楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

政治改革に森喜朗氏の国会喚問は必須である

2024年04月12日 | 日記



時事通信の最新の世論調査(4/5-8)で、岸田内閣の支持率は16.6%と政権発足以来最低を更新した。内向きの裏金処分では支持率低迷からの脱却とはならない。

何より政策云々の以前の問題として、人物が信用されていないところが森元首相の政権末期に似ている。

その森元首相、安倍派のキックバック(還流)の経緯を知ると目されていて、68.5%が国会での説明を求めている。


森氏は石川県内のラグビー強豪高校から根上町長だった父親と同じく早大ラグビー部に入部するが、高いレベルについていけず体も壊してわずか4カ月で退部し、雄弁会に移っている。

日本ラグビー協会会長や2022東京オリンピック招致委員会会長の就任ではそのラグビー経歴?を遺憾なく活用して政治家としての地位を築くことに余念がなかった。

短期間とはいえ早大ラグビー部に在籍したスポーツマンとして逃げ隠れはみっともない。北海道の橋本聖子参議院議員、堀井学衆議院議員もスケート出身のアスリートであるが、選挙区の支持者回りをしているだけで国民にきちんと説明、謝罪していない。


国会に「政治改革特別委員会」が設置された。
政治資金規正法の改正などが議論されるが、立憲の泉代表は委員会で「裏金事件」の究明を続ける方針を明らかにした。

腰折れせず、森元首相の証人喚問を是非実現して欲しいものだ。
「いつから」「誰が」「何のために」を解明しないことには政治改革は一歩も前に進まない。


メディアは岸田首相の「アメリカ属国外交」に警鐘を

2024年04月10日 | 日記
裏金事件もどこ吹く風、何にも無かったかのように赤じゅうたんのタラップを手を繋いで下りてくる岸田首相を見ていて、頼むから余計なことを決めないできて欲しいと心底思う。

かつて中曽根首相がレーガン大統領に「日本列島は不沈空母だ。」とやって国内で大問題になったが、思えばあれから日本は完全にアメリカの東アジア軍事戦略に取り込まれてきた。

あの頃のジャーナリズムは何処へ行ったのだろうか。若者の間で「政治の話をるのは野暮」の風潮があるという。ジャーナリズムの衰退と無縁ではないだろう。


今回の日米首脳会談では宇宙防衛戦略、日米安全保障体制強化がメインの議題になるようだけれど(形ばかりに拉致問題を出すにしても)、気掛かりなのはアメリカのみならず複数国も加えた軍事同盟への日本の参加が進んでいることであ。指揮命令系統もやがて米軍に組み込まれるに違いない。

先日も閣議決定だけでイギリス、イタリアと共同開発するAI搭載ステルス戦闘機輸出の穴をあけた。戦争国は除き、都度、国会で議論すると言っても信じられない。穴はどんどん広がる。

日本は戦争をしない国から出来る国の道を歩んでいる。


今回、岸田首相の渡米と同時に国内では全く知らされていないオーカス(AUKUS;アメリカ、イギリス、オーストラリアの三国間の軍事同盟)に「日本も加われ。」とバイデン大統領が話すという情報が出てきた。
岸田首相は何んの躊躇い、将来への不安・影響も考えずにニコニコと頷く。

AUKSは明らかに中国包囲軍事同盟のひとつであり、敵基地攻撃など軍事分野やサイバーセキュリティ、AI、量子技術を用いた暗号化技術の開発を行っていて、オーストラリアの原子力潜水艦の配置とインド洋をカバーする超音速ミサイルの配置が喫緊の課題という。

日本がどのような役割を担うのか。
こんな大事なことを国会をスルーして、安倍晋三ばりに「決めましたから。」と平然と言う岸田首相によって、この国がどんどん軍事国家に姿を変えてゆく。どこがハト派の「宏池会」なのだ。


メディアは大リーグの〝大谷ニュース〟で時間潰しするのではなく、晩餐会のメニュー紹介をするのではなく、アメリカ側サプライズ歓迎アクションに感心するのではなく、岸田首相の「アメリカ属国外交」を詳しく報道し、警鐘を鳴らさなければならない。

自民党政府に任せたまま無関心でいてとんでもない国になってしまったことにあらためて気づいた今こそ政権を交代し、立て直さなければ日本列島は沈没する。



桜も咲いていないのにモンシロチョウが!

2024年04月08日 | 日記


2024.4.7


長いこと北海道で暮らしてきたけれど、この時期にモンシロチョウを見たのは初めてだ。

夏の頃にキャベツに青虫がいて魚釣りの餌になり、やがて孵化して飛び回るものだと思ってきたので、まだ庭に僅かに雪が残り、最低気温が5℃前後のこの時期に舞う姿に目を疑った。

誰か室内で飼っていたものが逃げ出し、窓辺の花に寄ってきたのか。

大きな気象変動の予兆でなければ良いのだがと暫し眺めていた。



台湾の皆さん、加油!! 

2024年04月07日 | 日記

2018.4.13  花蓮市内

2018年の4月に半月ほど、自転車で台湾一周旅をした時に太魯閣(タロコ)渓谷を訪れたことがあった。

前年に大きな地震があって、落石の危険があったので花蓮市内からは日帰りバスを利用することにした。


「タロコ」とは台湾原住民タロコ族の言葉で「連なる山の峰」の意味という。その名の如く、太魯閣渓谷は台湾島の東側の花蓮市から西側の台中市へと2,000m級の険しい山々を縫って続く。

川が削った断崖絶壁にへばりつくようなトンネル続きの道路から谷底を見ると大理石の岩肌と緑色の川が美しい台湾の有数の観光地だ。


先日、 4月3日に台湾東部沖でM7.7の大地震が発生した。
ニュース映像によると花蓮市内のビルは倒壊し、太魯閣渓谷も崩れ落ちた巨大岩石と土砂で道路が埋まっている。


台湾を自転車で走っているとよく『環島ファンダオ?』と声をかけられた。
そうだと答えると、『加油ジャーヨウ!!(頑張れ)』と励まされた。

今以上の被害が拡大しないこと、一日も早い国土の復興を願う。

心優しき台湾の皆さん、加油!!



太魯閣渓谷にあった郵便局に近くのお寺の尼さんがいた。








2018.4.13 イワツバメの巣がたくさんあった。

人力だけの難工事は3年10カ月を要し、212名が殉職したという。 トンネルの壁面には鑿の跡が刻まれていた。
人間の底力は凄いものである。


ニュースで台湾政府の素早い救災対応を見ていると、地震国のこの国の税金の使い方があちこちで間違っていることが分かる。



裏金事件は政治改革特別委員会で追及継続を

2024年04月05日 | 日記
「政治なんてこんなものでしょう。
貴方だって分かっているでしょうに、何でそんなに青筋立てて怒っているの。」
田崎スシロー氏の顔には常にそう書いてある。

この度の自民党裏金事件の党内処分に関する解説でもいかんなく発揮されている。


「処分内容にはそれなりに理屈はあるのだがそれが(国民に)伝わっていない。」
ちよっと待った、国民は「誰が、いつ、何のために」を知りたいのであって、自民党の処分は何ら関係の無いことであることこそが自民党に伝わっていないのだ。

「岸田首相が直接電話をかけ、事情を聞いたけど(森氏の)具体的な関与は確認されなかった。(だからもうこの件はいいでしょう。)」とさらりと言ってのける。


政治改革特別委員会を設置することで与野党が合意した。
やることは、
  1. 政治資金の透明性の確保
  2. 政治家本人も責任を負う「連座制」の導入
  3. 政策活動費のあり方
  4. 政治倫理審査会での議員の弁明および質疑

裏金事件の解明には森元首相の国会証人喚問が必須である。
スシロー氏は自民党のカーボン紙→mRAであり、「森元首相の件は終わり。」と吹聴し始めている。政倫審で最初から森氏を呼ばなかったのは野党の失敗。

これから自民党の老獪な〝国会対策〟により野党が分断されないよう、国民、メディアは注視しなくてはならないし、立憲民主党は野党の要として国民の知りたいことを追求し続けて欲しい。



阿部雅龍さん死去 

2024年04月04日 | 日記





人の命はわからない。
明治期に南極点到達を目指した陸軍白瀬中尉のルートを辿って、単独徒歩による極点到達を目指していた冒険家の阿部雅龍さんが3月27日に亡くなっていた。脳腫瘍だった。享年41才。

母親が買ってくれた本で同郷の秋田県出身である白瀬中尉に憧れ、秋田大学を卒業してから協賛団体のみならず自らも人力車夫をしながら資金を貯め、世界各地の冒険旅を重ねていた。

自転車での南米大陸縦断(10,924km)、アマゾン川のいかだ下り(2,000km)、そして幾度かの北極圏徒歩の経験を経て、2019年に日本人初踏破となるメスナールートでの南極点到達(918km)などがあるが、これら全てが〝白瀬ルート〟への伏線であったという。


面識も繋がりも無いが、冒険者らが集う「地平線会議」の通信によく寄稿していて、水平系(山登りは垂直系)にもこのようなアンビシャスな若者がいるのだと心ながら応援していたので誠に残念なことだ。


1回目の挑戦に失敗した時のことを「地平線会議」の2022.2.22号に寄稿している。

コロナ禍で出発を2年待った2021年11月18日、1912年に白瀬中尉が到達した大和雪原(やまとゆきはら)に到達し、そこから全行程1,220Km(75日間)の半分ほどを進んだ所にある標高3,200mの南極横断山脈の手前で撤退した。
悪天候、大規模なクレパス帯、延びていた旅程等が要因とある。

しかし、通信には109年ぶりに大和雪原(やまとゆきはら)に人が立ったことの高揚感と白瀬中尉の見た白と青の世界を共有したことの喜びに溢れている。


通信の最後に、「失敗と自分の弱さに向き合わねば成長出来ない。夢はまだ終わらせない。続きのために年末(2022年)に再び南極に向かう。この夢を結実させる。」とある。この後、2022年8月に脳腫瘍があることがわかった。

阿部さんは手術を受ける前に「今までどんな逆境にも負けずに笑顔で立ちあがってきました。病気という冒険にみずから勇気を持って立ち向かいます。応援してくれるお一人お一人の気持ちに寄り添えるように、そして何より自分の夢の実現のために挑みます」とするコメントを出していた。

いつも前向きで笑顔だった阿部雅龍達さんのご冥福をお祈りする。




2022年「植村直己冒険賞」受賞


※写真は阿部雅龍さん応援プロジェクトのHpより。









「ツール・ド・北海道」は存続して欲しい

2024年04月01日 | 日記
9月に開かれる自転車ロードレースの「ツール・ド・北海道」は今年も中止が決まった。

昨年の大会で選手の死亡事故が発生して、その対策をまとめるのに時間を要するらしい。

悲劇は十勝岳の上富良野町側への下り車線を降りてくる中央大学の選手と登り車線を上がってくる乗用車が正面衝突して起きた。

事故現場は市民レースの審判車両や個人的な上富良野町から十勝岳吹上温泉までの往復自転車で何度か通っているが、急こう配のカーブが連続する難所であり、駐車スペースが何個所かある。過去にも「ツール・ド・北海道」がコースに使用している。

10年前に65才定年制により自転車競技審判の資格を返上した。プロレースを何度か経験した者として、わが国で唯一のラインレース(数日間かけて町から町へ走る)が存続して欲しい。


ツール・ド・北海道協会に設けられた外部有識者による「安全対策検討会」の議事概要等をHpで読んでみた。(3月29日の第4回の議事録は未整理)

詳細な資料が添付されていて、事故のあった昨年9月8日 の大会初日のレース展開が整理されている。(今後、調査精度向上等により訂正もあるとのこと。)


気になったことがある。
第1点は事故現場前後の下りの7Km区間に立哨員(警備会社委託)は員は配置されていなかったこと、第2点はレース中、事故にあった選手の前方を走行していた審判車両・バイクは事故車両が対向車線を上ってくるのを確認していなかったことだ。


第1点については、交通規制が始まる前にコースに侵入して観戦するファンや山菜採りの人等が駐車スペースにいたことが考えられるので、カーブを見渡せる場所にもっと立哨員を配置すべきだったと思う。


第2点は、自転車競技の特殊性で、下りでは特に高速になる自転車集団を十数台の審判車両とオートバイがコントロールすることは難しく、むしろ追いつかれないようにかなり前方を走行せざるを得ないという事情があると思う。


警備員や審判車両・バイクを増やすということが検討会で提起されているが、昔のように地元市町村の金銭と人的支援があった時代と違って立哨員の増員は限界があると思うし、バイクを増やしても平地は別として、高速で下る自転車集団のコントロールは至難の業だ。


安全確保対策について様々な意見が出ているが、やはり根本的な解決は「ツール・ド・フランス」のように自転車レースが文化として定着しているヨーロッパと同様、警察の全面的な交通規制がなされることではないか。

検討会ではこの点について今のところ議論されていないようであるが、この機会に是非論点として欲しいものだ。

なかな難しいことなのかもしれないがマラソン大会では実施しているし、昔は大通り公園の周回レースをしたこともある。

時間がかかってもこの機会に「対向車線は主催者」という前提を越えた検討を願う。