東京国立博物館「挂甲の武人 国宝指定50周年記念特別展「はにわ」」。
2024年10月29日(火)。
エピローグ 日本人と埴輪の再会
古墳時代が終わると埴輪は作られなくなりますが、江戸時代に入ると考古遺物への関心が高まり、埴輪がふたたび注目を浴びるようになります。著名人が愛蔵した埴輪、著名な版画家の斎藤清が描いた埴輪、埴輪の総選挙(群馬HANI-1グランプリ)でNo.1になった埴輪など、芸術家や一般市民など幅広い層で埴輪が愛されています。ここでは近世以降、現代にいたるまで埴輪がどのように捉えられてきたかについて紹介します。
武人埴輪模型 吉田白嶺作 大正元年(1912年)東京国立博物館蔵
明治天皇陵に埋められたとされる武人埴輪の模型です。江戸時代以降に国学が発達したことで、古い祭儀への関心が高まり、皇室に関係する場面にも古墳の要素が取り入れられることがありました。幕末の孝明天皇陵は円墳になり、明治天皇陵では埴輪が作られたことが知られています。
10時30分過ぎに会場を出て、東京都美術館で開催されていた「田中一村展」を見学した。1984年12月16日に放映されたNHK教育テレビの『日曜美術館』「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村」を見て、翌年春の巡回展を名古屋のデパートで見た。2002年に奄美市の「田中一村記念美術館」と名瀬の「田中一村終焉の家」を見学した。それ以来の展覧会鑑賞であった。
30分ほどで会場を出て、東京駅からJRの高速バスで名古屋に帰った。