イスラエルという国家の超独善的態度に対して、
激しい嫌悪感と罵詈雑言を含み持つことを常態としている俺ですが、
いったいそれでは、これらのことをいくら判っていたでしょうか?
ユダヤ人とは何?イスラエルとは何?ユダヤ教徒とは?パレスチナとは?
これがイスラエルという国の内部で発せられた書物であるということが、
まずは非常に考えさせられる。
著者が言うように、数多くの反響・波紋を及ぼした。
おそらくは、イスラエルの一定の層にとって黙認できない過激な内容が、
とても透徹な語り口で表わされている(と言っても翻訳だけど)。
書かれている内容自体は、
過去の様々な研究・著作の概観でもあるので、
真新しい事柄ではないのだろう。
たとえば、欧州に住む(住んでいた)「ユダヤ人」と呼ばれている人々が、
古代のイスラエルの地を源流とするわけではなく、
直接的にはロシアに住んでいた改宗ユダヤ教徒の末裔だったらしい、とか。
これは聞いたことがある。
それはともかく本書は、
古代から現代までユダヤと称される様様な集団の歴史や起源を辿ってくれており、
あー、そういうことなのか、と考えさせられることが多い。
現在パレスチナ人と呼ばれ、イスラエル占領下で散々な目にあわされている人々は、
実は古代ユダヤ人の末裔(改宗イスラム教徒)であるとの見方はその一例だ。
イスラエル国家の主流を占めている移住ユダヤ人の起源が、
必ずしも古代ユダヤに直接結びつくとは言い難いことを併せて考えると、
これはなんという皮肉であろうか。
イスラエル国家内に住む非ユダヤ人が差別的な地位にある一方で、
全世界に住むユダヤ人はイスラエルにいつでも「帰還」してその主人となることができる。
イスラエルという国は、
そこに住む人々のための国では決してないということだ。
反面、全世界のユダヤ人は、
共通の世俗文化を全く持ち合わせていないのだ。
むしろ、自分の現住する国の文化に同質化している。
それならやはり、ユダヤ人とは何なのか?ということになる。
そこには、きわめて人の手が入り込んだ人工臭がするのだ。
まさに、ユダヤ人とは「創作」されてきた概念ということである。
ここで俺は愕然とする。
そんな捏造(とは言いすぎだが)に塗れた正当性を振りかざすイスラエル国家が、
さらにその独善性を先鋭化させてあの地に生き続ける。
分離壁を見よ。ガザを見よ。
著者は、そんなイスラエルの将来を危惧し、取るべき道を示唆してくれている。
当然だが、イスラエルという国家自体を否定していない。
否定はしていないが、非ユダヤ人との共存を図り、
ユダヤ人が特権を捨てて少数派に陥ることも恐れるな、と語っているようにも思える。
このまま異常な状況が50年100年と固定化していくのは耐えがたい。
全然関係ない俺でさえ、そう危惧する。
---------- キリトリ -----------
最後におまけ。
注釈の番号が、第4章あたりでしばらくズレていた。いっこずつ。
まあ、読解に影響はない。
あと、翻訳の文章が一部明らかに変だった。
3回くらい読みなおして、読点の位置を修正してやってやっとわかったとか。
ここら辺も、たぶん瑣末な問題だろう。
正直難解な内容もあった(特に前半)が、
総じて非常に得ることの多かった本だった。
激しい嫌悪感と罵詈雑言を含み持つことを常態としている俺ですが、
いったいそれでは、これらのことをいくら判っていたでしょうか?
ユダヤ人とは何?イスラエルとは何?ユダヤ教徒とは?パレスチナとは?
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これがイスラエルという国の内部で発せられた書物であるということが、
まずは非常に考えさせられる。
著者が言うように、数多くの反響・波紋を及ぼした。
おそらくは、イスラエルの一定の層にとって黙認できない過激な内容が、
とても透徹な語り口で表わされている(と言っても翻訳だけど)。
書かれている内容自体は、
過去の様々な研究・著作の概観でもあるので、
真新しい事柄ではないのだろう。
たとえば、欧州に住む(住んでいた)「ユダヤ人」と呼ばれている人々が、
古代のイスラエルの地を源流とするわけではなく、
直接的にはロシアに住んでいた改宗ユダヤ教徒の末裔だったらしい、とか。
これは聞いたことがある。
それはともかく本書は、
古代から現代までユダヤと称される様様な集団の歴史や起源を辿ってくれており、
あー、そういうことなのか、と考えさせられることが多い。
現在パレスチナ人と呼ばれ、イスラエル占領下で散々な目にあわされている人々は、
実は古代ユダヤ人の末裔(改宗イスラム教徒)であるとの見方はその一例だ。
イスラエル国家の主流を占めている移住ユダヤ人の起源が、
必ずしも古代ユダヤに直接結びつくとは言い難いことを併せて考えると、
これはなんという皮肉であろうか。
イスラエル国家内に住む非ユダヤ人が差別的な地位にある一方で、
全世界に住むユダヤ人はイスラエルにいつでも「帰還」してその主人となることができる。
イスラエルという国は、
そこに住む人々のための国では決してないということだ。
反面、全世界のユダヤ人は、
共通の世俗文化を全く持ち合わせていないのだ。
むしろ、自分の現住する国の文化に同質化している。
それならやはり、ユダヤ人とは何なのか?ということになる。
そこには、きわめて人の手が入り込んだ人工臭がするのだ。
まさに、ユダヤ人とは「創作」されてきた概念ということである。
ここで俺は愕然とする。
そんな捏造(とは言いすぎだが)に塗れた正当性を振りかざすイスラエル国家が、
さらにその独善性を先鋭化させてあの地に生き続ける。
分離壁を見よ。ガザを見よ。
著者は、そんなイスラエルの将来を危惧し、取るべき道を示唆してくれている。
当然だが、イスラエルという国家自体を否定していない。
否定はしていないが、非ユダヤ人との共存を図り、
ユダヤ人が特権を捨てて少数派に陥ることも恐れるな、と語っているようにも思える。
このまま異常な状況が50年100年と固定化していくのは耐えがたい。
全然関係ない俺でさえ、そう危惧する。
---------- キリトリ -----------
最後におまけ。
注釈の番号が、第4章あたりでしばらくズレていた。いっこずつ。
まあ、読解に影響はない。
あと、翻訳の文章が一部明らかに変だった。
3回くらい読みなおして、読点の位置を修正してやってやっとわかったとか。
ここら辺も、たぶん瑣末な問題だろう。
正直難解な内容もあった(特に前半)が、
総じて非常に得ることの多かった本だった。
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