東奥日報夕刊「明鏡欄」に掲載になりました。
おりしも世相川柳には「子ども等の声もまばらな宵まつり(平川 銀ちゃん)」とありました。
朝刊には「いじめ早期対応を」と県教育委員会が学校を含む教育機関に通知をしたようですが、対症療法で根本的な治療はできていないような気がします。
教員が子供とガチンコ正面で向き合えるような環境を整備するには、文部科学省が総力をあげて指針を策定するべきだと考えております。
対面でコミュニケーションができない、いわゆる空気が読めない教師が増えてきている背景には何があるのか、そこから始まりまると思います。
「無念でならない 中2いじめ自殺」
川崎市の上村遼太君に続き、また13歳の中学生が命を落とした。同世代の息子を持つ父親、そして大人として無念に思い胸が痛む。上村君は殺害、そして岩手の村松亮君はいじめに巻き込まれての自殺。どちらも何らかのSOSや叫びを上げていたのに、大人は気づかない、あるいはスルーしていたことが判明した。しかも今回は担任がしっかりと受け止められなかったこと、校長の保身釈明が世論を炎上させており、一学校現場だけの問題ではなく、社会の深いところに病巣があるのだと思う。
◇子供は大人を映す鏡なら、子供たちが精神的に病むということは大人が病んでいることに他ならない。ましてや人を教え導く師であるはずの教育者に病んでいる人が多いという事実は看過できない。文部科学省ならびに地方の教育委員会は早速、アンケートなど形式だけの対処ではなく、対面で教員の意識行動調査を実施し、現場教員の声なき声を聴く機会を設けることを要望する。
◇今の社会は人間関係が歪んできている。ネット社会になり、現実社会と仮想社会の区別が認識できずにいる子供たちが増えている。子供たちは自然に抱かれ元気はつらつ遊び回り、夜空を見上げて宇宙の神秘を感じるようになってほしい。生かされてある命のありがたさに気づいてほしい。その前に大人が子供たちに「背中」で語りたい。
◇亮君が電車に飛び込んだ気持ちを思うと大人として責任を感じる。いじめのない安らかな世界に旅立った亮君。「生活記録ノート」は私たちへ向けたSOSとして受け止め、いじめのない社会を築き上げることを誓いたい。人の痛みの分かる人間に―と。
(青森市・船橋素幸・NPO法人「いのちの教育ネットワーク」理事)
【平成27年7月22日OR23日東奥日報「明鏡欄」掲載】
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