如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

春の旅(4)

2007-08-30 22:21:41 | インド旅行記
ビブーティー
インドに入ってから5日目、バンガロールに着いてから4日目である。
ゲート前の店で背もたれと座布団を買う。これで今日は足や腰の痛みを気にする事なく、サイババに集中する事ができるはずである。
アシュラムの敷地内はいつもきれいに掃除されていてゴミひとつ落ちていない。これはボランティアの人達が掃除しているらしく、会場に集まってくる人々を整理する仕事をしているのもボランティアの人達らしい。
サイババの周囲にも取り巻きの人はいるのだろうが、出家をした僧侶のような人はいないのではないかと思う。そういう職業的な宗教の匂いは感じられない。
サイババを待つ間、前庭の列に並んで座わり本を読んでいると、とてもよい気持ちになってくる。ダルシャンの行われる会場に入ってからもやはり本を読んだり、瞑想?をしたり、待つ時間を楽しむようになってくる。それによって、サイババに会うための準備ができてくるようである。
ダルシャンの会場に最後に入ってくるのは、いつも学生達である。高校生か大学生かわからないが、服装は白で統一されている。その学生達が200人くらい小走りに入ってきて舞台の正面に用意された場所に座る。学生が入り終わるのを待ちかねたように、会場にインド音楽が流れ、ダルシャンが始まる。サイババはふたりをしたがえてゆっくりと歩いて来た。
ホワイトフィールドの会場は、三方が壁のない吹き抜けで、屋根は光が透けるプラスチックの材質のものである。屋根の高さも充分にあって、木陰にいるような開放感がある。その会場の外から、サイババはいつものように会場の外にいる人に手を振って答えたり言葉をかけたりしながらゆっくりと入ってくる。
集まった数千人の視線が全てサイババに向けられる。拍手も歓声もない。会場は静かである。熱狂した感じは全くない。ただみんなの目と心がサイババに注がれている。サイババの移動に合わせてみんなが自然と向きを変える。少しでも長い間、少しでも近くでサイババを感じていたいと、誰もが思っているのだ。
ゆっくり歩いているはずのサイババは、しかしあっというまに会場をくまなく歩き、手紙を受け取ったりビブーティーを出したりする。
ある人は「サイババのいる周囲の空間だけ異次元のような感じがする。」と言い、ある人は「サイババのオーラで会場が満たされている。」と言う。確かにそうかもしれない。二日前に初めてここに来た時は感じなかった何かに、いつのまにか包まれてしまったような気がした。
人によっては「そこに集まっている数千人の人々の欲望で背筋がゾッとするようだ。」と言うが、そんな風な感じはなかった。サイババの信者は「誰でもサイババに呼ばれた者でなけサイババの元に来る事はできない。」と言うが、まあ、広い意味ではそうなのかもしれない。イスカリオテのユダはイエスに呼ばれたのである。

バジャンという神をたたえる歌を歌い終わりサイババが会場を出ていくと、それをもってダルシャンは即終了する。このようなダルシャンが毎日毎日だぶん365日朝夕に行われているはずである。これはすごい事だと思う。もし仮に、彼が神の化身を演じているとすれば、この毎日毎日の興行はとてもやりきれないものなのではないかと思う。

サイババは1926年11月に生まれたというから70才になるわけだが、その年齢に比べればずいぶん若く見える。肌のつやもいいし、精悍な感じさえ受ける。老人には見えないし、魅力的である。

インドには有名な神様がたくさんいる。男神ではシバ、ヴィシュヌ、クリシュナなどが有名だ。女性の神様もたくさんいる。しかしサイババがそういった神の生まれ変わりかというとそうでもない。「そうでもない。」というのは、「一面においてはそうでもある。」ということである。神をどう説明しても一面的な説明にしかならないのである。「すべての宗教の神はひとつである。」とサイババは言う。
ただ、彼はインド人であり、ヒンドゥー教の世界の人である。それでアシュラムにはクリシュナやガネーシャやサラスヴァティーの像が置かれている。その中でもクリシュナは別格らしく、マンディールの祭壇に置かれていたのはクリシュナであった。

アシュラムの近所に、サイババや仏陀の写真の表面にビブーティーなどの粉が吹き出す民家があるというので、高山さんに連れていってもらった。行って見るとごく普通の家なのだが、確かにサイババの写真に白い粉が厚く付着してる。サイババの写真の隣のシルディーのサイババの肖像画には赤い粉がやはり厚く付着している。また、部屋の奥の方には仏陀の絵があって、それには白い粉が付いていた。この場所以外でも同じような現象が起きているという話を聞いている。付着した粉を削り落としても、また数日で元の通りになってしまうという。真偽のほどはわからないが、不思議なものを見せてもらったという感じはした。
私がブッディストだと言うと、その家の主人は仏陀の絵に付いた粉をかき落として紙袋に入れてくれた。粉の下から現われたのは、まるで女性のように美しい色白のヒンドゥーの神様である。「これが仏陀ですか。」と私は主人に聞き返してしまった。しかし、それからついまた手を合わせてしまった。

春の旅(3)

2007-08-30 20:49:33 | インド旅行記
旅の予定
ホテルに戻ると、再び旅の予定の事が気になりだす。今後の予定をある程度決めて、帰国便の予約くらいは取っておかないといけない。「地球の歩き方」とにらめっこして、おおまかな予定を立ててみる。今回の旅行の目的はサイババなのだから、日本に帰るまでアシュラムにいてもいいはずなのだが、せっかく来たのだからとつい思ってしまう。
どうも私はせっかちである。後で思えば、もう一日二日様子を見てから考えたほうがよかったのだろうが、それができない。
翌日には、前日のタクシーの運転手に頼んで航空会社をめぐり、国内線の予約と帰国の便の手配をした。
インド国内は列車を使うべきなのだろうが、鉄道の切符の手配は面倒だとガイドブックに書いてあったので、長距離の移動は飛行機を使う事にした。
まず国内線のインディアン・エアラインに行った。前日作った計画では、十日間くらいサイババの所にいて、それからボンベイに行って、エローラ、アジャンターの仏教遺跡を見て、それからヒンドゥー教の聖地であるガンジス川沿いのバラナスィに行くという予定だったが、調べてもらうとその頃のボンベイ行きの飛行機は全て満席だという。それでその場であっさり計画を変更して、デリー経由で直接バラナスィに行く事にする。なんともいい加減な計画だが、それでもいいような気がしてしまう。
それから次に、帰りのフライトを決めにエア・インディアのオフィスに向かう。オフィスは月曜日のためか混んでいて、11時前に行ったのに昼食休憩を挟んで午後3時近くまで待たされてしまった。
しかし、エア・インディアのオフィスで待たされたおかげで、高山さんという日本人に会う。彼はホワイトフィールドのアシュラムの外に部屋を借りている。これでまた私の予定は少し変わる事になった。実のところ、私はアシュラム内に宿泊する事に若干の抵抗を感じていたので、彼に相談にのってもらってアシュラムの外に部屋を探す事にした。若干の抵抗というのは、主に私がタバコ好きだという事である。
高山さんは、サイババに会いたいという知り合いを連れてバンガロールに来ているが、ゴアの方が好きなようで、近いうちにゴアに戻るという。
さて、彼の話によると、彼が案内してきたその知り合いの女性には若干の霊能力があるのだという。そして、その女性は今やはり日本から来ているもっと本格的な?霊能者と行動を共にしたいと言っているのだそうだ。さすが、サイババの所にはいろんな人が来ているものだと思う。それから、そう思っている私もそのいろんな人のうちの一人にちがいないとも思う。
ホワイトフィールドのサイババのアシュラムの正門前の通りには土産物屋や食堂などが並んでいる。高山さんに連れられて、その店の間を通り抜けて裏手にまわると、小学生くらいの子供たちが何人か集まって来た。高山さんが、空いている部屋があるかどうか子供たちに尋ねると、子供たちはそういった事を知っていて案内してくれる。
案内されたのは家の集まった所からはちょっと離れたアパートのような作りの2階建ての建物である。建物はきれいなピンク色に塗られていて新しい。
部屋を見ると風通しがよさそうなのも気に入ったので借りる事にした。ここは管理人が住んでいるわけでもなく、宿というよりは貸し部屋である。一日250RS。サイババのアシュラムの周辺は外国人が集まるために、インドでも特別に物価が高くなっているらしい。ちなみに、その後の旅の途中、北インドの観光地では同じような部屋が100RSで借りられた。
借りる事になった二階の部屋は眺めもいいし、結構きれいで、静かである。ベットはないが、そのかわりにゴザと敷き布団と枕が2人分置いてあった。これでやっとインドらしい所に来たような気がした。部屋は四畳半くらいで、トイレと水のシャワーのある部屋が付いている。窓には鉄格子がはまっていて、もちろんガラス戸ではなく板戸である。

ωケンタウリ
食べる事についてはインドにいる間あまり困ることはなかった。外国人が立ち寄るような場所ではイタリア料理風のメニューもあるし、インドの食事では、チャパティーという小麦とフスマでできた薄いパンと野菜カレーのセットが食べやすかった。インドではお米も取れるので野菜入りのフライドライスなども食べられる。また、外で食べるのが面倒な時は、クラッカーとバナナとオレンジなどの果物で済ませる事もできる。
飲み水は1リットル容器のミネラルウォーターがどこでも安く手に入るのでそれを持ち歩いていれば全く問題ない。
夕方の7時頃、高山さんに案内してもらって、アシュラム内の食堂に食事に行った。食事はもちろん完全なベジタリアンだが、好きなものを選ぶ事もできるし、味付けも日本人好みの薄味で美味しかった。しかも料金がたいそう安いので、申し訳ないようだった。
夜になってもアシュラムの前の土産物屋はにぎやかだ。日本の夏祭の縁日のような感じである。しかし、にぎやかなのはアシュラムの門前の200メートルほどの場所だけで、ほんの少しそこから離れるともう懐中電灯の必要な田舎の暗い道である。
借りた部屋には裸電球がひとつだけで、本を読むのも疲れるので自然と早寝になった。
翌朝、肌寒いような明け方の3時頃、目が醒めたので南の空を見ると南十字星とωケンタウリが見えていた。ωケンタウリは、子供の頃から見たかった星のひとつだ。星ではなく球状星団なのだが星のように明るく見えるのである。星を見る事を楽しみにしている者にとって、日本では見る事のできない南の空は憧れである。
「ケンタウルス、露をふらせ。」は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の中の『ケンタウルス祭』での子供の囃子言葉だが、これはωケンタウリのイメージだろう。