本ブログ
  ・2019/01/31付『My Testimony/僕の証<2-1/2>:僕の成熟過程「試練の時期」の「敏感期」と「アセンション」に伴う「強迫性神経症」と「HSP」、エビデンス無き精神科医療、予防医療で作られる「医原病」』
  ・2019/01/31付『My Testimony/僕の証<2-2/2>:僕の成熟過程「試練の時期」の「敏感期」と「アセンション」に伴う「強迫性神経症」と「HSP」、世間の精神面での「空気感染」、「毒」でしかない薬とワクチン』
  ・2020/11/25付「米大統領選挙前、日本のマスゴミ界の流行語HSP-何故このタイミング?/Before US President election, HSP vogue in JapanーWhy this timing?」


 芸能人や有名人、セレブらも、とかくマスゴミや芸能レポーター、世間から注目されがちである。ちょっと目立つ事、話題に上る事、スキャンダルでも起こそうものなら、パパラッチに追い掛け回される。
 クリスチャンとしての本来の考えである「結婚するまで性交渉を行うことを控える」という「純潔主義」を宣言したブリトニー・スピアーズが、後年に頭の毛を剃ってしまった事、マイケル・ジャクソンが住宅の高層階から赤ちゃんを落とす素振りを見せた事等と、そんな奇行に走ってしまうのが、周囲のパパラッチ等からの雑音、挑発、圧力がトリガーになって、精神的に不安定になり、僕や騒音おばさんの様な強迫性障害(OCD)に相当する行為に繋がったのであろう。

 人生の歩みの上で、無限のスパイラルの中、座禅で得られる様な境地、心が無の状態、そして純粋になった時、人は敏感になりやすい。

 しかし、このコロナ禍の中では、誰もが皆、そんなOCDになっている様だ。ソーシャル・ディスタンスや夜間自粛、マスク、手洗い、アルコール消毒等などと、みんな神経過敏になり、強迫観念に囚われている。


YouTube: Top 10 Momentos IMPRESIONANTES Captados por los Paparazzi
2016/11/18



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強迫性障害の有名人、芸能人(まとめ)
出典:2021/01/11付・強迫性障害を自力で克服【最新版】「強迫性障害の有名人【最新版】」


YouTube: パニック障害の芸能人、有名人(海外)
2019/04/30

YouTube: 強迫性障害の有名人、天才【まとめ】
2019/03/14

 2020/11/01付・強迫性障害を自力で克服【最新版】「強迫性障害の天才【まとめ】」

 本ブログ
  2019/11/23付『見知らぬ輩共「ずっと見ていたよ」・・・追い詰める恐怖のストーカー/"We were peeping you all the while", terror stalkers who corner』

 因みに、ブリトニー・スピアーズの他、ジェシカ・シンプソンやクリスティーナ・アギレラ等も参加した、その「純潔運動」は、イギリスやアメリカでは「Social purity movement」と言われ、「アメリカ合衆国では宗教右派(福音派、キリスト教右派)の考え方に基づき、1980年代から活発になってきた。保守勢力であり、アメリカ合衆国共和党の支持母体の一つにもなっている」(ウィキペディア「純潔運動」より)。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E6%BD%94%E9%81%8B%E5%8B%95 

 最近は、グローバリズムの下で、何でもかんでも「リベラル化」されてしまいつつあり、世の中が余計に乱れ、廃れ、退廃化が進行している。セックスをしていないと子供であるとか、それどころか、聖書的価値観に基づいた純粋な考えが幼稚であるとか可愛子ぶりっ子等と揶揄し、茶化し、馬鹿にする傾向が有る。

 しかし、そこにも書いている通り、本当のクリスチャンである「保守」は、そんな現代の世間的な風潮、空気に抗い、聖書の御言葉を守る事を旨として、世の中の衰退を引き留めようと運動しているのだ。同性愛やトランスジェンダー等のLGBTQや、人工妊娠中絶、行き過ぎる男女平等やジェンダーフリーの主張による家族の破壊等といったものに対し、聖書の価値観、聖書の真理を盾にして、そんな人間の欲望、恣意的な希望を基にするリベラリズム、グローバリズムの流れを阻止しようと努力しているのだ。

 本ブログ
  ・2020/02/19付:「終末期イルミナティゲイの詐欺師ブティジェッジ就任で米国は死ぬ1/End Time, If IlluminatiGay Swindle Buttigieg assume top, US will die」
  ・2020/02/19付:「終末期イルミナティゲイの詐欺師ブティジェッジ就任で米国は死ぬ2/End Time, If IlluminatiGay Swindle Buttigieg assume top, US will die」



YouTube: パニック障害や強迫性障害に効く食べ物の基礎知識:
2019/03/27

 出来るだけ病院や医師に頼らず、また毒である薬にも極力頼らず、添加物や農薬が入っていない自然的な有機食物(オーガニック食品)を摂るべきでしょう。


YouTube: [語り]強迫性障害に13年悩み学んだ事
2020/08/12

 上のYouTube「[語り]強迫性障害に13年悩み学んだ事」への僕のコメント
  今年(2021年)の5月で52歳になる中年の男性のオッサンです。僕は3~4年前に強迫性障害に当てはまる事のレベルが、やや上昇していた様でした。人生の歩みの上で、無限の上昇スパイラルの中、座禅で得られる様な境地、心が無の状態、そして純粋になった時、人は敏感になりやすいものです。また丁度、いわゆる更年期にも入っていた様で、その無限の螺旋の上での敏感期に入っていた様に思います。
  未だ若い年頃であるにも関わらず、自分から敢えて我が身をを晒け出してカミングアウトされるのは、非常に勇気が要る事でしょう。感心致します。
  僕の若い時は、臭いものに蓋をするといった感じで、自分が犯した罪に対して真正面から向き合おうとはせず、その頃の現状についても、深く探り理解して悟る事が出来る様に努めようともしませんでした。それこそ前向きばかりで、後ろを振り向いて反省する事に欠けている状態でした。仕事の忙しさ、時間に流されるばかりで、立ち止まって黙想、内観して、自分を見つめ直す事が有りませんでした。
  しかしその後、33歳と半ばの時に怪我をした事をきっかけとして、8歳の時に洗礼を受けたクリスチャンとして神様の方に引き戻された事によって僕は救われ、自分を深く理解する事に繋がりました。その33歳半というタイミングは、奇しくも、イエス・キリストが十字架に架けられての死とその3日後に復活された事を示された歳と同じでした。
 (コメントここまで)


YouTube: 【ソロキャンプ 】初めての泊まり。焚き火に男料理!
2020/11/13

YouTube: 【焚き火語り】初ソロキャンプの感想 #3
2020/11/20

 上のYouTube「【焚き火語り】初ソロキャンプの感想 #3」への僕のコメント
  今年(2021年)の5月で52歳になる中年の男性のオッサンです。僕は3~4年前に強迫性障害に当てはまる事のレベルが、やや上昇していた様でした。人生の歩みの上で、無限の上昇スパイラルの中、更年期に加えて敏感期にも入っていた様に思います。
  僕も若い頃は、独りでよく魚釣りに出掛け、海岸沿いに出てリフレッシュする事が出来、それが日々の仕事(下請けの町工場の鉄工所)の活力にも繋がって、好循環のスパイラルとなっていた様に思います。
  山や河川、海といった自然と触れ合う事で、また、街中の喧騒や群衆と離れる事で、日々のストレスから解放され、心の落ち着きが得られて精神が安定し、心の中に平安がもたらされる事でしょう。そんな心の中が平和となっている安定こそが、メンタルの強さと言えましょう。
  また、そんな自然の中に独り身を浸す事で、良き考えや、将来のビジョンも浮かんで来ましょう。

  ただ、僕の場合はそれらに加えて、クリスチャンとして唯一の神様である創造主、父なる神様と子なるイエス・キリストと聖霊の三位一体の唯一の創造主に依り頼む事を、それらよりも最も大事な事とします。
  イエス様を第一とした歩みをする事で、本当の主への信仰心を持つ事で、神様が心の支えとなって下さり、本当の心の安らぎが得られます。

  ただ、クリスチャンと言っても誤解されるかもしれないので、一応、付け加えておきます。内村鑑三が「無教会主義(Non-church movement)」を唱えられた通り、僕も牧師や神父という仲介者を介さず、イエス様と直接向き合う事を心掛け、聖書(新改訳聖書)を自分で直接読んでいます。教会という宗教組織・団体に所属せずとも、独り神様への信仰心を持つ事が出来ます。
  尤も、カルト教団と言えるキリスト教まがいの宗教組織(例えばエホバの証人やモルモン教、統一教会、ユニテリアン、セブンスデー・アドベンチスト、ペンテコステ派(カリスマ派))は、勿論、所属すべきでは無い事が言えますが、一方で、マトモなプロテスタントの教会には、大概のところ、聖書の御言葉の解き明かしをして下さる牧師さんがおられるので、創造主の御教えや戒め、イエス様の仰せや諭しを深く理解する事が出来る助けになりましょう。牧師さんは、聖書研究者です。
  僕は8歳の時にカトリックで洗礼を受けたものの、現在は通っていません。プロテスタントに比べてカトリックは形式主義であり、バチカンを中心とした巨大な宗教組織として、大分、腐敗が進行しています。
 (コメントここまで)

 未だ若い年頃であるにも関わらず、自分から敢えて我が身をを晒け出してカミングアウトされるのは、非常に勇気が要る事でしょう。感心します。僕の若い時は、臭いものに蓋をするといった感じで、自分が犯した罪に対して真正面から向き合おうとはせず、その頃の現状についても、深く探り理解して悟る事が出来る様に努めようともしませんでした。それこそ前向きばかりで、後ろを振り向いて反省する事に欠けている状態でした。

 山や河川、海といった自然と触れ合う事で、また、街中の喧騒や群衆と離れる事で、日々のストレスから解放され、心の落ち着きが得られて精神が安定し、心の中に平安がもたらされる事でしょう。そんな心の中が平和となっている安定こそが、メンタルの強さと言えましょう。
 また、そんな自然の中に独り身を浸す事で、良き考えや、将来のビジョンも浮かんで来ましょう。

 ただ、僕の場合はそれらに加えて、クリスチャンとして唯一の神様である創造主、父なる神様と子なるイエス・キリストと聖霊の三位一体の唯一の創造主に依り頼む事を、それらよりも最も大事な事とします。
イエス様を第一とした歩みをする事で、本当の主への信仰心を持つ事で、神様が心の支えとなって下さり、本当の心の安らぎが得られます。

 本ブログ
  ・2020/03/30付「ゾンビの群衆に離別!ソロキャンプでサバイバル!あなたは群れの中で死ぬ?1/2/Isolation from crowd! Solo camp survive! Do you die in mass?」
  ・2020/03/30付「ゾンビの群衆に離別!ソロキャンプでサバイバル!あなたは群れの中で死ぬ?2/2/Isolation from crowd! Solo camp survive! Do you die in mass? 」


 芸能人や有名人、セレブから一般の人々まで、自身が強迫性障害である事をカミングアウトしている方は多い。そんな中で、次の父親の日本人と母親の偽イスラエル人とのハーフの方もおられる。


YouTube: 【僕が友達少ない理由】僕、強迫性障害です
2020/03/05

 『“Don’t judge me” (僕をジャッジしないで!)』

 その通り、コロナ禍の中で「ソーシャル・ディスタンス」と呼びかけながら、人との物理的距離のみだけしか注目せず、精神面の距離を取らない人々が、世間には多い。仕事とプライベートとの区別を付けず、線を引かず、土足で踏み込む様にして、プライバシーの侵害であるとかストーカー行為、その他、介入、干渉、そして余計なお節介をする輩共がなんと多い事か。
 空気を読んで付和雷同ばかりする、同調圧力をかける全体主義者の世間の「自粛警察」や、そんな大衆を洗脳して煽動するマスゴミに対しては、そんな「人への干渉行為こそ自粛すべきやろ」と、僕は言いたいものだ。

 上のYouTube「【僕が友達少ない理由】僕、強迫性障害です」のコメント欄より
  christian
   「私も不安神経症とパニック障害で何十年も薬を飲んでいましたが、主イエス様によって癒され、今は症状もなくなりました。ハレルヤ!どんな病気も障害も、神様は癒せます。カイくんの症状が治るようにお祈りします。」

 その通り、本当の心の支えであるイエス様への信仰によって、心、精神が安定する。薬や医者、病院に頼らずとも、イエス様に頼るだけで癒やされる。
 このコメントをされたクリスチャンの方のYouTubeチャンネルの中に在る、「証」という保存リストに入れられている、次のビデオが在る事を見つけた。


YouTube: Testimony - Messianic Rabbi Zev Porat [Israeli Jew accepts Jesus]
2017/03/14

 このビデオで演説しているラビのゼブ・ポラット(Zev Porat)氏は、父親がシナゴーグを持っていて自身も正統派ユダヤ教徒の通う学校のイェシバに在籍し、タルムードを勉強した様だ。そしてユダヤ教のラビとなったが、その後、改心してイェシュア(Yeshua、イエス)様を救世主(キリスト)として受け入れた様だ。本記事「僕52歳の求職活動からの連想(6/12)/Age of 52 my associations from job hunting」の「(6/12)・・・キャンセル文化、趣味?、メシアニック・ジューの魚、日本のメノラー」にも載せた、いわゆる「メシアニック・ジュー」に変わった様だ(英語が苦手な僕は機械翻訳に頼らなければならないので、少し間違っているかもしれない。)

 日本で「魚」と書いて「さかな」と読むが、一方、現在の偽物のイスラエルで使用されているヘブライ語では、「サカナ」は「危険を意味する」という。



出典:次のYouTube「【日ユ同祖論】イスラエルのヘブライ語と日本語。……」


YouTube: 【日ユ同祖論】イスラエルのヘブライ語と日本語。似てるもの検証!【衝撃!イスラエル人驚愕の日本文化】
2020/08/25



出典:2020/03/14付・facebook・JapaHebrew「魚・SAKANA・סַכָּנָה 」
   2020/03/17付・Instagram・japahebrew「魚・SAKANA・סַכָּנָה 」

 メノラーと六芒星に魚が継ぎ足されたメシアニック・ジューのシンボル。ユダヤ教徒が危険と感じる「魚」はクリスチャンを表し、初期のキリスト教会のシンボルにもなっていた。ユダヤ人の中には、イエス様の事を「ナチ」と呼ぶ者がおり、イエス様がヒトラーの如くユダヤ教徒を迫害したと、間違った歴史認識を持つ者達が居る。
 イエス様自身がユダヤ人であったし、イエス様の弟子達も皆、ユダヤ人であった。そして、イエス様は飽くまでも、当時のユダヤのエスタブリッシュメントであったサンヘドリン(最高法院)に属する者達、つまり祭司、長老、律法学者、パリサイ人を非難し糾弾したに過ぎない。その理由が、旧約聖書から離れ、形式主義の偽善となり、そして何より、極悪非道、不道徳、レイシズム、傲慢の極地の書であるバビロニア・タルムードこそを信奉していたからだ。タルムードは、「ユダヤ教」という名前の通り、ユダヤ人自身を拝む、ユダヤ人自身を神様として崇める、ユダヤ人の欲望を神様として奉る為の書であるのだ。



出典:ウィキペディア「メシアニック・ジュダイズム」


YouTube: 【ハヌカ】イスラエルのクリスマス【ハヌカ】を実践!【カイチューブ kai Tube】
2020/12/15

 カイ・コーヘン氏は、名字が「コーヘン」である事から、代々、レビ族の祭司であるのだろう。日本には昔から、忌部氏と中臣氏という祭司族がおり、邪馬壹国(やまとこく)が存在した阿波・徳島を出自としている。


YouTube: 【日ユ同祖論】動画の賛否について。「日本人とイスラエル人(ユダヤ人)祖先が同じ説」がアリな人・嫌いな人。そして僕の気持ち
2020/08/27

 以下、上のYouTube「【日ユ同祖論】動画の賛否について。……」に投稿した僕のコメント
  カイ・コーヘン氏は、名字が「コーヘン」である事から、代々、レビ族の祭司であるのだろう。
  日本には昔から、忌部氏と中臣氏という祭司族がおり、邪馬壹国(やまとこく)が存在した阿波・徳島を出自としている。
  中臣氏の祖アメノコヤネがコヤダイラ(木屋平)という地名に残っており、那賀郡(ながのこほり)や長国(ながのくに、=出雲の事)は「中」(なか)と通ずる。更に、ヘブル語(ヘブライ語)では祭司の事を「コヘン」と言うが、「コヘン」をヘブル文字で書くと。「コ八ノ」となり、「八」は漢字の「ハチ」にも読めるので、「八」を音読みの「ヤ」と読んで「コヤノ」と読まれる様になり、それが訛って「コヤネ」となった。(※「コ八ノ」の中でも特に「八」の文字は、入力文字としてヘブライ文字が無い為に近似する文字をここに載せているが、正確には左上の角部が離れて上に水平線の付いた文字。上の部分は「几」に近い(「コ几ノ」)。)
  中臣氏、忌部氏とも、後に奈良へ移っており、中臣氏の方は春日大社が建てられてからはそこに祀られる様になった。しかし奈良時代頃から、忌部氏は勢力を増す中臣氏に押され始めた。中臣氏は、中臣鎌足から藤原氏に姓を変えた系が存在する一方で、本系の方は中臣氏のままで神事職・祭祀職を代々継続した。中臣氏と忌部氏は共に祭祀職を司ると共に、「元々は」、阿波の出身であった。
  現在まで毎回、新しい天皇が即位する時に行われる「践祚大嘗祭」の時には、木屋平に住む忌部氏の末裔である三木家が、大麻で織った麁服(あらたえ)を皇室に献上して来た。
  そして天皇陛下も、実は古代ユダヤ人であり、レビ族の血統を持つ。日本の神社の祭祀を司る禰宜(ねぎ)の全ての上に立つ超越者としての祭司として、創造主と日本の国民との間の仲介を担い、国民の安寧や五穀の豊穣を主に祈り願う務めを果たして来られた。
  神社の祭りには、モーセが創造主から授かった十戒が刻まれた石版、モーセの兄でレビ族の祖先であるアロンの杖、マナを入れる為の壺が入った「契約の箱」のレプリカである「御神輿」が有る。また、神社の「鳥居」は、過ぎ越しのシンボルとして、「その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいに、それをつける」(旧約聖書・出エジプト記12章7節)と聖書に書かれている通り、真っ赤に塗られている。
  その他にも日本には、伝統や文化、習慣、しきたり等に至るまで、古代イスラエル由来のものが幾らでも存在する。1975年に設立された偽イスラエルの失われた10支族に関する調査機関「アミシャーブ(Amishav)」や、元偽イスラエル駐日大使のエリ・コーヘン氏等も、古代ユダヤ人の末裔が日本に居る事を認めている。また、最近進められているDNA検査で、日本人に男系男子のハプログループDE (Y染色体)である「YAPマイナス」の遺伝子を持つ者が多い事も判明して来ている。
 (コメントここまで)……

 <9/12に続く→>
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僕52歳の求職活動からの連想(7/12)/Age 52 my associations from job hunt:パペットゲート、書類選考の泥沼スパイラル、騒音おばさんと創価学会とマスゴミとSWC

2021-04-03 01:00:00 | エッセイ・コラム
 <※本当の投稿日時
  True posted date & time:2021/04/09 05:24>

   (当方の都合にて、投稿日時を変更しております。
    I changed posted date and time for my convenience.)

 ※ 本記事において幾つかの文献と画像を引用する事によって構成しておりますが、本記事により当方は収入を一切受け取っておりません。
 ※ I have made composition by borrowing some references and pictures in this article, but I don't receive the income at all by this article.

 <→6/12からの続き>

 僕52歳の求職活動からの連想(7/12)
  Age of 52 my associations from job hunting
   ・・・パペットゲートの罠、書類選考の泥沼スパイラル、騒音おばさんと創価学会とマスゴミとSWC


 ……ところで、先に掲げた牧師さんのビデオとは別に、こんな反応?も見られた(というのは、思い込みか?)。



Infowars: Puppet Gate! Daily Mail Claims Howard Stern Puppet Is Alex Jones
2021/03/02

 「Puppet Gate!」と言うタイトルが付けられている。そして、インフォワーズ(INFOWARS)のホスト、パーソナリティ、ジャーナリストである人気のアレックス・ジョーンズ氏が、ハワード・スターン(Howard Stern)というユダヤ人コメディアンの番組で、自身にそっくりの人形を用いられて茶化されている事を紹介している。


YouTube: “Alex Jones” Has His Own 2020 Election Conspiracy Theories
2020/11/06



出典:次のYouTube


YouTube: “Alex Jones” Confronts Jimmy Kimmel Live in Howard's Studio
2019/05/14

 サタニック・カルトでグローバリストのユダヤ人ジョージ・ソロス、爬虫類のヒラリー・クリントン、内心はフセインのグローバリストであるバラク・フセイン・オバマ、そして幼児生贄と、ジョーンズ氏の人形を借りながら、且つ、あの都市伝説(テレビ東京系)という番組の様にお笑い芸人がふざけながら冗談を言う様にして、フィクションと思わせる様に見せながら、本当かどうか解らない様にして陰謀を暴露して来た事に、このハワード・スターンの番組内容が少し似ている感じもする。


出典:次のYouTube


YouTube: Hillary Clinton on the Howard Stern Show Pt. 1
2019/12/06

 ヒラリー・クリントンをゲストに迎えたこのビデオは、丁度、党員集会や討論会が既に開催されていた大統領選挙の期間中に収録されたものだ。そして、ハワード・スターンは明確に、ヒラリー・クリントンを支持していると述べている。ハワード・スターンは、やはり、グローバリスト、リベラリストであろう。


YouTube: Donald Trump Howard Stern 2004 1/3
2016/07/23 (2004年録画)

 1/3~3/3まで在るこのインタビューの中で、ハワード・スターンは、トランプ氏がメラニア・クナウス氏との再婚が間近な事を受けて、ベッドでどうのこうのといった事を繰り返し聞いている。スターンは、ユダヤ人の御多分に漏れず、変態だ。
 ハワード・スターンは、大概のアシュケナジー・ユダヤ人(=カザール人(ハザール人))と同様に、左翼、リベラル的イデオロギーを持ち、グローバリストの片棒を担いでいるのだろう。そして、保守中道のアレックス・ジョーンズ氏やオルタナティブ・メディアのインフォワ―ズ(INFOWARS)を貶めているのであろう。

 「パペット・ゲート」とは、人形化し、茶化し、嘲笑して、対象の人物を貶め、ひいては社会から排除しようと目論んだ陰謀、罠という事になろうか。
 それは、僕が臨工関係に入る事によって、ピエロ、道化師、そして「傍(ボウ、または某)」の人形、アイドル(idol、偶像)化され、世間から、またマスコミならぬマスゴミから、貶められる恐れが有る事に警告を鳴らしてくれていたのではないだろうか?

 ただ、僕は本当にやる気が有るのなら、周囲の反応なんかは無視して、一意専心して行うので、道化師化されようが何であろうが、そんな事は関係ない。
前述した通り、また、過去にも投稿記事で書いている通り、「笑われるから止めとこう」といった、周囲の反応によって行動を決める輩共は、低レベルのアホである。

 次のYouTubeでは、何か意味不明な事を言うている。

  ・00:41-「国境で彼と後継者のU**大統領は声を上げていますが、管理局はまだ何十万人もの幼い子供たちが家を出てくる危険性を拒んでいます」
  ・01:30-「寅さん大統領は明らかにこの役人の調査についてそしておそらくU**の仕事について多く言うことが有りました」
  ・02:05-「寅さん前大統領は南の国境での壊滅的な危機を引き起こしているU**大統領の評価に容赦有りません」
  ・02:12-「U**の政策の欠如ミリオンitと彼は言います」
  ・02:41-「前大統領が後継者に責任があると言っている問題、しかしU**は不法移民の為にどういう訳か、ウェルカム・マットを投げ捨てたという考えを押し戻しています」


YouTube: トラんプ元大統領、FoxNewsで語る★南の国境やわくわく、そして2024年のこと、、、、[日本語朗読]030318
2021/03/18

 話の内容と流れから察する所では、「寅さん」は日本でのトランプ大統領(当時)を応援し支持するデモ行進に於いても掲げられていた事からも、トランプ大統領の事であるのは周知の通りである。
一方、「U**」は、バイデンの事であろう。

 大統領選挙中から最近に至るまでに、バイデンの事を「no more use(用済み)」と貶し(と言っても、その事が事実であるのだが)、極左でシオニスト、ワ―モンガーのカマラ・ハリスが控えている事を、本ブログ記事で指摘、警告して来た事を引用されたのだろうか?
 要するに、U**駅の近くに在ったO専門学校に通っていた僕が、医療系に於いては「no more use」だと言うているのであろうか・・・?

 本ブログ
  ・2021/02/02付『バロン・トランプ「私は日本の愛国者達が大好きです。皆さん、ありがとうございました」/Barron Trump “I love Japanese patriots. Thank you all” 』
  ・2021/02/12付「用済み前のバイデンは大統領令に駆け込み署名&エリツィン生誕90周年/Before no more use, Biden signed EO in hurry. & 90th Yeltsin birth」


 その他、不法移民に対する国境の解放や、地球温暖化対策やコロナ対策等で、経済や治安等に於いて負のスパイラル、悪循環が起ころうとしている、アメリカのバイデン政権の政策になぞらえて、僕の求職活動もそれと同じだと揶揄し、或いは期待する余りにであるのか、叱咤激励する為か、忠告し指摘しているのではないか?、というタイトルの次のYouTubeが有る。しかし、その内容は視聴していないので実際のところは解らなく、僕の単なる勘違いかもしれない。


YouTube: 【LIVE 2/26】ひとりがたり馬渕睦夫 #60 己の沼を浄化せよ!ディープステートに付け込まれる欲望
2021/02/26

 本ブログ
  2021/02/13付『底なし沼バイデンの悪循環「アメリカラスト」とトランプの好循環「アメリカファースト」/Bottomless swamp: Vicious spiral of Biden "America last"』







Either Left or Right?

 ズルズルと「書類選考」という「罠」にハマり続ける事から離れ、2月下旬~3月上旬にかけての2週間程でさっさと見切りを付けた事は正しかったと、僕は思っている。
実際、経済面に於いて、もう貯金も底を突いてしまった故も有り、その事が、限度、節度をわきまえる事に繋がったとも言える。

 僕は、メディアに多数出演しておられる様な裕福な評論家達やコメンテーターらとは違い、貧乏で小さな一ジャーナリストである。
 もしも、そんな臨工関係、医療関係というものに拘り続けるならば、それこそ泥沼にハマり続けて、デフレ・スパイラルの如く、ナンボでも、下向きのスパイラルに乗ってしまい、回されて、そして流され続けていく事であろう。

 決して、そんな関係の勉強をした事が、無駄であった訳では無い。また、今後も続けていく鉄工の仕事での過去の経験も、無駄にはならない。更に、これからも一ジャーナリストとして記事を投稿し続ける事も、決して無駄にはならない。
 但し、その条件としては、次の聖句が語る。「主のわざ」である恵みをを行なって頂ける様に活かし、「主にあって」、つまりイエス様と繋がり続ける事が出来ていれば、無駄にはならないという事だ。

 
 



 コリント人への手紙 第一15章58節
  ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。

 The First Epistle to the Corinthians 15:58
  Therefore, my beloved brothers, be steadfast, immovable, always abounding in the Lord’s work, because you know that your labor is not in vain in the Lord.


 そうして、色々と勉強した事、経験を積んで来た事等が無駄にはならず、合わさって、上向きのスパイラル、好循環となり、アウフヘーベンして、今後に生きてくるのであろう。



出典:2009年10月4日更新・最高峰への進学指導PrePass「アウフヘーベン」
http://www.prepass.co.jp/kamen/intro/auf.html

 ところで、「ミセス・ノイズィ」というサスペンス映画が、昨年末の2020年12月4日から公開された。当初は同年5月に公開予定であったが、新型コロナ・ウイルス感染症(COVID-19)パンデミックの影響で、延期される事となった。
 その映画は、2002年11月~2005年4月にかけて起きていた、奈良県生駒郡平群町に於ける「奈良騒音傷害事件」をモチーフにしたものだ。


YouTube: 『ミセス・ノイズィ』予告編
2020/03/04

 その奈良騒音傷害事件は、マスコミや世間一般では、通称「騒音おばさん」で知られている。

 『奈良騒音傷害事件(ならそうおんしょうがいじけん)は、奈良県生駒郡平群町の主婦が約2年半にわたり大音量の音楽を流すなどの方法で騒音を出し続け、それにより近所に住む夫婦を不眠・目眩などで通院させた事件。2005年4月、傷害罪の容疑で奈良県警に逮捕され、2007年最高裁で実刑判決が確定した。騒音を出す現場が被害者夫婦により録画、マスコミ各社に提供され、テレビのワイドショーで主婦が「引っ越し、引っ越し」などと大声で叫ぶ様子が何度も流れ、騒音おばさんの名前で有名になった。』
  (ウィキペディア「奈良騒音傷害事件」より) 


YouTube: MIYOCO's "Hip Hop Shit!"
2007/03/25

 このYouTubeビデオには酷いタイトルが付けられ、被告とされた主婦のイメージがそれだけでも貶されてしまっていると言えるが、当時、マスコミならぬマスゴミは、報道番組や情報番組、特にワイドショー番組に於いて、繰り返し、この女性の発狂した様な様子を取り上げて報じ続けた。
 しかしマスゴミは、この女性が何故、その様に怒りを表しているのかについては伝えなかった。また、本人が口にしている通り戦っているのであるが、相手は誰なのかを伝えず、そして取り上げ無かった。その様に、この女性の行動の背景については、全く報じていなかった様だ。

 マスゴミの報道を一見すると、この被告とされた女性が、確かにキチガイの様に見えてしまう。実際、当時、小泉政権で財務大臣を務めていた自由民主党の塩川正十郎議員が、出演していた生放送の番組である、日本テレビの報道番組『真相報道 バンキシャ!』で「これ気違いの顔ですわ」と発言したぐらいだ。政治家も、それも大臣を務めている程の大物でも、マスゴミに安易に洗脳されてしまう輩が居るものだ。

 そして、そのマスゴミが隠していた背景には、以下の様な事実が在った様だ。


YouTube: 奈良の騒音おばさん 創価学会の嫌がらせ被害に・・・
2008/10/03


YouTube: 【アシタノワダイ削除動画】引っ越しおばさんの真実。宗教勧誘を断ったらご近所からイジメに遭い…【メディア操作?まさかの映画化?ミセス・ノイズィ】
2020/12/01


YouTube: 騒音おばさんの真実
2011/06/25

 ・2006/10/27付・ZAPAnet総合情報局「騒音おばさんの真実」
 ・2006/10/27付・2chニュース速報アワーズ「【裁判】 騒音おばさん事件の真実は!? 2ちゃんねるの反応・続報」
 ・2006/11/06付・創価学会の彼女との関係「騒音おばさん」
 ・2006/12/10付・阿修羅「騒音おばさん [創価学会の彼女との関係] 【被害者夫婦は学会員?】」
 ・2007/01/08付・文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』『奈良県の「騒音おばさん」を救え!!!』
 ・2007/?/?・創価学会の集団ストーカー「奈良の騒音おばさん(河原美代子氏) 創価学会に謀られたか・・・」
 ・ウィキペディア「奈良騒音傷害事件」




 以上の通り、創価学会員によるプライバシーの侵害とストーカー行為が在った様だ。

 以下、2006/11/06付・創価学会の彼女との関係「騒音おばさん」より
  (または、2006/12/10付・阿修羅「騒音おばさん [創価学会の彼女との関係] 【被害者夫婦は学会員?】」

  『被害者夫婦は
    ・創価学会員である疑いが濃厚
    ・おばさんの家に向けて強烈なライトを設置し、娘の病気が悪化するからやめてほしいという嘆願を拒否
    ・おばさんの病気の娘さんの「うー」いう声を「キチガイがうるさい」と自治会の班長にいう
    ・盗み聞きした事を、近所に言い触らす
    ・自作自演による濡れ衣を着せ、塀の落書きで民事裁判を起こし勝訴
    ・24時間監視カメラでおばさんの様子を撮影
    ・近所30人を連れておばさん宅へ抗議
     (奈良県平群町、平群町周辺に創価、公明組織がある )

   騒音おばさんは
    ・夫の母からの遺伝により、家族4人が難病「小脳脊髄変形症」を発症
    ・死んだ娘の悪口を被害者夫婦に言いふらされた
    ・近所の人に植木の世話教えてあげたり、汚くなったゴミ捨て場掃除したりして、近所の中でも結構好かれてた
    ・24時間騒音撒き散らしてない(近所の証言)
    ・被害者夫婦以外の人へはいたって温和な対応』

  『被害者夫婦は裁判では
    矛盾点について尋問される ⇒ それは矛盾ではない
    さらに強く尋問される ⇒ 覚えていない
    都合の悪い民事裁判について問われる ⇒ 倒れる
    裁判後のインタビューでは元気な声で「つかれたーつかれたー」と言う。

   裁判での被害者夫婦はまともな会話が通じず、都合が悪くなるとどんな手段を使っても逃げる。』
 (以上、2006/11/06付・創価学会の彼女との関係「騒音おばさん」より
  (または、2006/12/10付・阿修羅「騒音おばさん [創価学会の彼女との関係] 【被害者夫婦は学会員?】」)


 マスゴミが隠蔽していた、被告とされた女性の背景に存在した、女性が戦っていた相手であった、創価学会員のそんなストーカー行為等について、当時既に、インターネットでは暴露されていたという。

 当時、僕は未だインターネットをしておらず(始めたのは2008年)、趣味に凝って「釣り呆け」の状態になっていた事に続き、未だ学校(2005年4月~2009年3月)の教科書を暗記するばかりの様であって目覚めていなかったので、そんな裏事情について知ったのは、数年後の2012年になってからであった。
 主流メディア(MSM)である地上波のテレビも、今でこそ見なくなっているが、当時はNHKをはじめ視聴していた程だ。だから、当時はまだ、僕はマスコミの事を「ゴミ」と認識していなかった。

 その、日本のMSMの代表格であるNHKに於いて、生放送の中で一般の参加者が「騒音おばさん」についての一方的な報道について指摘した事が有った。


YouTube: 【浅野さん】NHKが沈黙した日
2009/05/09 (2009/03/21録画)

Dailymotion「【浅野さん】NHKが沈黙した日 ”SGI-SOKA-GAKKAI”」

【浅野さん】NHKが沈黙した日 ”SGI-SOKA-GAKKAI” - 動画 Dailymotion

One Japanese woman who lived in Japan from ancient times was called &q...

Dailymotion

 


 『2009年3月21日に放送されたNHKの番組「日本の、これから」の“テレビの存在意義とネットとの関係性について”という議題において、出演者の一名によりこの事件を例に挙げられ、被害者側が被告人を撮影していた事実、被告側の立場、上節に含まれるバラエティ番組やお笑い番組に至るまで流れていた背景を挙げて『ネット上に流れている情報を総合すると、テレビはあのおばさん(被告人)をおもちゃにしたのではないか』という、被告人に対しメディアを利用して被害を与えた点もあるという批判がもたらされた。』
 (ウィキペディア「奈良騒音傷害事件」より) 

 攻撃の対象とする者を、社会的抹殺の対象とする者を、そして自殺に追い込もうとする者を、NHKをはじめとしたMSMマスゴミを利用して、その対象者を破壊しようとする。
 対象者に対し、プライバシーの監視やプライベートへの介入・干渉、ストーカー、そしてハラスメントにより、挑発や煽動、誘惑を繰り返し、忍耐・我慢の精神を失わせ、精神面の破壊で理性を狂わせ、箍(たが)を外し、そして発狂した様子をカメラに収めて、その部分を切り取って拡大し、報道に載せる。

また、対象とされた者は、発狂という一見すると躁病にも見える症状に成ってしまう事に留まらず、反対に鬱病になったり、ノイローゼになって、挙句の果てには自殺に追い込まれてしまうのだろう。
そして、マスゴミに影響を受けた世間からレッテルを貼られた攻撃の対象者である本人だけでは無く、その家族をも破壊に導く。

 ・teana333のblog「神奈川県……殺人電磁波攻撃・創価学会集団ストーカー」
 ・note・teana333「神奈川県……創価学会集団ストーカー被害者です。 主犯格は……異常な電磁波攻撃を24時間続けています。」
 ・「創価学会の集団ストーカー」


 そんな、NHKをはじめとしたメインストリーム・メディア(MSM)ならぬレイムストリーム・メディア、マスコミならぬマスゴミは、「騒音おばさん」から被害を受けたと主張する創価学会員の肩を持ち、創価学会員側の立場に立って、印象操作や偏向報道を行い、そして情報を隠蔽して、世間の人々や政治家達を洗脳し、世論を誘導した。

 また、その事件から、マスゴミと創価学会との繋がりが暴露される事となった。創価学会がマスゴミの巨大なスポンサーの内の一つとなっている事からも、マスゴミは創価学会の言う事を聞かなければならない仕組みになっている。
 そして、その創価学会は、毎年、日本で開催される「アンネ・フランク展」、「ホロコースト展」を、アメリカのユダヤ検閲団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)」と共催しているのだ。



「勇気の証言-ホロコースト展」(共催:創価大学、サイモン・ウィーゼンタール・センター、協力:創価学会平和委員会)
出典:創価大学(東京都八王子市)「THE HOLOCAUST」

 ・2016/01/21付・創価大学『広島で「勇気の証言—ホロコースト展 アンネ・フランクと杉原千畝の選択」が開幕しました』
 ・2016/10/21付・創価大学『青森県青森市で「勇気の証言—ホロコースト展 アンネ・フランクと杉原千畝の選択」が開幕しました (10月30日まで開催)』
 ・2017/11/24付・創価大学『山形県山形市で「勇気の証言—ホロコースト展 アンネ・フランクと杉原千畝の選択」が開催しました』
 ・2018/04/19付・創価大学『「勇気の証言-ホロコースト展」創価大学展を開催(4/25~5/9)』(創価大学文系A棟ロビー(東京都八王子市))
 ・2018/06/19付・石川創価学会『「ホロコースト展」石川展 7月26日から』
 ・2019/09/20付・創価大学『「勇気の証言ーホロコースト展 アンネ・フランクと杉原千畝の選択」神奈川展が開幕しました』
 ・創価大学(東京都八王子市)「THE HOLOCAUST」


YouTube: 「勇気の証言—ホロコースト展」が創価大学で開催
2016/07/26

YouTube: 「勇気の証言 ホロコースト展」ダイジェスト
2015/10/23



『アメリカ・ロサンゼルスのサイモン・ウィーゼンタール・センターの主催で「マキグチ記念人権講演会」がスタート。池田先生は、その第1回に招かれ、講演を行った(1996年6月4日)』
出典:2021/01/23付・聖教新聞『【創造する希望――池田先生の大学・学術機関講演に学ぶ】 第8回㊤ アメリカ サイモン・ウィーゼンタール・センター「牧口常三郎――人道と正義の生涯」』







創価学会の池田大作名誉会長
SGI(創価学会インタナショナル)会長




                      Expansion by click ↑(クリックして拡大)
1947年にユダヤによって“Fake Chimney”が建てられ、国連でパレスチナ分割案が決議された。
そして翌年の1948年5月14日、「フェイク・イスラエル」の独立宣言が行われた。



出典:出典:創価大学(東京都八王子市)「THE HOLOCAUST」



『系右翼は、人権問題などを活用して「恐喝」を繰り返してきた右翼団体』『「解放同盟」の幹部で、「政治結社 皇義塾」の塾長』
出典:「右翼の正体・・・右翼団体が騒音を撒き散らす本当の理由」

 また、「ユダヤのアイコン」としてユダヤ団体に利用されているアンネ・フランクに並べて、杉原千畝も載せている。杉原千畝は、第二次世界大戦中にナチからユダヤ人達を救った事で世界的に有名であるが、実は「スパイ」であったという。
 ここでは、次の記事を引用するに止める。……

 <8/12に続く→>
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僕52歳の求職活動からの連想(6/12)/Age of 52 my associations from job hunting・・・キャンセル文化、趣味?、メシアニック・ジューの魚、日本のメノラー

2021-04-02 01:00:00 | エッセイ・コラム
 <※本当の投稿日時
  True posted date & time:2021/04/09 04:13>

   (当方の都合にて、投稿日時を変更しております。
    I changed posted date and time for my convenience.)

 (2021.04.11更新・・・最後部付近に追加)

 ※ 本記事において幾つかの文献と画像を引用する事によって構成しておりますが、本記事により当方は収入を一切受け取っておりません。
 ※ I have made composition by borrowing some references and pictures in this article, but I don't receive the income at all by this article.

 <→5/12からの続き>

 僕52歳の求職活動からの連想(6/12)
  Age of 52 my associations from job hunting
   ・・・キャンセル文化、趣味?、メシアニック・ジューの魚、日本のメノラー


 ……使徒パウロは、改心してから行なった各地での伝導に於いては、多くの苦難、困難が立ち塞がり、試練、迫害、そして陰謀、圧力が掛けられた。
 イエス様も、3年半の公生涯の中で困難を伴い、その時に於いての最後は、当時のエスタブリッシュメントの陰謀によって十字架に架けられ、暗殺されてしまった。

 
 



 新約聖書・使徒の働き20章19~21節
  私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。
  益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、
  ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。

 The New Testament・The Acts of the Apostles 20:17~27
  serving the Lord with all humility, with many tears, and with trials which happened to me by the plots of the Jews;
  how I didn’t shrink from declaring to you anything that was profitable, teaching you publicly and from house to house,
  testifying both to Jews and to Greeks repentance toward God, and faith toward our Lord Jesus.


 世俗にまみれた、自分の欲望が叶う事を祈るばかりの無神論者、唯物論者が多い世間の中に在って、「純潔主義」をはじめとした聖書的価値観を幼稚であるとか可愛子ぶりっ子等と揶揄し、茶化し、嘲笑する様な風潮、同性愛や人工中絶の権利、トランスジェンダーの性転換手術等が「進歩的」とか「近代的」と評価する傾向と、世の中は「クリスチャンの敵」でいっぱいだ。

 アメリカでは、ポリティカル・コレクトネスの他、キャンセル・カルチャーやコールアウト・カルチャーが酷く普及している。そんな中で、クリスチャンの文化も破壊されつつある。キリスト教、聖書がベースとなっているはずの米国が、そんな状態となっている。
 かつてのロシアも、ソビエト連邦時代に、ロシア正教会の伝統や文化が破壊されようとした。そして、クリスチャンの言論は、迫害されて抑えられた。
 アメリカでは現在、主流メディア(MSM)・マスコミやSNSのビックテックが、そんなクリスチャンの言論を排除し、クリスチャンを封じ込めようとしている。米国では今現在、リベラリズムという、本当のクリスチャンにとっては敵に相当する政治的イデオロギーが蔓延しており、実際に、そうした中で、クリスチャンが迫害されているのだ。

 そうした、クリスチャン、特に純粋なクリスチャンにとっては、周囲が敵ばかりとも言える様なこの過酷な世の中に於いて、とにかく創造主であるイエス様への固い信仰を保ち続け、主に祈り続けて、主に寄り頼み、主に盾になってもらいながら、主に代替して戦ってもらいながら、自身の旅路を歩んでいくといった事を、牧師は述べているのだろう。
古代イスラエル王国のダビデ王でさえも、次の様に祈ったぐらいだ。

 
 



 旧約聖書・詩篇18章2~3節
  主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。
  ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。

 The Old Testament・The Book of Psalms 18:2~3
  Yahweh is my rock, my fortress, and my deliverer; my God, my rock, in whom I take refuge; my shield, and the horn of my salvation, my high tower.
  I call on Yahweh, who is worthy to be praised; and I am saved from my enemies.



YouTube: 自分の救いを証ししなさい 今日の聖書の言葉 2021年2月23日
2021/02/23

 
 



 新約聖書・マルコの福音書5章15~20節
  そして、イエスのところに来て、悪霊につかれていた人、すなわちレギオンを宿していた人が、着物を着て、正気に返ってすわっているのを見て、恐ろしくなった。
  見ていた人たちが、悪霊につかれていた人に起こったことや、豚のことを、つぶさに彼らに話して聞かせた。
  すると、彼らはイエスに、この地方から離れてくださるよう願った。
  それでイエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人が、お供をしたいとイエスに願った。
  しかし、お許しにならないで、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」
  そこで、彼は立ち去り、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、デカポリスの地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。

 The New Testament・The Gospel of Mark 5:15~20
  They came to Jesus, and saw him who had been possessed by demons sitting, clothed, and in his right mind, even him who had the legion; and they were afraid.
  Those who saw it declared to them what happened to him who was possessed by demons, and about the pigs.
  They began to beg him to depart from their region.
  As he was entering into the boat, he who had been possessed by demons begged him that he might be with him.
  He didn’t allow him, but said to him, “Go to your house, to your friends, and tell them what great things the Lord has done for you and how he had mercy on you.”
  He went his way, and began to proclaim in Decapolis how Jesus had done great things for him, and everyone marveled.


 2019年初めに本ブログにて投稿した「My Testimony/僕の証」は、そんな神様からの救い、恵みを受けて来た事を証するとして、記事に記載して公表した。
 そしてこの記事も、単なる一人の求職活動についてのレポートに留まらず、神様から試練を受けた事と同時に、神様からの救い、恵みが伴った事、また、クリスチャンとして聖書的価値観を基にした考察をも含めて、少しばかり内容を広げて発展させた記事とした。

 一般的には、自分の事を記事にすれば、とかく、How to話であるとか、目標の達成、自己実現と、自分を誇り、自慢話に成ってしまう傾向があるので、余り良くないとされる。
 しかし、変な、異様な、けったいな、気持ち悪い、幽霊の様な、怖い、嫌われ、叩かれ、排除され、ゴミ扱いされる程の不思議な要素、良く言えばタラントと言えるものを持っている事を、神様からの恵み、賜物と解釈して捉える事で、そんな自分の事を証する事は、意味が有るのではなかろうか?

 つまり、そんな不可思議で常識外れの有様が、実は、本当に、神様からの恵みであるならば、また、更正し、改心し、リバイバルしていく過程に於いて救われた事と言い、それらの証をする事は、自分の証をしているのでは無く、結局は、神様の証をしている事となるのだ。
 実際、そんな、良く言えばタラントである事とか。神様の恵みや愛そのものである救いが、自分の能力で行われている事では無く、自身がやっている事では無いのだから。

 単なる人間でしかなかったマリアの身にも、常識外れの事、超自然的な事、現代だけでは無く未来に於いても科学的な知見を超越する出来事が、今から約2,000年前に起こったのであった。

 
 



 旧約聖書・イザヤ書7章14節
  それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。

 The Old Testament・The Book of Isaiah 7:14
  Therefore the Lord himself will give you a sign. Behold, the virgin will conceive, and bear a son, and shall call his name Immanuel.

 旧約聖書・イザヤ書8章10節
  はかりごとを立てよ。しかし、それは破られる。申し出をせよ。しかし、それは成らない。神が、私たちとともにおられるからだ。

 The Old Testament・The Book of Isaiah 8:10
  Take counsel together, and it will be brought to nothing; speak the word, and it will not stand, for God is with us.”


 ※ 『インマヌエル』・・・「神が、私たちとともにおられる」という意味。つまり、この世に降誕されて人と共に生活をされたイエス・キリストの事。イエス様が御降誕された時より700年程前の預言。

 本ブログ
  2019/01/30付「My Testimony & Witness/僕の証 2018・・・まとめ<1> ~ <10>」 ・・・または、本ページ右サイド「ブックマーク」

 ところで、2月も半ばに差し掛かる頃、アメリカ大統領選挙関連の投稿をする流れの中で、次の記事も紛れる様にして出した(と言っても、この記事を投稿した時点で、暫くブログ・ページのトップに位置して目立つ状態ではあったのだが)。

 2021/02/09付「名前だけのクリスチャンであるバイデンとロバ民主党の耳に聖書/Bible to ear of CINO Biden and Donkey Democratic Party」

 その記事には、レズやゲイの同性愛や同性婚、トランスジェンダー等のLGBTQを批判しながら、少し揶揄する意味を込めて「Plug In Rainbow」というアダルト・ステッカー、ジョーク・ステッカーの画像を載せていたのだが、この記事を見てか、直後に聖書的価値観を持った牧師さんからの、その批判をしているのではないか?と感じるものを見つけた。

「……人はそう簡単に変われませんし、もう一度お母さんのお腹に戻って、生まれ直しでもしなければ、新しい人になることは不可能のように思えます。犯罪者が有罪判決を受け、刑務所生活を全うして出所しても、再犯率は高く、また刑務所に出戻りする人が多くいます。……」
  (2021/02/12付・日本Christian Today「人は新しく生まれ変われるか? Yes! 菅野直基」より)


YouTube: Q278趣味を持つのは悪いことですか。【3分でわかる聖書】
2021/02/12

 上のYouTube「Q278趣味を持つのは悪いことですか。【3分でわかる聖書】」より、

 1.「趣味自体は良くも悪くもありません。」
  神様が、人間がリラックスを得る為に休息が必要である事を知っておられ、その為、休日等に趣味を行う事について、「趣味を正しく活用するならば、私たちの人生に大きな祝福をもたらしてくれる」とし、「趣味が良いものであるかどうかは、私たちの姿勢次第だ」と述べられる。

 2.「良い趣味について考えてみましょう。」

 
 



 新約聖書・コリント人への手紙 第一10章31節
  こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。

 The New Testament・The First Epistle to the Corinthians 10:31
Whether therefore you eat or drink, or whatever you do, do all to the glory of God.


 「・良い趣味とは、それを行う事が父なる神への栄光に繋がるもの。
  ・主イエスの名によって行う訳なので、主イエスに参加しても恥ずかしくないもの。
  ・それが良い趣味かどうかは、心に宿る平安によって判断する事が出来る。


 3.「悪い趣味の特徴について考えてみましょう。」
   「・世俗的な欲望や価値観から出た趣味ではないか?
    ・神に向けるべき時間や関心が、妨害されていないか?
    ・現実問題を直視する事から逃避していないか?
    ・家計に影響を与える程に費用が嵩んでいないか?


 (以上、上のYouTube「Q278趣味を持つのは悪いことですか。【3分でわかる聖書】」より)

 そんな、世俗にまみれ、世の価値観に同調した趣味であれば、それは偶像崇拝に相当すると言う。しかし、こんな世の中で生きていく上でも、「趣味に対して正しい姿勢を保持するなら、その趣味は神からの賜物、神からのプレゼントになる」と述べられる。

 また、「一度救うわれた人は、救いを失う事は有りません」とし、信者や教会が「携挙」で天に上げられる恵みが有ると述べられる。しかし、その一方で、クリスチャンに試練を与えて訓練をも行い、そして、不従順な信者には神様から強制的な裁きが下るとも述べられる。

 確かに、傍から見られれば、こうしてものを書く事を「趣味」と捉えられているであろうし、記事の中でそんな、ちょっとふざけた事をやれば、それこそ本当に「世俗的な趣味」に陥り兼ねない。
ただ、前掲した応募メッセージの中に書いている通り、お金を得るものだけが「仕事」という訳では無いという事を、ここに添えておく。

 その「携挙」についても、中川牧師は述べられている。僕は、携挙については具体的に余り知らなかったのだが、中川氏によると、世界統一政府や世界最終戦争となる第三次世界大戦よりも前に行われると述べられる。
 少し前述した通り、あの2012年にもこの世が終わると言われ、その際に「アセンション」が行われるとも言われていた。「ascension」の意味は「上昇」で、そこから「次元上昇」という意味も含む様になったのだろう。また、頭文字が大文字の「the Ascension」では、「イエス・キリストの昇天」と言う意味となる。
 一方、「携挙」は英語で「Rapture」であるが、頭文字が小文字で「rapture」であれば、「狂喜、大喜び、有頂天」という意味となる。

 
 



 新約聖書・テサロニケ人への手紙 第一4章16~17節
  主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
  次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

 The New Testament・The First Epistle to the Thessalonians 4:16~17
  For the Lord himself will descend from heaven with a shout, with the voice of the archangel and with God’s trumpet. The dead in Christ will rise first,
  then we who are alive, who are left, will be caught up together with them in the clouds to meet the Lord in the air. So we will be with the Lord forever.



YouTube: Q250携挙とは何ですか。【3分でわかる聖書】
2020/06/26

 ところで、このビデオをはじめ、当【3分でわかる聖書】シリーズでは、昨年の4月投稿分以来、次のタペストリーが後ろの壁に掛けられて来た様だ。(しかし、偶々、過去の地上波テレビの放送「ハーベストタイム」を録画しているYouTubeを見た所、このタペストリーが既に昔から番組の中で用いられていた事が解ったので、ただの思い込みか?→ https://www.youtube.com/watch?v=ZTGQUMm_ZZQ )


メシアニック・ジューのシンボルとローマ人への手紙11章19節
出典:上のYouTube「Q250携挙とは何ですか。【3分でわかる聖書】」

 
 



 新約聖書・ローマ人への手紙11章19節
  枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう。

The New Testament・The Epistle to the Romans 11:19
  You will say then, “Branches were broken off, that I might be grafted in.”


 ひょっとして、昨年のアメリカ大統領選挙を見越しての、魚であったのだろうか・・・?

 その「grafted in」は、「接ぎ木された」とか「移植された」、「融合(一体化)された」という意味が有るが、果たして、このメノラーと六芒星、そして魚を継ぎ足したシンボルは、一体、何を表しているのであろうか?。ぼくは、勿論、つい先日の今年3月中旬に当ビデオで初めてその存在を知ったので、全く解らない。
 それに加えて、昨年の夏頃、こちらはその大統領選挙の投票日よりも前であったが、同じく次のYouTubeのアップロード元であるチャンネルがチャンネル名を変えていた事から教わったのだが、「イクスース(イクトゥス)」という魚の絵が、初期のキリスト教会のシンボルであった事だ。こちらのチャンネル名の変更も、同大統領選挙を見越しての魚であったのだろうか?


YouTube: 【DNAと文化でみる日本人と古代イスラエル人】ユダヤ人が唱えた古代日本ユダヤ人渡来説4:ラビ・アビハイル(久保有政・解説)
2021/02/19


出典:2014/04/02付・YouTube・ΙΩΑΝΝΗΣ ΦΕΡΓΑΔΙΩΤΗΣ「Ι Χ Θ Υ Σ - Ι.Φεργαδιωτης」
https://www.youtube.com/watch?v=N6v4qsmI4es

 本ブログ
  2020/10/21付終末期の偽預言者(1/3):『終末期の偽預言者(1/3):魚はイルミナティ?それとも「イクトゥス」?/Fake prophet of apocalypticism:Is Fish Illuminati or ichthus?』

 イエス様にペトロという名前を与えられたシモンは、12弟子のリーダーとしてだけではなく、そのペトロの意味「岩」として初期の教会の礎に成るという使命を負った。
 そのシモン=ペトロが魚を獲る漁師であった事や、「5つのパンと2匹の魚」のエピソード等が、A.D.400年代に入る前までのキリスト教界に於いて十字架では無く「魚」をシンボルに使用していた事に繋がったと言われている。
 ペトロも、岩の様に固い信仰を持ち続ける頑固であったのだろうか?。しかし、人間は弱いもので、ナンボ「私は、あなた(=イエス様)を知らないなどとは決して申しません」と誓いを立てても、「鶏が二度鳴く前に、わたし(=イエス様)を知らないと三度」言ってしまう(新約聖書・マルコの福音書14章30~31節)。


YouTube: 5つのパンと2匹の魚 今日の聖書の言葉  2021年2月26日
2021/02/26

 
 



 新約聖書・マルコの福音書6章34~44節
  イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。
  そのうち、もう時刻もおそくなったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここはへんぴな所で、もう時刻もおそくなりました。
  みんなを解散させてください。そして、近くのや村に行って何か食べる物をめいめいで買うようにさせてください。」
  すると、彼らに答えて言われた。「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」そこで弟子たちは言った。「私たちが出かけて行って、二百デナリものパンを買ってあの人たちに食べさせるように、ということでしょうか。」
  するとイエスは彼らに言われた。「パンはどれぐらいありますか。行って見て来なさい。」彼らは確かめて言った。「五つです。それと魚が二匹です。」
  イエスは、みなを、それぞれ組にして青草の上にすわらせるよう、弟子たちにお命じになった。
  そこで人々は、百人、五十人と固まって席に着いた。
  するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、二匹の魚もみなに分けられた。
  人々はみな、食べて満腹した。
  そして、パン切れを十二のかごにいっぱい取り集め、魚の残りも取り集めた。
  パンを食べたのは、男が五千人であった。

 The New Testament・The Gospel of Mark 6:34~44
  Jesus came out, saw a great multitude, and he had compassion on them because they were like sheep without a shepherd; and he began to teach them many things.
  When it was late in the day, his disciples came to him and said, “This place is deserted, and it is late in the day.
  Send them away, that they may go into the surrounding country and villages and buy themselves bread, for they have nothing to eat.”
  But he answered them, “You give them something to eat.” They asked him, “Shall we go and buy two hundred denarii† worth of bread and give them something to eat?”
  He said to them, “How many loaves do you have? Go see.” When they knew, they said, “Five, and two fish.”
  He commanded them that everyone should sit down in groups on the green grass.
  They sat down in ranks, by hundreds and by fifties.
  He took the five loaves and the two fish; and looking up to heaven, he blessed and broke the loaves, and he gave to his disciples to set before them, and he divided the two fish among them all.
  They all ate and were filled.
  They took up twelve baskets full of broken pieces and also of the fish.
  Those who ate the loaves were five thousand men.


 そして、メノラーと六芒星、魚を継ぎ足した絵が何を表しているのかを調べてみた。

 以下、ウィキペディア「メシアニック・ジュダイズム」より
  『メシアニック・ジュダイズム(英: Messianic Judaism)とは、異邦人キリスト教会がもたないユダヤ人の民族としての特徴を保持したまま、ギリシャ語でイエス・キリストと呼ばれるヘブライ語のイエシュアを、救い主(メシア Mashiach)として認めるキリスト教信仰。ユダヤ人としてのアイデンティティーを保ちながら、イエシュア(イエス)をメシア(キリスト)として信じる人々のことをメシアニック・ジュー(Messianic Jew)と呼ぶ。
  ユダヤ教の一派を自認するが、旧約聖書(ヘブライ語聖書)の成就であるとして新約聖書を受け入れることから、大方のユダヤ教の立場からは異端視されている。イスラエル最高裁判所(英語版)は1989年に、メシアニック・ジューは帰還法の適用対象としてのユダヤ人に当たらないとの判決を下している。
  信徒数は全世界で35万人程度、そのうちアメリカ合衆国において17万5千人から25万人程度、イスラエルでは1-2万人程度と見積もられる。……』



「メシアニック・ジューのシンボル。上から、メノーラーとダビデの星と魚(魚は初期キリスト教のシンボル)で構成される。」
出典:ウィキペディア「メシアニック・ジュダイズム」

 ユダヤ人としてのアイデンティティ、文化を保ち続けたまま、イエス様を救い主として信じ、信仰する、クリスチャンのユダヤ人を「メシアニック・ジュー」という。それ故、一般のユダヤ教徒とは異なり、旧約聖書だけでは無く、新約聖書も受け入れて読む。
 しかしそもそも、初期のキリスト教会は、イエス様の弟子をはじめ、ユダヤ人達が中心であったと言える。つまり元々は、キリスト教会を有色人種のユダヤ人達が所有していたと言える。それが後年、白人達によって乗っ取られてしまった訳だ。
 そんなメシアニック・ジュー達が、現在の偽物のイスラエル国とかユダヤ教界から異端視され、除け者扱いされている。ユダヤ教徒達は、イエス様をキリストとして認めておらず、新約聖書も認めていない。

 そのメシアニック・ジュー達とは異なり、マラノ等の場合は、後年に於いてキリスト教界を支配する白人等の異邦人に迎合して、強要されたり迫害される事を避ける為に、ユダヤ教という宗教を捨てるだけでは無かった。その他、ユダヤ民族としての伝統や文化、歴史、アイデンティティといった個性を排除して、キリスト教に改宗した。
 また、本心としてユダヤ教を信じながらの建前であったり、キリスト教界組織に侵入するスパイと成る為に、表面的に改宗した素振りを見せたりもした。そんなマラノ・スパイは、タルムードを隠し持っていた。今までヨーロッパ等でキリスト教徒から散々迫害されて来たのは、その旧約聖書とは全く関係のないバビロニア・タルムードを信仰していたからであった。

 Wikipedia「Messianic Judaism」 

 「イクテュス」は、ギリシャ語で「魚」という意味を持つ。また同時にそれは、ギリシャ語の「ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ」(=「イエス、キリスト、神の、子、救世主(Jesus Christ God’s Son Savior)」という意味)の頭文字を並べたものを読んだものという。
 そのジーザス・フィッシュ (Jesus Fish) やクリスチャン・フィッシュ (Christian Fish) とも呼ばれているイクテュスは、クリスチャンやキリスト教会の事だ。そのイクテュスが、メノラーと六芒星と繋がり一体となっているので、クリスチャンのユダヤ人、つまりメシアニック・ジューを表すシンボルとなっている様だ。

 しかし、そのシンボルについては他にも、ユダヤ人やイスラエル国に連帯を示すクリスチャンが使用しているとか、キリスト教のルーツがユダヤ人に有る事を示すとか、異邦人クリスチャンとユダヤ人の一体化を意味する等とも言われている。
 そんな色々言われているのも、例えば、「OKサイン」が元々は、父である神と子であるキリストと聖霊の三位一体を表していたのが、白人至上主義者らが勝手に別の意味に悪用したり、「ハーケンクロイツ(鉤十字、卍 (まんじ) )が古代シュメール文明以来、色々な方面で使われて来たのにも関わらず、恰もナチのオリジナル・シンボルの様に見られている事等と同様ではないだろうか。

 2018/03/10付・YAHOO! JAPAN知恵袋「画像は、メシアニック・ジュ―(イエスを信じたユダヤ人)や、……」

 そのメシアニック・ジューのシンボルと同様に、メノラー(または七支刀)と魚が繋がった(或いは銅鐸がぶら下がった)ものが描かれた土器が、1980年に鳥取県米子市の稲吉角田遺跡から出土したという。





稲吉角田遺跡(鳥取県米子市)出土の線刻土器(紀元前1世紀)
以上2点の出典:2018/07/08付・「真実の古代史」 by サイの尾・猿田彦「稲吉角田遺跡 弥生中期の壺絵 その2」

 2018/03/30付・たっちゃんの古代史とか「弥生式土器のメノラーの実り(日ユ同祖論)」



七支刀(国宝、奈良県天理市の石上神宮)
出典:石上神宮「御由緒~宝物~禁足地出土の社宝」

 また、徳島県美馬市にある倭大国魂神社(やまとおおくにたまじんじゃ)には、「丸に三つ柏」という神紋が掲げられている。その神紋のカシワの葉を型取った3つの部分には、メノラーが描かれている。



倭大国魂神社の「丸に三つ柏」(徳島県美馬市)
出典:次のYouTube「超古代史が阿波の国から動き出す。倭大国魂神社!」



丸に三つ柏(神紋)
出典:ウィキペディア「倭大国魂神社」


YouTube: 超古代史が阿波の国から動き出す。倭大国魂神社!
2020/09/07

 また、「特技は美脚とボディライン🦵🏽」と言い、モデル、レースクイーン、イベントコンパニオンで、「2021有楽ボンバーガール🖤❤️」とも言い、「じつは英語話せる元臨床工学技士👩🏽‍⚕️」とも紹介しながら、「ナチュラルでヘルシーな生き方🌞ビールが大好き」とも述べる『なっつ🥥🌴🍉Natchan』さんの次のツイート。



 (以下、2021.04.11追加)

 本ブログ
  ・2020/04/01付『イタリアの感染拡大原因?左翼ポピュリズム「イワシ運動」&巨大宗教/Infection exp. cause in Italy? Left "sardine move" & huge religion』
  ・2020/12/03付「12.14選挙人投票は無意味、トランプ大統領はマスゴミの誘導尋問に遭った/Elector vote on Dec 14 is empty. MSM leading questions to Trump」




メディアに煽動される無知蒙昧でイワシの様な愚民達

 一方、同じ発音で「nut(ナッツ)」とは、「(固いからにおおわれた)木の実、ナッツ(クルミ・アーモンド・栗など)」とか、「頭、頭の働き」、「(特に石炭などの)小さな塊、きんたま」、「経費,支出、(特に)警官へのわいろ」、そして「変人、頭がおかしい人、…狂、…ばか」という意味であると辞書に在る。
 その最後の意味と共通する意味を持つ英単語としての「nuts」は、形容詞として「(人が)頭のいかれた、気の狂った、頭にくる」の他に、「(…に)熱狂して,ほれて,夢中で」と同じく辞書に在り、更に間投詞として「くそ、チェッ、ばかな、(軽蔑・反発・拒絶を表して)(…なんて)くたばっちまえ、くそくらえだ」とも在る。


YouTube: No Nut November (The Coomer)
2019/11/08

 
 



 新約聖書・マタイの福音書5章27~30節
   『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
  しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。
  もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。
  もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。

 The New Testament・The Gospel of Matthew 5:27~30
   “You have heard that it was said, ‘You shall not commit adultery;’
  but I tell you that everyone who gazes at a woman to lust after her has committed adultery with her already in his heart.
  If your right eye causes you to stumble, pluck it out and throw it away from you. For it is more profitable for you that one of your members should perish than for your whole body to be cast into Gehenna.
  If your right hand causes you to stumble, cut it off, and throw it away from you. For it is more profitable for you that one of your members should perish, than for your whole body to be cast into Gehenna.


 実際に強姦(レイプ)を行わなくとも、相手の同意を得ないセックスをせずとも、頭や心の中でそれらを想像するだけでも罪になる。よって、週刊誌のポルノ写真や、アダルト・ビデオ、テレビ・ドラマや映画のセックス・シーンを見るだけでも想像、妄想に繋がるので、罪と言えよう。
 実際、クリスチャンが多い圏内で使われる英語に於いては、「adult(アダルト)」に接尾語が付いた「adultery」は、「姦通、不倫、不義」という意味であり、そして、英語訳の聖書では「姦淫」という意味で用いられている。
 その『姦淫してはならない。』という御言葉は、次の旧約聖書の出エジプト記20章3~17節に書かれている、「十戒」の内の7番目の戒めとなっている。

 
 



 旧約聖書・出エジプト記20章1~17節
  それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。
   「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。
    1.あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
    2.あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
      それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
      わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
    3.あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
    4.安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
      六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
      しかし七日目は、あなたの神、主の安息日である。あなたはどんな仕事もしてはならない。―あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。―
      それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。
    5.あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。
    6.殺してはならない。
    7.姦淫してはならない。
    8.盗んではならない。
    9.あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
    10.あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」

 The Old Testament・The Book of Exodus 20:1~17
  God spoke all these words, saying,
   “I am Yahweh your God, who brought you out of the land of Egypt, out of the house of bondage.
    1.“You shall have no other gods before me.
    2.“You shall not make for yourselves an idol, nor any image of anything that is in the heavens above, or that is in the earth beneath, or that is in the water under the earth:
      you shall not bow yourself down to them, nor serve them, for I, Yahweh your God, am a jealous God, visiting the iniquity of the fathers on the children, on the third and on the fourth generation of those who hate me,
      and showing loving kindness to thousands of those who love me and keep my commandments.
    3.“You shall not misuse the name of Yahweh your God, for Yahweh will not hold him guiltless who misuses his name.
    4.“Remember the Sabbath day, to keep it holy.
      You shall labor six days, and do all your work,
      but the seventh day is a Sabbath to Yahweh your God. You shall not do any work in it, you, nor your son, nor your daughter, your male servant, nor your female servant, nor your livestock, nor your stranger who is within your gates;
      for in six days Yahweh made heaven and earth, the sea, and all that is in them, and rested the seventh day; therefore Yahweh blessed the Sabbath day, and made it holy.
    5.“Honor your father and your mother, that your days may be long in the land which Yahweh your God gives you.
    6.“You shall not murder.
    7.“You shall not commit adultery.
    8.“You shall not steal.
    9.“You shall not give false testimony against your neighbor.
    10.“You shall not covet your neighbor’s house. You shall not covet your neighbor’s wife, nor his male servant, nor his female servant, nor his ox, nor his donkey, nor anything that is your neighbor’s.”


 2年前の2019年11月、暫く膠着状態に陥っていた「ブレグジット」(イギリスのEU(ヨーロッパ連合)離脱)が、いよいよ間近に控える事となった。その上のYouTubeビデオ「No Nut November」がアップされたタイミングは丁度、その事に注目すべしとして、「寝とったらアカン!」と言いながら、「反グローバリズム」の保守的ポピュリズムの盛り上がりを期待し、そしてそれを促して煽る目的が有ってのものの様だ。

 そして、その年の12月12日、ブレグジットを国民に問う為に解散した事によるイギリス議会下院の総選挙で、EU脱退を主張して来たボリス・ジョンソン首相率いる保守党が大勝して、2020年1月末にEUを離脱する事が事実上、決まった。
 しかし、その直後というべきか、それとも、それよりも前に準備すると共に既に実行していたのか、グローバリズムを進めて来たグローバリストである世界権力カルトのイルミナティは、「ナメられてたまるか!」の思いも込めて、新型コロナ・ウィルス(SARS-CoV-2)という生物兵器をばらまいてパンデミックを起こし、今一度、その流れを引き戻す、世界の「グレート・リセット」に向けた。

 熱狂したり惚れたりする対象が女性で、恋愛やデート、レジャー等に勤しむのでは無く、時事問題狂となり、且つ陰謀を語るジャーナリストとして、世間一般からは変人扱いされ、頭がイタイ人と言われ続けるバカでいようと、僕は思う。

 本ブログ
  ・2019/10/28付『「イギリスを取り戻す!」ジョンソン政権ブレグジットまで「あと一歩!」:「マネー第一」でEUの奴隷で良いのか?/Taking back UK !, A little before Brexit ! 』
  ・2019/10/29付「“No, 666 !”:欧州議会選でEU否定派が勝利、イルミナティ・グローバリズムは増々崩壊へ、世界統一政府の雛形EUSSR / Denial party won, EU is collapsing」
  ・2019/10/29付『刊行70周年オーウェルの小説「1984」に見るEUの未来:偽善のグローバリズムは「世界共産化“666”」/EU future which can watch in Orwell 70th "1984"』
  ・2019/11/12付「グローバリズムの地球温暖化は詐欺:太陽と地球の磁気逆転、オゾンホール縮小/Sun & Globe magnetic reverse, Globalism's Global Warming is Lie 」
  ・2019/12/06付「英国人のプリンシプルでイルミナティEUSSRから脱出する!、英議会解散総選挙、保守党の勢いでBrexitへ/Escape from Illuminati EUSSR by UK Principle 」
  ・2019/12/07付「強行すべき!、ユダヤマフィアを排除したプーチンに学ぶ断行力、英Brexitと日本の憲法改正の停滞打破の為に/Carrying out learn on Putin excluded Jew Mafia」


 (以上、2021.04.11追加)

 ところで、先に掲げた牧師さんのビデオとは別に、こんな反応?も見られた(というのは、思い込みか?)。……

 <7/12に続く→>
コメント
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僕52歳の求職活動からの連想(5/12)/Age of 52 my associations from job hunting・・・聖書的価値観による判断、誓いと運命、確認、ジャーナリスト

2021-04-01 01:00:00 | エッセイ・コラム
 <※本当の投稿日時
  True posted date & time:2021/04/08 04:21>

   (当方の都合にて、投稿日時を変更しております。
    I changed posted date and time for my convenience.)

 ※ 本記事において幾つかの文献と画像を引用する事によって構成しておりますが、本記事により当方は収入を一切受け取っておりません。
 ※ I have made composition by borrowing some references and pictures in this article, but I don't receive the income at all by this article.

 <→4/12からの続き>

 僕52歳の求職活動からの連想(5/12)
  Age of 52 my associations from job hunting
   ・・・聖書的価値観による判断、誓いと運命、確認、ジャーナリスト


 ……前掲した応募メッセージ内にて触れた通り、僕自身のタラントを活かす事で、神様から良しとされる。見栄や体裁が伴わないものでも、承認や名声、評判が得られないものでも、そういった世間的な評価が得られなくとも、神様から与えられたタラント、恵みを活かす事が、創造主に従う事となり、主の為に、主を褒め称える事に繋がろう。

 僕に適したものをすれば良い。僕の、世間一般から見れば、けったいな、変な、独特の、個性の強い、そんな要素、タラントを無駄にしない。
 そして、宇宙人とも揶揄されてしまいそうな、超自然的な、不思議な事が発せられたとしても、それは僕の仕業では無い。それは、神様の恵み、つまり、主が行われたのであろう。

 
 



 新約聖書・コリント人への手紙 第一15章10節
  ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです

 The New Testament・The First Epistle to the Corinthians 15:10
But by the grace of God I am what I am. His grace which was given to me was not futile, but I worked more than all of them; yet not I, but the grace of God which was with me.


 本ブログ
  ・2014/06/08付『お金・事業より優る「思想」、それをも上回る独立した名も無き小さな一個人の勇ましく高尚な真面目なる「生涯」・・・「後世への最大遺物・デンマルク国の話」を読んで』
  ・2018/01/09付「十日戎に見る日本人・・・地上での幸福のみを願う自分の欲望を神とした祈り、渇く水を追い求める人々、敬虔な信者は自分の事を願わず神に感謝し神を賛美、人それぞれのタラントに応じた務め」
  ・2018/03/19付「僕の先月の追記:I am“out-low”, servant, and no ability神様の恵みで益とされるPeople are made as good by the grace of God 」



YouTube: 神の導きに従って生きる 今日の聖書の言葉 2021年2月27日
2021/02/27

 
 



 旧約聖書・民数記9章15~23節
   幕屋を建てた日、雲があかしの天幕である幕屋をおおった。それは夕方には幕屋の上にあって火のようなものになり、朝まであった。
  いつもこのようであって、昼は雲がそれをおおい、夜は火のように見えた。
  雲が天幕を離れて上ると、すぐそのあとで、イスラエル人はいつも旅立った。そして、雲がとどまるその場所で、イスラエル人は宿営していた。
  主の命令によって、イスラエル人は旅立ち、主の命令によって宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営していた。
  長い間、雲が幕屋の上にとどまるときには、イスラエル人は主の戒めを守って、旅立たなかった。
  また雲がわずかの間しか幕屋の上にとどまらないことがあっても、彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。
  雲が夕方から朝までとどまるようなときがあっても、朝になって雲が上れば、彼らはただちに旅立った。昼でも、夜でも、雲が上れば、彼らはいつも旅立った。
  二日でも、一月でも、あるいは一年でも、雲が幕屋の上にとどまって去らなければ、イスラエル人は宿営して旅立たなかった。ただ雲が上ったときだけ旅立った。
  彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。彼らはモーセを通して示された主の命令によって、主の戒めを守った。

 The Old Testament・The Book of Numbers 9:15~23
   On the day that the tabernacle was raised up, the cloud covered the tabernacle, even the Tent of the Testimony. At evening it was over the tabernacle, as it were the appearance of fire, until morning.
  So it was continually. The cloud covered it, and the appearance of fire by night.
  Whenever the cloud was taken up from over the Tent, then after that the children of Israel traveled; and in the place where the cloud remained, there the children of Israel encamped.
  At the commandment of Yahweh, the children of Israel traveled, and at the commandment of Yahweh they encamped. As long as the cloud remained on the tabernacle they remained encamped.
  When the cloud stayed on the tabernacle many days, then the children of Israel kept Yahweh’s command, and didn’t travel.
  Sometimes the cloud was a few days on the tabernacle; then according to the commandment of Yahweh they remained encamped, and according to the commandment of Yahweh they traveled.
  Sometimes the cloud was from evening until morning; and when the cloud was taken up in the morning, they traveled; or by day and by night, when the cloud was taken up, they traveled.
  Whether it was two days, or a month, or a year that the cloud stayed on the tabernacle, remaining on it, the children of Israel remained encamped, and didn’t travel; but when it was taken up, they traveled.
  At the commandment of Yahweh they encamped, and at the commandment of Yahweh they traveled. They kept Yahweh’s command, at the commandment of Yahweh by Moses.


 「主の命令によって」と繰り返されて強調され、そして「旅立ち」、「宿営した」と在る。
 また、「主の命令によって、主の戒めを守った」、「主の戒めを守って、旅立たなかった」とも在る。
 人生という旅に於いて、何物をも置いて創造主を第一としながら、主の戒めを守り、主の命令に従って、主に導かれて歩んでいく。


YouTube: 謙遜な人 今日の聖書の言葉 2021年2月28日
2021/02/28

 
 



 旧約聖書・民数記12章3節
  さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。

The Old Testament・The Book of Numbers 12:3
  Now the man Moses was very humble, more than all the men who were on the surface of the earth.


 古代ユダヤ民族の大指導者にして大預言者であったモーセでさえ、創造主である唯一の絶対神の御前に於いては、謙遜、謙虚であり、神様に絶対服従していた。


YouTube: 「盗人のように来る主」黙示録3章1節から3節
2021/02/27

 
 



 新約聖書・ヨハネの黙示録3章1~3節
  また、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊、および七つの星を持つ方がこう言われる。「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。
  目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行ないが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。
  だから、あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。もし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る。あなたには、わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。

 The New Testament・The Revelation of John 3:1~3
  “And to the angel of the assembly in Sardis write: “He who has the seven Spirits of God and the seven stars says these things: “I know your works, that you have a reputation of being alive, but you are dead.
  Wake up and strengthen the things that remain, which you were about to throw away, for I have found no works of yours perfected before my God.
  Remember therefore how you have received and heard. Keep it and repent. If therefore you won’t watch, I will come as a thief, and you won’t know what hour I will come upon you.


 「あなたは生きているという評判(reputation)がありますが、あなたは死んでいます。」
 「reputation」は、評判の他に好評、名声という意味も有る。
 とかく、世間、社会の中では、貪欲な姿が誉め讃えられがちだ。欲にまみれて遊びやレジャーとかで派手に金を使い、高級品を買い漁り、高価な衣服や宝飾品を身に付け、高級住宅に住んだり、高級車に乗る。また、そんな事をする為にも、その分、お金をいっぱい稼ぐ。

 そんな姿は一見すると、エネルギッシュで、アクティブに見え、明るく、生き生きとして見える。反対に、貧乏で貧相な姿、慎ましく質素な姿は、今にも死んでしまうのではないかと思われ兼ねない。
 貪欲とは、欲が深く飽く事を知らないという意味が有るが、言い換えれば欲張り、強欲、がめつさとも言える。
 「生きているという評判」とは、そんな貪欲である事であり、それは「実は死んでいる」。

 子供の教育費や親の介護費、その他、生活費を賄うのに苦しいが為に、また、下請けの町工場の鉄工所の職人が、納期までの時間が無い仕事をするのに、残業や残業の延長、休日出勤をし、また、前者の場合はそれだけでは無くダブル・ワーク、トリプル・ワークまでしている人々が居る。これらの人々は、仕方がないと言えなくは無い。
 また、ハングリー精神、向上心が有って、そういう風にやっている人々も居る。しかし一方で、貪欲にプライベートを満たしたいが為に、より多くのお金を稼ごうとしてやっている人々も居る。こちらの方は、頂けない。
 
 「キリスト者が眠ってしまうことについて」と、牧師が述べている。いずれにしても、そんな仕事まみれ、金稼ぎまみれ、そしてお金に余裕の有る者はお金を手にして貪欲まみれとなって、時間や気持ち、頭や心の精神面には余裕が無く、今後、イエス様が再降臨して来る時には気が付かない。
 ジャーナリストとして日記を付けながら、政治、社会情勢、国際情勢を、目を覚まして見る。そして、終末的な様相を呈する中で、イエス様が来られる時が近い事を知る。

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  2019/11/27付『ザリフ外相「戦争止める努力続ける」ライター「ジャーナリストは抑止力」/"I continue effort that stop war""Journalist is deterrence force"』


YouTube: 主に尋ねる姿勢 今日の聖書の言葉 2021年3月7日
2021/03/07

 
 



 旧約聖書・民数記27章5節
  そこでモーセは、彼女たちの訴えを、主の前に出した。

 The Old Testament・The Book of Numbers 27:5
  Moses brought their cause before Yahweh.


 自分の事に関する願いや希望を神様に祈るのでは無く、虐げや迫害に遭っている人達に同情し、共感し、連帯して、それらの人達の事について神様に祈る。
 また、自分の意志や欲望が叶う様にと祈るのでは無く、神様の御心通りに行える様にと祈り、神様に感謝し、神様を賛美し、神様の栄光を褒め称える祈りをする。


YouTube: [NEWS] クリスチャン クリエイターズ マーケット「Gift Box」|CGN FOCUS
2021/03/10

 2021/03/11付の僕のコメント
  「それぞれの持っている光をこの世の中にインパクトを持って発信できる」
  「神様のために自分の持っている賜物を持って」

  僕も、「ものづくり」や「ものを書く」仕事をしているクリエーターとして、共感します。
  自分の個性、アイデンティティであり、また、我慢や忍耐という「自分の十字架」を背負うという捉え方、感じ方から成長・成熟した、神様から与えられた恵みであるとして感謝、喜びを持った「タラント」を活かし、神様の御心である運命、宿命、使命に従って、この世に於いての僕の役割を果たします。
 (コメントはここまで)

 「光」、「賜物」とは、正に、人それぞれが持っているタラントの事だ。
 でも、ここで言うのは特に、クリスチャンそれぞれが持っている個性、アイデンティティといったタラントであろう。
 そして、クリスチャンそれぞれがイエス様の身体の一部となって役割分担をしながら、一体となるのであろう。
 このYouTubeビデオを見て、タラントを活かした「クリエーター」という事に共感し、応募を辞退する事に、ハッキリ踏ん切りが付いた。見る前から辞退する様には考えていたのだが、一気に後押しされた感じであった。
 

YouTube: ちっぽけな覚悟、されど覚悟 今日の聖書の言葉 2021年3月13日
2021/03/13

 
 



 新約聖書・マルコの福音書14章30~31節
  イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」
  ペテロは力を込めて言い張った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」みなの者もそう言った。

 The New Testament・The Gospel of Mark 14:30~31
  Jesus said to him, “Most certainly I tell you that you today, even this night, before the rooster crows twice, you will deny me three times.”
  But he spoke all the more, “If I must die with you, I will not deny you.” They all said the same thing.


 その応募辞退に際し、改めて、3年半足らず前(追記部分は3年足らず前)の2017年11月に誓いを立てた「Preparation」を確認した訳だ。しかし、その心構え、覚悟、そして今後の目的や使命として宣言した事とは裏腹に、嘘を付いてしまう様にして、やる事為す事がその通りとはならない可能性が有る。
 誘惑や挑発に負けたり、臆病、迎合、媚びへつらいにより自分の信念を曲げてしまう等と、所詮、人間は、そんな風に弱いものであるので、その人間が立てる誓いや計画が「ちっぽけな覚悟」であるとおっしゃる。

 岩の様に固い信念を持つはずのペトロが、教会の礎になる宿命を負ったペトロが、イエス様について「知らないなどとは決して申しません」と誓ったにも関わらず、「知らないと三度」言ってしまった。
 僕も、固い信念、Preparationを頑固に抱きながらも、今回の様に揺れ動いたりする事が有る。ただ僕の場合は、試しに応募してみた結果、結果的に、そのPreparationに掲げた事が神様の御心と合致している可能性が高い事が解った。

 実際、世間一般的には、誓い、目標、計画といったものが、自分の欲望を基にした単なる思い込み、自分勝手な希望であって、神様の御心とはかけ離れている場合も多々有る故に、人の考えた通りには物事が進まない場合が多くなっている。つまり、そんな人の恣意的な計画が、神様が立てた御計画である運命に逆らっているからだ。

 そんな弱い人間、中でもクリスチャンが、イエス様を信仰すると誓いながらも、聖書の記述内容、聖書的価値観に反する事を犯してしまう。それでも、クリスチャンである限りは引き戻され、試練が与えられて練磨され、その都度反省し、悩み試行錯誤を繰り返しながらも、覚悟を持って頑固にイエス様を信仰し続けるならば、救われるのだろう。

 以下、2021/03/12付・日本Christian Today「自由人として生きる 菅野直基」より 
  『……私たちには、罪を犯さない自由があり、この世と妥協しない自由があり、人の顔色を恐れて行動を変えない自由があります。冒頭の聖句にあるように、すへての人を敬う自由があります。「すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい」
  自分の利害や損得、好き嫌いで人を判断し、ある人を高くし、ある人を低く扱う人がいます。自分の罪の性質から自由になっていない故にそうしてしまうとしたら、それは罪の奴隷です。自由人ではありません。……
…(中略)…
  ……自分の好き嫌い、利害や損得などの自分のこだわり、古い人、罪の性質などから自由にされていることを感謝して、神が喜ばれる生き方を目指していきましょう。』
 (以上、2021/03/12付・日本Christian Today「自由人として生きる 菅野直基」より)

 
 



 新約聖書・ペテロの手紙 第一2章16~17節
  あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。
  すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。

 The New Testament・The First Epistle of Peter 2:16~17
  Live as free people, yet not using your freedom for a cloak of wickedness, but as bondservants of God.
  Honor all men. Love the brotherhood. Fear God. Honor the king.


 人の反応や批評、評判、承認、バッシング、干渉に迎合して従う事は、間違いである。しかし、この世の中を出来るだけ無難に渡り歩いていこうと思えば、そんな世間とも多少の擦り合せが必要とされてしまう。
 特に日本人の場合は、昔から村八分で排除したり、隣組で監視・密告を行なって来た様に、今までにも「空気読め!」と言ってその場の雰囲気に合わせる事を強要したり、現在でもコロナ禍の中で同調圧力、自粛警察と、まるで警察国家、全体主義、ファシズム、共産主義体制の中で生活している様に、個性が強く一般的なものから距離を取って客観視して見ている僕なんかは感じている。

 一方、「神の奴隷」と成る事は正しい。イエス様を信じ、自分の主(あるじ)として主(しゅ)に心を委ね、この世での旅路に於いてイエス様に導かれて歩んで行く。
 「自己実現」しようとするのでは無く、「神実現」と成る様に祈る。自分の欲望を捨てて、神様の御心、思し召しの通りに生きていける様に祈る。神様に従うとは、そんな、運命、定めに則り、宿命、使命を果たす事だ。
 本当の自由とは、そんな、神様に委ね切った時に得られる、心が解放された状態だ。自分の欲望や世間の承認等に囚われている限り、心はそれらの奴隷となっている。

 本ブログ
  2020/05/20付「みんな同じ日本人は共産主義が好きなのだろうか?リンチされる個性、空気の全体主義、顔色伺う監視密告/Do Japanese who are everyone same like communism?」

 以下、2021/03/08付・日本Christian Today「キリストの道を歩もう 万代栄嗣」より 
  『今日開いた詩篇119篇では、信仰生活の本質が描かれています。……
  …(中略)…
  1. 神の御言葉に立って歩む道がある
  119篇には、みおしえ・仰せ・戒め・さとし、という言葉が何度も出てきます。神様の教えがあるのです。今の世の中、何でも自分の思い通りにいけばよいという風潮がありますが、そうではありません。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」(119:105)。神の御言葉を土台とし、御言葉の光によって歩みましょう。3月は、さまざまな知恵や決断が必要とされる時期です。人の言葉や世の中の流行ではなく、常に神の御言葉に立って生きる道があることを感謝しましょう。
  2. 常に平和と平安が与えられる
  聖書が言う平和とは、単に戦争がない平和だけでなく、心に落ち着きや神による安らぎが与えられることです。
いつも不機嫌でイライラしている人は、平和や平安が失われているのです。「あなたがたが私から学び、・・・見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます」(ピリピ4:9)とあるように、神の御言葉を守り、実行するならば、神は必ず平和と平安を与えてくださいます。神の御言葉に立って歩むなら、必ず平和の神が共にいてくださり安定した歩みができます。
  3. 私たちの道には救いの希望がある
  …(中略)…
  4. 神の愛が常に注がれている
  …(中略)…
  「私の人生は、あなたの御前にあります。私の人生のすべてが、神と共にあります」と告白し、信仰の一本道をしっかりと歩み続けましょう。神の愛と恵みは、あなたに注がれています。』
 (以上、2021/03/08付・日本Christian Today「キリストの道を歩もう 万代栄嗣」より)

 
 



 旧約聖書・詩篇119章165~168節
  あなたのみおしえを愛する者には豊かな平和があり、つまずきがありません。
  私はあなたの救いを待ち望んでいます。主よ。私はあなたの仰せを行っています。
  私のたましいはあなたのさとしを守っています。しかも、限りなくそれを愛しています。
  私はあなたの戒めとさとしを守っています。私の道はすべて、あなたの御前にあるからです。

 The Old Testament・The Book of Psalms 119:165~168
  Those who love your law have great peace. Nothing causes them to stumble.
  I have hoped for your salvation, Yahweh. I have done your commandments.
  My soul has observed your testimonies. I love them exceedingly.
  I have obeyed your precepts and your testimonies, for all my ways are before you.


 「あなたのみおしえ」が、英語では「your law(あなたの法)」、「あなたのさとし」が「your testimonies(あなたの証言)」となっている。
 神様の「御教え、諭し、戒め、仰せ」が、聖書に書かれている。聖書に書かれている真理は、神様による立法であり、神様の証だ。

 世間の人々やマスコミの言葉に頼るのでは無く、そんな世俗から離れて独立した聖書の真理に従って歩むなら、つまり、信仰心を持ってイエス様と直接繋がるならば、心の中の静寂や安定が得られよう。
 そして、そういった、周囲の反応や動向に動かされない、泰然自若、確乎不動とした、本当の強さが得られるので、生活や収入、そして人生の旅路も、安定して来るのであろう。


YouTube: 戦う心構え 今日の聖書の言葉 2021年3月21日
2021/03/21

 
 



 旧約聖書・申命記20章3~4節
  彼らに言いなさい。「聞け。イスラエルよ。あなたがたは、きょう、敵と戦おうとしている。弱気になってはならない。恐れてはならない。うろたえてはならない。彼らのことでおじけてはならない。
  共に行って、あなたがたのために、あなたがたの敵と戦い、勝利を得させてくださるのは、あなたがたの神、主である。」

 The Old Testament・The Book of Deuteronomy 20:3~4
  and shall tell them, “Hear, Israel, you draw near today to battle against your enemies. Don’t let your heart faint! Don’t be afraid, nor tremble, neither be scared of them;
  for Yahweh your God is he who goes with you, to fight for you against your enemies, to save you.”



YouTube: 「戦場にいる自覚」ダニエル書10章10節から14節
2021/03/27

 
 



 旧約聖書・ダニエル書10章10~14節
   ちょうどそのとき、一つの手が私に触れ、私のひざと手をゆさぶった。
  それから彼は私に言った。「神に愛されている人ダニエルよ。私が今から語ることばをよくわきまえよ。そこに立ち上がれ。私は今、あなたに遣わされたのだ。」彼が、このことばを私に語ったとき、私は震えながら立ち上がった。
  彼は私に言った。「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。私が来たのは、あなたのことばのためだ。
  ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をペルシヤの王たちのところに残しておき、
  終わりの日にあなたの民に起こることを悟らせるために来たのだ。なお、その日についての幻があるのだが。」

 The Old Testament・The Book of Daniel 10:10~14
   Behold, a hand touched me, which set me on my knees and on the palms of my hands.
  He said to me, “Daniel, you greatly beloved man, understand the words that I speak to you, and stand upright, for I have been sent to you, now.” When he had spoken this word to me, I stood trembling.
  Then he said to me, “Don’t be afraid, Daniel; for from the first day that you set your heart to understand, and to humble yourself before your God, your words were heard. I have come for your words’ sake.
  But the prince of the kingdom of Persia withstood me twenty-one days; but, behold, Michael, one of the chief princes, came to help me because I remained there with the kings of Persia.
  Now I have come to make you understand what will happen to your people in the latter days, for the vision is yet for many days.”


 「悪魔悪霊の組織に足元をすくわれないためのお分ちです」と、牧師が述べられる。
 クリスチャンにとって、この世の中で生きていくという事自体が、戦場で生きている事となる。

 世間では、「多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んで」おり、そして、大衆の中に存在する「彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥」になっており、「彼らの思いは地上のことだけ」になってしまっている(「 」内:新約聖書・ピリピ人への手紙3章18~19節より)
 しかし、使徒パウロは「私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます」(同書3章20節)と述べられた。

 クリスチャンであるならば、この世の命よりも、後の天での永遠の命の方を重視する。そして、この世での生き方が、天国に入れるか、それとも地獄に落とされるかを決定付けると考える。
 尤も、一度、罪を犯したからといって、それで地獄行きが決まる訳ではない。その、新約聖書の大部分を書いた使徒パウロも、イエス様を受け入れる前は、原始キリスト教徒達の多くを迫害して罪を犯していた。しかし、表面的な反省に留まらず、心からの悔い改めをして改心した事により、キリストが「万物をご自身に従わせることのできる御力によって」、パウロの「卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変え」られた(「 」内:同書3章21節)

 使徒パウロは、改心してから行なった各地での伝導に於いては、多くの苦難、困難が立ち塞がり、試練、迫害、そして陰謀、圧力が掛けられた。
 イエス様も、3年半の公生涯の中で困難を伴い、その時に於いての最後は、当時のエスタブリッシュメントの陰謀によって十字架に架けられ、暗殺されてしまった。……

 <6/12に続く→>
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僕52歳の求職活動からの連想(4/12)/Age of 52 my associations from job hunting・・ME辞退、やはり製缶工で就職、オッサンの現実と臨工の行方、絶望への導き

2021-03-31 01:00:00 | エッセイ・コラム
 <※本当の投稿日時
  True posted date & time:2021/04/08 04:21>

   (当方の都合にて、投稿日時を変更しております。
    I changed posted date and time for my convenience.)

 ※ 本記事において幾つかの文献と画像を引用する事によって構成しておりますが、本記事により当方は収入を一切受け取っておりません。
 ※ I have made composition by borrowing some references and pictures in this article, but I don't receive the income at all by this article.

 <→3/12からの続き>

 僕52歳の求職活動からの連想(4/12)
  Age of 52 my associations from job hunting
   ・・・ME辞退、やはり製缶工で就職、オッサンの現実と臨工の行方、絶望への導き


 ……結局、応募した日の翌日の11日(木)午前中に、辞退すると共に、感謝とお詫びの長文のメッセージを、採用担当者である当医院の事務長宛てに、C.M.のサイトのメッセージ・フォームに記載して送った。
 そのメッセージも、ここに公開する。
 
 『申し訳有りません。やはり応募した後に再度検討しました結果、辞退する事に致しました。
 応募した後に貴院のホームページを拝見させて頂いたのですが、先に出した応募に際してのメッセージにも記載しています通り、貴院のまるで高級ホテルの様な、上品な雰囲気、空気、そしてそんな所で従事しておられる高貴なコメディカル・スタッフに圧倒されてしまいそうで、プレッシャー、そしてストレスで潰されてしまう事も予想され、ただでさえ今年52歳になり60歳まで後8年しかない中年男にして経験が無いに等しく、透析業務に於けるセンス・タラントに欠ける上に、その様な事で精神的に負担が掛かるものと思います。
 僕がまさか、この世間の中に在って特別な存在である訳でも無いし、世間一般的な通念、常識に照らし合わせて、そんな事、つまり、非常識、型破り、破天荒な行いが通用しない事でしょう。少なくとも、貴院の上品で高貴な、ステータスの高い、お医者さんや看護師をはじめとした医療従事者の方々にとっては、僕が「場違い」の存在として目に映る事でしょう。
 先にお送りしましたキャリアシートとそれに続くメッセージに記載しました事に僕の至って素直で正直な考え、概ね全体的な思いを語りましたので、このメッセージ内に於いて再度、述べる必要はないかと思います。
 僕自身にピッタリ適合するものが「タイミング」的に少ないとしても、許容範囲内である程度の擦り合せ、調和を図りさえすれば、このコロナ・ショックの中でも仕事は沢山在ります。
 「気まぐれ」と聞いて、「いいかげんな奴」であるとか、「こいつはやる気が有るのか?」、「遊びでやっとるのか?」と思われたかもしれません。しかし正直な所、つい最近まで「臨床工学技士」という資格の名前が頭の中に存在すらしませんでした。先のメッセージにも記載しました通り、今後一切行わないという事で、今から5、6年前に****(※=O医療系専門学校)に通学時に使用していた教科書や資料等を全部捨てました。
 僕は、本当にやる気を持っているならば、周囲の人々が嘲笑しようが茶化したりしようが、そんな事を気にせず、行います。あの****(※=O医療系専門学校)に通学し始めた時も、高校出たての若い生徒達等から笑われましたが、自分の持っている目標・目的に一意専心していただけで、全く臆する事も有りませんでした。
 よって、逃げている訳では無く、既にやる気が失くなっていたとか、使命感、志が失われた為に、目指そうという思いもなかった訳です。
 人の反応によって自分の行動を決める人達こそ恥であると、僕は思います。笑われるから辞めようとか、こんな事を言ったら揶揄されるから止めとこうといった事こそが恥ずかしいものと、僕は思います。
 人の承認というものを、僕は全く当てにしていません。人の承認の基になっている知識や教養、そして唯一の創造主への信仰の有無を見れば、自ずと解る事です。また僕は自分を信じる「自信」であって、他人の顔色等の反応や誘惑、唆しに従う「他信」では有りません。
 しかし僕は、その「自信」をも上回る「神信」を持つクリスチャンであります。とかく世間一般的には、人々は「自己実現」を誇っています。目標を達成したとか、チャレンジに成功したとかした暁には、人は大抵、自分を誇りに感じます。それでも、確かに謙虚な人の場合には、周囲の人々の協力のお陰でと、周囲の人々への感謝も感じるでしょう。
 その一方で、「神実現」が存在します。自分で成し遂げようとするのでは無く、神様に委ねる、勿論、努力する事は必要ではあるけども、自分の力、能力を過信するのでは無く、イエス様に成し遂げてもらう姿勢が必要であって、例え成功が得られたとしても、その事で自分を誇るのでは無く、神様を誉め讃え、イエス様を賛美する事が本当の姿である事を理解しています。
 僕のタラントの一部としての、ものづくりの「鉄工・製缶工」の求人情報を見る為にハローワークのインターネット・サービスのトップページを見ました所、こう書いてあります。「新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のお仕事を希望される医療専門職種(看護師、……臨床工学技士、……)の資格を保有している方々は、地域の医療関係機関から急募の求人が出ていますので、是非、求人内容をご確認ください。」
 僕はこの度、こうして失業中であるのは、次の様な経緯が有るからです。
 昨年の9月末、請負(業務委託、準委任)の形で2年間勤めて来た鉄工所に居れなくなり、11月に新たに別の鉄工所に同じく製缶工として転勤しましたが、同月末に「クビ」になりました。同僚の者と少し言葉の論争が有った事が基となったものでしたが、そこの社長が僕を「クビ」にする理由として「宗教に勧誘するから」等として、つまり、僕が「クリスチャン」である事を理由として、試用期間中での解雇となりました。因みに、僕は現在、教会とか宗教組織・団体には通っておらず、一人孤独に聖書を通じて神様と直接、接する態度を持つ、独立したクリスチャンです。故に、勧誘等をする訳が有りません。
 僕の過去を思って、喧嘩等が起こらない様にと予防措置を執った事も有るのでしょう。この世間。社会で生きていく上では、過去の出来事から貼られた「レッテル」や風評等が大きく影響するものです。
 しかし、そんな一連の事が、どうも「タイミング」的に不思議にも思えます。昨年の11月3日、2020年のアメリカ合衆国の大統領選挙の投票が行われました。しかし、不在者投票の郵便投票がその投票日を過ぎてからも大量に送り続けられたり、他にも署名や住所の記載無し等といったものをも含めて「違法票」が大量に存在した他、集計機のアルゴリズムなどに細工がしてあったりソフトウェアとの連携でハッキングが行われたりと、トランプ票が抹消されたりトランプ表がバイデン側に盗まれたり等といった、前代未聞の巨大な「選挙不正」が行われた為、本当は前任者のドナルド・トランプ氏が大統領に再選されていたにも関わらず、年が明けた本年の1月20日の大統領の就任式に於いて「犯罪者」であるジョー・バイデンが大統領職に就いてしまいました。
 投票日直前と、その後のトランプ弁護団やトランプ支持者等による「選挙不正」を糾す為の「法廷闘争」が行われている間に、僕にはそんな纏まった時間が与えられました。2020年の米国大統領選挙は、単に一国の指導者を決める選挙であった訳では無く、今後の世界の行方を左右する重要なものでありました。
 それ故、僕の「タラント」を活かさせる為の、神様による図らいであった事も考えられます。そして、聖書にはこんな御言葉が書いてあります。
 
 旧約聖書・エステル記4章13~16節
  『モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。
  もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」
  エステルはモルデカイに返事を送って言った。
  「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」』

 この事に関して、僕が投稿したブログ記事は次です。

 2020/12/06付『僕の今現在は「もしかすると、この時のためであるかもしれない」(エステル記4章14節)/My now "may be for this time" (The Book of Esther 4:14)』
  
 現在、アメリカでは、先のメッセージに記載しました「アウトコール・カルチャー」や「キャンセル・カルチャー」が行われ、それらが「ポリティカル・コレクトネス」を基にしています。その「ポリコレ」とは、政治上、社会上、宗教上に於いて公正・中立でなければならないというものです。しかし実際には、その「ポリコレ」は左翼リベラルを基準にして偏向しており、現在、グーグルやYouTube、Twitter、facebook等といったビックテックのSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)に於いて保守中道や右派人々の投稿をパージする「言論弾圧」が行われています。そしてその様な中で、フォロワーが9,000万人近くにもなっていたトランプ大統領(当時)のツイッター・アカウントも永久凍結されてしまいました。
 僕が「クリスチャン」だからという理由で「クビ」になった事と同じく、キリスト教がベースとなっているはずの米国でも、現在、クリスチャンが迫害を受けています。本当のクリスチャンは「保守」であり、クリスチャンの言論が排除されたり禁止され、クリスマスさえも公に、大手を振って祝えなくなっています。
 今年の世界経済フォーラム、通称「ダボス会議」のテーマは、「グレート・リセット」です。それは、超大国のロシアのプーチン大統領と共に、同じく超大国の米国の大統領としてトランプ氏が主導して来たと言っても良い、最近の「反グローバリズム」、「反世界新秩序」の流れの勢いを止めて、今一度、以前の「グローバリズム」、つまり世界を一つに纏めて統一する、世界統一政府を樹立して世界を全体主義化、共産主義化する流れに戻すというものです。
 新型コロナウィルス感染症(COVID-19)というものが、実は人工的な「生物兵器」であり、HIV(エイズ)ウイルスが組み込まれています。その生物兵器のばら撒きにより、地球温暖化という詐欺(本当のところは地球は「寒冷化」に向かっていまして、また異常気象の原因も二酸化炭素では無く太陽と地球の磁気がそれぞれ反転している事に由来します)とセットにして経済の抑制に繋げたり、ワクチンや治療薬のビジネスもセットにしています。そして、「グレートリセット」する為に、この50年間で最低を記録する、失業率3%台を達成させたトランプ大統領を引きずり下ろす為に、「違法票」としての郵便投票を行いやすくする等といった事が含まれます。
 コロナ禍の中、経済封鎖、食糧生産の停止、飢饉の発生、そして失業等は、備蓄や貯金をしていない人は生活する事すら苦しくなります。また、自粛生活、引きこもり生活によって、うつ病等の精神疾患に罹り、自殺に向かう人々も居ます。そして更に、ワクチンや治療薬の中に入れられている「添加物」によって、副作用に苦しんだり死亡に至るケースが発生します。
 食料や水、エネルギー等の限界点が近い事を、世界の裏の権力者、「ディープ・ステート」は考えています。その上で如何に、現在77億人とも言われる世界人口を減らすかという事を考えています。
 COVID-19パンデミックは勿論の事、その他、戦争を起こす事等によっても人口削減を謀っていますが(今後の核戦争、世界最終戦争である第三次世界大戦が懸念されるところです)、ワクチン接種もそのディープ・ステートの考えで行われています。
 ワクチンの製造には、通常、5~15年程を要するとも言われています。しかし現在、接種が始まったコロナ・ワクチンの場合、1年も経ずにして製造されました。よって勿論、通常は何度も何度も動物実験を繰り返して安全性を調べますが、それが成されていませんので、「人体実験」によって確認しています。
 また、抗原である新型コロナ・ウィルス(SARS-CoV-2)と抗原抗体反応させる為には、完全にピッタリと一致する型の抗体でなければならず、その為にはHIVウイルスを身体の中に入れなければならず、正に、ワクチンを打たれた人はエイズに感染する事となります。
 また、コロナ・ワクチンには、メッセンジャーRNA(mRNA)が添加されています。これは、体内で免疫反応を誘発させ、その遺伝情報を基にして抗体のタンパク質を作ろうとするものです。そのmRNAを身体に入れるに当たり、今まで全く使用された事の無いナノ物質(ALC-0315、ALC-0159)を添加して、取り込みを促進させたり界面活性(親油性、親水性)を持たせる様にもしています。
 その遺伝子ワクチンは、食物に於いて行われている遺伝子組み換えやゲノム編集と同様のものであります。そのワクチンを接種する事によって、身体の遺伝子の改変が行われて、自己免疫疾患や発癌する事に繋がります。
 また、その人間の都合によって遺伝子が編集され改変された食物の中には、例えば、種無しブドウ、種無しスイカ、種無しピーマンといった野菜や果物と同様に、人間の男性にも「種無し」、つまり、精子を生み出せない男性が生じる事も考えられます。
 実際、コロナワクチンには、あの子宮頸癌ワクチンと同様に、不妊剤も添加されている様です。子宮頸癌ワクチンの場合、ペットに使用するアジュバンドという避妊材が添加されています。そんなワクチンを、小学生~高校生に「強制的に」打たせようとしたのです。
 子宮頸癌ワクチンをそんな未成年者に打つのは、特にそんな年代の子供達に対してセックスする事を勧めている事と同じです。僕なんかはクリスチャンとして「純潔主義」を持ち、結婚するまではセックスをしない事が当たり前と考えますが、現在の世の中は精神面、道徳的な退廃が起きており、そんな考え、価値観が「幼稚」であるとか「子供」というように茶化されがちです。
 数多く種類の有る型の内から一部の型のみをピックアップしているだけであるので、抗原抗体反応するヒットする確率は低いし、例え効き目が有るとしても数年間しか持続しないとされ、その後に再びワクチンを接種する必要が有ります。子供、成長期の青少年と、免疫力、抵抗力の弱い年代にそんなワクチンを打つ事は、大きな影響、副作用が出る事となります。
 インフルエンザ・ウィルスの場合には、コロコロと変異を繰り返す事も有って、数万どころか数億種類もの型が有ると言われています。しかし、ワクチンはそんな膨大な種類の型の中から極一部の型をピックアップして製造しているので、予想したウイルスの型にピッタリヒットする事はまず無いと言って良いでしょう。現在流行しているSARS-CoV-2(新型コロナ・ウィルス)も、既に変異が起きています。
 全てのワクチンには、保存料としてチメロサールという水銀が添加されています。水銀は脳の神経細胞(ニューロン)を縮小させますが、そのせいか、最近はアスペルガー症候群、自閉症、注意欠陥多動性障害等といった子供達が増えています。ワクチンや治療薬だけでは無く、食べ物に含まれる添加物も影響している事でしょうし、母親が胎児を宿している時の食事や喫煙、赤ちゃんに与える母乳からも影響を受けているでしょう。
 HIVウイルスやmRNAが入っている事の他、マイクロチップも入れられているとも言います。5Gの電磁波、通信網との関係で、全体主義の下で監視下に置かれるとも言われていますし、コロナの感染拡大にも影響していると言われています。
 僕は、キャリアシートに於いて記載していました通り、以上の事から、コロナ・ワクチンの接種を拒否するという判断をしています。よって、その点でも、特に現在に於いて勤める事が出来ないでしょう。患者へのウイルス媒介者となってしまうとか、院内感染の爆発が口実となる事でしょう。
 ちょっと話が逸れた感が有る程に長々となってしまいましたが、ついでに僕が今から3年前に投稿したブログ記事、及び、昨年投稿した記事のタイトルとリンクを記載しておきます。医療の事を批判するとしても、決してその事がリベンジ、「倍返し」であるとか、恨み辛みという感情を持って行なっている訳では無いという事が理解されましょう。

 ・2018/02/27付『「ボタン一つ」の「生命倫理」、核戦争、仕事、技士さん、そして透析医療と導入前「保存期腎不全対策」に見る病院の「利益相反」行為 』   
 ・2020/04/06付「医療従事者の子供がいじめ被害:アホの親子は受診資格なし!/Health care worker's children are bullied. Fool should die by roadside! 」

   
 最後に、この度は長々とした「けったいな」(奇妙な、変な)メッセージをお寄せ致しました事により、そちら様の気を煩わせました事を、お詫び申し上げます。
 この度は、スカウト通知を頂きました事を感謝いたします。
 現在の「コロナ禍」、「コロナショック」の中で少し「気まぐれ」を起こしましたが、やはり僕は、神様からの「恵み」として授かった「タラント」を活かすべく、僕に適合した「ものづくり」や「ものを書く」というクリエーターとして生きていく覚悟(preparation、準備、備え、心構え)を再確認しました。』

 以上が、K.M.P病院の応募を辞退するに際して送ったメッセージだ。

 本ブログ
  ・2020/01/10付「笑われるから辞める?周囲の反応によって行動を決める輩共こそ愚民・恥ではないか/Just people who decide action by reaction are ignorant masses」
  ・2020/11/20付「米大統領選挙:使命の為に沈黙せず立ち上がる!& PS of "My Testimony"(1/2)/We don't keep silence for mission, and stand up! 」


 辞退を応募先に通知したものには、「※このメッセージは求職者が応募辞退をした時点でシステムより通知しております。求職者がこの求人の応募を辞退しました。」と書かれていると共に、「尚、引き続きメッセージ機能によるメッセージのやり取りは可能です」とも書かれている。
 しかし、そのかなり長いメッセージを送った後、何も返信は来ない。未明の2時頃に送った応募時のキャリアシートとメッセージは、確か、昼を過ぎてからであったか(?)「未読」から「既読」に変わったが、こちらの辞退に際したメッセージの方は、午前9時半頃に送信するや否や、直ぐに「既読」に変更された。
 まぁ、やはり、その長文メッセージの内容を読んだ事も有って、引き止める気もサラサラ無い事が伺える。

 そして続けて、5日に応募し、その後「書類選考」の知らせを送って来た2件についても、履歴書等を郵送する事無く、Eメールにて辞退の旨を、感謝、お詫びのメッセージを添えて、応募先に伝えた。O病院の事務方(採用担当者)には、Indeedの履歴書の希望事項に記載していた続きの部分を、また、Kクリニックにはその全部を、掲載しておいた。

 その内、後者に送付したEメールの冒頭に書いた挨拶を、ここに公開する。

 『申し訳有りません。やはり応募した後に再度検討しました結果、辞退する事に致しました。
 この度は、この際いっその事、この機会に試しに応募してみようと、僕の勝手な都合、「気まぐれ」により、そちら様の気を煩わし、御迷惑をお掛け致しました事をお詫び申し上げます。
 この度、Indeedを通じての応募でありましたが、「この求人に簡単応募」というフォームには、氏名や生年月日、電話番号、Eメール・アドレスぐらいしか記載事項が無かったものと思います。Indeedのシステムがどの様になっているのかが解らないのですが、応募先には公開している履歴書を見る事が出来る様になっているのでしょうか?
 現在公開しているIndeedの履歴書は、3月6日(土)に編集し直しました。変更する前は「鉄工・製缶工」の求人会社向けの内容としていましたが、現在の所は医療施設向けの内容にしております。その変更・編集した後の履歴書を御覧になされた後のこのお知らせであったのでしょうか?
 一期一会として、一応、その履歴書の「希望事項」に掲載しているものを、本メッセージに掲載して、この度のお詫び、お礼、感謝に代えさせて頂きます。

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 この度、こちらの都合により、「気まぐれ」で応募する事にしました。
 51歳にして、経験は無いに等しい……(以下、前に掲載した通りである為、省略)』

 すると、午前10時半に送ったその辞退届のメールへの回答として、同日の13時50分頃に「メールを拝読いたしました」として、Eメールを頂いた。

 「お問い合わせの応募時の情報についてですが、当方には、**様の氏名、生年月日、職種、電話番号、メールアドレスが登録されていただけで、応募者が複数おられたため、面接前に履歴書、職歴書をいただきたくご案内を差し上げた次第です。」

 キャリアシートのメッセージ欄に、いきなり冒頭に「気まぐれ」と書いている事等、長文のメッセージ内容からして、「こいつは果たして本当にやる気があるのか?」と疑い、今一度、履歴書等を送付させる事によって、僕の気持ちを確かめようという意味も含まれているのかもしれない。
 しかし考えられる事としては、「書類選考」という更なるフィルターを作ったり、また、その口実として「応募者が複数おられたため」と言うのが、実は「断り文句」である事ぐらいは、HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)を疑われるぐらいの僕は、察しが付いている。
 先に記載した鉄工所の面接でも、そこの社長が「他に面接に来る者がおる」と言った事や、あの門前払いの病院の事務方が「既に採用者が決まりつつある」と述べた事も、この事と同じである。

 そして、その回答メールが来る前の同日昼の12時になる直前、見落としていた様にして存在し、既に2月24日か25日に求人をIndeedに出していた、比較的、内容が僕に合っていると思える所に直接、電話を掛けた。そして、「履歴書なしで簡単応募」の応募フォームに、Indeedの鉄工所向けバージョンとして作成しておいた履歴書から転載したWord文書を添付して送り、その後、Indeedのメッセージ送付フォームに、添え書きに加えて写真付きの履歴書のPDFと職務経歴書のWordドキュメントを添付して送った。

 15日(月)に電話が有り、翌16日(火)、兵庫県Ak市の本社の方で面接した。入社した場合は、同県M市に在る第2工場での勤務となり、行き慣れた所だ。リサイクル屋でありながら、新しく鉄工所を立ち上げるという事で、未だ製缶や溶接を行う鉄工のスタッフは「ゼロ」だ。
 しかし、確かに求人情報の中に書いている事で気になっていた事であったのだが、「バイク通勤のみ」となっている。向こうの面接を担当された方は、気を使いバイクの貸し与えも提案された。また同時に、僕だけ特別扱いする訳にもいかないとも言われる。

 それ故、19日(金)に合否について電話連絡すると言われたものの、僕自身はその帰りの車の中で、既に諦めていた。車通勤に関しては、前に記載した通りの理由であり、決して贅沢で言っている訳では無い。因みに、そのM市に在る第2工場の辺りは公共交通機関を利用しにくい所で、車が無い事には通勤は難しい。

 そして、翌17日(水)に、2週間ぶりに職安に行った。恐らく、ここの所、繰り返し通って来たので、職安の職員には、顔を名前も覚えられているだろう(と言っても、風評やレッテルで、それ以前の問題か)。
 1件の紹介状を発行してもらった。その求人は、2月1日に既に出されていたもので、それから大分、日にちが経っているので、既に応募者多数で埋まってしまっているのではないかと不安であったが、まだ誰も応募していないという。因みに、職安の求人情報は、継続して同じ求人を出し続ける場合は、3ヶ月毎にか、繰り上がって「新着」として、月初めの日付で掲載される仕組みになっているので、もしかすると、それ以前から出していたのかもしれない。
 職安の担当者が紹介先に僕の電話番号を伝えると、一旦電話を切った上で、直ぐに僕のスマートフォンに紹介先から掛かって来た。そして直接、先方の担当者である社長と話をし、その中で翌日の面接や職場見学の予定が決まった。
 
 翌18日(木)、勤務先に程近い喫茶店で面接を行なった後、勤務する工場まで見に行った。兵庫県Tak市に在る、大手K製鋼の敷地内に在る工場だ。
 大手の中での勤務となるので、先に述べたものと同様だろうかとか多少、不安であった。同時に、お金も底を突きそうなので、もうこれ以上、書類選考等と悠長に構えている暇は無く、それ故、幾らかは妥協し擦り合わせる覚悟でもあった。しかし、社長から聞くと、内作と現場・据付の比が7:3程であると言い、殆ど内作という事だし、普段、特急モンの仕事が入らない場合は残業もしないという。但し一方で、土曜日が休みの「週休二日」については、建前であるとも言う。

 勤務する事となる工場は、K製鋼の大手の直請けが所有する工場で、その全国に支社を持つ程の会社からは監督として入っているだけだという。工場で作業をする職人は、その直請けの下請け、つまりK製鋼の孫請け(二次請け)の人達であると言い、僕はその立場となる。
 工場を見ると、まるで今まで勤務して来た町工場と変わらない感じだ。前に記載した様な事も頭の中に在ったぐらいであるので、想像していた事とは違い、良い感じだ。ただ、後の3割、現場での据付や配管作業、そして人間関係等に、多少、不安が残る。

 その直後、今度は大手に入る為に健康診断書が必要という事で、大抵、木曜日が休みになっている病院や診療所が多い中で、珍しく近くに開いている病院が在り、そこで診断を受けた。一番安い基本的な項目のみで良いという事で、心電図・胸部X線・聴力の検査を受けず、身長・体重・胴囲・血圧・視力の測定と尿検査、問診を受けた。それで、その日の内に診断書が発行された。
 そして、その日の内にその診断書まで社長に手渡す事が出来、午前10時の面接から、工場見学、健診までと、未だ昼の12時にもなっておらず、何と2時間も掛からない内に「即決」となった。前日の電話での直接の応答で予定が「即決」された事も含め、トントン拍子で決まった事にとても気分が良く、スカッとした気分だ。

 昔、僕が若い頃は、大抵、そんな「即決」の所が多かった様に思う。それは勿論、下請けの町工場の鉄工所の事であるが、それが最近は、その町工場も「書類選考」をする所が多い。やはり、特に今現在は、買い手市場であるが故であろうか。
 僕は、「高校中退」である。勿論、履歴書にはそう書き続けて来た。現在でも、2003年に大検(大学入学資格検定)で取得した資格や、2005年~2008年に在籍した専門学校の事は伏せて、履歴書には「高校中退」までの学歴しか書いていない。
 鉄工所に於いて、学歴は全く関係無い。実際、僕は「高校中退」つまりは「中卒」の身分でありながら、今まで全く困る事は無かった。2003年に大検の資格をわざわざ取ったのは、医療系の学校へ進学するという目的(目標)が出来たからであって、何も高い学歴が欲しい為に取得した訳では無い。その大検を取得したのが既に34歳にもなっていたし、O専門学校に入学したのは36歳になる年、卒業したのは40歳になる年であった通り、そんな歳になってから高学歴を取得しても、あんまり意味が無いのではなかろうか。

 同様に、最近は町工場でも、何かと資格を要求する所が多くなって来ている。僕は、車の運転免許以外の資格としては、「玉掛け」という資格を24歳の時に最初に取得した。それは、吊り上げのワイヤーやチェーンの先に付いている輪っかの部分を、クレーンのフックに掛けるものだ。
 当時、僕は鉄工所に最初に見習いで入った22歳の夏頃から未だ2年が過ぎた程でしかなかったのであるが、一応、勤務先の町工場の社長から図面を渡されて「後は任したぞ!」といった具合に、「一品物」の仕事を一貫して行える様に任せてもらう様にはなっていた。

 当時勤務していた、兵庫県I町(M市)に在る工場の近くや周りには、他の鉄工所、町工場も在った。その歳の時、独りで大きめの品物を作っていた事が有る。兵庫県Ko市に在る大手M電機の製品で、二次請けの仕事であった。直径8m程で底が八角形、高さは2m~2.5m程であったか、半割れの分割になっていて、H鋼やビルドエッチ(フランジの板2枚とウェブの板1枚で作るH型の骨)等の骨物や板といった材料で構成される防音屋根を、一貫して作った。重量は、恐らく10数トンにはなっていたであろう。のこ盤やシャーリングを用いた材料取り、板の曲げ、また、防音材としてのグラスウールを内面に詰めたりその蓋をするパンチングメタルを貼る事はやってもらったものの、その他の、図面から材料を書き出す事から仮組みの組立、溶接、グラインダー仕上げに至るまで、一貫して独りで作り上げた。

 工場には大概、クレーンが付いており、その他、ターンバックルの使用等で、工夫すればそんなに力仕事をする必要も無く、手伝ってもらわずとも独りで出来るものだ。但し、怪我には注意しなければならないと、僕、経験者は語る。独りで残業しながら何かに挟まれて身動きが出来なくても、誰もいなければ助けてもらえない。
 その仕事をしている途中、いきなり労働省の者が工場に入って来た。当時(1993年)、未だ厚生省と労働省は統合していなかった。何で、そんな人がいきなり来たのだろうか?。恐らく、未だ若い僕がそんな大きめの仕事を独りでやっていた事を見て、「生意気」と感じたり妬みに感じたりして、近所の鉄工所が告げ口したのだろう。そんな事が有って、仕方なくと言うべきか、会社から教習所へ、資格を取る様に行かされた。
 
 その後、ガス溶接とアーク溶接(特別教育)も取った。この2つは、2000年代に入ってから取得したが、共に比較的、料金が安いので、自主的に取りに行った。玉掛けを併せて、それら3つの資格は、3日間の講習を受けるだけで取れるもので、試験は無い。要するに、安全教育を受けた事を証明する資格でしかない。僕が持っている鉄工関係の資格は、たったこれだけだ。それでも本来なら、下請けの町工場で仕事をする分には、十分過ぎるぐらいと言ってもよい。

 一方、溶接のJISの免許なんかは、ちゃんと試験が有る、また、何年間か毎に更新する為の試験が有り、その都度、料金が掛かる。その他、最近はクレーンやフォークリフトの免許、その他云々まで要求する所が有る。
大手に入って仕事をする場合には、大概、何かと資格を要求される。また、下請けの町工場でも、最近は資格を持っていないとなれば、仕事をもらえなくなって来ていると聞く。結構、町工場も、うるさく成って来ている。
 また、大手に入る場合には、入構教育なるものが有る。それを受けてからでないと、構内に入って仕事をする事が出来ない。これも、安全の為の教育である。大手は町工場と違い、何かと規則も多くて、正直言うと、僕は余り好きでは無い。
 現在、コロナ禍という事で、その入構教育も集中して一編にする事が出来ないという。それ故、僕の次の勤務先の予定も、先にズレている。
 
 そうして、アメリカの大統領就任式が行われた1月20日から大分ズレてしまったものの、一応、やっとの事で、次の就業先が決まり、この度の就職活動は終わり、ホッと一息付けて、生活も一段落が付いた所だ。そうして、次の予定が決まっただけで、こうしてものを書く事にも集中出来る様になった。
 僕も、もうすぐ52歳となり、一昔前で言う60歳の定年までだと、あと8年しかないという身だ。もう、今までの様に転々とし過ぎる訳にはいかない。第一、そんな年寄りを、雇おうとする所が無いとも言える。

 通例だと、こんな52歳の中年のオッサンで、経験が無い者を雇うという事は、まず考えられない事だ。それとも何か?、僕は「特別な人」であるから、そんな歳を食っていても、経験無しでも、雇う所が有るとでも言うのであろうか?。そんな、現実離れした事は、夢の世界、漫画の世界だ。
 それ故、臨床工学技士という資格を活かした仕事をするという事は、今後、100%失くなったと言う事が出来る。

 しかしまぁ、これでスッキリした。もし今回、応募を出していなかったら、「あの時、出しておけば良かったかなぁ?」と後悔して、頭の中をぐるぐるとその思いが残って回り続け、するべき仕事も手に付かず、集中出来なくなったかもしれない。
 今回の就職活動中も、こっち側の、ものを書いたりといった事が一つも手に付かなかった。正直、そんな求人情報を見たり、職安に出向き、書類の作成と提出、面接と、はっきり行って無駄な時間とも言える程に多くの時間を費やさなければならない事は、今後、出来るだけ避けたいものだ。こっちは、する事は幾らでも有るのだから。

 今回、医療関係で応募してみた所(最初の却下も含めて全部で5ヶ所)は、丁度、このタイミングで求人を出して来たからだ。つまり、僕が職を探している事を見込んで出したかもしれないという憶測で、少しばかりは縁が有るのではないかと思い、応募先として選んだ訳だ。
 しかし、丁度、新卒が就職する時期である。初めの方に載せた通り、新卒者の内定率が8割を切っている。そんな事で、偶々重なっただけの可能性が高い。実際、辞退のメッセージを送り、その返信に書類選考に至った理由として「応募者多数だから」と書いてあったではないか。

 僕が大阪府O市に在るO専門学校を卒業した直後の2009年4月の時点での、臨工の累積資格取得者数は、日本全国で26,575人であった。その後、毎年約2,000人ずつ増加していき、2020年の時点で48,273人にまで膨らみ、本年2021年に5万人を突破すると思われる。この12年間で、おおよそ倍増した訳だ。
 


臨床工学技士の資格取得者数の累計
出典:公益社団法人・日本臨床工学技士会「調査結果 臨床工学技士合格者推移」

 「……臨床工学技士の今後を考えますと、年間2000人強の方々が養成校を卒業し、国家資格を取得しています。就業年数40年で雇用枠を考えますと、単純計算でも8万人以上が働く職場が必要となります。
 就業者数 = 2000人 × 40年 = 8万人( 現在の約2倍以上)
 これまでは、透析患者数の増加に伴って技士数も増えていた側面がありますが、いよいよ透析患者減少時代に入ってきます。 また、高度急性期医療へのシフトにより看護師が病棟で余った場合、例えば手術室で中途半端な業務しかしていないと、看護師に業務を奪い返されるかもしれません。雇用確保という面からも、変革を迫られつつあるのが現状です。 若い方は、これから何度か変革を求められるほど長い間仕事をしないといけませんので、未来を見据えて、現状にあぐらをかかず、日々を過ごしてほしいと思います。」
  (2017/06/21付・公益社団法人日本臨床工学技士会 人材活性化委員会「臨床工学技士の輝ける未来のために」より) 

 その様に、毎年毎年、20歳を過ぎたばかり程の多くの若い臨工達が、医療関係に就職している。そのO専門学校の入学パンフレットにも、「就職補償制度は36歳まで」と書いている。僕は入学した年に、その36歳になった。しかし、その事を承知の上で、敢えて入った訳だ。
 そういう状況からも言える通り、臨工はナンボでもおる。そして雇う側も、扱いやすい若い人を望むし、歳を取っているとしても経験豊富なベテランは好む。

 一方、確かに、製缶工もナンボでもおる。しかし、僕は歳を取っているものの、こちらの方は、20余年の経験を持っている。よって、その経験を活かして、世の中に於けるそれなりの役割を果たす事が出来よう。先にも少し書いた様に、以前勤めていたあちこちの下請けの鉄工所の町工場で、70歳代の現役の職人を見て来たものだった。

 また、看護師には母性本能で可哀想といった感情で捉えたりする人々が多いと思うが、反対に事務方は理性が優位で、経営の事、つまり冷血にも、お金の事しか考えていないものだ。そんな看護師達がロマンチストと言える一方で、事務方はリアリストと言える。そんな事務方が、人事を担当する。女性が恋愛ドラマにハマりやすい傾向が有るのは、空想や夢想に浸りやすい故ではないだろうか。一方、事務方は、とにかく病院の経営が上手くいく様に、効率良く、潤滑に、運営が回転していく事を望むばかりであろう。

 言うなれば、今回、僕は世間の人々を「絶望に導く」事が出来たのかもしれない。とかく希望的観測で物事を見る傾向が有る大衆の多くは、自分の希望、欲望を基に、勝手な思い、自分勝手な夢想をしているに過ぎない。
パソコンの上に貼っている2017年11月6日付(2018年5月23日追記)の「Preparation」には、こう書いてある。

  「この先、恋愛はしない。・・・現実直視への導き。目標・希望・欲望の絶望化の啓蒙。」
  「僕の目的(使命・役割)・・・神様の御計画、歴史修正、マスコミ修正、世間の常識・空気・価値観・希望的観測の破壊(→絶望へ)。」
  「僕はBlogger & Curator & やっぱり鉄工職人。僕の洗礼名。僕が言わずして誰が言う!」


 「絶望」と聞いて、多くの人は不幸であるとか、お先真っ暗等と思うのだろう。しかし「絶望」する事は、実は良い事なのである。
 自分の望みを絶つという事が、絶望だ。つまり絶望とは、自分の欲望を捨てるという事だ。それは、とどのつまりは、自分を捨てるという事となる。
 自分を捨てる事によって、つまり、自分を無にする事によって、神様に全き心を持って従う事が出来る様になる。自分の欲望や希望に従う限りは、その分、神様を無視したり、神様に反抗する事となる。

 神様に従うという事は、神様の御心、思し召しの通りに行なったり、そう成る事を願い祈る事だ。またそれは、神様の立てた御計画である、運命、宿命、使命に素直に従うという事だ。
 政治上で言う所の保守は、神様の御言葉が書かれている聖書を守る。反対にリベラルは、自分の欲望、希望を基準にして自由や解放を訴えており、聖書の御言葉を否定して拒否し、神様を侮辱し冒涜していると言える。

 本ブログ
  ・2020/04/30付「おっとトイレットペーパーが!&天国への資格は創造主により備えられる/Oh toilet paper! & License to enter heaven be prepared by the Lord 」
  ・2020/05/19付「希望的観測は絶望、自分の望みを絶ってこそ真の希望&神を無視するリベラル/If you watch hopefully, to despair.If you give up, to true hope」
  ・2020/10/19付「保守とリベラルとの根本的違い:創造主の御心を守るか冒涜するか/Conservative and Liberal different essence:maintain or profane to God 」


 僕は今回、果たしてどちらだろうか?、とも思った。前に引いたり応募メッセージに於いても引用した聖句、「決して誓ってはいけません」(マタイの福音書5章33~37節より)に当たるのか、それとも書斎のPCの上に貼っている「Preparation」に覚悟・心構え・準備として書いている通りに成るのか、どちらだろうか?、と思案した。
 結局、その「Preparation」に書いている通りに成ったと言える。その「Preparation」に書いている事は「誓い」に相当するであろうが、一般的な、世間的な単なる誓いであれば、その考えた通りにはいかなかったのだろう。
 その「Preparation」に書いている事が、それだけ、自分の希望や欲望を基にしたものでは無いからではないだろうか。また、僕の持っているタラントを、信仰心を持ちながら創造主であるイエス様の想いを基準にして、客観視し、深く理解して、書いた内容であるからではないだろうか。

 前に掲げた応募時のキャリアシートやメッセージ、応募辞退時のメッセージに書いている通り、僕は解ってはいるものの、少し、悩んだり揺れた事は確かである。それ故、母にも「どう成って欲しい?」と聞いたぐらいだ。因みに、母の答えは「自分に合ったものをすれば良い」であった。
 それで、僕は世間的な批評等を聞く気は余り無いが、聖書的価値観を考え方や判断、捉え方、行動の基準にしている人が、このタイミングで何か述べていないだろうか?、何か反応を示していないだろうか?と、飽くまでも参考にするまでであり、何も言われた通りにする訳ではないのだが、少し聞いてみて参考にしたいと思った。
 以下に、一例を載せる。


YouTube: 「タラントのたとえ話」進藤龍也牧師 ザアカイの家 2021年2月25日(木)19:00~
2021/02/25

 
 



 新約聖書・マタイの福音書25章14~30節
   天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。
  彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
  五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。
  同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。
  ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。
  さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。
  すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』
  その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
  二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』
  その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
  ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。
  私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』
  ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。
  だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。
  だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』
  だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。
  役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。

 The New Testament・The Gospel of Matthew 25:14~30
   “For it is like a man going into another country, who called his own servants and entrusted his goods to them.
  To one he gave five talents, to another two, to another one, to each according to his own ability. Then he went on his journey.
  Immediately he who received the five talents went and traded with them, and made another five talents.
  In the same way, he also who got the two gained another two.
  But he who received the one talent went away and dug in the earth and hid his lord’s money.
  “Now after a long time the lord of those servants came, and settled accounts with them.
  He who received the five talents came and brought another five talents, saying, ‘Lord, you delivered to me five talents. Behold, I have gained another five talents in addition to them.’
  “His lord said to him, ‘Well done, good and faithful servant. You have been faithful over a few things, I will set you over many things. Enter into the joy of your lord.’
  “He also who got the two talents came and said, ‘Lord, you delivered to me two talents. Behold, I have gained another two talents in addition to them.’
  “His lord said to him, ‘Well done, good and faithful servant. You have been faithful over a few things. I will set you over many things. Enter into the joy of your lord.’
  “He also who had received the one talent came and said, ‘Lord, I knew you that you are a hard man, reaping where you didn’t sow, and gathering where you didn’t scatter.
  I was afraid, and went away and hid your talent in the earth. Behold, you have what is yours.’
  “But his lord answered him, ‘You wicked and slothful servant. You knew that I reap where I didn’t sow, and gather where I didn’t scatter.
  You ought therefore to have deposited my money with the bankers, and at my coming I should have received back my own with interest.
  Take away therefore the talent from him and give it to him who has the ten talents.
  For to everyone who has will be given, and he will have abundance, but from him who doesn’t have, even that which he has will be taken away.
  Throw out the unprofitable servant into the outer darkness, where there will be weeping and gnashing of teeth.’


 前掲した応募メッセージ内にて触れた通り、僕自身のタラントを活かす事で、神様から良しとされる。見栄や体裁が伴わないものでも、承認や名声、評判が得られないものでも、そういった世間的な評価が得られなくとも、神様から与えられたタラント、恵みを活かす事が、創造主に従う事となり、主の為に、主を褒め称える事に繋がろう。……

 <5/12に続く→>
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