久しぶりに観ました。
10年近く、ぶりかな?
直接のきっかけは、この大著を熱い最中夢中になって読んでいたから。
敗北必死。後世の我々からすると1944年以降のドイツはそうとしか見えないのだが、どうして当時の第三帝国は抗戦を放棄せず破滅的な終局に突き進んだのか。
この本は、暗殺未遂事件以降の10ヶ月ほどを時系列に沿って丁寧に辿る。
一兵士や一市民が残した声、将軍や国家指導層の発言。
当たり前ながら、当時の人々の考えは一様ではない。
もはやもうダメだと確信していた人もいた。
一方で、恐怖政治(テロル)と諦めと、総統への忠誠心。忠誠心を棄てることへの拒絶。
さらには、東方から迫り来る「悪逆無道」な軍隊。
それなりの力を持った集団が決起していれば、少なくとも戦争は早くに終わったのかなとも思うのは簡単だろう。しかし誰もそんな行為に踏み込まなかったのだ。
ある種の分割統治が機能していたことも大きいのかな。
ヒムラー、シュペーア、ゲッベルス、ボルマン。
幹部たちはお互いを出し抜き権力を拡大することに血眼。
その中心に存在するのがヒトラー。
この本は、意外なほどにヒトラー本人の肉声や言動に触れていない。
その「不在」感が、全編通しての靄のような支配者の存在を逆に抱かせるのか。
確かにこの時期の総統個人に迫る描写をすればさらに奥深く面白くなったかもしれないが、そこまですると文量が途轍もないことになりそう。
これでいいのだろう。
そして、そんなヒトラー個人の有り様を改めて振り返るという意味で、冒頭の映画作品を手に取る。
本書と本作品、ノンフィクションとフィクションの違いは当然踏まえるにしても、両者の描写は非常に共通点がある。
地下壕のなか、戦火のもとの市民、逃げる人々、戦い続ける子供たち。
「反逆者」の首をくくるテロルの描写も。
人はこうも残酷になり、狂信的になり、保身に走り、命を棄てるのかと。
しかしそれは時代の違いだけではない。
言うまでもなく、この時間も戦火は絶えないのがね。
それにしてもこの本、完全に鈍器にして凶器になるよ。物理的に。
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