子供の頃に絵本か何かで読んだ西遊記の中に、でも好きな箇所があります。三蔵法師に従う事になった孫悟空ですが、その生来の乱暴が抜けない頃、自分の力を見せつけようと暴れ回りながら、筋斗雲で世界の果てまで飛んで行った悟空の前に5本の柱が立っていて、それが結局仏様の指だったという話の部分です。
私が最初にこの話に触れた時に子供心に非常に不思議に思ったのは、仏様がそんなに遠くまで届く大きな手を持っているなら、どうしてその手で三蔵法師を天竺まで一気に運んであげないのかという事でした。それと同時にどうして三蔵法師は仏様にその事をお願いしないのかも不思議でありました。あるいは、その強力な手を使って、天竺から三蔵法師が取りに行こうとしている経文を一気に三蔵法師の所へ届けてあげるとか、そういう方法もあるんじゃないかと考えたわけです。
そこまでも、そこからも三蔵法師は何度も生命の危険に見舞われ、苦難の旅を続けていくわけですが、その苦難を一気に解消するだけの力を仏様は持っている事が物語の冒頭で触れられている事が不思議でありました。
その後、もう少し大人になってからは、基本的に常識的な「孫悟空がどんなに独創的な行動をとっても、仏様の"想定内"の行動に過ぎない」という事を比喩したものとして考えるようになりました。ただ、どうしてもお話しのこの部分だけは他の部分と浮いているように思えて、どこか気になる存在であり続けもしたのです。他の部分のお話しはかなり記憶から消滅してしまったのですが、この部分以外は各地の魔物に三蔵法師一向が無理難題を押しつけられたり、食べられそうになったりといった、各地の暴君や権力者の間を上手く潜り抜けたり、場合によっては対決したりしなが天竺を目指す事を比喩したものと考えやすいのですが、どうもこの箇所だけは違うと思いませんか。
旅をするようになるまで、この謎は時々、自分の記憶の表面に浮び上っては消える存在でした。ところが、旅をするようになって、この部分の意味する所がが一気に形をとって、自分の上に降ってきたのです。あの部分が西遊記をただの歴史活劇的とは少し違った物にしているという事が理解できるようになりました。
西遊記は、三蔵法師や孫悟空、猪八戒、沙悟浄が天竺へ経文を求めて旅するという行動の中で様々な苦難を乗り越え、様々な思いを抱きながら旅していく、その行為そのものに価値を置いているのであって、天竺からありがたい経文を手に入れるという結果にはそれほど重きを置いていないという立場をあの表現は表しているのだと思うようになったわけです。それから、"経文を手に入れる"という答えよりも、それに向けて三蔵法師一行が旅をしたという行動の方が価値があるという事も理解できるようになったわけです。
そういえば、苦難の末に辿り着いた天竺で一行が手に入れた経文は"白紙"だったような記憶があるのですが、あれはアレンジされた話でしたかね?
私が最初にこの話に触れた時に子供心に非常に不思議に思ったのは、仏様がそんなに遠くまで届く大きな手を持っているなら、どうしてその手で三蔵法師を天竺まで一気に運んであげないのかという事でした。それと同時にどうして三蔵法師は仏様にその事をお願いしないのかも不思議でありました。あるいは、その強力な手を使って、天竺から三蔵法師が取りに行こうとしている経文を一気に三蔵法師の所へ届けてあげるとか、そういう方法もあるんじゃないかと考えたわけです。
そこまでも、そこからも三蔵法師は何度も生命の危険に見舞われ、苦難の旅を続けていくわけですが、その苦難を一気に解消するだけの力を仏様は持っている事が物語の冒頭で触れられている事が不思議でありました。
その後、もう少し大人になってからは、基本的に常識的な「孫悟空がどんなに独創的な行動をとっても、仏様の"想定内"の行動に過ぎない」という事を比喩したものとして考えるようになりました。ただ、どうしてもお話しのこの部分だけは他の部分と浮いているように思えて、どこか気になる存在であり続けもしたのです。他の部分のお話しはかなり記憶から消滅してしまったのですが、この部分以外は各地の魔物に三蔵法師一向が無理難題を押しつけられたり、食べられそうになったりといった、各地の暴君や権力者の間を上手く潜り抜けたり、場合によっては対決したりしなが天竺を目指す事を比喩したものと考えやすいのですが、どうもこの箇所だけは違うと思いませんか。
旅をするようになるまで、この謎は時々、自分の記憶の表面に浮び上っては消える存在でした。ところが、旅をするようになって、この部分の意味する所がが一気に形をとって、自分の上に降ってきたのです。あの部分が西遊記をただの歴史活劇的とは少し違った物にしているという事が理解できるようになりました。
西遊記は、三蔵法師や孫悟空、猪八戒、沙悟浄が天竺へ経文を求めて旅するという行動の中で様々な苦難を乗り越え、様々な思いを抱きながら旅していく、その行為そのものに価値を置いているのであって、天竺からありがたい経文を手に入れるという結果にはそれほど重きを置いていないという立場をあの表現は表しているのだと思うようになったわけです。それから、"経文を手に入れる"という答えよりも、それに向けて三蔵法師一行が旅をしたという行動の方が価値があるという事も理解できるようになったわけです。
そういえば、苦難の末に辿り着いた天竺で一行が手に入れた経文は"白紙"だったような記憶があるのですが、あれはアレンジされた話でしたかね?
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