反省も時には必要でしょうけど 投稿者:通りすがり 投稿日:2003年7月 6日
<名無しさんへ>
反省も時には必要でしょうけど、
もっと自分に自信を持ってもよろしいのではないかと、思います。
大切なのは、過程であって結果ではないのです。
完璧なものを、誰も求めてはおりません。
完璧なものに至ろうとする姿を愛することはありますが・・・
結局、人は、自分の見たいものだけを見、聞きたいものだけを聞いてしまうのです。
もちろん見たくないものばかりが見え、聞きたくないものばかりが聞こえることもありますが、それはそこに意識が集中してしまっているからに過ぎません。
客観的な真実など語ろうとする必要はないのです。そのときそのときにあなたが感じた、あなたにとっての真実を語ればそれで十分なのです。
あとは神にお任せしましょう。
ババジ!!!!! 投稿者:通りすがり 投稿日:2003年8月17日
ババジ様と交流のあるちゃんどらさん、正直言ってうらやましいです。
ババジは、どのような存在なのでしょう?
「あるヨギの自叙伝」は魅力的ですが、現実離れしたところがあって、心象風景のように感じていました。
やはりちゃんどらさんは、クリヤヨガをやってるんでしょうか?
ババジに会うには、霊性を磨くしかないのでしょうね。
「うらやましい」なんて言ってるうちはだめでしょうね。
しかし、日本にいてもババジと交流できるというのは、とてもよい話でした。
ほんとに、とてもよい話でした。ありがとう!!
ババジは意識の集合体 投稿者:通りすがり 投稿日:2003年 8月20日
<ちゃんどらさんへ>
ババジはそのように、言ってましたか。
ちゃんどらさんのレスを呼んでいて、私はユングを思い浮かべてしまいました。
瞑想の方法とか「意識の集合体」とか、なんとなくユングを連想してしまいました。
あと気になったのは、「マインドを投入する」ということです。
これは、気をつけないと、精神を害するのではないかと思います。
「心・精神・魂」は、基本的には「今・この場所」にしっかりと保っておくべきです。
そのほうが気力も充実して、実生活ではよい結果が得られるはずです。
釈迦に説法でしょうけれど・・・
無題 投稿者:風 投稿日:2003年 9月11日
<雪さんへ>
雪さんのお話は、久しぶりにホッとするお話でした。
ありがとうございます。
「月のような光」は、私もそんな光を感じたことがあります。
月の光でも差し込んでるのかな、と思って目を開けたら、真っ暗だったとかネ。
<名無しさんの苦痛のお話について>
苦痛を感じない生き物は、気づかないうちに致命的な傷を負ってしまうのです。
それゆえ、苦痛を感じない生き物は、長い進化の歴史の中で生き残ることはできないのです。
「死」そのものは苦痛ではないと思います。
「死」に至る過程は、一般的に苦痛を伴うものですけれど。
「臨死体験」関連の本などを読むと、苦痛のことはあまり書いてありませんよね。
**コメント**
このあたりの書込みにはいろんなハンドルネームを使ってます。
<名無しさんへ>
反省も時には必要でしょうけど、
もっと自分に自信を持ってもよろしいのではないかと、思います。
大切なのは、過程であって結果ではないのです。
完璧なものを、誰も求めてはおりません。
完璧なものに至ろうとする姿を愛することはありますが・・・
結局、人は、自分の見たいものだけを見、聞きたいものだけを聞いてしまうのです。
もちろん見たくないものばかりが見え、聞きたくないものばかりが聞こえることもありますが、それはそこに意識が集中してしまっているからに過ぎません。
客観的な真実など語ろうとする必要はないのです。そのときそのときにあなたが感じた、あなたにとっての真実を語ればそれで十分なのです。
あとは神にお任せしましょう。
ババジ!!!!! 投稿者:通りすがり 投稿日:2003年8月17日
ババジ様と交流のあるちゃんどらさん、正直言ってうらやましいです。
ババジは、どのような存在なのでしょう?
「あるヨギの自叙伝」は魅力的ですが、現実離れしたところがあって、心象風景のように感じていました。
やはりちゃんどらさんは、クリヤヨガをやってるんでしょうか?
ババジに会うには、霊性を磨くしかないのでしょうね。
「うらやましい」なんて言ってるうちはだめでしょうね。
しかし、日本にいてもババジと交流できるというのは、とてもよい話でした。
ほんとに、とてもよい話でした。ありがとう!!
ババジは意識の集合体 投稿者:通りすがり 投稿日:2003年 8月20日
<ちゃんどらさんへ>
ババジはそのように、言ってましたか。
ちゃんどらさんのレスを呼んでいて、私はユングを思い浮かべてしまいました。
瞑想の方法とか「意識の集合体」とか、なんとなくユングを連想してしまいました。
あと気になったのは、「マインドを投入する」ということです。
これは、気をつけないと、精神を害するのではないかと思います。
「心・精神・魂」は、基本的には「今・この場所」にしっかりと保っておくべきです。
そのほうが気力も充実して、実生活ではよい結果が得られるはずです。
釈迦に説法でしょうけれど・・・
無題 投稿者:風 投稿日:2003年 9月11日
<雪さんへ>
雪さんのお話は、久しぶりにホッとするお話でした。
ありがとうございます。
「月のような光」は、私もそんな光を感じたことがあります。
月の光でも差し込んでるのかな、と思って目を開けたら、真っ暗だったとかネ。
<名無しさんの苦痛のお話について>
苦痛を感じない生き物は、気づかないうちに致命的な傷を負ってしまうのです。
それゆえ、苦痛を感じない生き物は、長い進化の歴史の中で生き残ることはできないのです。
「死」そのものは苦痛ではないと思います。
「死」に至る過程は、一般的に苦痛を伴うものですけれど。
「臨死体験」関連の本などを読むと、苦痛のことはあまり書いてありませんよね。
**コメント**
このあたりの書込みにはいろんなハンドルネームを使ってます。