楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

焼尻島とラナルド・マクドナルド

2024年08月11日 | 日記



焼尻島への自転車旅で、留萌市から日本海沿岸を北上し、苫前町のキャンプ場に着くと日本海の夕陽にくっきりと浮かぶ利尻富士が見えた。

幕末に何と北海道沖で操業していたアメリカの捕鯨船から手漕ぎボートに乗り移り、焼尻島白浜海岸に漂着したラナルド・マクドナルドもこのような島影を眺めていたのだろうか。


ペリーが来航する5年も前の1848年に一人のアメリカ人が焼尻島を経て利尻島に上陸した。オレゴン州生れのラナルド・マクドナルド24歳。
母親がインディアンであり、自分のルーツは日本だと周りから聞かされていた。

焼尻島で三日間を過ごし、丸一日かけて利尻島野塚海岸に上陸したところで松前藩に捕らわれる。

蜜入国者として長崎の寺に幽閉されるが、誠実な人柄と高い教養が周囲の人間に信頼感をもたらし、日本最初のネイティブ英語教師としてペリーの通訳を努めた森山栄之助らを育てた。

吉村昭氏の小説『海の祭礼』に詳しい。



2009年7月





かつて白浜キャンプ場にトーテムポールが立っていたが今は無い。
役場に聞くと老朽化して撤去したという。代わりにマクドナルドの説明板が立っていた。


星野道夫氏の『旅する木』の「海流」に、アラスカ沖の島で『トーテムポールの文化』を築いた「クリンギット族」 と「ハイダ族」に〝俺たちには日本人の血が入っているかもしれない〟という言い伝えがあることが紹介されている。黒潮に船が流されて日本からアラスカ沖の島に辿り着いた姉妹の物語だ。

ラナルド・マクドナルドはこのことを聞かされ、自分のルーツは北海道のアイヌと考えていたのかもしれないと想像している。


アメリカへ帰っても終生、日本人とアイヌの親切を忘れなかったマクドナルドの最期の呟きは「SOINARA(さようなら) my dear、SOINARA」だったという。

焼尻島を訪れると思いだす。


ラナルド・マクドナルドが決死の覚悟で北海道を訪ねて180年。
地球は広いと言っても民族はどこかで繋がっている。戦争など絶対にしてはならない。今、その知恵を呼び起こす時代に入っている。



焼尻の旅から帰ってきた

2024年08月10日 | 円 -bicycle-


2009年7月 焼尻島の旅。
今回も同じ場所にテントを設営した。


自転車旅を始めて20年近く経って、ライダーも用具も老朽化してきた。
テントポールの接合部が破損して予定を2日繰り上げて帰宅した。

最近、同じトラブルで交換した箇所とは別で、金属疲労かなと思うのだが専門店に聞くと大抵は接合がきちんとしていない時に破断が起きやすいという。
焼尻島に来て2日目の夕方のことだった。


幸にもキャンプサイトの近くに海水浴の立派な更衣室があったので夕方に引っ越した。

直ぐに翌日の早い時間の高速フェリーを予約し、羽幌から留萌まで走り、夕方の札幌行き都市間バスに乗車。残り物の食パンとチーズとワインの晩飯を食べて熟睡、2時間ほど寝ている間に夜の札幌駅前に着いた。

天気も良かったし、もう一日島に居たかったが、テントポールのトラブルで済んだことに感謝。

いつの日かまたやっぱり島へ行きたい。
人口200人の素朴な暮らしと手つかずの自然と不愛想な商店のオヤジがいい。



2009年7月 焼尻島の旅




オレンジの我がテント。

すぐ傍が羊の牧場だが、今回は放牧風景を見ることが出来なかった。
牧場は羽幌町営でスタートし、第三セクターに移行した。昨年は運営難から閉鎖も危ぶまれたが地元企業が引き継いだ。
なんとか〝プレ・サレ〟(潮風を浴びた牧草で育った羊)を伝えて欲しい。



2024.8.8 8:00 キャンプサイト出発




途中で見かけた「うに漁」  長い竿の先の籠に取り込む



離岸 10:05

船は焼尻島の薄曇りの海を滑るように離れた。





ひとまず、さようなら



焼尻島のプレ•サレ食べた

2024年08月07日 | 円 -bicycle-

もう機会がないかなと思い、昼にフェリー乗り場の食堂で3200円の羊肉定食を食べた。島の羊は海風のミネラルを含んだ牧草で育つ。

プレ•サレ、塩の傍、海の傍。フランスのノルマンディ地方の羊と同じ高級食材だ。銀座に直行?するのでここでしか食べられない。

やっぱり羊の肉は旨い。サッパリしていて、それでいて上品なコクがある。

焼尻島に乾杯!

 

 

 

 

 


焼尻島に来た

2024年08月06日 | 円 -bicycle-

 

5年ぶりくらいか、焼尻島に来た。

白浜野営場は緬羊牧場の傍、向かいは礼文島、北海道。

ペリー来航の5年も前にラナウド•マクドナルドというアメリカの青年が上陸している。のちに長崎でネイテブの英語通訳を育てた。

吉村昭の『海の祭礼』で知った。

 

 

 

 


黄金岬に来た

2024年08月05日 | 円 -bicycle-

 

自転車輪行で〝黄金の日没〝を見に留萌の西海岸に来た。

残念ながら曇り。

 

 

ハマナスの実

 

近くで親子の〝世界カニ釣り選手権〝が開かれていた。

イカが餌。苦戦模様。

 

今日は日本海沿岸を50km北上して苫前町まで。

その後は久しぶりの焼尻島が楽しみだ。

緬羊牧場の隣にキャンプサイトがある。

曇り、25℃の予報なので走りやすそうだ。

 

 

 

 


「祝祭資本主義」

2024年08月03日 | 日記
オリンピックやワールドカップのような国際的なイベントがあると政治問題は棚上げされ、メディアのチェックも疎かになるという。

アメリカの経済学者でオリンピック選手団に帯同したこともあるジュールズ・ボイコフ氏がこれを「祝祭資本主義」と名付けたという。最近知った。

重要な事柄がうやむやに先送りされる可能性があるということだ。


メディアはパリオリンピックのメダル報道で溢れているが、7月30日に国会閉会中審査が開かれた。「川崎重工による防衛省への裏金問題」、「海上自衛隊の潜水訓練手当の不正受給問題」、「沖縄の米兵による少女誘拐・暴行事件の隠蔽疑い問題」などの質疑であった。

ニュース音声で聞いた政府答弁は酷いものだった。「裏金」では特別監査の報告がいつ行われるのか示れさず、「不正受給」では防衛大臣の許可が無ければ警務隊は逮捕出来ない民間人(自衛隊退職者)2名を逮捕しているにも拘わらず、木原防衛大臣は事務方の〝数秒〟の報告を受けただけで事案を認識せず、結果的には事務方が勝手に逮捕した形になっていた。

酷いのは「暴行事件」である。12月末に起きていた事件が裁判になることをきっかけに6月になって明るみになった。

上川外務大臣は「迅速に報告を受けていた。」と言いつつ、被害者のプライバシー保護、沖縄県警の非公表方針を理由に外務省から防衛省への連絡は6月になったと強弁し、「事件をいつ知ったか。」には日米の捜査活動を理由に、審議が何度止っても遂に答えなかった。

驚いたことに沖縄県を始め、関係省庁への連絡体制そのものを知らなかったことが質疑で明かになった。答えられるはずがない。このような人物が次の総理候補の一人と言うのだから呆れる。


防衛省と外務省という安全保障体制の中枢で、政治家による文民統制がいかに杜撰なものであるか、パリオリンピックの陰で浮き彫りになっている。
何か事が起きた時にこの国は大丈夫なのだろうか。

閉会中審査は衆・参半日ずつのたった1日だった。あらためて徹底的に検証、議論すべき問題だろう。「祝祭資本主義」にどっぷり浸かっている間にスルーされて行くものはないか、メディアはチェックして欲しいものだ。                                                                                                                                                                                                                                 


K2遭難

2024年08月01日 | 日記
 


世界的な登山家であり山岳カメラマンの平出和也氏(45)と中島健郎氏(39)がエベレストに次ぐ世界第2の高峰「K2」(8,611m)の西壁の未踏のルートを登っていて、7,000m付近から滑落した。

二人が所属する石井スポーツによると事故現場の状況から7月30日、ご家族の同意のもと救出活動を断念したという。

K2は急峻で美しい壁が続き、登攀技術はエベレストよりはるかに難しいとされ、二人が登っていた西壁は殆どが未踏ルートでトップクライマーしか分からない世界という。


いいトシをして自転車旅をしている時に、口幅ったいがこれも自分にとっては〝冒険〟かなと思うことがある。気候、起伏、交通量、野営地、食料調達場所などを調べて、普段出来るだけ体力の維持に努めるプロセスが何かに挑戦する楽しさを与えてくれる。

山登りはしないけれど若いころに憧れた。BSNHKで二人の美しいヒマラヤの映像に惹き込まれてきたので残念で仕方がない。


2人とも、登山界で最も権威があるとされる「ピオレドール賞(フランス語で金のピッケル)」の受賞歴があり、物事に絶対ということは無いけれど、絶対にミスはしないタイプというクライマーにミスが起きてしまった。

冒険家の植村直巳氏は「冒険とは?」と問われて、「帰ってくること。」と答えたという。しかし、アラスカのマッキンレー(現;デナリ)に消え、平出氏と組んでインド・カメット南東壁を初登頂したことで2009年に女性登山家で初めて「ピオレドール賞」を受賞した谷口けい氏は2015年に冬の北海道の黒岳で滑落している。

自分には分からない世界だが、未踏峰の登攀プロセスそのものがかれらの人生ではないかとニュースを受け留めている。


【過去記事】