■エリック・サティ (1866-1925)
フランスの作曲家。「音楽界の異端児」、「音楽界の変わり者」などと称され、西洋音楽に
大きな影響を与えたとみなされている。ドビュッシーもラヴェルも、その多くの作曲技法は
サティによって決定づけられたものだと公言しており、印象主義の作曲家たちにも影響を
与えた。
パリ音楽院在学中にピアノ小品『オジーヴ』『ジムノペディ』『グノシエンヌ』などを発表。
カフェ・コンセール『黒猫』に集う芸術家の1人となり、コクトーやピカソと交流。バレエ・リュスの
ために『パラード』を作曲。またカフェ・コンセールのためのいくつかの声楽曲を書く。今日よく
知られている『ジュ・トゥ・ヴー』はこの時の曲。(Wikipediaより)
■音楽の新しい地平を開いた異端の作曲家
『ジムノペディ』とはアポロ神の祝日に、裸身の若者たちが舞踊を奉納したという、古代
ギリシャの祭典「ジムノペディア」に由来したサティの造語です。これが描かれた壺画に
インスパイアされ、作曲されたとも言われています。中世の教会旋法を用いた、4分の3
拍子の簡素ながら洗練された音楽です。
楽譜の調号や小節線、拍子記号をなくしたり、オーケストラ曲の楽器としてサイレン、飛行
機の爆音、タイプライター、ピストル、ダイナモの音を導入するなど、すべてが規格外と言える
作曲家でした。
そして「家具の音楽」という概念を生み出し、音楽は襟を正して鑑賞すべし、という考えに反旗を
翻し、家具の様にただそこにある音楽を提唱しました。これはまさしく現代のBGMであり、ヒーリ
ング音楽にも通じる先駆的なものです。 (クラシック名曲サウンドライブラリーより)
■サティの代表作をドビュッシーが見事に編曲
他人のピアノ曲のオーケストラ編曲などには何の興味もなかったドビュッシーが、唯一手がけた
作品がサティのジムノペディ第1&3番です。
かねてから親交があり、その才能を認めていたサティを、うらぶれた酒場のピアノ弾きの環境から
表舞台に引き出そうと考えたドビュッシーは、サティの作品の中でも親しみやすく一般受けしそうな
ジムノペディを選び、独特な感性で見事な管弦楽作品に仕上げました。
(クラシック名曲サウンドライブラリー)
■印象派
19世紀後半のフランスに発した絵画を中心とした芸術運動であり、当時のパリで活動していた画家
たちのグループが起源である。フランスの保守的な美術界からの激しい批判にさらされながらも、
独立した展覧会を連続して開催することで、1870年代から1880年代には突出した存在になった。
この運動の名前はクロード・モネの作品『印象・日の出』に由来する。
この絵がパリの風刺新聞「ル・シャリヴァリ(フランス語版)」で批評家ルイ・ルロワの槍玉に挙げられ、
その結果「印象派」という新語が生まれた。(Wikipediaより)
●ということなので,サティは印象派の絵画から何かしら影響を受けたのだろう。ジム?ジムノ?
ジムノペディ?ジムノペディア?いったいなんだ?百科事典のエンサイクロペディアを連想してしまった。
この事典名にも,由来がありそうだ。
●サティのこの曲を聞いたとき,雑木林ではかなり違和感があり,野草というイメージでもなく,バラが思い
浮かんだ。そこで,全盛期の友人の写真と全盛期からチト遅れた神代植物公園のバラたちに登場して
もらった。
●前日の雨がバラに付いているかなと期待していたが,ほとんど残っていなかった…。寝坊のため,神代に
到着したのは11時過ぎだったからなぁ。