たとえば次の文章。
仕掛けたのはオバマ氏の方だった。冒頭、低迷する経済への対応を語っていた際、突然話題を変えるとビル・クリントン前大統領がかねて応援演説で、オバマ氏のイラク戦争への反対姿勢を「おとぎ話」と批判していることを取り上げ「正しくない」とかみついた。
(A新聞1月23日13版国際面・米大統領選の記事冒頭部分)
何を言わんとしている記事なのか、
すんなりと理解できる人がどれだけいるのだろうか。
もちろん、オバマやクリントン夫妻のこれまでのやり取りを知っていれば、
まあなんとなく文脈上の解読は出来るだろう。
でも、純粋に日本語の文章とみた場合、
この文章はちょっとひどく不格好で杜撰ではないかと思うのだ。
文法上の明確な公式ルールなんて
あってないようなものだろうから、
あくまで自分の個人的印象であることを断ったうえで、
私は上記違和感の原因を「読点」であると考える。
句読点で区切ってみよう。
仕掛けたのはオバマ氏の方だった。
冒頭、
低迷する経済への対応を語っていた際、
突然話題を変えるとビル・クリントン前大統領がかねて応援演説で、
オバマ氏のイラク戦争への反対姿勢を「おとぎ話」と批判していることを取り上げ「正しくない」とかみついた。
これは、さすがにこうではないか?↓
仕掛けたのはオバマ氏の方だった。
冒頭、
低迷する経済への対応を語っていた際、
突然話題を変えると、
ビル・クリントン前大統領がかねて応援演説でオバマ氏のイラク戦争への反対姿勢を「おとぎ話」と批判していることを取り上げ、
「正しくない」とかみついた。
このバージョンは読点が多すぎる印象がなくもないが、
この文章に即して区切りを考えると
やはり絶対こちらの方が通りがいいと思う。
読点の数(多すぎとか)を問題にするより本質的なポイントは
理論的に意味が通るのか?…ではないのか?
読点付与のルールに絶対はないんだろう、と
あくまでも思いながら、
私はそれでも絶対譲ってほしくない線がある。
「意味」を壊すな、と。
簡単な話だ。
冒頭例文の場合、
「突然話題を変えるとビル・クリントン前大統領がかねて応援演説で、」
というひと塊りが
いったい「意味をもつパーツ」に読めるだろうか?
いま、「譲ってほしくない」と書いたけど、
それは誰に対して言っているか、と言えば
物書きを生業としている職業人の方々、だ。
新聞記者って必ずしも文章力を伴っているものではないんだな、というのは
ずっと前からの偽らざる気持ち。
なんか偉そうですか?(笑)
だって、
「ほんとにド下手だなあ」という文章に出会うことは
決して少なくないし。
まあ、ごめんなさい。言い過ぎましたよええ。
---------------------------------------------------
そこまで言う自分はどうなんだ、と問われることは当然。
私の場合、
このブログにおいては意識的に改行を多用している。
極端な話「読点ごと」に改行しているかもしれない。
さらには
「あえて読点が入るべき部分に読点を書かず改行しちゃう」ことも多い。
理由は、
そうした方がパソコンの画面上で読みやすいと
私自身が考えるから。
ぜんぜん改行のない文章は、
特にブログのような場では極めて読むのが疲れる。
つーか途中で読むのを止めることも多い。
もちろん、自分の個人的感覚だけどね。
ブログではない場における文章記述には、
当然また違った手法があってよいとも考える。
------------------------------------------------
新聞記事の記述技術って、
事実を簡潔にかつ漏れなく伝えないとだめだし、
「行がわり」が非常に多くて難しいことは容易に想像できる。
あんまりフォローになってないけど、
新聞記者さんがたも彼らなりに言い分はあるのかも知れない。
まあ、互いに精進しましょうよ。
終始偉そうだな今日は。ごめんね。
仕掛けたのはオバマ氏の方だった。冒頭、低迷する経済への対応を語っていた際、突然話題を変えるとビル・クリントン前大統領がかねて応援演説で、オバマ氏のイラク戦争への反対姿勢を「おとぎ話」と批判していることを取り上げ「正しくない」とかみついた。
(A新聞1月23日13版国際面・米大統領選の記事冒頭部分)
何を言わんとしている記事なのか、
すんなりと理解できる人がどれだけいるのだろうか。
もちろん、オバマやクリントン夫妻のこれまでのやり取りを知っていれば、
まあなんとなく文脈上の解読は出来るだろう。
でも、純粋に日本語の文章とみた場合、
この文章はちょっとひどく不格好で杜撰ではないかと思うのだ。
文法上の明確な公式ルールなんて
あってないようなものだろうから、
あくまで自分の個人的印象であることを断ったうえで、
私は上記違和感の原因を「読点」であると考える。
句読点で区切ってみよう。
仕掛けたのはオバマ氏の方だった。
冒頭、
低迷する経済への対応を語っていた際、
突然話題を変えるとビル・クリントン前大統領がかねて応援演説で、
オバマ氏のイラク戦争への反対姿勢を「おとぎ話」と批判していることを取り上げ「正しくない」とかみついた。
これは、さすがにこうではないか?↓
仕掛けたのはオバマ氏の方だった。
冒頭、
低迷する経済への対応を語っていた際、
突然話題を変えると、
ビル・クリントン前大統領がかねて応援演説でオバマ氏のイラク戦争への反対姿勢を「おとぎ話」と批判していることを取り上げ、
「正しくない」とかみついた。
このバージョンは読点が多すぎる印象がなくもないが、
この文章に即して区切りを考えると
やはり絶対こちらの方が通りがいいと思う。
読点の数(多すぎとか)を問題にするより本質的なポイントは
理論的に意味が通るのか?…ではないのか?
読点付与のルールに絶対はないんだろう、と
あくまでも思いながら、
私はそれでも絶対譲ってほしくない線がある。
「意味」を壊すな、と。
簡単な話だ。
冒頭例文の場合、
「突然話題を変えるとビル・クリントン前大統領がかねて応援演説で、」
というひと塊りが
いったい「意味をもつパーツ」に読めるだろうか?
いま、「譲ってほしくない」と書いたけど、
それは誰に対して言っているか、と言えば
物書きを生業としている職業人の方々、だ。
新聞記者って必ずしも文章力を伴っているものではないんだな、というのは
ずっと前からの偽らざる気持ち。
なんか偉そうですか?(笑)
だって、
「ほんとにド下手だなあ」という文章に出会うことは
決して少なくないし。
まあ、ごめんなさい。言い過ぎましたよええ。
---------------------------------------------------
そこまで言う自分はどうなんだ、と問われることは当然。
私の場合、
このブログにおいては意識的に改行を多用している。
極端な話「読点ごと」に改行しているかもしれない。
さらには
「あえて読点が入るべき部分に読点を書かず改行しちゃう」ことも多い。
理由は、
そうした方がパソコンの画面上で読みやすいと
私自身が考えるから。
ぜんぜん改行のない文章は、
特にブログのような場では極めて読むのが疲れる。
つーか途中で読むのを止めることも多い。
もちろん、自分の個人的感覚だけどね。
ブログではない場における文章記述には、
当然また違った手法があってよいとも考える。
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新聞記事の記述技術って、
事実を簡潔にかつ漏れなく伝えないとだめだし、
「行がわり」が非常に多くて難しいことは容易に想像できる。
あんまりフォローになってないけど、
新聞記者さんがたも彼らなりに言い分はあるのかも知れない。
まあ、互いに精進しましょうよ。
終始偉そうだな今日は。ごめんね。
新聞ってのは「事実を」「的確に」伝えるのが仕事なのだから、こんな「おなにぃ文書」を書く記者は新聞記者としては三流以下。
小説家としても売れないだろうなぁ。なんか昇任試験に出てきそうな文書です。
某redflag並にわかりやすい文書にすればいいのに。
でもそれだとつまらないんだよね・・・
たしかに、自己満足的演出過多な文章という感じはするなあ。
オナニスト文章にかけては俺もじゅうぶん心当たりがあるので、やはりジャーナリストにならなくてよかったと考える訳です。けけけ