
焼尻島への自転車旅で、留萌市から日本海沿岸を北上し、苫前町のキャンプ場に着くと日本海の夕陽にくっきりと浮かぶ利尻富士が見えた。
幕末に何と北海道沖で操業していたアメリカの捕鯨船から手漕ぎボートに乗り移り、焼尻島白浜海岸に漂着したラナルド・マクドナルドもこのような島影を眺めていたのだろうか。
ペリーが来航する5年も前の1848年に一人のアメリカ人が焼尻島を経て利尻島に上陸した。オレゴン州生れのラナルド・マクドナルド24歳。
母親がインディアンであり、自分のルーツは日本だと周りから聞かされていた。
焼尻島で三日間を過ごし、丸一日かけて利尻島野塚海岸に上陸したところで松前藩に捕らわれる。
蜜入国者として長崎の寺に幽閉されるが、誠実な人柄と高い教養が周囲の人間に信頼感をもたらし、日本最初のネイティブ英語教師としてペリーの通訳を努めた森山栄之助らを育てた。
吉村昭氏の小説『海の祭礼』に詳しい。

2009年7月

かつて白浜キャンプ場にトーテムポールが立っていたが今は無い。
役場に聞くと老朽化して撤去したという。代わりにマクドナルドの説明板が立っていた。
星野道夫氏の『旅する木』の「海流」に、アラスカ沖の島で『トーテムポールの文化』を築いた「クリンギット族」 と「ハイダ族」に〝俺たちには日本人の血が入っているかもしれない〟という言い伝えがあることが紹介されている。黒潮に船が流されて日本からアラスカ沖の島に辿り着いた姉妹の物語だ。
ラナルド・マクドナルドはこのことを聞かされ、自分のルーツは北海道のアイヌと考えていたのかもしれないと想像している。
アメリカへ帰っても終生、日本人とアイヌの親切を忘れなかったマクドナルドの最期の呟きは「SOINARA(さようなら) my dear、SOINARA」だったという。
焼尻島を訪れると思いだす。
ラナルド・マクドナルドが決死の覚悟で北海道を訪ねて180年。
地球は広いと言っても民族はどこかで繋がっている。戦争など絶対にしてはならない。今、その知恵を呼び起こす時代に入っている。