中川 右介・安田 寛「ショスタコーヴィチ評盤記」

2007年04月07日 17時15分00秒 | 巻八 ショスタコーヴィチが私に語ること
評判記、ではないです。評盤。

ショスタコーヴィチ評盤記
中川 右介、安田 寛


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クラシックジャーナル誌の連載を単行本化。
隔月刊の同誌で行なわれるその連載とは、
当該期間にリリースされたショスタコーヴィチのCDを全て聴き倒し、
あれこれ語るというもの。
安田氏は私と同年齢のライターですが、
有体に言えばかなりのタコマニアのようです。

---------- キリトリ -----------

ヤンソンスやラトル、ロストロポーヴィチといった指揮者って
普通よくある「名曲名盤」ものでは
だいたいショスタコの名演奏の上のほうに名を連ねます。
それがこの本では結構ボロクソな訳です。
おおむね、演出過剰などの理由でばっさり切られてます。
もちろん、彼らのCDでも
良いと感じたモノについてははっきり誉めてますけどね。

---------- キリトリ -----------

音楽之友社あたりの「名曲名盤」本はそもそも
「イヤーな感じの権威主義」臭がプンプンしていて、
自分はそれでも読んで参考にはしてますが、
本質的にはあまり好きになれない「評論家業界のサロン」です。
そこでは基本的に、ネガティブ評価はほとんど論じられません。
当然です。「オススメ」が目的なのですから。

一方、この「ショスタコ評盤記」は違います。
有名無名の全てのリリースを聴いて評価するため、
当然ネガティブ判定もあるわけです。
しかも、
「世間的市場的に有名か無名か」と「演奏の印象」とが
必ずしも一致しない
という当然といえば当然な傾向が見て取れ、
もちろんそれは安田氏ら二人の主観的印象ではあっても、
読んでて非常に興味深いものでした。

また、メジャー系の雑誌では
スポンサー等の関係でたぶんありえないことだと思いますが、
CDの「売り方」にもちゃんと疑義を唱えています。
不当なほど高価なゲルギエフの「戦争交響曲」BOXの件とか…。

---------- キリトリ -----------

そもそも、件の「名曲名盤」の類で論じている評論者たちが
このようにクラシックの全リリースをチェックしているとは思えません。
それは物理的にも無理があります。
(ちゃんと聴いていたらゴメソ)
ならばなおさら、
「名曲名盤」本で語られていることは、
因習や惰性や権威に囚われた評論である可能性が少なくない?

誤解のないように。
私は、
全CDを聴き倒さなければ評論してはいけないと言ってる訳ではありません。
権威主義的サロンもいいでしょう。
大事なのは、それを読む側の、
オーバーに言えば「覚悟」です。
なんでもかんでも鵜呑みにしない主体性。
それは、この「評盤記」についても同じ。
あくまでも、最後は自分の感性にすがりましょう、と。

その主体的感覚を養うためにも、
いろんな人の「評論」を目にするのは
決して悪いことではないと思います。

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