いつの頃からか血液型占いというものが世の中に存在していて、飲み会の席などでは必ずといっていいほど登場する話題となっています。私はこの種の占いにおいてあまり良い評判をいただけない血液型である事もあって、
"人間をたったの4種類になんて分類できるわけがない"
などとウソぶいては、席をシラけさせる事に専念していたものですが、昨年の終わり頃、突然"血液型占いは絶対当たる"という法則性に気がついたのです。
その根拠はやっぱり、"人間をたったの4種類になんて分類できない"という事です。
つまり、誰にでもA型で言われる性格から0型で言われる性格まで少しずつ備わっているのですから、その分類の中にある項目に自分を当てはめる事は必ず可能なわけです。だから絶対当たります。これからはシラけさせたりせずに皆さんといっしょに血液型占いで盛りあがる事にします。
分類項目を敢えて細分化せずに大きな枠で分類するという手法は、イロイロなアイデアをどんどん蓄積して、あとで整理するときなどの"仕事術"的な場でも使われるテクニックで、非常に役に立つ事もあります。
例えばPile of Index Cardsでは4種類への分類を提唱されています。自分の頭の中にあるものをある法則で4種類だけに分類しようとすれば当てはまってしまうものですね。
四苦八苦で楽々で触れた仏教の"苦"の分類もそれに近いかもしれません。これはこれで便利なのですが、仏教思想の中には"中途半端な知識でこれらの思想を使わないように"というのがあったように記憶しています。
中途半端な知識での分類、これは確かに新たな苦しみを生む可能性を秘めています。これについては後日。
ここでは分類という事についてもう少し考えてみたいと思います。
先にあげたPile of Index Cardsのように理由がわかっていて分類を行う事は非常に有益ですし、縺れた糸のようになった思考をときほぐす、"楽になる"ための分類です。是非応用してみたいものです。
気をつけて見回してみると、何のために分類する必要があるのかよくわからない分類が身のまわりに溢れてはいないでしょうか。そしてそれが一つの情報となって我々を振り回してはいないでしょうか。
例えば、"勝ち組、負け組"の分類。これは分類する根拠から、その方法までいまひとつ良くわかりませんが、それでも随分使われていますね。そしてこれを耳にした人間は無意識のうちに自分を勝ち組か負け組に分類しようとします。ご都合主義の私からすれば、これが新たなる苦難を生んでいくのであれば分類などしない方が良いにきまっています。
もう一つ、例を上げてみましょう。
少し前に"わかりやすい政治家"という分類をマスコミと評論家の皆さんが盛んに取りあげた事があります。こういう分類を与えられると、人間、どうしても政治家を比較する時に"わかりやすい""わかりにくい"で分類しようとしてしまいます。ところが良く考えたら、政治家がわかりやすい必要など全くありませんし、それをわかりやすく説明するのは当のマスコミとか評論家の皆さんの役割だったりします。
こういった場合の分類は注意していないと、その分類をあてはめようとするあまり思考が停止してしまうわけですから、要注意です。
そして一番危険なのは"自分"を分類してしまう事。自分は変わるし、変えられるわけですから、分類にあてはまってしまって、その位置に定住しているのはもったいないのではないでしょうか。
"人間をたったの4種類になんて分類できるわけがない"
などとウソぶいては、席をシラけさせる事に専念していたものですが、昨年の終わり頃、突然"血液型占いは絶対当たる"という法則性に気がついたのです。
その根拠はやっぱり、"人間をたったの4種類になんて分類できない"という事です。
つまり、誰にでもA型で言われる性格から0型で言われる性格まで少しずつ備わっているのですから、その分類の中にある項目に自分を当てはめる事は必ず可能なわけです。だから絶対当たります。これからはシラけさせたりせずに皆さんといっしょに血液型占いで盛りあがる事にします。
分類項目を敢えて細分化せずに大きな枠で分類するという手法は、イロイロなアイデアをどんどん蓄積して、あとで整理するときなどの"仕事術"的な場でも使われるテクニックで、非常に役に立つ事もあります。
例えばPile of Index Cardsでは4種類への分類を提唱されています。自分の頭の中にあるものをある法則で4種類だけに分類しようとすれば当てはまってしまうものですね。
四苦八苦で楽々で触れた仏教の"苦"の分類もそれに近いかもしれません。これはこれで便利なのですが、仏教思想の中には"中途半端な知識でこれらの思想を使わないように"というのがあったように記憶しています。
中途半端な知識での分類、これは確かに新たな苦しみを生む可能性を秘めています。これについては後日。
ここでは分類という事についてもう少し考えてみたいと思います。
先にあげたPile of Index Cardsのように理由がわかっていて分類を行う事は非常に有益ですし、縺れた糸のようになった思考をときほぐす、"楽になる"ための分類です。是非応用してみたいものです。
気をつけて見回してみると、何のために分類する必要があるのかよくわからない分類が身のまわりに溢れてはいないでしょうか。そしてそれが一つの情報となって我々を振り回してはいないでしょうか。
例えば、"勝ち組、負け組"の分類。これは分類する根拠から、その方法までいまひとつ良くわかりませんが、それでも随分使われていますね。そしてこれを耳にした人間は無意識のうちに自分を勝ち組か負け組に分類しようとします。ご都合主義の私からすれば、これが新たなる苦難を生んでいくのであれば分類などしない方が良いにきまっています。
もう一つ、例を上げてみましょう。
少し前に"わかりやすい政治家"という分類をマスコミと評論家の皆さんが盛んに取りあげた事があります。こういう分類を与えられると、人間、どうしても政治家を比較する時に"わかりやすい""わかりにくい"で分類しようとしてしまいます。ところが良く考えたら、政治家がわかりやすい必要など全くありませんし、それをわかりやすく説明するのは当のマスコミとか評論家の皆さんの役割だったりします。
こういった場合の分類は注意していないと、その分類をあてはめようとするあまり思考が停止してしまうわけですから、要注意です。
そして一番危険なのは"自分"を分類してしまう事。自分は変わるし、変えられるわけですから、分類にあてはまってしまって、その位置に定住しているのはもったいないのではないでしょうか。
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