オリンピックが近い。だからというわけではないのだが、以前から釈然としなかった問題について、考えてみよう。ドーピングについてだ。
ドーピング問題がいちばん劇的だったのは、男子100メートルで、カナダのベン・ジョンソンが金メダルを剥奪されたことだろう。
圧倒的な強さをみせたベン・ジョンソンから、ドーピング陽性反応が出た。彼はドーピングの事実を認め、一定期間の出場停止後、ふたたび競技に復帰した。しかし、もう並みの選手でしかなかった。
僕がもっとも熱心に観戦するスポーツのひとつは自転車のロードレースであるが、この世界でも、毎年さまざまな薬物を使った違反が後を絶たない。
去年も、ロードレースの最高峰、ツール・ド・フランスで、最有力選手が、大会の途中で疑惑を持たれて、というか陽性反応が出て大会を追放され、そのまま引退した。
それでことは終わらず、3週間のレースも残すところあと2,3日というときに、総合トップの選手が、規約に違反していたとの理由で、やはり大会から追放された。
一昨年も、優勝を飾った選手が、陽性反応を示していたことが判明して、タイトルを剥奪されたし、大変な数の有力選手が疑惑を持たれて、出場停止処分を受けたり引退をした。
ルールを犯したという意味では、処分を受けたことに反対する理由はない。
しかし、と僕は考え込んでしまう。
世人は、ドーピングをした選手を、人間の風上にも置けぬような扱いをするが、これはどんなものだろう?
スポーツは人間性の表出の代表的なもののひとつで、それに薬物を用いるとは論外である。一応もっともな感想だと思う。
しかし、一方では、つい最近もスピード社というメーカーの水着を着れば、記録が伸びる、ということが話題をさらったばかりだ。
オリンピックに出場する有力選手たちは、科学分野の研究機関とタイアップして、体中に電極を付けて、筋肉の効率を量ったり、酸素の量を加減したり、風洞実験をしたりしている。
大会後は、メダリストとその科学チームの必死な努力を讃える番組が必ずできあがる。
こちらの科学は賞賛される一方なのだろうか?僕が複雑な気持ちになるのはここなのだ。かつて、選手は自分ひとりで試行錯誤していた。それは自身の肉体を通して智に至る道だったと言ってよい。
現代の選手も、当然さまざまな工夫をこらしているが、工夫の方向は科学によって与えられ、保障されている。選手はむしろただ忍耐を強いられているかのようだ。
そもそも、薬物を使ったからといって、それだけで記録が伸びるわけではあるまい。僕が子供のころ、ポパイというテレビ漫画があった。アニメと言い直そうかな、若い子たちに馬鹿にされそうな気がするね。
他愛もない、ポパイという水夫が、ブルート(だったかな、ちょっとあやしい)という大きな水夫と張り合って、形勢が不利になると、ほうれん草の缶詰を取り出して食べる。するととんでもない怪力になって、ブルートを吹っ飛ばしてしまう、というお決まりのシナリオであった。
薬物にはこんな奇跡的な力はない。僕が摂取したところで、何の役にも立たない。
なぜ薬物の使用が禁止されるようになったか。いうまでもない、選手の健康を損ねるからだ。でも、力士は寿命を縮めてまで、太ろうとしている。それをやめなさいという人はいない。
むしろリスクをきちんと知らせて、あとは本人に任せるということも考えられるのではあるまいか。化学物質は、隠そうとして複雑化するほど、危険も増す。
ドーピング問題がいちばん劇的だったのは、男子100メートルで、カナダのベン・ジョンソンが金メダルを剥奪されたことだろう。
圧倒的な強さをみせたベン・ジョンソンから、ドーピング陽性反応が出た。彼はドーピングの事実を認め、一定期間の出場停止後、ふたたび競技に復帰した。しかし、もう並みの選手でしかなかった。
僕がもっとも熱心に観戦するスポーツのひとつは自転車のロードレースであるが、この世界でも、毎年さまざまな薬物を使った違反が後を絶たない。
去年も、ロードレースの最高峰、ツール・ド・フランスで、最有力選手が、大会の途中で疑惑を持たれて、というか陽性反応が出て大会を追放され、そのまま引退した。
それでことは終わらず、3週間のレースも残すところあと2,3日というときに、総合トップの選手が、規約に違反していたとの理由で、やはり大会から追放された。
一昨年も、優勝を飾った選手が、陽性反応を示していたことが判明して、タイトルを剥奪されたし、大変な数の有力選手が疑惑を持たれて、出場停止処分を受けたり引退をした。
ルールを犯したという意味では、処分を受けたことに反対する理由はない。
しかし、と僕は考え込んでしまう。
世人は、ドーピングをした選手を、人間の風上にも置けぬような扱いをするが、これはどんなものだろう?
スポーツは人間性の表出の代表的なもののひとつで、それに薬物を用いるとは論外である。一応もっともな感想だと思う。
しかし、一方では、つい最近もスピード社というメーカーの水着を着れば、記録が伸びる、ということが話題をさらったばかりだ。
オリンピックに出場する有力選手たちは、科学分野の研究機関とタイアップして、体中に電極を付けて、筋肉の効率を量ったり、酸素の量を加減したり、風洞実験をしたりしている。
大会後は、メダリストとその科学チームの必死な努力を讃える番組が必ずできあがる。
こちらの科学は賞賛される一方なのだろうか?僕が複雑な気持ちになるのはここなのだ。かつて、選手は自分ひとりで試行錯誤していた。それは自身の肉体を通して智に至る道だったと言ってよい。
現代の選手も、当然さまざまな工夫をこらしているが、工夫の方向は科学によって与えられ、保障されている。選手はむしろただ忍耐を強いられているかのようだ。
そもそも、薬物を使ったからといって、それだけで記録が伸びるわけではあるまい。僕が子供のころ、ポパイというテレビ漫画があった。アニメと言い直そうかな、若い子たちに馬鹿にされそうな気がするね。
他愛もない、ポパイという水夫が、ブルート(だったかな、ちょっとあやしい)という大きな水夫と張り合って、形勢が不利になると、ほうれん草の缶詰を取り出して食べる。するととんでもない怪力になって、ブルートを吹っ飛ばしてしまう、というお決まりのシナリオであった。
薬物にはこんな奇跡的な力はない。僕が摂取したところで、何の役にも立たない。
なぜ薬物の使用が禁止されるようになったか。いうまでもない、選手の健康を損ねるからだ。でも、力士は寿命を縮めてまで、太ろうとしている。それをやめなさいという人はいない。
むしろリスクをきちんと知らせて、あとは本人に任せるということも考えられるのではあるまいか。化学物質は、隠そうとして複雑化するほど、危険も増す。