往年の名人ピアニスト、パッハマンの録音を聴いた。
というか、家人が聴いているところへ僕が入っていったのであるが。
ショパンのワルツなどであるが、パッセージの鮮やかな処理がブゾーニの名人芸と似通っていて、当時のピアニストの力量を改めて認識した。
どこのメーカーのピアノだか分かる?と問われたが、スタインウェイではないことは分かる。また、大変音楽的な楽器であることも分かる。しかし音は素直で、古いベーゼンドルファーなどの独特な耳ざわりもない。(耳障りのことではないよ、紛らわしいけれど、手触りと同じように耳触りというものもあるからね)
ベヒシュタインの録音はいくつも知っているが、それらに近いようにも聴こえる。しかし中音域から下はなめし皮のような耳触りで、明らかにベヒシュタインとも違う。それでも仕方なくベヒシュタインかい、と答えたのだがさにあらず。ボールドウィンであった。
知らない人、半分知っている人のために書いておけば、19世紀末から製造しているアメリカのメーカーである。
その昔、フランクフルトで開かれている楽器メッセでお目にかかったことがある。あるメーカーに依頼されて各国のメーカーのブースを覗き、感想を提出したのだった。その時の印象があまりに強烈でね。決してボールドウィンだけではなかったのであるが、それは言い訳にならない。
安物の西部劇に出てくる酒場に置いてあったらぴったりという代物で、アメリカ文化をすっかり馬鹿にするに足りるものであった。
どうやったらあんな安っぽい音になるんだろう。世界中で色んないかがわしいピアノが造られていることを直接知ることができて、このアルバイトはとても楽しかったのだが。
その時の印象とこの録音の音とはあまりにかけ離れている。録音だけでピアノの良し悪しが分かるのだろうか、と訝る人には分かるのだと答えよう。メーカーを当てることは困難かもしれないが、楽器の美点ならば即座に分かる。
パハマンの演奏は1925年に録音されているそうだ。するとボールドウィンは製造を始めてから高々30年位ということになる。それでこの音質を造り出したのだから、大したものである。文化の下支えがあるとはこういうことなのかと改めて感心した。
しかしそれがまた数十年後には目を覆うくらい(なぜ耳を塞ぎたくなるくらいと書くと違った意味になってしまうのだろう)落ちぶれる。
書いているうちに思い出したことがある。
アラウがまだ若く、晩年のずんぐりした体型になっておらず、口ひげがお洒落に見えていたころ、メンデルスゾーンのロンド・カプリチオーソを演奏した映像がある。
この中で少しの間鍵盤が映り、メーカーのロゴも映る場面があった。そこでボールドウィンとあった(ような気がする)。そこでもたいへん素直でよく伸びる響きで、フランクフルトでの軽蔑の念をほんの少し払拭できた、というか意外な驚きを感じた記憶が戻ってきた。
たしかボールドウィンだった。映像は持っているのだが、探し出すのは骨が折れそうだ。誰かYou tubeで見つけてくださいな。
ボールドウィンで検索をかけてもさすがにたくさんは掛からない。いくつかは知る人ぞ知る式のもの。正直に書けば、音を聴くまでもない感じの代物。むかし良かったものは今もひと味ちがう、と言いたいのが人情だが、残念ながらそう甘くないのが世の常である。
パハマンの演奏に少し触れておこうか。
この時代に特有の編曲はある。それが少々趣味が悪い。パハマンが親しかったというゴドフスキーと比べても。
しかし、ピアノの音と曲の美しさに舌なめずりしているような感触が伝わってくる。フィッシャーやシュナーベルの世代が難じたのはこういう世界なのだろうか。
いずれにしても非常な名人だ。名手名人がいない現代では、素直に耳を傾けてみたら良い。音だけで舌なめずりを感じさせるなんて素晴らしいことではないか。
写真をウェブサイトで見つけて拝借したら、ご覧のような巨大サイズになった。驚いた人もいるでしょうが面倒なのでこのままにしておく。奇行の主だったそうだから期せずして相応しくなったように思う。
というか、家人が聴いているところへ僕が入っていったのであるが。
ショパンのワルツなどであるが、パッセージの鮮やかな処理がブゾーニの名人芸と似通っていて、当時のピアニストの力量を改めて認識した。
どこのメーカーのピアノだか分かる?と問われたが、スタインウェイではないことは分かる。また、大変音楽的な楽器であることも分かる。しかし音は素直で、古いベーゼンドルファーなどの独特な耳ざわりもない。(耳障りのことではないよ、紛らわしいけれど、手触りと同じように耳触りというものもあるからね)
ベヒシュタインの録音はいくつも知っているが、それらに近いようにも聴こえる。しかし中音域から下はなめし皮のような耳触りで、明らかにベヒシュタインとも違う。それでも仕方なくベヒシュタインかい、と答えたのだがさにあらず。ボールドウィンであった。
知らない人、半分知っている人のために書いておけば、19世紀末から製造しているアメリカのメーカーである。
その昔、フランクフルトで開かれている楽器メッセでお目にかかったことがある。あるメーカーに依頼されて各国のメーカーのブースを覗き、感想を提出したのだった。その時の印象があまりに強烈でね。決してボールドウィンだけではなかったのであるが、それは言い訳にならない。
安物の西部劇に出てくる酒場に置いてあったらぴったりという代物で、アメリカ文化をすっかり馬鹿にするに足りるものであった。
どうやったらあんな安っぽい音になるんだろう。世界中で色んないかがわしいピアノが造られていることを直接知ることができて、このアルバイトはとても楽しかったのだが。
その時の印象とこの録音の音とはあまりにかけ離れている。録音だけでピアノの良し悪しが分かるのだろうか、と訝る人には分かるのだと答えよう。メーカーを当てることは困難かもしれないが、楽器の美点ならば即座に分かる。
パハマンの演奏は1925年に録音されているそうだ。するとボールドウィンは製造を始めてから高々30年位ということになる。それでこの音質を造り出したのだから、大したものである。文化の下支えがあるとはこういうことなのかと改めて感心した。
しかしそれがまた数十年後には目を覆うくらい(なぜ耳を塞ぎたくなるくらいと書くと違った意味になってしまうのだろう)落ちぶれる。
書いているうちに思い出したことがある。
アラウがまだ若く、晩年のずんぐりした体型になっておらず、口ひげがお洒落に見えていたころ、メンデルスゾーンのロンド・カプリチオーソを演奏した映像がある。
この中で少しの間鍵盤が映り、メーカーのロゴも映る場面があった。そこでボールドウィンとあった(ような気がする)。そこでもたいへん素直でよく伸びる響きで、フランクフルトでの軽蔑の念をほんの少し払拭できた、というか意外な驚きを感じた記憶が戻ってきた。
たしかボールドウィンだった。映像は持っているのだが、探し出すのは骨が折れそうだ。誰かYou tubeで見つけてくださいな。
ボールドウィンで検索をかけてもさすがにたくさんは掛からない。いくつかは知る人ぞ知る式のもの。正直に書けば、音を聴くまでもない感じの代物。むかし良かったものは今もひと味ちがう、と言いたいのが人情だが、残念ながらそう甘くないのが世の常である。
パハマンの演奏に少し触れておこうか。
この時代に特有の編曲はある。それが少々趣味が悪い。パハマンが親しかったというゴドフスキーと比べても。
しかし、ピアノの音と曲の美しさに舌なめずりしているような感触が伝わってくる。フィッシャーやシュナーベルの世代が難じたのはこういう世界なのだろうか。
いずれにしても非常な名人だ。名手名人がいない現代では、素直に耳を傾けてみたら良い。音だけで舌なめずりを感じさせるなんて素晴らしいことではないか。
写真をウェブサイトで見つけて拝借したら、ご覧のような巨大サイズになった。驚いた人もいるでしょうが面倒なのでこのままにしておく。奇行の主だったそうだから期せずして相応しくなったように思う。