季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

ベートーヴェンとメトロノーム

2008年01月22日 | 音楽
メトロノームが発明されたとき、ベートーヴェンは小躍りせんばかりに喜んだという。これで馬鹿なやつらに私の曲の正しいテンポを示すことが出来る、というわけだ。

さて時が過ぎ、彼が自分の曲をメトロノームに合わせて弾いてみたところ、全くうまくいかない。「こんなものは悪魔の発明だ」と叫んで投げ捨てたそうだ。

ベートーヴェンが癇癪持ちだったおかげでこういう逸話も残る。それを読んだ人はいかにもベートーヴェンらしい話だと笑う。


上記の逸話を読み人が安心するのは、ベートーヴェンといえども自分と同じ欠点を多少なりとも持っていたのだ、という安堵感からだろう。


ひとつ逆を考えてみよう。あなたが作曲をする。べつに名曲である必要はない。ひとつひとつの音符をメトロノームに合わせて確認するだろうか?これは付点八分音符か、はてさて複付点かと。そんな人がいるはずがない。(と言ったものの多少の不安が残る。猫も杓子も原典版だ、この調子ならハノンの原典版がでるかも、と冗談を言ったら本当にあった。そこまでこだわるのならアノンと表記すればよいものを。世の中は広い)

さてその曲をメトロノームに合わせて弾いてみればよい。やはりうまくいかないことが判るだろう。つまりベートーヴェンの場合と同じである。してみるとベートーヴェンと一般人の差は、かたやたたき壊し、こなたは自分が間違っているかもと恐れる、そこにしかない。

以前ジュリアードのピアノ科教授の講座があった。僕は行かなかったけれども詳しい講義内容を見せてもらった。

曰く、まずメトロノームでよく練習しなさい。そして勿論それでは音楽にならないから、徐々に外していきなさい。

こういう時、僕は反射的に「勿論」に目がいく。

彼はメトロノームに合わせたら音楽にならぬことを承知しているのだ。そして少しずつそこから(テンポを)外して行きなさいと。いったいどうやって?外していくのもあなたの感覚を用いてだろう。

長年音楽の中で生きてきて、こんなことしか言えないのだろうか。ずいぶん寂しいことだと思う。

現代人の中にはどうしようもないほど大きな科学コンプレックスがあるのだと言わざるを得ない。何をびくびくしているのだろう?メトロノームはイン・テンポを示すことは出来ない。刻まれた時間と流れる時間は違う、それだけのことだ。

この結論は分かりにくいと思う。そういう人たちが時々このブログを覗いてくれると嬉しい。僕としてはこの結論の周りを巡って行ければと思っている。