旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

貧乏旅行のジレンマ

2004年10月15日 | 旅行一般
前回、“若者の特権“で貧乏旅行について少し触れたのでその続きです。
 手段と目的の倒錯というのはよく見掛ける現象で、例えば大量破壊兵器の危険を排除する“目的”でイラクを攻撃するという“手段”をとったのか、イラクを攻撃するという“目的”で大量破壊兵器の危険が存在するという情報をでっちあげるという“手段”をとったのか良くわからないような事が世の中でもまかり通っていたりします。
・・・・失礼・・・話が逸れました。

 海外旅行でもバイクでのツーリングでも、“貧乏”が目的である必然性は全然ありません。ただ、限られた予算のなかでできるだけ多くの場所に自分を置きたいとか、できるだけ長い期間旅をしたいという“目的”に対して、その旅の目的に不必要な予算を削除していこうとするから手段として“貧乏旅行”になってしまう場合があるという話にすぎません。

 ところがこの“貧乏”が一つのスタイル、あるいはステータスになって、“自分は貧乏旅行者。その辺のパッケージツアー客とはわけが違う”とばかりにやたらと汚い格好で歩きまわったり、(ちなみに“秘伝・旅先での洗濯”で書いた特殊技能を身につけていれば、やたらに汚い格好で歩き回る必要はありませんね。)“ツーリングライダーは米に塩をふって食べるのさ”とか、“宿泊は野宿であるべき“とかやたらと自分の貧乏ぶりをアピールする姿を見ると、ちょっとずれてるんじゃないかと思うのですがどうでしょうか。”バンカラ”というやつなんでしょうが・・・。

 そういったことを煽っているようにもとれるガイドブックやバイク雑誌の記載も目にする事があります。海外ツーリングの経験者と話をしていても、中には“自分たちは世界をまたにかけるツーリングライダーでお金もないのだから、バイクをタダで直してもらっても当然”みたいな発言が平気でできる人物も存在して、“この人は世界を回ってきても何にも見えてなかったのかな、もったいないなぁ”と感じたりすることもあります。人の親切に感謝を感じられなくなったらもう人間としてヤバイ領域にはいっていると思います。

 “目的“として、前回書いたような、その国の人と触れ合うという点がはっきり見えていれば、この“貧乏“が手段を超えた位置に存在するような価値観。本当は旅行を始めてすぐに粉砕されるはずのものなのです。なぜならば多くの国で、そして多くの町で、そこに暮らしている人の殆どは海外旅行なんて思いもよらない生活を送っているのであって、そこに訪れた時点で”金持ち“なのです。周囲にしっかり目を配る力があれば、それをひしひしと感じるシーンの方が多いはずなのです。例えば”スラム“と呼ばれるような地域にまで足を踏み入れるような深い旅をしたとしたら、そこでもなお、自分の貧乏ぶりをアピールできるでしょうか。そういう経験を持つ人たちは貧乏旅行ぶりをアピールしたりしませんから、貧乏旅行振りをアピールすればするほど自分の見識と経験の浅さをアピールする事になって格好悪いので要注意。逆にそういうアピールばかりする先輩旅行者のアドバイスはあまり参考にならないと考えてよいと思います。

 自分がどういった目的意識をもって、その中でどこにお金を使い、どこを節約するかが重要であって、全てを極端に節約して、ただただ貧乏ぶりをアピールするのは貧乏旅行というよりも”アイデア貧困”旅行と呼ぶべきでしょう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿