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北見市 国史跡・常呂遺跡④ところ遺跡の館❸オホーツク文化・トビニタイ文化 竪穴住居の変遷

2024年08月16日 08時54分53秒 | 北海道

ところ遺跡の館。北見市常呂町栄浦。

2022年6月16日(木)。

 

トビニタイ土器(左)。擦文土器(右)。

ST-8遺跡ところ遺跡の森「続縄文の村・縄文の村」として公開されている。

ST-6、ST-7、ST-8遺跡はいずれも縄文~続縄文時代の集落遺跡で、台地の北側から入る谷の周辺に広がっている。竪穴住居跡は3つの遺跡で合わせて100基を超えると推測されている。

縄文時代~続縄文時代の竪穴住居跡は円形または楕円形の掘り込み(竪穴)を作って建てられていた。

掘り込みの形を確認した結果、単なる円形の竪穴ではなく、出っ張りがあることが分かった。こうした出っ張りのある竪穴の住居は縄文時代の終わりから続縄文時代に多く見られる。この出っ張り部分は竪穴住居の玄関とされており、住居の本体から玄関を張り出すことで外からの冷気を入りにくくする防寒対策であったと考えられている。

 

北見市サロマ湖東岸の「ところ遺跡の森」を15時30分に出て、オホーツク海沿岸の国道238号線を一路、道の駅「稚内」へ北進した。

北見市 国史跡・常呂遺跡③擦文の村 ところ遺跡の館➋擦文時代  東北地方土師器文化集団の北海道への移動



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