如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

春の旅(2)

2007-08-29 21:06:02 | インド旅行記
バンガロール
次の日、バンガロールに向かう飛行機はデカン高原の荒涼とした大地の上を南に向かって一直線に飛んだ。窓から下を見下ろせば、高原の土色の大地の上を道路が線のように走っていて、幾つかの道路が集まったところに町のようなものがあった。
バンガロールはデリーから南に1700Km、インド亜大陸でもかなり南にある高原の町である。
ガイドブックによれば、インドでも近代的な都会であるらしい。
空港に着いて、飛行機を降りるとデリーに比べ日差しが強く、南に来たという感じがする。乾いた暖かい風が吹いている。しかし暑いというわけでもない。
空港の出口にはやはりたくさんの人がいて恐いようである。とりあえずタクシーに乗って運転手に尋ねると「今、サイババはホワイトフィールドに来ている。」との事。しかし、このまますぐサイババのいるホワイトフィールドに乗り込む気にはならない。「乗り込む」という表現は変なのだが、私としては少し遠くから様子を覗いて、それからおもむろに接近したい方がよさそうな気がしたのだ。
そこで、SSOJ発行の「聖地へ」という本に載っているラーマ・ホテルに行ってみることにした。
ところが行ってみると、空いている部屋は40US$の部屋だけだという話。40US$は予定外の大金、日本の4000円とは少しばかり意味が違う。後のことを考えて少し迷ったが、だからといって他のホテルを探すのも面倒で、とりあえずそこに泊まる事にしてしまった。立派なソファーや大きなテーブルのある部屋である。
しかしこんな高い部屋に長居はできない。大名旅行をする気は全くない。
このホテルはサイババの信者がよく利用するのだそうで、それらしい服装の白人の姿が多く見られ、サイババに少し近づいた感じはした。
翌朝にサイババのいるホワイトフィールドへ行く事にしてタクシーをフロントに依頼した。
なにはともあれ、なんとなく順調である。日本で考えていた時には、こんなにすぐにサイババを見る事になるとは思っていなかった。
しかし順調であるのはよいのだが、あまり喜びが沸いてこない。日本からわぜわざこんな遠くまで来て、明日はとうとうサイババに会える!という感激が沸き上がってこない。なぜだろうと思う。
たぶんその理由は、期待を裏切られるのではないかという不安にあるのだと思う。
サイババは、ホテルのフロントで貰ったバンガロールの地図に、写真とメッセージが大きく載っているくらいこの町では有名人である。しかし、あまりに有名人でサイババのアシュラムが観光名所のようになっていて、観光客にサイババが手を振ってニヤニヤしていたらどうしようなどと、つまらない事を考えてしまう。「キリストのような聖者」と「商業主義のパンフレットで手を振る男」をうまくひとつに重ねる事ができないのだ。
それと、自分の中にある、宗教に対する拒否反応のようなものが頭をもたげてくるのである。宗教関係の本をひとりで読んだりするのは良いけれど、宗教の事は友人との話題にはしないし、まして宗教組織との係わりは一切ない。信仰はあくまで個人的なものであって、組織的な宗教活動は信仰ではないという思いが強いのである。

ホワイトフィールド
早朝、明るくなり始めた6時頃、老人の運転するタクシーでホワイトフィールドへ向かった。サイババのアシュラムは、バンガロールからマドラスに向かう鉄道の途中にあるホワイトフィールドという駅のすぐそばにある。距離にすればバンガロールから20kmくらいである。
日曜日ということもあって、アシュラムに近づくにつれて、道はバスやタクシーで混雑してくる。みんなアシュラムに向かっているらしい。
運転手の老人は、アシュラムの壁際に車を停めると、車のナンバーを覚えてから行くようにと言う。確かに似たようなインド製の車がたくさん並んでいる。だからナンバーを覚えておかないと帰る時に苦労するのだ。
アシュラムの前の通りには、花や座布団を売る物売りが出ている。
まだ門が開かないのか数人のインド人が並んでいるので、その後ろに並んでいると、すぐに門が開いた。
アシュラムのゲートの所では職員が人の出入りを見ているが、物売りや子供以外はほとんど自由に入れるようだ。

さてアシュラムの中に入ってみる。アシュラムに入っての第一印象は、ずいぶん場違いな所に来てしまったという思いである。実際、アシュラムの内側は、外とは違った特殊な空間であるような感じがした。何がどう特殊なのかはわからないが、とにかく何かが違うようである。
私の嗅覚には、印象的な匂いがいろいろ登録されていて、イメージが匂いを伴って湧いてくるのであるが、このアシュラムにもある特定の匂いが感じられた。しかし、他の匂いと同じようにしばらくすると慣れて区別が付かなくなった。
あるいは、それは昨日も感じた、宗教に対する拒否反応かもしれない。無意識に、自分の心にちょっとバリアーを張っている。自分の立場は、観光客でもないけれど信者でもない。観察者、傍観者である。そう自分の立場を明確にする事で少し落ち着く。

入り口近くの塀の側に立って周囲を見回すと、私のように遠巻きに事の進み具合を見ている人も多い。さいわい、このアシュラムの様子は前に一度テレビで見た事があるので、誰に聞かなくても何とかなりそうな感じである。庭の周囲の適当な場所に靴を脱いで、インドの人達に混じって列に並んで座った。
ダルシャンと呼ばれる朝夕の集会には、サイババに会うため数千人が毎回集まる。集会はアシュラム内にあるマンディール(寺院)で行われるが、マンディールの建物に入るために、まずマンディールの前庭に列を作ってすわり、入る順番を待つようになっている。
私は、コンクリートの上に1時間ほど座っているだけで疲れてしまった。インドの人達はあぐらに慣れているように見える。西洋人には背もたれ付きの座布団を使っている人がかなりいる。
それからしばらくしてくじ引きが行われ、どの列から入るかの順番が決められた。したがって早く並んでいたからといってよい場所にすわれるわけでもないのだが、それでも皆ずいぶん早くから並んで待っている。
そして、マンディールに入る時には金属探知器で危険物のチェックがされる。カメラ、バックはもちろんタバコも持ち込み禁止である。係りの人に注意されて荷物を事務所に預けに行く人もいた。
日本人も含めて外国人の多くは白のクルタ・パジャマを着ている。この服は、オウム真理教の修行服に使われていた関係で、あまり良いイメージがないが、別に服装が悪い事をしたわけではない。
ただし、クルタ・パジャマはインド人にとってもあまり一般的な服装ではないらしく、アシュラムの外からダルシャンに集まってくるインド人の中にクルタ・パジャマを着ている人はあまりいない。
マンディールに入ってからさらに30分ほど待って、足や腰が充分に疲れたところで、場内に音楽が流れはじめた。会場が一瞬ザワッとして、みんなの視線が一点に集まって、その先にオレンジ色の服を着た男が小さく見えた。サイババである。すでに私の周囲の人達は手を合わせたり、手をかざしたり、中腰になったりしている。

さて私はどうしたらよいものかとちょっとまごつく。観察者という態度がこの場にふさわしくないことはすぐにわかったのだが、だからといって、本当に手を合わせて拝むべき対象なのか判断がつきかねるのである。
実は、心の内のどこかで、サイババに会ったらドラマチックな心の変化が起きるのではないかという期待があった事も事実で、もちろんそんな変化は起きないから、それで少しがっかりしたような感じなのだ。失望したというわけではないのだが、期待が大き過ぎた分の反動がきたのである。後で考えてみれば、劇的な効果のある薬にはたいがい強い副作用があるわけで、ゆっくりジワッと効いてくる漢方薬の方が長い目で見れば良いのである。(ただし、薬にはプラシーボ(偽薬)というのもある。ポラシーボでもある程度の効果が得られるのが人間である。)
サイババの態度は実に自然なもので、しかも威厳があった。眼差しは強いのだが、鋭さはなくて、暖かい感じである。彼の特徴的なしぐさは、手のひらを上に向けて空中をなでるような動作だが、そのしぐさもごく自然なもので、好ましく感じられた。

ダルシャンが終わってからアシュラムの事務所に寄り、アシュラムに泊めてもらえるかどうか尋ねてみると、「明日から泊まるなら、明日来てくれ。」とのことで、その日はそれだけにしてホテルに帰った。
午後、明日からのアシュラムでの生活のためにクルタ・パジャマを買おうと思ってバンガロールの町を歩いた。日曜日と言う事もあって閉まっている店が多く、ようやく見つけた店でも、外国人向の1000RSもするものしかなかった。それでクルタ・パジャマはあきらめて、白いインド式のワイシャツを買った。白っぽいコットンパンツを持っているから、一応これで間に合うはずであった。それとサンダルを買った。日常品を買うとだんだんインドの物価がわかってくる。物によって違うが日本円に換算すれば、日本の物価の2割から3割程度である。
買い物の途中でバクシーシ(喜捨)をねだる10歳くらいの女の子に付きまとわれた。私が店に入っても外で待っている徹底さに根負けして、お金を差し出したら、とても喜んでくれたのでこちらもうれしくなってしまった。あまりあげるべきではないのかもしれないが、インド人でもあげている人がいるし、一人にあげたからといって他の子供が我も我もと寄ってくるわけでもないので、心に感じるものがあったらあげてもよいのかもしれない。

春の旅(1)

2007-08-29 06:46:19 | インド旅行記


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< インド旅行記 >
これから、インド旅行の記録をこのプログに載せてゆく事にした。
10年前ほど前に書いたものだから現在の考えとはズレもあるのだが、基本的には当時のままで載せてゆきたい。
このプログでのカテゴリーは「インド旅行記」とした。
春と秋に旅行しているので、各タイトルは「春の旅(№)」、「秋の旅(№)」とする。       
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インドへ
インドへ行こうと思った。神の化身といわれるサイババを一度見ておきたかった。
インドだけでなく他の国の人からも高く評価されているという。イエスのような人物だとも言われているらしい。
そういう人の生きる時代に生まれあわせたのは、非常に幸運な事だとも聞く。
もし本当なら、行ってみる価値は十分にある。本物かどうか、行って見てみればわかるかもしれない。とにかく行ってみようと思って準備を始めた。
インドについての知識は皆無に近い。ガイドブックを拾い読みしたが、あまりよくわからない。日本とはだいぶん事情が違うらしい。
英語が話せれば何とかなるらしいが、あいにく英語とは縁がない。しかし、ガイドブックが田舎の本屋さんに売っているくらいだから、行けば何とかなるに違いない。万事にいい加減になってしまっている私は、それ以上考えるのはやめて、とにかく行ってみる事にした。

出発
2月1日。正午に離陸予定のエア・インディアは遅れた。
成田のロビーで待つ間、ガイドブックを開いては閉じ、開いては閉じ、落着かない。今晩デリーで泊まるホテルさえ決めてないのだが、デリーに到着するのが真夜中ではどうなる事やら見当も付かない。先が思いやられ、心細くなってきた。
夕陽が寒空に沈んで暗くなった頃、飛行機はやっと成田を飛び立った。本当にインド行くのだと、実感する瞬間である。
飛行機は日本列島を南下し、しばらくしてから機首を西に向けた。
気が張っているせいで眠る事はできそうもない。窓の外を見ると、南の空に明るい星が見えている。たぶんカノープスだと思う。
飛行機はずっと左手にカノープスを見ながら東アジアの陸の上を飛んで、いつの間にかベンガル湾に出て、すぐにインドの上空に入った。インドは案外近いと思った。
インデラ・ガンジー空港はオレンジ色のもやに煙っていた。
空港の入国ロビーは、通風ダクトがむき出しになっていたり、ダクトに巻いてある断熱材がはげかけていたり、私の気持ちを引き締めるのには充分な雰囲気であった。
入国して、まず両替をすると、50RS札を100枚ステップルで留めたものを渡された。200ドルを一度に両替したためだろう。財布に入りきる厚さではない。
しかし札束を持つと少しリッチな気分になった。
あとで使ってみると50RS札は、千円札以上に使いでがあった。日本円に換算すると200円以下だから、日本人にとってインドは旅行しやすい国なのである。
機内で知り合った人達と最初の晩だけは行動を共にさせてもらうことにして、タクシーでホテルに向かう。
道には信号機もほとんどなく、明るい照明もあまりなくて、ほこりっぽい風が暗い商店街の横断幕をぱたぱたはためかせて吹いていた。とにかく、ここはインド、頭の中を切り替えなければ、とまた思った。

デリー
翌朝のデリーは、濃い霧に覆われていた。翌日の新聞の一面に霧の写真が大きく載っていたから、濃い霧は割と珍しいのかもしれない。朝の気温は、思いのほか涼しい。薄手の上着をはおってちょうど良いくらいである。
朝起きて、さて、何をしなければならないかと考える。もちろん、今までに考えていなかったわけではないのだが、はっきり決まっている事は何もないのである。「このまま何もしないで、デリーでゴロゴロしてそのまま日本に帰ってしまう事だってできる。」そう思う事で気を楽にさせていたのだが、実際にはそうもいかない。
選択肢はふたつある。ひとつは北インドの観光名所を回りながらだんだん南下して、サイババのいるバンガロールにたどり着くルート。もうひとつはデリーから直接バンガロールに直行するルート。
もちろんインド行きの航空券を手配する時は前者のルートを考えていた。しかし、デリーに着いてみるとやはり不安が大きく膨らんでくる。
そして結局、とりあえずサイババの所に行って、それから先の事はまた後で考えようという事にした。
バンガロールへ行くための航空券を買いにインディアン・エアラインに行く事にする。
タクシーの運転手に旅行代理店に連れて行かれ、少しもめたが、別に悪い代理店ではなかったらしく翌日の航空券が手に入った。ただし、手書きである。
インドの初日とあって、必要以上に力が入っているのが自分でも分かる。
日焼けしていない東洋人は目立ってしまうのだろうか。慣れない英語に四苦八苦し、ボールペンを欲しがる町の若者を振り切っていると、なんでこんな所にわざわざ来てしまったのだろうという思いが沸き上がって来た。
それで、オートリクシャをつかまえて、逃げ込むように国立博物館に入った。首都の国立博物館だけあって立派である。展示品は、ヒンドゥー教や仏教の像が主体だが、宝石の展示室などもある。その宝石の展示室はまさに金庫そのものの作りであった。
展示品の中に仏舎利があった。とてもきれいに展示してあったのは、仏教徒の気持ちに配慮しての事だろうか。
近頃信心深くなっている私は、仏舎利を前にして手を合わせないわけにはいかなかった。イワシの頭も信心から、まして仏陀の骨である。