今日はサイドバーのブックマークの編集をして、私のオペラアリア集を入れました。
その下にはユーチューブにアップした「アイーダ」の勝ちて帰れを入れてあります。
更に下には、AmazingGrace の弾き語りを入れました。
久しぶりで自分の歌を聴きながらキーボードを叩いています。
1,980年の7月に、イタリアのウディネでマリオ・デルモナコのマスタークラスでデルモナコ氏に
「音楽的に素晴らしいから、伸びる可能性が有る」と言われて、その時はヴェルディ「海賊」のメドーラのロマンツァを歌ったら、場内シーンと静まったのです、感動してくれて。
桐朋学園時代には、どんなに上手く歌ってもひどい成績を付けられていたので、素直に褒められて私の方がびっくりしました。
外人の方が正直だ!と思いましたね、その後、ブルガリア国立ソフィア音楽院に大学院生として留学した時にも、オーディションで一番良い先生=国際的に活躍しているプリマドンナであるブラゴヴェスタ・カルノバトロヴァ・ドブレーヴァのクラスに入り、最初のレッスンで、
「あなたは最も美しい声を持っている!」そして「この子は教えると直ぐに出来るのよ~~!とても頭が良いわ~!」
と言って、わざわざ他の先生を部屋に呼んだりして、日本人の嫉妬深い先生方とは、えらい違いで驚いたものです。
これは順調に行きそうだと思っていたのに、腫瘍が出来て緊急手術、一日遅れていたら死んでいたと言われたくらい、九死に一生の手術で帰国。絶望感は凄かった・・・・やっと認められたのに、と、どれくらい悔しかった事か!
本場で素晴らしいと言われても、帰国すれば絶対に認めて貰えない、日本ではコンクールも審査員の弟子しか通らないから、本当に八方塞がりでしたね。今でも変わりませんが。
そんな時にアッバードさんに歌を聴いて頂いたら、スカラ座の研修所の話が出て、でも諸事情でウィーンへ行く事に成りました。
研鑽を積んで、オペラ座のプロンプター長チェリアン氏に
「レイは世界中何処へ出しても恥ずかしくない!」と言われる様にも成りましたが、当時は日本が強くて、ジャパンバッシングの嵐、既に劇場と契約していた日本人歌手達がクビに成るような時代だったので、不運としか言い様がありません。
オーディションでわざわざ、「今日は貴女が一番でした!」と言い「でも、僕はヨーロッパ人の方が良いから・・・」と言われた事もあり、落とすんなら黙って落とせよ!!と腹が立ちましたね、性格の悪い男だ。と呆れましたが。
いわゆる、人種差別です。
才能が有って必死に努力をして、実力を認められても仕事には結びつかない。
そんなだから仕事の為に「枕営業」してしまう人まで居る。
こんな世界は許せないので、どうしても、実力だけで舞台に立てるオペラ座が欲しい、それを作りたい、と心底思っているのです。
これは一生掛かっても出来ないかも知れないけど、生きている限り諦めないで、せいぜい、あがき続けるさ!
と思っていますよ、これが私のライフワークです。
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