ルネッサンスといえば人間性の復興。正解。暗黒の中世のあと、人間性の復興の時代が来た。いくつかのキーワードと共にポンポンと答えが出たならば、あなたは物識りの仲間入りかもしれない。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」ラファエロの「マドンナ」、ミケランジェロの「ダビデ像」、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」あたりを押さえておきなさい。
なんてね。
実際は、研究が進めば進むほど、その実態は(というか定義は)曖昧になっていくらしい。
それはそうだろう。まず、どんな時代でも、一括りにできるものではない。現代を数百年後の人たちが記述したとしよう。
「当時の人々は自由という不自由を与えられていた。その中でも最も不自由な人をスターと呼んだ。女性達は韓国からやってきたスターに群がって自分の不自由さを忘れようとした」
こんな記述だったら、天国にいるであろう現代のオバサンたちは「そうそう、そんなだったわね~」と語り合い、オジサンたちは相変わらず無視されてふくれ面をするだろう。若い女の子達は(言っておきますが、数百年後も若いという意味ではないよ)「冗談じゃない、あれはオバサン達だけのできごとだったのよ」と気勢をあげるだろう。そのうちのごく一握りが「ヨン様よりシゲ様の方がずっとましだった」と言うだろう、と思いたい。が、ちょっと待て、空想が妄想に走ってはならぬ。
ヴァレリーというフランスの詩人は、大の歴史嫌いであった。歴史家のいう歴史は泡にすぎない、というのが彼の持論であった。それは上述のことと同じことである。
さて話をルネッサンスに戻す。
人間性の復興とレッテルを貼るのが間違いだと主張するわけではないが、まさにその時、ジョルダーノ・ブルーノは異端という理由で火あぶりの刑に処せられている。レッテルによるイメージだけに頼ると、こんなギャップにうろたえることになる。
ウフィチ美術館(と書いて心配になった。日本語表記はどんななのか、定かでない。先日来たダヴィンチの「受胎告知」がある美術館です)も、普段行くと空いていた。有名なボッティチェリの「春」「ヴィーナスの誕生」の前ですら人がいなかった。
僕はどうもボッティチェリという画家が好きになれない。個人的な好みであるからどうしようもない。まず、すべてに共通する眼差しがイヤだ。女も男も、とろんとした目つきだ。背景も、細かすぎてヨーロッパの陶磁器と同じで生きていない感じだし、色彩も金持ちの屋敷のソファーが色褪せたような印象を与える。
と言いながら、我が家の階段の途中には「春」の三人のヴィーナスだけを描いた版画が架かっている。
なぜボッティチェリについて書き始めたかというと、彼の「聖母像」を見たときに、ルネッサンスというものが「感覚的に」一挙に理解できたように思ったからだ。
この絵も決して好きというわけではない。ただ、聖母の唇の艶めかしさに目が釘付けになった。肉の薄い唇なのに、おそろしく肉感的なのだ。ぬめるような感触。聖母でさえ、こんなに肉感的に、エロティックに描いて差し支えなかった時代がきた、そんな理解の仕方をしたと言っておこうか。
イギリスの伝記作家(イギリスは伝記というのは立派な文学の一ジャンルを形成している)の代表はリットン・ストレイチーだが、この人の(たぶん)最後の作品に「掌の肖像画」というのがある。その中に「ルネッサンスという好色な時代」という表現があって、僕は深く納得したのであるが、それがどこにあったのか見つからない。
見つからなかったらどうしよう。僕が好色ということになるのか?これから探すことにする。