楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

総裁選は事実上日本のリーダーを決める選挙??

2021年09月11日 | 日記

自民党総裁選挙報道で「事実上、日本のリーダーを決める選挙」というフレーズがよく使われる。

与党第一党の自民党の党首が普通は国会の内閣総理大臣指名選挙で過半数を獲得するから正しいように思うが果たしてそうなのだろうか。

 

国会法第64条の規定では、内閣総理大臣指名選挙が行われるのは「内閣総理大臣が欠けたとき、又は辞表を提出したとき」と規定している。

菅内総理大臣は自民党「総裁選」に不出馬を表明しただけで9月末には自民党総裁ではなくなるが、総理大臣の辞表を提出したわけではない。

従って、国会議員の任期の10月21日まで総理大臣の職に留まることが出来きそうな気がする。

事実、「首相退任会見」は開かれていないし、職務代理者も置かれていない。

 

その間に政権選択の総選挙が行われるのだから結果によっては自民党総裁が自動的に国会で総理大臣に選出されるとは限らない。

そう考えると、今の自民党総裁選挙を「事実上、日本のリーダーを決める選挙」と言えるのだろうか。

 

これまでは「内閣総理大臣の辞職表明」があって後追いで「自民党総裁選挙」が行われており、今回は逆である。福田赳夫首相の時が同じケースと記憶しているが。

ニュース報道はラジオでしか聴いていないがどなたか〝政局解説者〟はここら辺りを解説したのかどうかは分からない。

 

総選挙が新総裁、新内閣総理大臣で行われたとしても直後の総選挙の結果次第で今の自民党総裁選挙で選出された新総裁の交代もあり得る。

「事実上、日本のリーダーを決める選挙」というフレーズは間違った世論誘導ではないか。それにしても決選投票に備えた〝アベコピー候補者〟ばかりで日本の舵取りは任せられない人物ばかりである。

 

 

 

 


野党は「共通政策」とセットで「政権構想」を示すこと

2021年09月09日 | 日記

2021農作業支援 -畑で思うこと-

2021年09月08日 | 農作業ヘルパーの記

恵庭の農業は都市近郊型で水田、畑作物、野菜を組み合わせた30~50ヘクタールの中規模経営農家が多い。十勝、網走地方の半分程度か。

今は馬鈴薯、南瓜、キャベツ、ブロッコリーの収獲が真っ最中だ。

JAに登録している作業支援人材が不足していて、引っ張りだこ状態だが始めて3年目の慣れない仕事は結構キツくて週2~3日程度のペースに抑えている。

 

農家に行くといろいろな人に出会い身体と心も刺激を受ける。それが楽しみにもなっている。

最近はコロナ禍で休業、出勤調整を余儀なくされている現役の人達が多くなったように感じる。

 

Aさんは60代半ば。馬鈴薯畑で機械収穫からこぼれた小薯(放置しておくと翌年に芽を出す)拾いをしていると携帯からメロディーがしょっちゅう流れてくる。

聞いてみると、個人でコンピューターシステム管理の会社を経営していたが、大手企業に太刀打ち出来ず15年前に廃業。

今はライブハウスを経営しているが緊急事態宣言で店は休業にし、農作業や人材派遣会社の仕事で生活を繋いでいるという。

携帯から流れるメロディーは寝る間も惜しみ細切れの睡眠を取るための目覚ましセットだった。

「仕事があれば昼でも夜でも365日働く」とAさんは言う。

 

Bさんは観光バスの運転手。仕事が殆ど無く、会社は政府からの支援金を受けるために出勤調整をしている。給料は7割程度に減り、夏のボーナスも無かったという。

休みの日は家でぶらぶらしていても気まずく農作業に来たという。「いつ元の状態に戻れるのか・・・」と半ば諦めながらため息をつく。

 

畑でコロナ禍の中での生活実態の一端を他にも見聞きする。

規制の網掛け地域をモノサシを変えながら決めて、人の集まりを防ぐ対策をモグラ叩きの如く延々と続けることに疑問を感じる。

医療、衛生を所管する役所のマンパワーも絶対的に不足し、手が回っていない印象だ。

 

〝ウイズコロナ〟を言うなら、それは対症療法の段階は卒業し、これからは「無症状者を発見」し、「隔離」し、「医療」により社会に戻るという循環システムを持った社会を創り上げることではないか。

今までの対策費も積み上げれば膨大な額になっているはず。各政党に根本対策に財政資金を集中させる考えがあるのかどうか、総選挙の中でよく見たい。

 

 

 


野党の触媒が必要

2021年09月06日 | 日記

辞めて欲しい人物が政界遊泳に行き詰まってようやく首相を辞めることになった。

それだけのことなのに〝政局〟報道は毎度の事ながら「何があったのか」の詮索、「安倍、麻生、二階はどう動くか」の予想合戦、「次の首相は誰か」の人気投票結果に大騒ぎだ。

そして結論は「この先のことは誰も分かりません」。

 

最近は管首相を「苦労人、パンケーキ」と持ち上げすぎた責任は我々報道の側にもある、などと反省を口にしつつ、記者会見で質問を無視、封殺することもあった河野太郎の人気を漠然と伝えている。菅政権より怖い強権政治になりはしないか。

 

〝自民党の総裁イコール日本の首相〟という図式を前提にした政局報道の洪水の中で野党は完全に埋没している。

総選挙に入れば時間は無い。始まった時には既に終わっているのが選挙だ。相手がゴタゴタしている時に「連合が、共産党が」とゴタゴタしている。

敵失で増える議席数の皮算用をしているだけのように映る。

 

よく野党議員が「マスコミが取り上げてくれない」と泣き言を言うが、国民に信用される「政権構想」が届いてこない。

互いに公党だから原則論があって基本政策で完全一致するはずがない。

かつて衰退した自民党が当時の社会党等と連立政権を作ったことがあった。〝水と油のような政党が〟である。この時の首相である村山社会党委員長は「自衛隊合憲」に大舵を切った。

 

枝野・民主党は安倍・菅政治の検証から日本の国を建て直すという一点で結束し、共産党が提唱する連立内閣より柔軟な「連合内閣」に踏み出す“迫力”を示して欲しいものだ。

そのためには枝野代表は知恵者の力を借りるべきだ。前回の政権交代の時は山口二郎氏(当時は北大教授、現・法政大教授)や小沢一郎衆議院議員らが理論、実務の支柱となっていた。

今は誰なのだろう。傍目には見えない。

 

元・札幌市長の上田氏が道内の選挙の度に市民連合の立場で野党統一候補の調整を呼びかける姿がニュースで流れる。

国の段階で野党の触媒の役割を果たす人物が登場し、「政局報道」が「政治報道」に変わらないものか。

 

 

 

 

 


最後までチグハグ

2021年09月03日 | 日記

コロナ対策に専任(と3回言っているがNHKは「専念」と忖度)したいので自民党総裁選挙に出ないという。

ということは9月末には自民党総裁ではなくなり、11月には総選挙後の臨時国会の首班指名選挙で新しい総理大臣に交代ということになる。

 

つまりは「コロナ対策に(最高責任者として)“選任”」する時間はひと月余り。この1年半で今の有様なのに菅さん、こじつけの理由にしても余りにお粗末ではありませんか。

それともこの程度の言い訳しか思いつかないほど決断が急だった?

最後まで言ってる事とやってることが噛み合わない人物だった。

 

野党(枝野代表)はこれまで10年に亘る「安倍・菅違法政治」によって狂ってしまった国の仕組みの立て直しのために、政治疑惑の全てを解明することから始めるという一点で先ずは野党が大同団結(維新は除く)することにリーダーシップを発揮してもらいたい。

政権を取らなくては何も始まらないし、自民党では喉元過ぎれば・・・になる。

 

 

 


『 私の自転車旅物語 2016』-九州の旅-⑧地震の熊本から無事、福岡到着

2021年09月02日 | 『私の自転車旅物語』

熊本から福岡へ輪行を予定していた2016年4月15日は前夜の『2016熊本地震』の発生で交通機関はマヒ状態に陥った。

さて、どうしようか。熊本にもう一泊しても交通体系が改善される保証は無い。思案投げ首の時に福岡にいる息子から「大牟田から福岡までの西鉄は動いているよ」とのメールが入った。

熊本から大牟田までは50Km。そうだ、“自転車”があるではないか!

幸運にも海岸線のR501は道路被害情報も無く、通行止めも無かった。

 

R501は損壊した九州自動車道からの長距離トラックが流れ込み混雑していてどこのコンビニも棚からオニギリ、飲み物などの食品が全て消えていた。

休憩している大型車の運転手に「自転車ごと福岡に運んで貰えないか」と訪ねると「荷物が空だと乗せられるのだが」との返事。心配してくれて有り難かった。

 

 

途中のちゃんぽん店に昼食で入ると新聞の一面が熊本地震で埋まっていた。改めて自然のエネルギーの大きさを認識した。

 

どうにか大牟田から西鉄に乗りホッとした。夕方に福岡に到着した。

福岡では九州交響楽団の演奏会を聴くことにしていたので合流した妻と泊まったホテルで未明に『本震』の揺れを体験した。

熊本で経験した「余震」に比べれば福岡は離れていて中程度に思えた。震源が少しずつ活断層の線上を動いているとのニュース解説が流れていた。

二日間で人生最大の地震を体験した。千島列島であれ、東京直下であれ、東海沖であれ、もう経験したくない。

 

 

九響の演奏会はアクロス福岡シンフォニーホールで予定通り開催された。翌日は息子夫婦に玄界灘に突き出た糸島半島の芥屋海岸を案内してもらい1泊。

妻は帰道し、私は福岡の沖合の壱岐に渡った。3日間の予定で一周するためだった。

 

「壱岐」と3年後の2019年に訪れた「対馬」の自転車旅はいつか一緒に纏めることにして、『 私の自転車旅物語 2016』-九州の旅-はこれで終了とします。

 

 

 

《ボロボロになった「トカラ列島から福岡」の自転車旅計画》

 

《福岡名物の「もつ鍋」と「とんこつラーメン」(一蘭本店) 写真は2016.4..15~19》