狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

PTSD・・・心の傷、沖縄、理不尽な被害者、自責の念

2012-12-12 06:05:29 | 社会・経済
 日米地位協定に象徴される様に、敗戦後の戦後レジームにおける米国の奴隷国家日本の現状、中でも最も酷い沖縄県民の虐げられた状態に対する怒りを感じながら、次の放送を見ました。
 今年の8月12日に放送された「ETV 特集・沖縄戦 心の傷~戦後67年 初の大規模調査」 を、録画しておいた再放送の11月11日放送分を見ました。本土の前衛とされて本土の犠牲にされ、終戦直後から米軍による沖縄本島の全域での恒久的な基地利用が計画され、日本国と連合諸国との平和条約と旧日米安全保障条約の発行後の1953年から米軍による沖縄本島全域でのの土地の接収が行われました。1972年に戦後の占領下からの日本国復帰が成されましたが、現在、日本全国に存在する米軍専用施設の総面積に占める沖縄県の割合は73.9%、沖縄本島に占める米軍施設の総面積の割合は18.4%となっています。しかし現在までに米軍による犯罪や事件・事故が多発し、米軍機と民間機とのニアミスも日常的に発生しています。
 1995年米兵少女暴行事件2004年沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事件等、それらの事件により、それまでにも存在していた米兵による強姦、暴行等の犯罪や米軍の事故に対する鬱憤反米感情としてはっきり表明される様になりました。しかしそれらの事件も含めて、日米地位協定によって殆ど不起訴とされています。沖縄県民の方々は日々安全が脅かされ不安感を抱くと同時に、戦争の経験者は戦後67年経った後もPTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しんでいます。
 此度の沖縄在住の戦争経験者へのお年寄りに対する大規模調査によりますと、戦争中の記憶によるPTSDを持っておられる方が調査対象全体の40~50%にもなります。戦後67年も経っているにも関わらず、戦争中の事がフラッシュバックして思い出されたり、不安・不眠等の過覚醒回避・忘却等の症状となって現われ、それらによって頭痛、吐き気、腹痛、パニック、不安、悪夢、鬱、感情の麻痺等が伴い、食欲不振や各種行動意欲の減退等に繋がって、日常生活も幸福感が無く送りづらい状態に陥っています。
 戦争中米軍が沖縄本島に乗り込んで、村を焼き払い、無差別機銃掃討、防空壕の中へダイナマイトを放り込んで民間人を無差別に殺害し、女性を強姦・殺害する等、それら米軍の残虐非道な行いの被害者、又はそれらを目撃した人はその理不尽な経験の記憶を負っています。又、米兵に襲われる恐れから自分の家族の者を殺害したり、親や兄弟が殺害されるのを助ける事が出来なかった事や、横たわる人を踏みつけて恐ろしさの余り自分の命しか顧みなかった事等による自責の念に陥っている方々もいます。戦争中に本土に利用され、米軍に虐待され、戦後も精神的・社会的・日常的な負担を強いられて来ました。米国の政策、日本の政治、そしてPTSDによって依然変わらず苦しめられています。戦後の占領期には、日本国復帰に向けて精神疾患を負った人達を、県民自らが恥に思って隔離してしまった経験も有ります。
 勿論、理不尽な被害に遭った方々は多大な苦しみを負っているのですが、加害者意識からの自責の念を持つ方の方がより深刻である様に思います。責任感が強く道徳・道理が解っている程に自分が「罪」を犯したと言う思いが重く圧し掛かり、後になってから後悔し反省する度合いが強くなり、自分のを責めて自ら苦しめに傷を負わせて余計に悪化しかねません。被害者の方は「罪」を自らは犯していないと言う点で、加害者意識のある方よりは未だが軽いのではないかと思います。ろくに反省もしないで前向きになる事はおざなり・無責任である様にも思え、後ろ向きとなって過去ばかりを振り返って物事が前に進まなくなってしまいます。
 私もこのPTSDの様にになった経験が有り、二十何年前の事が急に思い出されて自責の念に陥り、心が重く本や新聞も読む気になれず、外出や趣味等の行動も億劫になり、日々うっとおしい気分で少し鬱の様になりました。但し、病気や障害では無かった為に診察を受けた事は無く、労災認定にもなる深刻な状態である鬱病では無い為に、薬やサプリメントの服用は必要とせず、ただ過去を振り返っての後悔、反省、点検、見つめ直し、気持ちの整理等を行なっていました。深く思えば思う程、動く事が難しくなりました。そして「悔い改め」をする中、「聖書」が救いとなりました。
 聖書では「悔い改め」をして神様から赦しを得て、罪から解放されて心の自由を得る事が記されています。その上で被害者である人に謝罪する事は勿論必要ですが、もっと大事な事は神様に赦しを請う事です。そして人から赦しを得る事よりも神様から赦しを得る事こそ必要であります。又、「懺悔」と言うのが悪い事をしたと赦しを請い次は良くあって欲しいと願うものですが、「悔い改め」二度と同じ事はしないと反対に方向転換するものであると言う違いがあります。に罪を犯したと告白し赦しを請うた後、赦されて神の新しい自由な霊が自分の心に満たされる事、其の後、どの様な窮乏をも受け入れて耐える事です。又、「罪」は神様の御心に適わない事を行なう事や、神様の御名を崇めない事が「罪」となります。
 新約聖書・ヨハネの福音書8章31~34節そこでイエスは、・・・言われた。『もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。』・・・『まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷ですだけでは無く此の世の欲望や楽しみに溺れる事等の束縛からの解放が、真の心の自由に繋がります。
 コリント人への手紙 第二5章17節だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。。真の「悔い改め」によって神様から赦しを得て、過去の失敗や過ち等の忘却をする事が出来て、その結果、前進挑戦をする事が出来る様になります。
 続けて、コリント人への手紙 第二5章18~19節これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
 次に、コリント人への手紙 第二5章21節神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。イエス・キリスト十字架に架けられて私たちの犠牲となられた事により、イエス・キリストを信じる事によって私たちが救われて真の生きる「いのち」を得る事が出来ます。


米国の共産主義化・ファシズム化・・・「アメリカから<自由>が消える」を読んで

2012-12-09 23:58:17 | ユダヤ支配下アメリカ2012~2019
 次の、潰れかけているアメリカについての本を読みました。
 「アメリカから<自由>が消える」(著者:堤未果氏、出版社:扶桑社、出版日:2010/3/30)
 アメリカでは、2001年の911後にテロリスト対策として、議会での議論も無く法律「愛国者法」を立てる等をして、一般市民を監視したり、テロリストのリストに名前を載せる等をして、行動言論の自由が奪われていっています。「ナショナル・セキュリティー・レターズ(国家安全書簡)」によりFBIが令状無しで、E-メール、ファックス、電話の盗聴が可能となり、インターネットのWeb閲覧履歴ログ情報図書館での利用履歴貸し出し記録等が調べられて、それらから人の考え方や行動の傾向を分析します。「共謀罪」によって、密告等で冤罪が頻繁に作られています。
 空港にはミリ波スキャナーが導入されています。イラクやアフガニスタンで拘束した人を収容している、グァンタナモ強制収容所での拷問を政府が行う事を辞めましたが、アウトソーシングにて未だに変わらず行っています。
 本書には書かれていませんが、911が実際にはアメリカ国内の権力者による自作自演の演出であり、国民にテロリストに対する恐怖心を植え付けて、その様な政策等の必要性と正当化を促し、本当の目的である、米国の共産主義化・ファシズム化、国民の低平準化、軍産複合体の利潤、石油の利権獲得の為のイラク攻撃や、ビンラディンのアルカイダ掃討を名目とするアフガニスタン攻撃の大義名分獲得等の為でありました。
 イラクのフセインは、長年の米国にとっての功労者であり、処刑されたのは影武者で、現在も生存しています。ビンラディンは、ブッシュと長年石油ビジネスでの協力関係があり、家族と共に保護されてきました。只、ビンラディンは2001年に腎臓疾患により既に死亡していました。よって、其の後にメディアに出て来ていたのは、影武者であります。つまり、両方の侵攻も、敵のいない架空の戦争であった訳で、その様なものに、多額の戦費と兵器を費やし、多数の人命を犠牲にしてきたのであります。
 しかし、かわいそうなのは米国の一般市民であります。かつてから日本人にとって米国は、民主主義のお手本の様なイメージを持っていた人が多かったと思いますが、米国の権力組織が背後に存在するマスコミによって其の様なイメージを植え付けられていただけで、皆ただ洗脳されていたに過ぎません。原爆を落としてWW2後に行った事や、昨年(2011年)に人工地震兵器(HAARP)によって予め三陸沖で待っていた米国の海軍が、わざとらしく、トモダチ作戦等と言って侵略するかの様に入って来た事等、自作自演ばかりであります。今までの歴史を振り返っても、一部の権力組織による演出されたものに過ぎない事が多く、権力組織の都合で世の中が動かされている事に気付く訳であります。
 
アメリカから<自由>が消える (扶桑社新書)アメリカから<自由>が消える (扶桑社新書)価格:¥ 735(税込)発売日:2010-03-30



終末期、にせキリスト、にせ預言者達の出現

2012-12-07 01:45:33 | 宗教組織
 「たかじんのそこまで言って委員会」~11月25日(日)放送(読売テレビ(日本テレビ系))に、オウム真理教の元広告塔(現・ひかりの輪代表)が出演されていました。前回其の方が同番組に出演された時に同時出演されていた映画監督の若松孝ニ氏が不慮の事故で亡くなられたと在りましたのでインターネットで調べると、やはり不可解な亡くなられ方で、東電や次回製作予定であった映画の創価学会による可能性があるみたいです。余り詳しく調べていないので、はっきりとは解りません。長年オウム真理教や統一教会の取材をされてきたジャーナリストの方等も出演し、近日中に朝日新聞社から出版予定であった「オウム事件 17年目の告白」(著者:上祐史浩氏、検証: 有田芳生氏、出版社: 扶桑社、出版日:2012/12/17)に関する事や、新興宗教や最近の尼崎連続変死事件等にあるマインドコントロール、政教分離についての討論をされておりました。朝日新聞社は、先日にも橋下徹氏を取り上げた雑誌の不祥事の問題を起こしています。
 実は私は此の番組を地元の関西におりながら今まで見ていませんでしたが、先日に気になる見出しがあって見た所、話・討論のテンポが早く、特に東京のマスコミとは違ってまだましな情報を流していると思い最近は続けて見ています。勿論、テレビ等の表のマスコミには戦後の占領下のGHQによる情報統制後の自己検閲等の制約が多くある為に、インターネット程には深くは追求する事は出来ません。しかし、この番組のレギュラー出演者が、同番組が東京ネット(全国ネット)にされると言いたい事が言えなくなるので出演を取りやめると言っている様に、中央の東京よりは地方のマスコミの方が未だ監視される度合いが少ない為か、内容としては充実しています。前述の橋下徹氏や先日亡くなられた三宅久之氏等も、過去にレギュラー出演していました。委員長で司会者のやしきたかじん氏は療養中の為に出演していませんが、その穴を感じさせない程の内容は濃いです。
 出版予定の本では、地下鉄サリン事件や其の2ヶ月程前の阪神淡路大震災が「HAARP」と言う人工地震兵器によるユダヤの陰謀によるということをテレビで述べた村井秀夫元幹部が、サリン事件の1ヶ月程後に韓国籍暴力団(右翼)による刺殺であると言う事が書かれています。今やインターネットの世界では良く知られていると思いますが、「オウム真理教」「北朝鮮」に使われていました。又、朝鮮戦争の時に韓国へ渡った文鮮明氏が反共と言う名目で、「国際勝共連合」「統一教会」(世界基督教統一神霊協会)を設立しました。「国際勝共連合」の日本の初代会長は「統一教会」の会長でもあった久保木修己氏、名誉会長は笹川良一氏でした。又、構成員は朝鮮人である様です。笹川良一氏は戦後にA級戦犯から釈放された代わりに、米国CIAのエージェントとして働きました。「国際勝共連合」「統一教会」共に、北朝鮮との繋がりが有ります。又、日本の「右翼」構成員は朝鮮人・韓国人の方が多くを占め、特に幹部に多いです。そして「創価学会」を破門した日蓮正宗に多数の「右翼」が襲撃した事もある様に、「創価学会」と「右翼」も北朝鮮との繋がりがあります。そして「創価学会」が基盤となっている「公明党」も北朝鮮との繋がりが有るのは言うまでもありません。更に付け加えれば、パチンコ産業や消費者金融(サラ金ローン)等も殆ど在日の方による経営で、北朝鮮のミサイル製作等の為の資金として流れています。
 右翼によって街中で騒音を鳴らす等の迷惑行為がされていますが、戦後の占領下におけるGHQによる日本人への戦争責任や自虐意識の植え付けと、正しい本当の愛国心を無くす為に業とその愛国者のイメージダウンを計る為に行っています。つまり、米国CIAのスパイ・エージェントとしての韓国・朝鮮人の右翼の構成員であると言う事です。欧米諸国の人がスパイになってもバレますが、韓国・朝鮮人の人がスパイである場合は顔が日本人と同様である為にバレにくいです。アラブ地域等で既成の体制を転覆させる場合にも同じ顔を持つアラブ系の人をスパイとして使っている訳です。あのリビアの正義のカダフィ大佐を裁判にもかけずにリンチで殺害した連中も、米国にいたアラブ系米国人でありました。又、朝鮮人による「自作自演」が数多く行われ、「国際勝共連合」や「右翼」等によって朝鮮総連や朝鮮学校等を攻撃しています。つまり、日本人が攻撃している様に見せかけて、実は朝鮮人が朝鮮人を攻撃しています。又、朝鮮学校の生徒や末端の貧しい在日の方々は同じ朝鮮人や日本人から差別され虐げられてかわいそうです。中東地域のアラブ地域で平和の内に暮らしていたアジア系のスファラディー・ユダヤ人をイスラエルに呼び寄せる為に、白人系のアシュケナジー・ユダヤ人がアラブ地域で自作自演のテロを起こして恐怖を抱かせた事と同じです。イスラエルでは、アシュケナジーが上層・幹部クラスを占め、スファラディーは二級以下の市民に落とされたり、戦争の最前線に出されたりしています。アシュケナジーはユダヤ教に改宗したカザール人で、スファラディーとパレスチナ人が血統的に本当のユダヤ人です。その様な「矛盾」も含んでいます。現在中東地域が非常に難解な状態になっている根本的原因は、イギリスの「三枚舌外交」にあります。他にも、つい最近までアジアやアフリカ地域は、欧米諸国の植民地にされていました。日本の戦後レジーム同様、世界においても欧米諸国による体制が築かれています。北朝鮮の裏に中国や米国、中国の裏に米国等と、一見表から一概に見ても解らず、米国の「ダブルスタンダード」政策や前述の三枚舌外交の様な事もあり複雑です。そしてそれらの全ての裏の根本で権力を握って統制しているのが、「イルミナティー・フリーメーソン」です。
 イルミナティー・フリーメーソンによって、新興宗教の「エホバの証人(ものみの塔)」「モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)」が設立されました。「エホバの証人」はチャールズ・T・ラッセルが設立し、「モルモン教」はジョセフ・スミス・ジュニアによって設立され、共にアシュケナジー・ユダヤ人でイルミナティー・フリーメーソンのメンバーでした。ユダヤ教のオカルトのカバラ・神秘主義がベースとなっています。イエス様をキリスト(メシア、救世主)として認めていないユダヤ教は、バビロン捕囚時代にバビロン宗教に影響され、「タルムード」と言う独自の教典を作り、旧約聖書を余り用いずにその教典を使用しています。「タルムード」には、ユダヤ人以外の異邦人は「ゴイム」、つまり獣であると言う事が書かれています。つまり、ユダヤ教を信仰する多くの人は、ユダヤ人以外を獣扱いしても良いと言う考え方がベースに在る為に、金融等での富の搾取等に表れています。かつてイエス・キリストとサンヘドリンに所属するパリサイ派・サドカイ派・律法学者等の人々との戦いがあり、キリストはローマに十字架刑に渡されました。其の後にユダヤがローマによって滅ぼされて、サンヘドリンは地下に潜ってキリスト教会への恨みを持ち続けています。
 イエス・キリストが裁きの為に再び来られる世の終わりの前兆について話された中に、次の様な御言葉が在ります。新約聖書・マタイの福音書24章4~14節・・・「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききん地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。・・・また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。
 続けて、マタイの福音書24章15~24節それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。・・・もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。そのとき、『そら、キリストがここにいる。』とか、『そこにいる。』とか言う者があっても、信じてはいけませんにせキリストにせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。
 「荒らす憎むべき者」であるイルミナティー・フリーメーソンの世界的独裁者がエルサレムのシオン山に立ち、中東問題等を一時的に解決して偽りの平和が作られる事も記されています。 


惑星ニビル・・・創世記・ノアの箱舟、出エジプト記

2012-12-05 20:38:35 | 災害・地震・戦争
 「国際時事情報誌・エノク~2012年12月号(No,357)」(著者:宇野正美氏、出版社:エノク出版、出版日:2012/11/1)が届けられました。私は著者の本「ユダヤが解ると世界が見えてくる―1990年「終年経済戦争」へのシナリオ」(出版社:徳間書店、 出版日:1986/5)を今から22年程前(1990年)に読みましたが、それ以来、他の著作された本、及び此の月刊誌を読み続けて来ました。最近は裏のタブーを暴露されるネットジャーナリスト等の方々が流行っていますが、著者はその先駆けとなって、ユダヤ問題を中心とした世界の真実の情報を、PLO(パレスチナ解放機構)のアラファト前議長に対して等の中東地域への直接取材や、各国主要要人等とのネットワークを通じた情報提供を行なって来られました。多くのネットジャーナリスト等のインターネットに出されているブログ等に関しまして、私は何を「基準・根拠」にしてその様なブログを書いているのかを疑問に思うものが多いです。その様な中、著者の場合には「根拠」がはっきりしています。その「根拠」とは、「聖書」です。聖書は今から3500年程前から書かれ始めて紀元100年頃までの1600年間書き加えられながら完成した世界で最大のベストセラーの書物であり、どの様な時代にも世代ギャップが無く受け入れられて来ました。其々の時代の政治や迫害に妥協する事なく、今までに一度も改ざんされた事が無く一つの教理的体系、一つの道徳的基準、一つの歴史的筋道、一つの救いの計画等、旧約聖書の39章、新約聖書27章の合計66章全てにおいて一貫性が有ります。世界中の殆どの人々が、聖書を考え方や生き方、物事の捉え方、道徳・倫理感の基準として聖書を読んでいます。著者は、元々学校の教師の後に聖書の研究を行なわれていましたので、考え方、判断の仕方、情報収集の仕方等において「聖書」を根拠にしています。その様に、「聖書」と言う真実の御言葉が根拠として存在する為に、他の「根拠」のはっきりしない情報よりも、大いに「真実」に近い事が解ります。
 しかし、その著者も自身をキリスト教徒では無いとおっしゃっております。しかし、聖書の全ての御言葉を信じて受け入れ、イエス様がキリスト(救世主)である事を認め、キリストの死と復活と再降臨を信じています。それは「聖書」が、特に欧米諸国においては、キリスト教と言う「組織」に利用されている現実があるからです。特に欧米諸国においては、キリスト教組織(カトリック、プロテスタント等)が政治に関与したり、富・財産や権力を所有したり、きらびやかで大きな教会を建てたりしています。その様な状態は聖書には記されておらず、神様は望んでおられません。12世紀末~13世紀初めの清貧のアッシジのフランチェスコや15世紀末~16世紀中頃の改革派であるプロテスタントを起こしたマルティン・ルターは、イエス・キリストの帰天された後すぐの頃の原始キリスト教の状態を取り戻そうとしていました。又、日本でも新渡戸稲造内村鑑三がおられ、クェーカー(キリスト友会、フレンド派)の様な質素で飾り付けも無い小さな集会所の様な所で、特に決まった指導者も置かずに「聖書」のみを基に集会・礼拝を行なう事を理想に持っておられました。只、牧師さん等の神学校等で勉強を積まれた指導的立場の方が、聖書の理解をより深める為に付随する事柄や例え等を使って指導されたり、聖書の通読を信者が自分でプライベートに行なう事が難しい事が多い為に、やはり指導的立場の方は必要であるとは思います。万物の創造主である唯一の神様しか存在しない為にキリスト教と言う名前は本来必要無いのですが、現実には此の世の中には数々の宗教が存在する為に、他の異教との区別を付ける為にそのに様な名前を付けているだけです。要するに、唯一の神様を信じ、「聖書」に存在する御言葉のみを忠実に素直に受け入れて、唯一の神様の御心に適う様に行う事が大事であるという事です。欧米諸国の権力者で表面的にキリスト者と言っている人達は、大抵の処、実際は神様に背を向けて、聖書的な解釈での政治・金融・経済・軍事等を行なってはいません。
 前置きが長くなりましたが惑星ニビルの接近とフォトンベルトへの進入が間近に迫っております。食料品や衣類、消耗品、暖房具等の備蓄が必要です。3661年周期で地球に近付いてくる惑星ニビルは、火星と木星の間に存在する小惑星群に突入し、それらと衝突して跳ね返った小惑星が隕石(流れ星)となってたくさん地球に降って来ます。地球と同じ太陽系の惑星ニビルは、他の惑星の公転軌道の在る水平面に対して斜めに楕円を描いて軌道しています。褐色矮星で、普通の望遠鏡では見る事が出来ず、特殊な超高感度の赤外線カメラでないと確認出来ません。アメリカのNASAは大分前からその事を知っていたのですが、パニックになる事を恐れて、その情報を隠して来ました。巨大隕石群の落下によって、かつては恐竜の絶滅も有りました。そして今から3661年程前と言えば、預言者モーセによってへブル人(ユダヤ人)が奴隷にされていたエジプトから脱出した「出エジプト記」の頃に当たります。それにより、エジプト文明が破壊されました。又、更にそれよりも3661年前となると、創世記におけるノアが箱舟によって大洪水の難を逃れた頃の可能性が高いです。
 旧約聖書・出エジプト記9章22~26節そこで主はモーセに仰せられた。『あなたの手を・・・またエジプトの地のすべての野の草の上に雹が降る。』モーセが杖を天に向けて差し伸ばすと、主は雷と雹を送り、火が地に向かって走った。主はエジプトの国に雹を降らせた。雹が降り、雹のただ中を火がひらめき渡った。建国以来エジプトの国中どこにもそのようなことのなかった、きわめて激しいものであった。雹はエジプト全土にわたって、人をはじめ獣に至るまで、野にいるすべてのものを打ち、・・・ただ、イスラエル人が住むゴシェンの地には、雹は降らなかった。
 新約聖書・ヨハネの黙示録8章7~12節第一の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、血の混じった雹と火とが現われ、地上に投げられた。そして地上の三分の一が焼け、木の三分の一も焼け、青草が全部焼けてしまった。第二の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして海の三分の一が血となった。すると、海の中にいた、いのちのあるものの三分の一が死に、舟の三分の一も打ちこわされた。第三の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちて来て、川々の三分の一とその水源に落ちた。この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。第四の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一とが打たれたので、三分の一は暗くなり、昼の三分の一は光を失い、また夜も同様であった。。因みに、苦よもぎはチェルノブイリという意味で、チェルノブイリ原発事故もこの部分の御言葉に当たるものと思われます。
 ヨハネの黙示録9章1~2節第五の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、私は一つの星が天から地上に落ちるのを見た。その星には底知れぬ穴を開くかぎが与えられた。その星が、底知れぬ穴を開くと、穴から大きな炉の煙のような煙が立ち上り、太陽も空も、この穴の煙によって暗くなった。
 ヨハネの黙示録9章18節これらの三つの災害、すなわち、彼らの口から出ている火と煙と硫黄とのために、人類の三分の一は殺された。。他にもこの9章には戦争における兵器を表す御言葉が在り、16章での「ハルマゲドン」(=ハル・メギド、メギドの丘)等、世界最終戦争を表す御言葉が在ります。
 惑星ニビルの接近による隕石シャワーの落下によって、人工衛星の故障・落下、コンピューターの機能不全、交通・通信・電気・水道・ガス等のインフラが壊滅し、原子力発電所が壊されて爆発して放射線被害が起こります、。人工衛星の落下で、ICBM(大陸間弾道ミサイル)の制御が効かなくなり、至る所でミサイルが発射されたり爆発が起こったりする可能性が有ります。携帯電話やインターネット等も勿論使えなくなり、軍事用の短波放送ぐらいしか通信の機能が残らない可能性が有ります。イエローストーン火山の噴火で世界の食料依存の大部分を占める米国の穀倉地帯が打撃を受けて大飢饉が生じ、同様に富士山等の火山の噴火も起こります。地震・津波も活動期に入っており、太陽の異変等全ての異常気象の原因が、惑星ニビルとフォトンベルトによるものであります。火山の噴火によってフッ素や硫黄が放出され、今後の寒冷期においては平均気温が10~13℃程も下がる可能性が有ります。他にも、ポールシフト(地球の自転軸の傾きが変わる)による地殻変動によって、アフリカのサハラ砂漠下の地下水が表面に表れたり、タイム・ウェーブ・ゼロで時間が「0」となる様な事が起こる可能性が有ります。聖書の中に記載されている所で現在は砂漠となっている所は、当時は緑溢れる所が多く在りました。
 旧約聖書・イザヤ書65章17~25節見よ、まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。だから、わたしの創造するものを、いつまでも楽しみ喜べ。・・・そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。・・・百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。・・・彼らはむだに労することもなく、・・・狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食べ、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、そこなわれることはなく、滅ぼされることもない。
 最後のコラムにて、今後の第三次世界大戦原発事故・爆発等における放射線にたいする対策として、味噌、玄米、ワカメ等の海藻類、そして天然の塩をとって原爆に被曝しながら原爆症を発症しなかった医師の紹介をしております。因みに月刊誌「エノク」は非常に薄い冊子の為に、著者の所有する情報を全ては載せておりません。著者は他にも講演会や、その模様を収録したDVDやCD、カセットを販売しています。YouTube等にアップされているのはダイジェスト版の為に、一部のみの無料公開となっております。私自身も昨年まではYouTubeの動画を余り見る事が無かった為に、まだまだ知らない事が多く有りました。


人権週間、全ての人が障がい者・・・曖昧な根拠・基準

2012-12-04 22:31:41 | 世間・空気
 本日から10日までの1週間は人権週間です。昔からの差別や、在日の方等の外国人への差別、障がい者、お年寄り、女性、犯罪歴のある方、生活保護を受けていられる方、虐待を受けている子供や女性、お年寄り、犯罪の被害者(女性の性被害等)等、社会生活上の様々な場面・環境等において差別・偏見が存在し、其れを被る方々は雇用等の社会的活動やプライベート等において、非常に生きにくくなっております。
 市場原理主義、金融至上主義、規制緩和等によって格差が拡大し、一部の者の富が極端に膨らんでしまい、非正規労働者の方々の様な下層の人々の年間所得が200万(~300万)以下という現実となっております。昭和50年(1975年)から発行され始めた国債のその後の膨大な発行によって国の借金は1000兆円近くまで膨らみ、外国から借金をするよりは国内の税金で賄った方が良いので逆進性の消費税を上げる事は仕方が無いですが、同時に累進性の所得税を以前のレベル程まで上げるべきだと思い、国際競争力が弱くなるからと下げている法人税も上げるべきだと思います。所得税の最高税率は昭和54年(1979年)までは75%でしたが、其の後少しづつ下げられて、平成12年(2000年)には30%台にまで下げられてしまい、現在は40%となっています。私は振り返って、昭和50年代まで(~1984年)の日本は良い意味で「社会民主主義的」「バランス」のとれた状態であったと思うのですが、昭和60年(1985年)のプラザ合意による円高ドル安政策によるバブル形成が起こされてから、以前の「古き良き昭和」の状態が壊されてしまったと思います。人権においての偏見を無くす事と同様、経済・金融・財政・国民所得のバイアスを無くしてバランスを高める必要が有る様に思います。因みに、介護・福祉関係の給与が少ない事が問題となっていますが、高額所得者の給与を減らしてその分をその様な分野へお金を回せばバランスは取れるはずであると思います。難しい事では無く、至って簡単な理論です。
 差別というものが現実に存在しますが、そもそも何を「根拠」に差別をしているのかが解りません。と言うよりも、根拠が初めから無い訳です。差別をしている人達は、根拠も無いのに差別をしている訳です。ただ、世間の評判や昔からのしきたり・習慣、マスコミの垂れ流す情報を基準にしているだけで、「真実の根拠」が解っていません。考え方、判断の仕方、物事の捉え方、生き方等において、その真実の根拠が必要であります。世間で常識とされている事も、少し見方・捉え方を変えるだけでその誤りに気付いたり、裏に隠されて見えない真実が見えて来ます。差別は一種の洗脳であり、盲目であるだけであります。又、同時に正しい知識も必要となります。その正しい知識・情報を得る為にも、「真実の根拠」が必要になる訳です。
 因みに差別にも元々正当な理由・根拠が存在しません。「エタ」と呼ばれて差別されていた人達は、古代ユダヤ人である事が多いです。シルクロードやインド洋を通って来た渡来人の秦氏は古代ユダヤ人ですが、ローマからは異端とされていたネストリウス派のキリスト教徒(中国で言う景教)であった事が多く、イエス様をキリスト(救世主)と認めていた人達です。そして、旧約聖書における神様への罪の贖いとしてのいけにえである牛を犠牲にして神様に捧げていました。犠牲と言う漢字は、両方とも牛偏です。奈良時代に仏教が国教となった事によって、偶像崇拝を律法によって禁じられている古代ユダヤ人の人達は、中央政権に妥協して受け入れた人達は其の後出世して此の世における成功を手に入れましたが、律法の定めに忠実であった人達は従わずに山奥等に逃げて戸籍を持たないサンカ等になり、川の近くのとなって牛のや皮革加工等を生業にしました。又、仏教では殺生をすることが最も重い罪とされる事も相まって、その様な偏見・差別へと繋がった訳です。よって、元々の差別の発生原因を見ても解る様に、その差別そのものの存在自体が間違いである事が解ります。日本人は焼肉が好きですが、牛を日々食しておきながら牛のに対して偏見を持ったり差別する事等は矛盾も甚だしい様に思います。仏教形式で葬式を行なったりやお墓を建てる方々は、その様な矛盾をお持ちでは無いでしょうか。因みに、古代ユダヤ人も全てが景教徒であったとも限らず、「失われた十支族」の発生原因である紀元前721年の北のイスラエル王国崩壊の時には、ダビデ王・ソロモン王の後以来続けていた偶像崇拝を王の方針の下、行なっていました。その事が原因で主(神様)に国を滅ぼされて世界に散らされたので、日本の八幡神社や稲荷神社にその面影が残っている様です。八幡・稲荷共に秦氏の建立です。
 障がい者とは言いますが、人はみんな障がい者です。此の世に完璧な人は一人もいません。みんな一長一短が有ります。長所もあれば短所も有ります。長所であれ短所であれその度合いが過ぎると発達障害等とされているだけで、誰が作ったか解らない基準を基に線を引いて健常者と障がい者の分け隔てを行なっているだけです。つまり、そこでも「基準・根拠」が曖昧でいいかげんである事が解ります。口が悪くて悪口ばかり言う人は口の障がい者、高慢・虚栄・妬み・非難・不平・貪欲等を持つ人は心の障がい者である等、みんな障がい者です。ただ、度合いが強いか否かであるだけの事でしかありません。タバコが合法で麻薬が違法と言うのも同じ様な事で、共に健康にとって有害である事には違いは有りません。


本物の鍛冶屋さん

2012-12-03 20:43:29 | 鉄工所・職人・町工場
 昨日の深夜(本日の未明、2:35~3:30A.M.)、関西テレビ(フジテレビ系列)で放送された「FNSドキュメンタリー大賞『鋼の絆~島原の鍛冶屋五人兄弟』」(テレビ長崎制作・著作)を見ました。江戸時代から9代続く鍛冶屋「吉光」は、91歳の次男から72歳の九男までの5人兄弟で営まれ、島原の伝統工芸品の包丁や鍬や鎌等の農具等を作っておられます。父が11人兄弟全てに鍛冶屋さんに関する名前を付け、その内9人は鍛冶屋を継ぎましたが、4人は亡くなられました。又、取材中には社長である84歳の六男の方が亡くなられました。その社長の48歳の長男が父が亡くなられる前から見習で加わっています。一方、91歳の次男の方は、毎朝自転車で通勤されていて、正に現役そのものです。昔からの日本刀を作る方法と同じ鍛接という方法で、1000℃の高熱とハンマーで叩く圧力によって「玉鋼」と他の工具鋼とを溶接し、其の後ハンマーやプレス機によって鍛造して不純物を除きながら平たく鍛え、よく切れ、硬く、粘りがあり、曲がり難い包丁へと仕上げていきます。
 市販の玉鋼を使っていましたが、鍛冶屋として本格的にやろうとして、様々な文献を集めて昔行われていた「たたら製鉄」自ら行う事に挑戦し、現在は自社製の玉鋼を使用した包丁を作っています。朝鮮半島から渡ってきた渡来人が日本へ伝えて弥生時代から行なわれてきた「たたら製鉄」は、中国山地等、岡山県の備前・美作兵庫県の千種川・揖保川沿いの砂鉄の採れる所でも盛んに行なわれて来ました。鋼は刃金とも書き、日本刀の刃の部分に用いられて来ました。文献を基に赤土でたたら炉(火床(ホド))を作り、有明海沿岸で採取した砂鉄を使い、木炭で火を起こして1000~1300℃まで熱して鞴(ふいご)から風を送りながら、純度を高める為に藁灰(わらばい)と貝を砕いた粉を加え、ノロ(スラグ(不純物))を分離して、「玉鋼」(和鋼)の基となる粗鉄である「(ケラ)」を作ります。砂鉄80kgから20kgのケラしか取れません。鍛接しやすく、研磨もしやすく、鉄と1~1.5%の炭素のみの合金で純度の高い「刃金(鋼)」が出来ます。
 私も実はこの番組の様な鍛冶屋さんとは違った種類・内容ではありますが、町工場の鉄工所で若い時から働いて来ていたのですが、この御兄弟の方達の様に60~70年程も鍛冶屋一筋で働いて来られて、且つ挑戦して新たにされていく本物の鍛冶屋さんを見て、とてもすばらしいと思いました。仕上げの研磨した後の刃文を見ただけで、その切れ味が解ってしまいます。紙を立てにすっと切れてしまう程の切れ味の良い包丁です。耐久性も良いです。又他にも、ボランティアで農作業の器具の刃物を研いだり、リサイクルとして空き缶を使用しての包丁作りの挑戦もしています。
 関東地方の放送は未だ(12月19日(水)の深夜(翌日の未明))ですが、こちらと同じ午前2~3時という視聴率の悪い時間帯です。九州地方では昨年の3月に放送されましたが、そちらの方でも早朝や深夜でありました。私はいつも思うのですが、この様な良い番組がなぜ深夜等のあまり視聴率の上がらない時間帯に流されるのかと疑問に思っています。こちらの関西では、日曜日の深夜(翌月曜の未明の真夜中)という、翌日出勤日で最も視聴率の上がらない時間帯に放送しています。逆にゴールデンタイムに放送している番組は、お笑いやクイズ、バラエティ番組、セックスシーンのあるドラマ等の意味の無い空虚な番組ばかりです。しかし、その様な意味の無い番組の視聴率が上がっている事が現実に起こっている事から大衆受けしている事が表されており、且つ広告業者の大衆への洗脳の意図(勿論、電通等の広告業者も裏の権力に操作されている)もあるのでしょうが、愚民化・平和ボケ政策とそれを歓迎している一般大衆の様子が表されている様に思います。私は此の度見た様な意味のあるドキュメンタリー番組こそゴールデンタイムに放送すべきだと思います。因みに私の場合は、番組表から選んで録画してから良い番組だけを見ています。NHKの場合は未だその様な意味のある番組を視聴率の上がる時間帯に放送しているのですが、コマーシャルが無い分で未だ民放よりは操作される度合いが少ないのでましなのかもしれません。 


世を軽んじ、全てを捨て、清貧・純潔・謙遜・愛・従順・・・「アシジの聖フランシスコ」を読んで

2012-12-02 04:09:00 | 孤独・独立・自尊心
 今から100年程前に原本が出版された、次の本を読みました。
  「アシジの聖フランシスコ」(著者:J・J・ヨルゲンセン氏、訳者:永野藤夫氏、出版社:平凡社、出版日:1997/8/15)
 A.D.12世紀末~13世紀初めの頃の当時、ローマ・カトリック教会の教皇の宗教権力・政治権力が強くなり、教会は多くの財産を抱え込み、聖職者も多くを所有して、教会制度・社会制度共に腐敗していました。その様な中イタリアのアッシジに、お金・物・知識等の全てを捨てて無所有となり、托鉢的に説教をして布教しながら祈りと手仕事の労働もし、清貧・純潔・謙遜・愛・従順の姿を通して人々の心を目覚めさせ、教会の変革をも促した、聖フランシスコがいました。当時の体制とは正反対でしたが、聖フランシスコは教皇には反抗せず、教皇の認可を正式に得て新しい修道会「小さき兄弟会」を作りました。その会は、原始キリスト教徒の生活と使徒達の生活を模範にしていました。
 アッシジで一番裕福な商人の家に生まれ、青年期は金遣いも荒く毎晩友人を招いて宴会を開き夜の街を歌い歩く等して放蕩していました。但し、女性に関しては模範的で貞潔でした。20歳の時に出征して投獄された時に病気になり、22歳の時にもアッシジの自宅で重病で長患いをして俗世間に関する様々な事が無常である事に気付きました。回心しかけて此の世に対する虚しさを感じていたものの、病気が良くなると世俗と虚しさの間で心が揺れながら騎士へのあこがれが再びもたげて来て23歳の時に騎士として出征しますが、途中で神様からの啓示があって考えさせられ、再び虚しくなってアッシジに引き返りました。回心し始めましたが、其の後も暫く世俗と神様との間で感情が行き来していました。そして、再び主のフランシスコの心への働きかけによって、全てを捨てて孤独になり使命を果たしたいと言う衝動にかられて、洞穴の中で祈りに費やし、イエス・キリストの象徴であるらい病患者を癒し、物乞いを試み、放浪し、父と衝突して父を捨て、小さな荒廃していた教会を修復しました。26歳から説教の布教を始め、労働と施しで過ごしました。看病や農作物の刈り入れ等の労働の対価は食事で受け取り、お金は一切受け取りませんでした27歳の時修道会を作り、30歳の時にフランシスコの心を最も体現した乙女・聖クララを迎えました。聖クララは貴族の家に生まれた令嬢で、子供の頃から信心深く、見合いも全て断って来ました。37歳の時には十字軍に同行して、イスラム教軍に大敗を喫した十字軍の兵士達に回心の説教をし、夢見ていた異教徒への説教も行いました。42歳の時に、全てを捨てて神様の御心のままに行うその信仰の厚さ故に、イエス・キリストと同じ手・足・脇腹の5か所に聖痕の奇跡を受けました。43歳で眼が殆ど見えなくなり、44歳で天国に召されました。
 本書は1907年にデンマークの詩人によって原本が書かれ、各国語に訳されて西欧ではベストセラーとなりました。聖フランシスコ在世当時のイタリアの人々だけでなく、現代、そして私においても、「神様の道化師」アッシジの聖フランシスコは模範です。よって、感想を述べるよりも私自身への手本・訓戒として掲げる意味を込めて、本書より以下に記します。
 「主よ、私が何をするのを、お望みですか。」
 「主よ、御身の道を示し、御身の道の完全さを我に教えたまえ。」
 「フランシスコよ、私の意志を知りたいなら、心の愛し望んでいたものを全て軽んじ、憎まねばならない。そうし始めたら、前には快く好ましかったものは全て耐え難く、苦々しくなるだろう。だが、前に嫌っていたものは全て、お前にはとても快く、あふれる喜びになるだろう。」
 「いと高い者御自身が私に、私が福音に従って生きるべき事を、お示しになった。」
 「悔い改めよ、天国は近付いた。」
 「・・・神様は計画された不思議な業を行なわれる為に、全世界でよりみじめな人間をご発見出来なかったので、私をお選びになり、世の貴さ、偉大さ、美しさ、英知を恥ずかしめられた。それは、全ての人が次の事を認める為にである―力と徳は全て人間からでは無く、神様から来るのであり、誰も御前では自慢出来ず、誉れと力は永遠に神様のものだから、誇る者は主において誇るのであることを。」
 「財産があったら、それを守る武器も必要でしょう。財産の為に、隣近所の人との争いが起こり、神と人への愛が傷つけられます。この愛をそっくり保つ為に、此の世で何も所有しないと、固く決心しているのです。」
 「・・・クララはその指導の下に、・・・『世を軽んじて回心し、進んで清貧を守り、天国をあこがれるべきこと、十字架にかけられた我が主イエス・キリストの裸にされ、辱められ、苦難を受けられた事について、すばらしい説教』を聞いた時、彼女の心は燃え、すぐにでも飛んで行って、きらびやかな服を脱ぎ、イエスやフランシスコの様に、満足と労働と祈りと平和と喜びの内に生きたいと思った。」
 「すべてを、自分自身の意志をも捨てない者は、イエスの弟子にはなれない。」
 「・・・恥じねばならないのは、・・・自分ではその話や説教をしたという理由だけで、尊敬されたがる事である。」
 「善行につながる学問だけが、いくらか価値のあるものである。」
 「自分を神に捧げること以外に、隣人から何も求めないこと。」
 「・・・隣人の弱さを大目に見る者は、幸いである。」
 「他人に誉めそやされるより、軽蔑される時の方が、ずっといいと思う者は、幸いである。神は全てを見通しておられるから。」
 「神の御業をなし、神について語る事を唯一の喜びとし、人を歓喜の内に神に仕えさせる様に導く兄弟は、幸いである。」
 「むなしいおしゃべりで人々を笑わせ、神の下さったお恵みに行動でこたえない兄弟は、わざわいである。」
 「『自分の徳を自慢しないことについて』神はひそかにご覧になっている。神の為にのみ、私たちはすべてをなし、天に宝を積むべきである。」
 「行動によって説教するのが、全ての兄弟にふさわしい。」
 「私は十字架にかけられたイエス・キリストを知っている。それで満足である。」
 「私の兄弟達よ、主は私を、謙遜と単純の道を歩む様に召された。・・・主の私に望んで言われた事は、私が前例も無い様な愚か者になり、主が私達に学問の道以外の道を、歩ませて下さる事である。神はあなた方をあらゆるあなた方の知恵と知識で赤面させたもうだろう。」
 「知識は高慢にするが、愛は信心深くする。」
 「・・・兄弟や他の人が反対しても、全て神のお恵みだと思いなさい。・・・それよりほか仕方が無いのだ、と思わねばなりません。・・・そういう事にこそ本当の従順があるのだ、と私は確信します。・・・。」
 「・・・何より大事なのは、あらゆる高慢、虚栄、妬み、非難、不平、貪欲、此の世の憂いをまぬがれ、主の霊を持ち、神の御業をなし、常に清い心で祈り、迫害や病いにおいて謙遜と忍耐を保ち、・・・。」
 「至高の清貧という失うことの無い宝の他は此の世の何物も持たずに、旅人や他国人として此の世を旅する。」
 「霊魂は悲しみ、寂しく、憂いに沈む時、うわべの慰めやこの世の空しい楽しみを求めやすい。」
 「清い心と普段の祈りからこそ、あの霊的喜びは湧き出るのです。」
 「しだいに恵みに忠実でなくなると、血と肉は自分に必要なものをどうしても探す。」
 「・・・私たちはいつも忘恩で、毎日私たちに与えられるお恵みやあらゆる御慈悲を思わず、私たちの創造主であらゆる良い賜物の与え主である主に、しかるべく感謝したいのです。」
 「わたし兄弟フランシスコは、わたしたちの至高の主イエス・キリストの生活と清貧に従い、・・・あなた方がいつもこの至聖な生活と清貧にとどまる事です。くれぐれも用心して欲しい事は、誰かの忠告や教えによってこの生活から決して離れない事です。」
 
アシジの聖フランシスコ (平凡社ライブラリー)アシジの聖フランシスコ (平凡社ライブラリー)価格:¥ 1,260(税込)発売日:1997-08



下山・・・世間的なものの束縛からの解放で得られる幸せ・・・「下山の思想」を読んで

2012-12-01 01:51:42 | 世間・空気
 立ち止まり、心静かにして瞑想する様な気持ちで本書を読みました。
 「下山の思想」 (著者:五木寛之氏、出版社:幻冬舎、出版日:2011/12/10)
 現在日本を含めた世界の先進諸国は行き詰まり感が覆い、金融・産業等の経済、社会、環境等の各分野で破綻が生じています。世界的な利権構造が出来上がっており、此れを崩そうとしても難しい状態です。限界的な世界人口は70億を超え、食料飢饉・エネルギー不足が考えられます。世界の基軸通貨のドルは崩壊寸前で、ユーロも同様に危機に陥っています。正義のリビアのカダフィ大佐が金貨でアフリカ通貨を発行して紙切れのドルから切換え様としていた事を始め、中国も米国債をいつ売ろうかと考えています。日本においては今から22年程前のバブル経済崩壊から一向に以前の様な活気を取り戻す事が出来ず、デフレによる悪循環と長期の不景気により、世間全般的に鬱の様な状態で覆われてしまっています。一時的に良くなった様に言われていた時は、社員のリストラ非正規社員の活用、下請け町工場の切り捨てによる大企業の生き残り等、格差を作ってマスコミの取り上げる上層部の表面のイメージを良くしていただけです。日本だけでなく先進諸国は皆かつての経済的・産業的な成長は不可能で、限界を知る必要が有ります。確かに、原発を全廃して其の分の再生可能な代替自然エネルギーを行なう事に関する産業や、地球上に出してしまった放射性廃棄物の除染・処理に関する産業、原発解体に関する産業、有機リン・有機塩素等の石油由来合成化学物質の無害化処理に関する産業、又、合成化学物質に頼らない天然・自然由来の製品に関する産業、ゴミを出さずに全てを循環して利用するシステムの構築の為の産業、自然環境を保護し回復させる産業等においては国内において成長が見込まれます。しかし、全体的に見れば無くすものの穴埋めをしているだけで、総合的には成長はしません。但し今までの様に、お金の利益を得る為に自然環境や人間を破壊する事が無くなり、永遠に持続可能な生命の循環システムが作られます。自然の生態系の一部として人間が存在し、自然破壊は人間の破壊に繋がっています。様々な精神疾患、疫病、生活習慣病、道徳・倫理の荒廃等、ほんの70年程前の戦前と比べても大分壊れて来ています。成長には限界が有り、人間の能力には限界が有り、科学にも限界が有ります。此の事を悟って念頭に持った上で、一人ひとりが今後の自分の行く末を考える必要が有ります。
 私も若い頃は前ばかりを向いて勢いが有りましたが、怪我をしてつまずいてその勢いが止められ、過去を振り返る様になりました。過去を振り返ると、忙しさのあまりに、それまで多くの事を見逃して来た事に気付き、失敗や罪に当たる様な事も誤魔化して来ていた事が解り、後悔し反省しました。成長をしている頃はそういうもので、後ろを振り返って点検する事が無く、知らない間に思わぬ偏った方向へ逸れてしまっている、人間としての本来あるべき姿からかけ離れてしまっている事が有ります。過去は実際に在った事、良きも悪しきも自分の心の奥深くにしまわずタブーにせずにさらけ出して「悔い改め」をし、それによって未来への真の希望が湧いて来る事に繋がります。人間の根本は心であり、その根本が悪ければ、表面的に繕っても何時までも変わりません。その様な人間一人ひとりが国を、世界を構成しています。また最近、インターネット等でタブーが暴かれているのも過去を振り返る事によるのであり、その様に過去を振り返る事から真実が見えて来ます。
 色々な面で自分を高める努力は必要ですが、無理をせず、人と競わず、マイペースで生活する事が、殆どの世間の人々にとっては下山に当たると思います。学歴・肩書き・地位・富・名誉・世間の評価・評判・見栄・付き合い・しがらみ等の束縛から自分自身を解放し、今までと異なった見方・捉え方で情報を捉えたり物事と接し、自分は自分として世間とは少し違った道を歩む事が下山に当たると思います。そうする事で、行き詰まり感のある方々には新たに希望が湧いてくるのではないかと思います。情報の捉え方が異なると言う事は、世間的に常識とされる事を疑い、真実を探り目覚める事にもなります。
 最初に記した終末的な状態、今までにも日本においては末法思想と言うものが流行して、と呼ばれる粗末な衣服を身にまとった空也等の僧が布教して回りました。其の後に、本書に登場する法然親鸞が仏教界で改革を行ないました。法然と親鸞は、其れまで必要とされていた修行、教養、寄進等を必要とせずに、罪を犯した人も皆念仏を唱える事によって浄土へ行く事が出来ると言う教えを、山から下りて下層の民や武士・貴族の間に入って広めて行きました。因みに、法然の母は秦氏で、父も秦氏の血筋の辛島氏を先祖にもつ漆間時国で、岡山の秦氏の多く住んでいた美作国の生まれです。親鸞も源頼朝と源義経の甥ですが、源氏は秦氏の血筋です。武士と貴族にも受け入れられたのは、同じ血筋であったせいかもしれません。秦氏は古代ユダヤ人で景教徒(ネストりウス派のキリスト教(アッシリア東方教会))です。又、同様に本書に登場し其の二人と同時期に活動されていたアシジのフランシスコは、イタリアにおいて当時教皇権力が国の王よりも強くなって腐敗していたローマ・カトリックの下で、教皇に反抗せずに教皇から会則の認可を正式に得て活動しました。元々裕福な商人の家の生まれでしたが、学問を身に付けず、全てを捨て、粗末な衣を身にまとって托鉢的に布教したり、らい病の患者を癒したりしました。その清貧の姿から民衆や教皇・枢機卿・司教・司祭が学んで、教会側が正していく事に繋がりました。そして、聖書においては今後の世の終わりにイエス・キリスト(救世主)の再降臨と裁きが書かれています。かつて降臨された時には、戒律・形式主義に強まって偽善を行なっていたユダヤの指導者達と戦ってその改革に努め、そのキリストの教えが弟子達によって伝道されていきました。
 下山し、自分の能力で自己実現しようとするのでは無く、運命に委ねる、神様に委ねる事が人間の本当の姿に繋がるものと思います。成る様に成る。宇宙、自然、あらゆるものの存在について科学的に説明する事には限界が有り、説明出来ない「不思議」な事が現実に起こっています。人間の生命を始め、その奇跡的な事が、万物の創造主である神様によるものと言う事を悟り、其の方に委ねる事で全ての事からの解放が得られ、真の幸福へと繋がります。
 
下山の思想 (幻冬舎新書)下山の思想 (幻冬舎新書)価格:¥ 777(税込)発売日:2011-12-09