バンガロール
次の日、バンガロールに向かう飛行機はデカン高原の荒涼とした大地の上を南に向かって一直線に飛んだ。窓から下を見下ろせば、高原の土色の大地の上を道路が線のように走っていて、幾つかの道路が集まったところに町のようなものがあった。
バンガロールはデリーから南に1700Km、インド亜大陸でもかなり南にある高原の町である。
ガイドブックによれば、インドでも近代的な都会であるらしい。
空港に着いて、飛行機を降りるとデリーに比べ日差しが強く、南に来たという感じがする。乾いた暖かい風が吹いている。しかし暑いというわけでもない。
空港の出口にはやはりたくさんの人がいて恐いようである。とりあえずタクシーに乗って運転手に尋ねると「今、サイババはホワイトフィールドに来ている。」との事。しかし、このまますぐサイババのいるホワイトフィールドに乗り込む気にはならない。「乗り込む」という表現は変なのだが、私としては少し遠くから様子を覗いて、それからおもむろに接近したい方がよさそうな気がしたのだ。
そこで、SSOJ発行の「聖地へ」という本に載っているラーマ・ホテルに行ってみることにした。
ところが行ってみると、空いている部屋は40US$の部屋だけだという話。40US$は予定外の大金、日本の4000円とは少しばかり意味が違う。後のことを考えて少し迷ったが、だからといって他のホテルを探すのも面倒で、とりあえずそこに泊まる事にしてしまった。立派なソファーや大きなテーブルのある部屋である。
しかしこんな高い部屋に長居はできない。大名旅行をする気は全くない。
このホテルはサイババの信者がよく利用するのだそうで、それらしい服装の白人の姿が多く見られ、サイババに少し近づいた感じはした。
翌朝にサイババのいるホワイトフィールドへ行く事にしてタクシーをフロントに依頼した。
なにはともあれ、なんとなく順調である。日本で考えていた時には、こんなにすぐにサイババを見る事になるとは思っていなかった。
しかし順調であるのはよいのだが、あまり喜びが沸いてこない。日本からわぜわざこんな遠くまで来て、明日はとうとうサイババに会える!という感激が沸き上がってこない。なぜだろうと思う。
たぶんその理由は、期待を裏切られるのではないかという不安にあるのだと思う。
サイババは、ホテルのフロントで貰ったバンガロールの地図に、写真とメッセージが大きく載っているくらいこの町では有名人である。しかし、あまりに有名人でサイババのアシュラムが観光名所のようになっていて、観光客にサイババが手を振ってニヤニヤしていたらどうしようなどと、つまらない事を考えてしまう。「キリストのような聖者」と「商業主義のパンフレットで手を振る男」をうまくひとつに重ねる事ができないのだ。
それと、自分の中にある、宗教に対する拒否反応のようなものが頭をもたげてくるのである。宗教関係の本をひとりで読んだりするのは良いけれど、宗教の事は友人との話題にはしないし、まして宗教組織との係わりは一切ない。信仰はあくまで個人的なものであって、組織的な宗教活動は信仰ではないという思いが強いのである。
ホワイトフィールド
早朝、明るくなり始めた6時頃、老人の運転するタクシーでホワイトフィールドへ向かった。サイババのアシュラムは、バンガロールからマドラスに向かう鉄道の途中にあるホワイトフィールドという駅のすぐそばにある。距離にすればバンガロールから20kmくらいである。
日曜日ということもあって、アシュラムに近づくにつれて、道はバスやタクシーで混雑してくる。みんなアシュラムに向かっているらしい。
運転手の老人は、アシュラムの壁際に車を停めると、車のナンバーを覚えてから行くようにと言う。確かに似たようなインド製の車がたくさん並んでいる。だからナンバーを覚えておかないと帰る時に苦労するのだ。
アシュラムの前の通りには、花や座布団を売る物売りが出ている。
まだ門が開かないのか数人のインド人が並んでいるので、その後ろに並んでいると、すぐに門が開いた。
アシュラムのゲートの所では職員が人の出入りを見ているが、物売りや子供以外はほとんど自由に入れるようだ。
さてアシュラムの中に入ってみる。アシュラムに入っての第一印象は、ずいぶん場違いな所に来てしまったという思いである。実際、アシュラムの内側は、外とは違った特殊な空間であるような感じがした。何がどう特殊なのかはわからないが、とにかく何かが違うようである。
私の嗅覚には、印象的な匂いがいろいろ登録されていて、イメージが匂いを伴って湧いてくるのであるが、このアシュラムにもある特定の匂いが感じられた。しかし、他の匂いと同じようにしばらくすると慣れて区別が付かなくなった。
あるいは、それは昨日も感じた、宗教に対する拒否反応かもしれない。無意識に、自分の心にちょっとバリアーを張っている。自分の立場は、観光客でもないけれど信者でもない。観察者、傍観者である。そう自分の立場を明確にする事で少し落ち着く。
入り口近くの塀の側に立って周囲を見回すと、私のように遠巻きに事の進み具合を見ている人も多い。さいわい、このアシュラムの様子は前に一度テレビで見た事があるので、誰に聞かなくても何とかなりそうな感じである。庭の周囲の適当な場所に靴を脱いで、インドの人達に混じって列に並んで座った。
ダルシャンと呼ばれる朝夕の集会には、サイババに会うため数千人が毎回集まる。集会はアシュラム内にあるマンディール(寺院)で行われるが、マンディールの建物に入るために、まずマンディールの前庭に列を作ってすわり、入る順番を待つようになっている。
私は、コンクリートの上に1時間ほど座っているだけで疲れてしまった。インドの人達はあぐらに慣れているように見える。西洋人には背もたれ付きの座布団を使っている人がかなりいる。
それからしばらくしてくじ引きが行われ、どの列から入るかの順番が決められた。したがって早く並んでいたからといってよい場所にすわれるわけでもないのだが、それでも皆ずいぶん早くから並んで待っている。
そして、マンディールに入る時には金属探知器で危険物のチェックがされる。カメラ、バックはもちろんタバコも持ち込み禁止である。係りの人に注意されて荷物を事務所に預けに行く人もいた。
日本人も含めて外国人の多くは白のクルタ・パジャマを着ている。この服は、オウム真理教の修行服に使われていた関係で、あまり良いイメージがないが、別に服装が悪い事をしたわけではない。
ただし、クルタ・パジャマはインド人にとってもあまり一般的な服装ではないらしく、アシュラムの外からダルシャンに集まってくるインド人の中にクルタ・パジャマを着ている人はあまりいない。
マンディールに入ってからさらに30分ほど待って、足や腰が充分に疲れたところで、場内に音楽が流れはじめた。会場が一瞬ザワッとして、みんなの視線が一点に集まって、その先にオレンジ色の服を着た男が小さく見えた。サイババである。すでに私の周囲の人達は手を合わせたり、手をかざしたり、中腰になったりしている。
さて私はどうしたらよいものかとちょっとまごつく。観察者という態度がこの場にふさわしくないことはすぐにわかったのだが、だからといって、本当に手を合わせて拝むべき対象なのか判断がつきかねるのである。
実は、心の内のどこかで、サイババに会ったらドラマチックな心の変化が起きるのではないかという期待があった事も事実で、もちろんそんな変化は起きないから、それで少しがっかりしたような感じなのだ。失望したというわけではないのだが、期待が大き過ぎた分の反動がきたのである。後で考えてみれば、劇的な効果のある薬にはたいがい強い副作用があるわけで、ゆっくりジワッと効いてくる漢方薬の方が長い目で見れば良いのである。(ただし、薬にはプラシーボ(偽薬)というのもある。ポラシーボでもある程度の効果が得られるのが人間である。)
サイババの態度は実に自然なもので、しかも威厳があった。眼差しは強いのだが、鋭さはなくて、暖かい感じである。彼の特徴的なしぐさは、手のひらを上に向けて空中をなでるような動作だが、そのしぐさもごく自然なもので、好ましく感じられた。
ダルシャンが終わってからアシュラムの事務所に寄り、アシュラムに泊めてもらえるかどうか尋ねてみると、「明日から泊まるなら、明日来てくれ。」とのことで、その日はそれだけにしてホテルに帰った。
午後、明日からのアシュラムでの生活のためにクルタ・パジャマを買おうと思ってバンガロールの町を歩いた。日曜日と言う事もあって閉まっている店が多く、ようやく見つけた店でも、外国人向の1000RSもするものしかなかった。それでクルタ・パジャマはあきらめて、白いインド式のワイシャツを買った。白っぽいコットンパンツを持っているから、一応これで間に合うはずであった。それとサンダルを買った。日常品を買うとだんだんインドの物価がわかってくる。物によって違うが日本円に換算すれば、日本の物価の2割から3割程度である。
買い物の途中でバクシーシ(喜捨)をねだる10歳くらいの女の子に付きまとわれた。私が店に入っても外で待っている徹底さに根負けして、お金を差し出したら、とても喜んでくれたのでこちらもうれしくなってしまった。あまりあげるべきではないのかもしれないが、インド人でもあげている人がいるし、一人にあげたからといって他の子供が我も我もと寄ってくるわけでもないので、心に感じるものがあったらあげてもよいのかもしれない。
次の日、バンガロールに向かう飛行機はデカン高原の荒涼とした大地の上を南に向かって一直線に飛んだ。窓から下を見下ろせば、高原の土色の大地の上を道路が線のように走っていて、幾つかの道路が集まったところに町のようなものがあった。
バンガロールはデリーから南に1700Km、インド亜大陸でもかなり南にある高原の町である。
ガイドブックによれば、インドでも近代的な都会であるらしい。
空港に着いて、飛行機を降りるとデリーに比べ日差しが強く、南に来たという感じがする。乾いた暖かい風が吹いている。しかし暑いというわけでもない。
空港の出口にはやはりたくさんの人がいて恐いようである。とりあえずタクシーに乗って運転手に尋ねると「今、サイババはホワイトフィールドに来ている。」との事。しかし、このまますぐサイババのいるホワイトフィールドに乗り込む気にはならない。「乗り込む」という表現は変なのだが、私としては少し遠くから様子を覗いて、それからおもむろに接近したい方がよさそうな気がしたのだ。
そこで、SSOJ発行の「聖地へ」という本に載っているラーマ・ホテルに行ってみることにした。
ところが行ってみると、空いている部屋は40US$の部屋だけだという話。40US$は予定外の大金、日本の4000円とは少しばかり意味が違う。後のことを考えて少し迷ったが、だからといって他のホテルを探すのも面倒で、とりあえずそこに泊まる事にしてしまった。立派なソファーや大きなテーブルのある部屋である。
しかしこんな高い部屋に長居はできない。大名旅行をする気は全くない。
このホテルはサイババの信者がよく利用するのだそうで、それらしい服装の白人の姿が多く見られ、サイババに少し近づいた感じはした。
翌朝にサイババのいるホワイトフィールドへ行く事にしてタクシーをフロントに依頼した。
なにはともあれ、なんとなく順調である。日本で考えていた時には、こんなにすぐにサイババを見る事になるとは思っていなかった。
しかし順調であるのはよいのだが、あまり喜びが沸いてこない。日本からわぜわざこんな遠くまで来て、明日はとうとうサイババに会える!という感激が沸き上がってこない。なぜだろうと思う。
たぶんその理由は、期待を裏切られるのではないかという不安にあるのだと思う。
サイババは、ホテルのフロントで貰ったバンガロールの地図に、写真とメッセージが大きく載っているくらいこの町では有名人である。しかし、あまりに有名人でサイババのアシュラムが観光名所のようになっていて、観光客にサイババが手を振ってニヤニヤしていたらどうしようなどと、つまらない事を考えてしまう。「キリストのような聖者」と「商業主義のパンフレットで手を振る男」をうまくひとつに重ねる事ができないのだ。
それと、自分の中にある、宗教に対する拒否反応のようなものが頭をもたげてくるのである。宗教関係の本をひとりで読んだりするのは良いけれど、宗教の事は友人との話題にはしないし、まして宗教組織との係わりは一切ない。信仰はあくまで個人的なものであって、組織的な宗教活動は信仰ではないという思いが強いのである。
ホワイトフィールド
早朝、明るくなり始めた6時頃、老人の運転するタクシーでホワイトフィールドへ向かった。サイババのアシュラムは、バンガロールからマドラスに向かう鉄道の途中にあるホワイトフィールドという駅のすぐそばにある。距離にすればバンガロールから20kmくらいである。
日曜日ということもあって、アシュラムに近づくにつれて、道はバスやタクシーで混雑してくる。みんなアシュラムに向かっているらしい。
運転手の老人は、アシュラムの壁際に車を停めると、車のナンバーを覚えてから行くようにと言う。確かに似たようなインド製の車がたくさん並んでいる。だからナンバーを覚えておかないと帰る時に苦労するのだ。
アシュラムの前の通りには、花や座布団を売る物売りが出ている。
まだ門が開かないのか数人のインド人が並んでいるので、その後ろに並んでいると、すぐに門が開いた。
アシュラムのゲートの所では職員が人の出入りを見ているが、物売りや子供以外はほとんど自由に入れるようだ。
さてアシュラムの中に入ってみる。アシュラムに入っての第一印象は、ずいぶん場違いな所に来てしまったという思いである。実際、アシュラムの内側は、外とは違った特殊な空間であるような感じがした。何がどう特殊なのかはわからないが、とにかく何かが違うようである。
私の嗅覚には、印象的な匂いがいろいろ登録されていて、イメージが匂いを伴って湧いてくるのであるが、このアシュラムにもある特定の匂いが感じられた。しかし、他の匂いと同じようにしばらくすると慣れて区別が付かなくなった。
あるいは、それは昨日も感じた、宗教に対する拒否反応かもしれない。無意識に、自分の心にちょっとバリアーを張っている。自分の立場は、観光客でもないけれど信者でもない。観察者、傍観者である。そう自分の立場を明確にする事で少し落ち着く。
入り口近くの塀の側に立って周囲を見回すと、私のように遠巻きに事の進み具合を見ている人も多い。さいわい、このアシュラムの様子は前に一度テレビで見た事があるので、誰に聞かなくても何とかなりそうな感じである。庭の周囲の適当な場所に靴を脱いで、インドの人達に混じって列に並んで座った。
ダルシャンと呼ばれる朝夕の集会には、サイババに会うため数千人が毎回集まる。集会はアシュラム内にあるマンディール(寺院)で行われるが、マンディールの建物に入るために、まずマンディールの前庭に列を作ってすわり、入る順番を待つようになっている。
私は、コンクリートの上に1時間ほど座っているだけで疲れてしまった。インドの人達はあぐらに慣れているように見える。西洋人には背もたれ付きの座布団を使っている人がかなりいる。
それからしばらくしてくじ引きが行われ、どの列から入るかの順番が決められた。したがって早く並んでいたからといってよい場所にすわれるわけでもないのだが、それでも皆ずいぶん早くから並んで待っている。
そして、マンディールに入る時には金属探知器で危険物のチェックがされる。カメラ、バックはもちろんタバコも持ち込み禁止である。係りの人に注意されて荷物を事務所に預けに行く人もいた。
日本人も含めて外国人の多くは白のクルタ・パジャマを着ている。この服は、オウム真理教の修行服に使われていた関係で、あまり良いイメージがないが、別に服装が悪い事をしたわけではない。
ただし、クルタ・パジャマはインド人にとってもあまり一般的な服装ではないらしく、アシュラムの外からダルシャンに集まってくるインド人の中にクルタ・パジャマを着ている人はあまりいない。
マンディールに入ってからさらに30分ほど待って、足や腰が充分に疲れたところで、場内に音楽が流れはじめた。会場が一瞬ザワッとして、みんなの視線が一点に集まって、その先にオレンジ色の服を着た男が小さく見えた。サイババである。すでに私の周囲の人達は手を合わせたり、手をかざしたり、中腰になったりしている。
さて私はどうしたらよいものかとちょっとまごつく。観察者という態度がこの場にふさわしくないことはすぐにわかったのだが、だからといって、本当に手を合わせて拝むべき対象なのか判断がつきかねるのである。
実は、心の内のどこかで、サイババに会ったらドラマチックな心の変化が起きるのではないかという期待があった事も事実で、もちろんそんな変化は起きないから、それで少しがっかりしたような感じなのだ。失望したというわけではないのだが、期待が大き過ぎた分の反動がきたのである。後で考えてみれば、劇的な効果のある薬にはたいがい強い副作用があるわけで、ゆっくりジワッと効いてくる漢方薬の方が長い目で見れば良いのである。(ただし、薬にはプラシーボ(偽薬)というのもある。ポラシーボでもある程度の効果が得られるのが人間である。)
サイババの態度は実に自然なもので、しかも威厳があった。眼差しは強いのだが、鋭さはなくて、暖かい感じである。彼の特徴的なしぐさは、手のひらを上に向けて空中をなでるような動作だが、そのしぐさもごく自然なもので、好ましく感じられた。
ダルシャンが終わってからアシュラムの事務所に寄り、アシュラムに泊めてもらえるかどうか尋ねてみると、「明日から泊まるなら、明日来てくれ。」とのことで、その日はそれだけにしてホテルに帰った。
午後、明日からのアシュラムでの生活のためにクルタ・パジャマを買おうと思ってバンガロールの町を歩いた。日曜日と言う事もあって閉まっている店が多く、ようやく見つけた店でも、外国人向の1000RSもするものしかなかった。それでクルタ・パジャマはあきらめて、白いインド式のワイシャツを買った。白っぽいコットンパンツを持っているから、一応これで間に合うはずであった。それとサンダルを買った。日常品を買うとだんだんインドの物価がわかってくる。物によって違うが日本円に換算すれば、日本の物価の2割から3割程度である。
買い物の途中でバクシーシ(喜捨)をねだる10歳くらいの女の子に付きまとわれた。私が店に入っても外で待っている徹底さに根負けして、お金を差し出したら、とても喜んでくれたのでこちらもうれしくなってしまった。あまりあげるべきではないのかもしれないが、インド人でもあげている人がいるし、一人にあげたからといって他の子供が我も我もと寄ってくるわけでもないので、心に感じるものがあったらあげてもよいのかもしれない。