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東京国立博物館・埴輪展②今城塚古墳出土埴輪 埴輪の変遷

2024年11月27日 11時00分19秒 | 東京都

東京国立博物館「挂甲の武人 国宝指定50周年記念特別展「はにわ」」。

2024年10月29日(火)。

 

第2章 大王の埴輪

ヤマト王権を統治していた大王の墓に立てられた埴輪は、大きさや量、技術で他を圧倒しています。天皇の系譜に連なる大王の古墳は、時期によって築造場所が変わります。古墳時代前期は奈良盆地に築造され、中期に入ると大阪平野で作られるようになります。倭の五王の陵(みささぎ)としても名高い、大阪府の百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群は世界文化遺産に登録されています。そして後期には、継体(けいたい)大王の陵とされる今城塚(いましろづか)古墳が淀川流域に築造されます。本章では、古墳時代のトップ水準でつくられた埴輪を、その出現から消滅にかけて時期別に見ることで、埴輪の変遷をたどります。

家形埴輪 大阪府高槻市 今城塚古墳出土 古墳時代・6世紀。大阪・高槻市立今城塚古代歴史館蔵。

3つのパーツを組合せてつくられた巨大な家形埴輪で、屋根の上部と床下の高床部分が別づくりになっています。屋根の上には現代の神社建築にも通じる千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)がのせられており、大王にふさわしい建物であることがわかります。

第3章 埴輪の造形

埴輪が出土した北限は岩手県、南限は鹿児島県です。日本列島の幅広い地域で、埴輪は作られました。それらの埴輪は、当時の地域ごとの習俗の差、技術者の習熟度、また大王との関係性の強弱によって、表現方法に違いが生まれています。その結果、各地域には大王墓の埴輪と遜色ない精巧な埴輪が作られる一方で、地域色あふれる個性的な埴輪も作られました。ここでは各地域の高い水準で作られた埴輪や、独特な造形の埴輪を紹介します。

重文 埴輪 天冠をつけた男子 福島県いわき市 神谷作101号墳出土 古墳時代・6世紀。

福島県蔵(磐城高等学校保管)。

美豆良(みずら)を肩まで垂らしたヘアスタイルに、両手を前に捧げ胡坐(あぐら)をかいて座る端正な顔立ちの男性です。三角形の冠のひさしの先端には7つの鈴が上下に揺れています。左腰には大刀と弓を射る時の防具である鞆(とも)を下げた盛装のいでたちです。衣服や冠、頬は赤く彩色されており、威儀(いぎ)を正し拝礼する若き王の姿をほうふつとさせます。

東京国立博物館・埴輪展① 埴輪 踊る人々 江田船山古墳・国宝・金製耳飾 ・金銅製沓



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