水島新司さんについて(ほんの少し)

2022年01月18日 06時32分00秒 | 巻二 起居注
人生始めて買ったマンガ。
単行本のドカベンだった。
いや、もしかしたら
自分が能動的に、書店でお金を払って
(もちろんお小遣いから)
手にした書籍は
ドカベンだったのかもしれない。

それが何巻だったのかはもはや覚えていない。
一巻目でなかったのは確かだ。
そこから、それを起点に、
前後に買い進めたなあ。

あれは、幼稚園児の頃だったか。
または、小学に上がったばかりの頃か。
いずれにしても、1970年代の半ば。

何がきっかけだったろうか。
昨日の記事と同じような話になるけれども。
まわりにチャンピオン読んでる人はいなかったし、
友人の影響でもなかったと思う。

だとしたら、タイミングとしてはアニメかな。
アニメきっかけだったのかもしれない。
真相は闇のなか。


ドカベンという作品のお陰で、まだヒトケタ年齢の俺は野球にはまった。

しかし、生憎なことに超がつく程の運動音痴で。
地域の子供たち(年齢層いろいろ)と野球等の真似事をすることはたったが、
結局ド下手な俺は隅っこぐらし。
要は補欠になるくらいの地位だ。正直楽しくなかった。

そんな、小学低学年の俺が好んだのが、
ひとり野球だ。
自宅の庭でひとり、
ピッチャーやバッター、ランナーの真似事をする。
まさに、ドカベン世界の再現みたいなものだ。
豪雨の時にやったこともあったな。

息子がひとり庭でそんなことをやってるのを見た両親はどう思ったろう。
ま、当時から独り遊びが好きだったので、また始まったくらいの感じだったろう。


そして大人になり。
俺の独り遊び(ひとり野球)はさらに進化?した。

今度は思いっきりドカベン世界のトレース、シミュレーションである。

ドカベンキャラクターでプロ野球チームを組み、その年のペナントレース(セ・リーグ)に参戦させた。ヤクルトの代わりに。

そして、当時は130試合だったかな?
全試合を、一打席一打席、ニッカン式スコアというのかな、あれをでっち上げでつくりつづけた。
当時はパソコンもなかったので、ワープロ内蔵の表計算ソフトを工夫して様式をつくって。

それを、同棲中もやってた。
どう思われていただろうか。
その後結婚したからそこまで嫌悪されてはいなかったのか。

その遊び、
つい三年前にも復活してワンシーズン分やったなあ。

この遊びのキモは、無名のモブキャラクターについても、劇中のエピソードを調べて、ちゃんと選手登録し、出場させることだ。
もちろん、今でも初級作品は手元にある。
後年買い直した文庫版ではあるけど。



まだまだ話は尽きない。
好きなキャラクターの話などを始めると、もうとまらない。

ことほど左様に、ドカベンという作品は幼少期から今に至るまで、多大な影響を俺に与えてくださった。

同じく幼少期に読んだ男どアホウ甲子園も、その後阪神タイガースの大ファンになる伏線だったと思う。
言い方を変えれば、アンチ讀賣精神を密かに醸造してくだすったのかも。







水島新司さん、ありがとうございました。
昭和の少年の心に沢山の消えない刻印を残していただきました。

どうか安らかに。


漫画家の水島新司さん死去 「ドカベン」「あぶさん」(共同通信) - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/91fb912bbec1a05c69f9498b06c8943b50b73e7d

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