241年1月まで。安定と武威を落とし、西方を完全制圧。ここまでくると天下統一まで見えてきた。長安から、馬岱司馬師司馬昭らで関を落とし詰め寄り、遂に洛陽を落とした。ここに、改めて後漢の正統後継であることが確固たるものとなった。南方では、新野と襄陽から江夏を攻め落とし、ついで新野から汝南を攻略。着々と足場を固めている。洛陽攻略によって、まずは一区切りという感じ。いや、もちろん続けるぜ?& . . . 本文を読む
239年3月まで。長安攻略が思惑通り果たせた後、なかなかに苦戦した。まず、天水攻め。10万の兵に、司馬懿姜維夏侯覇という超一線級。なんでこんな精鋭をこんな僻地に溜め込んで引きこもってるのか謎だが笑2度くらい押し返され、その過程で守兵を削り、なんとか3回目で力押しした。一方、洛陽方面。函谷関まで制圧して睨み合っていたが、天水攻めで想定以上に兵を失ったため、戦線縮小のため一旦長安に撤収。予想通り潼関ま . . . 本文を読む