臨時国会が11月28日に始まった。石破内閣になって本格的な論戦が期待される。
物価高対策補正予算、能登復興補正予算、政治改革などの懸案事項を24日間の会期で処理しなければならない。
少数与党でびくびくしながらの国会運営だが野党は内閣不信任案の提出などやっている暇は無いと見越しているからか、石破首相の代表質問答弁からは今のところ政治不信を払うような姿勢を感じない。
覇気は無いが妙に強気である。
ただひとつ注目したのは、所信表明演説で石橋湛山の1957年2月4日の施政方針演説から一節を引用したことだ。
異なる意見を尊重するという民主主義の精神を述べたもので、この極めて当たり前のことが安倍、岸田の両政権では数の力で踏みにじられてきたことへの反省であればこの先少しは期待が持てるのかもしれないが、前言を簡単に翻す首相の信用度は半分程度か。
石破首相の演説を聞いた時、丁度、元衆議院議員の田中秀征氏と評論家の佐高信氏の『石橋湛山を語る』(集英社新書 2024年10月)を読み始めていた。
佐高氏は、「秀征さんは石田博英(石橋政権の官房長官)、宮沢喜一(大蔵省時代、湛山がGHQとやり合っていた時の通訳)を通して湛山を二次体験した政治家」と評している。
佐高氏が聞き役に回った対談本で、保守本流と自民党本流の存在や田中角栄が湛山に傾倒していて日中国交回復を成し遂げたこと、村山政権誕生秘話など、興味深い政治史が書かれている。
湛山思想の「小日本主義」は、戦後、資源も無く狭い日本で世界に伍してゆくためには国民の全力を学問技術の研究と産業の進歩に注ぐべしという考えから生まれていることを知った。
湛山と石破首相の接点は書かれていないが、1988年、リクルート事件の発覚に端を発した自民党の中堅、若手の議員による勉強会に鳩山由紀夫、渡海紀三郎らと名を連ねている。
「湛山研究会」の会長である石破首相の政治改革の熱情はどこへ行ったのだろうか。
菅政権の「学術会議問題」、安倍政権の「森友事件」は湛山思想とは真逆の事件であり、石破首相はどう思っているのか。
湛山は「兵営の代わりに学校を建て、軍艦の代わりに工場を設けるべし。」とも述べている。
安倍政権の集団的自衛権の拡大解釈や岸田政権の急激な防衛費の増額を〝防衛オタク〟と言われた石破首相はどう思っているのか。
読んでいくと政治が劣化して、知らないうちにこの国のいろいろな指標が世界の中で沈んでしまっていることに危機感を持った。
石破首相が噛みしめるべきは湛山が1967年、83歳の病床から綴った次の言葉ではないか。
「私が、いまの政治家諸君をみていていちばん痛感するのは、『自分』が欠けているという点である。『自分』とはとはみずからの信念だ。
政治の堕落と言われているものの大部分は、ここに起因する。
政治家のもっともつまらないタイプは、自分の考えを持たない政治家だ。
カネを集めることが上手で、大勢の子分を抱えているというだけでは本当の政治家ではない。」(「政治家にのぞむ」の一節)
見回して湛山の衣鉢を継ぐ政治家がいないのは今の選挙制度に原因がありそうだ。
第55代石橋湛山内閣(1956.12.23-1957.2.25)
岸信介 池田勇人らの顔が見える