いま観返す、映画「スターリングラード」

2023年07月08日 12時10分00秒 | 巻十五 アニメ・ドラマ・映画
17年ぶり3回目?の「スターリングラード」。

前回記事はこちら。
「スターリングラード」 #gooblog https://blog.goo.ne.jp/dsch_sym11/e/f752fb280d731289a95a18b3389074dd

うーん、やっぱりターニャの白いお尻に勝るものはないですね。
「スターリングラード」と言えば私のなかではやっぱりあのシーン。

大事なテーマはそこじゃないだろ、と思うものの、お尻は大事。




いまは、2023年7月。
この作品を久しぶりに観ようと思った動機に、かのウクライナの地で行われている凄惨な戦いは関係ありません。

観るに至ったのは、ナチスドイツの末期を描いたとある大作の書物を読んでいるからであり。

とはいえ、やはり嫌でもかの現在進行形の戦争のことを思わずにはいられません。

「ウクライナ戦争」(という呼称が適切なのかどうかわからないので括弧書きで)においても、ロシア側(ワグネル)の戦い方として、突撃した第一陣が敵弾に倒れたら、続く第二陣の兵が第一陣の銃を手にとって更に突撃するのだと、とあるニュースで解説していました。

それを知ったとき、当然のようにこの作品のシーンを思い出しましたものです。

ほんとにあんな人海戦術を行っているのでしょうか。この21世紀に。

専門家が言うように、今般の「ウクライナ戦争」は、ドローンや先端のIT技術が活用されると同時に、砲兵や戦車が草原で対峙するという古典的な戦争の様相を見せているものなのでしょうか。

たぶん、そうなのでしょう。

この映画はもちろん創作物ですが、やはり現実のキプチャク草原で行われている戦争においても、当然ながら兵士一人一人に人生という物語があり、家族があり、愛する人がいて、出世欲も金銭欲も性欲もある。そして、守るべき人がいる。
大事な人を殺された憎しみもある。

数年前の私なら、我が国による殺傷可能な兵器の供与など絶対反対の立場であったことでしょう。
米国によるクラスター爆弾の供与ももちろん。

人の考えは変わるものだな、と正直に思います。

安保外交の点に限って言えば、自民党しか支持出来る政党がない。
でも、大事なのは安保外交だけじゃない。
困ったもんです。

えーと、なんの話だっけ。
ああ、スターリングラード。

お尻は大事よね。



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